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幻想街のダンピール  作者: アメフラシ
12/32

懐中時計と土人形10




「まさか電力系統が生きてたとはなぁ。知ってりゃあ屋敷中の電気を点けて廻ったものを……」


 これじゃあ懐中電灯を片手に探索してたのがバカみたいだなと、居間の天井に吊り下がり眩い明かりを放つシャンデリアを見上げながら熾乃は呟いた。

 気になって少し調べてみたのだが、この屋敷は電気だけでなくガスや水道も通っている。

 いまだに人の住める環境が整っているだなんて、すっかり廃れてしまっていた外観の屋敷から、いったい誰が予想できただろう。


 もっとも、熾乃達よりも前にここに居た……居間のソファに俯きがちに座っている彼女なら知っていた事だろうが……。


「時枝 時恵さん。お逢いできてよかった。随分と探しましたよ……怪我も無さそうで本当に良かった」


 時枝 時恵は対面してソファに座る久遠の言葉に何の反応も示さない。先程からずっとこの調子、熾乃達と逢ってから彼女は何も喋りはしなかった。

 それは自分を探し廻っていた久遠への申し訳無さか、はたまた自分の目的を邪魔された事への苛立ちか。熾乃の目に写る時枝 時恵の横顔はそう感じさせる憂いを帯びていた。


 重苦しい沈黙の中、その様子を静観していたアゼルが話易いよう、切っ掛けを作るように喋りだした。


「……時枝さん。この方達はさっき部屋で話したように、貴女の味方になってくれる人達です。だから気兼ねなく話してみてください……どうして誰にも居場所を告げずに居なくなったのかを」


 経緯はどうあれ恐らく、時枝 時恵がこの面子の中で一番信用しているのは、彼女と最初に接触することの出来たアゼルだけだろう。

 二階で何を話したのかは分からないが、でなければ見ず知らずの男の後を付いて、ここには降りてこない筈だ。


 そんなアゼルからの橋渡しなら、彼女の重く閉ざされた唇も少しは軽くなるだろう……このように。


「……魔術師さんからお聞きしました。皆さんはお祖父様からの依頼を請けて私を捜しにここまで訪れた探偵さん達だと……私個人の勝手な事情に巻き込み、皆さんに多大なご迷惑をおかけしてまって……本当にすみませんでした……」

「いえいえ、そんなお気になさらずに。これが私共の業務ですから」


 アゼルの計らいで滞っていた意思疎通に進展を見た久遠の表情に安堵の色が浮かぶ。これで少しは話が進むだろうと、そう胸を撫で下ろしている気分になっている筈だ。


「……ですが」


 だがその淡い期待は、彼女の口から出た言葉によって脆くも崩れさられてしまう。


「私は家に帰る気は全くありません。ですから私のことは放っておいてください」

「放っておいて、って……」


 突き放すように発せられた拒絶の意に久遠は言葉を詰まらせる。


「私には、どうしても確かめなければならない事が……探さなくちゃいけない人が居るんです。その人に逢うまで私は帰りません」


 時枝の言う探さなくてはならない人物。それは恐らく、大学でイリス=エインセルが証言した彼女の母親の事であろうと熾乃達は即座に悟った。

 だが彼女の母親は既にこの世にはいない。亡くなっているのだ。そのことは時枝自身がよく分かっている筈、逢うだなんて不可能なのだが。


 しかし時枝の言い分がなんであれ『はい、そうですか』とこのまま彼女の身勝手な理由で見逃す訳にはいかない。


「ですけどね、時恵さん。貴女のお祖父様の時枝 郷三朗さんは時恵さんの事をとても心配していらしてましたよ……貴女が何故こんな事をしたのかは存じませんが、一度屋敷にお帰りになって御家族の方を安心させてあげたほうが良いかと思いますよ?」


 こちらは正式な依頼で動いているのだ。クライアントを裏切るような真似なんて決して出来ない。故に彼女に思いとどまってもらうよう、久遠は説得を試みたのだが……、


「……探偵さんは何も分かってない。あの人は私の事なんかこれっぽっちも心配なんてしていないんです。隠し事ばかりで、私が知りたい事は何一つ教えてくれない。考えているのは自分の事だけ。お祖父様も、執事の行人も……あの家には私の敵しか居ない。そんな人しか居ない屋敷になんて帰りたくありません」


 まるで誰も信用できないかのような冷えきった発言に、久遠は彼女にかける言葉を見失ってしまう。口振りは穏やかだか今の彼女からは、その可憐な容姿とは真逆の粗暴な気質が滲み出ていた。

 いうなれば手負いの獣。目に写る者全てが敵に見え、自分に近づけさせないよう刺々しい言葉を手当たり次第にばら撒いている……といった雰囲気を彼女は漂わせていた。


 牙を剥いて威嚇する獣。そしてその矛先は熾乃達にも向けられる……。


「それに貴方達には私がどうしようと、どうなろうと関係無いじゃありませんか。貴方達は祖父に雇われた人達……要はお金を貰っているから仕方無く動いているだけの方達じゃないですか……そんな人達に私の邪魔をされたくない……そんな人達に付きまとわれたら迷惑なんです」


 今のは『お前達は金さえ払えばなんだってするんだろ』という軽蔑の念を含んだ悪意が感じ取れる物言いだった。

 冗談じゃない。自分達は善悪の区別が分からない赤子じゃないんだ。モラルに反する事なんて絶対にしないし悪事にだって手を染めない。探偵という仕事にだって誇りを持っている。


 金欲しさに非道に走る者と熾乃達を一緒くたにする……自分の価値観と偏見で言葉を並べる時枝に、


「んだと……!」


 怒りを覚えるなというのは……熾乃には土台無理な話であった。


「やめなさい熾乃クン……時恵さん、貴女が見ず知らずの私共の事を疎ましく感じるのは仕方がない事だと思います。誰だって知らない人間に後を付いて廻られるのは嫌な筈ですから……けれど皆さんが貴女の身を案じているというのは本当の事なんです。だから貴女のお祖父様は私共に貴女の捜索を依頼されたのですよ」

「…………」


 まるで『そんなことあるわけない』と言いたげな表情で時枝は久遠の言葉から目を反らした。

 何が彼女をそこまで思い詰めさせているのか。疑心暗鬼に陥っている時枝にはどんな言葉も届きはしなかった。


 ――それどころか、


「それだけ時恵さんは御家族の方に……大切に想われているんですよ」

「大切……?」


 彼女の家族の立場から想定して、良かれと思って発した久遠の“大切”という単語は、


「大切なら……!」

「時恵さん?」


 今の時枝 時恵に一番言ってはならない……地雷であった。


「大切なら! どうして何も教えてくれないんですかっ!」

「っ!?」


 突然の事に久遠は驚きを隠せなかった。それも当然だろう。あんなにおとなしかった時枝が急にガッと立ち上がり、怒りを露にしているのだから。


「本当に私のことを大切に想っているならどうして何も教えてくれないの!? どうして私に嘘をつくの!? お祖父様も! 行人も! 隠し事ばかりじゃない!」


 先程まで心を閉じていた彼女の姿はもう何処にも無い。熾乃達の前には、腹の内に溜め込んでいた鬱積を爆発させる……生の感情を大声で発露する本当の彼女の姿がそこにあった。


「私は“お母さん”のことが知りたいだけなの! どんな声をしていたのかも分からない、手の温もりも知らない……自分の親なのに名前だって分からないのよ!? おかしいでしょそんなの! どうして誰も教えてくれないの!? どうしてお母さんがどんな人だったか私に教えてくれないのよ!?」

「と、時恵さん!? 落ち着いて……」

「大学の友人は皆、自分の母親がどんな顔をしているのか、どんな性格なのかしっかりと分かっていて……なにより“思い出”を持ってる! けど私には無い……何も無いの!」


 目にうっすらと涙を浮かべて主張する時枝の目的はやはり母親だった。

 彼女を産んですぐに亡くなった母親。自分の産みの親なのにも関わらず、その人のことを何一つ知らないということは、時枝にとってはとても苦痛で……とても寂しいことだったのだろう。


「私がこんなに必死なのに誰も私の辛さを理解してくれない! 誰も私の心苦しさに気づいてくれないじゃない! 皆、私の事なんてどうでもいいと思っているってことでしょ……貴方達だってそうなんでしょ!」

「い、いえ、私共はそんな……!」

「貴方達は祖父と同じ嘘つきよ! 祖父にお金で雇われただけのくせに皆が心配しているだなんて心にも無いことを言わないで!」


 自分の感情に振り回されている。直接関係の無い久遠にまで口撃しているところをみると、もう彼女には見境が無いのだろう。目に写る者全てが……本当に敵に見えているようだった。


「私はお母さんのことを知りたいだけなのにどうして皆して邪魔をしようとするの! 私がいったい何をしたって言うの!? そんなに私が嫌いなの!?」


 冷静さを失った彼女の訴えはとても自己中心的で、醜くて、


「そんなに私のことが憎いならこっちから消えてやるわよ! そうすれば皆は満足なんでしょ!」


 聞くに耐えない。


「私なんて――産まれてこなければよかったのよ!」


 その身勝手さに熾乃は、


「っ!」


 右手でゴスンッと近くにあった食卓の一部を……殴り砕いてしまうほどに、憤った。


「……し、熾乃クン……?」


 突如居間に轟いた破壊音に驚きを隠せない久遠と時枝は顔を強張れせたまま硬直する。その隣でアゼルはふぅとため息をして呆れたように、しかし『分からないでもない』といった真っ直ぐな視線を熾乃に向けていた。


「……わりぃ、久遠。無理だ……もう黙ってらんねぇよ」


 確かに自分達は何も知らない。母親を知らない事に時枝がどれだけ思い悩み、苦しんでいたのか……それは自分には到底推し測る事なんかできない。


 だがそれでも彼女の言葉には納得のいかないもの……許せないものがあった。だから言わなければ気が済まなかった。呆然と立ち尽くしている彼女に。


「さっきから聞いてりゃあ自分勝手なご託ばかり並べやがって……自分なんか誰も心配してない上に理解してないだ? バカかアンタ。本当にどうでもいいと思ってんなら警察や探偵(オレ達)にアンタの捜索を身内が頼む訳無いだろうが……どうしてそんな簡単な事もわからねえんだよ、アンタは」


 ゆっくりと歩み寄りながら静かに、しかし怒涛の勢いで次々と咎めの言葉を浴びせ続ける熾乃に、時枝は一瞬たじろいだ様子をみせる。


「っ……貴方は……あの人の事を知らないからそんなことが言えるのよ! お祖父様は頭ごなしに私を抑えつけるばかり、自分の主張だけを押し付ける……そんな人が私のことを思っているわけないじゃない……理解してくれるわけないじゃない!」


 だが積もりに積もった心の内を吐き出す時枝は引き下がらなかった。長年蓄積していた孤独感が彼女を無理矢理駆り立て、鎮まる事を許さないでいた。


「理解してくれない、か……じゃあ聞くがアンタはあのじいさんに自分の気持ちを打ち明けたのか? ……今みたいに声を大にして真っ正面からぶつかっていったのかよ?」

「そ、それは…………」

「してねえだろうな。いい歳こいて家出なんか繰り返してる奴が、正々堂々と腹を割って話してる訳がねえ……してたら今頃こんなとこには居ねぇわな。アンタは周りの連中に拒絶されんのが怖くて言いたい事も言わずに逃げ回ってるだけじゃねえか……理解してもらおうっつう努力もしてねえ奴が被害者ヅラしてんじゃねえよ」


 熾乃の言葉が堪えたのか、時枝の表情に陰りがさす。だがそれでも彼女の憤りは止まらなかった。

 アゼルと久遠が固唾を飲んで見守る中、時枝の牙が更に熾乃へと剥く。


「貴方に……貴方に何が分かるの!? 何にも知らない貴方に……!」

「分からねえよ。アンタが悪さをしてそれを黙っているガキみたいに口をつぐんでいる以上は分からねえし、知りたくもねえ……挙げ句になんだ? 産まれてこなければよかっただ?」


 その言葉が一番……熾乃は許せなかった。


「ふざけるなよ。アンタが本当に母親の事を考えてるなら、自分を産んでくれた親の事を思ってそんな台詞は口が裂けても言えねえ筈だ……結局アンタが考えてんのは自分の事だけじゃねえか」

「……っ」

「アンタは酔っているだけなんだよ。自分の置かれている状況に……母親をダシに悲劇のヒロインぶって周りの連中から距離をとってその気になってるだけだ……今の世の中、親の顔を知らねえ奴はいくらでもいる。それでも懸命に生きてる奴は大勢いるんだ。アンタ一人だけじゃねえんだよ!」


 ――だから、


「いつまでも世界中の不幸を私が一人で背負ってますってつらして逃げてるんじゃねえぞ……この臆病者がっ!」


 臆病者。そう胸に突き刺すように放った熾乃の言葉が、


「っ……私だって……私だって……本当はこんな手段取りたくなかった! でも他に頼れる人が居ないから……どんなに辛くても、心細くても一人でこうするしか出来なかったのよ!」


 彼女の心の防波堤を……決壊させた。


「祖父にお金で雇われただけの貴方が、何も知らない貴方が……!」


 大粒の涙を流しながら叫ぶ時枝の右手のひらが……、


「知った風な口を……っ、利かないでよっ!」


 ……バチンッと大きな音を鳴らして熾乃の左頬を叩いていった。

 耳の奥に突き刺さる炸裂音にも似た平手打ちの音が部屋の隅々にまで反響するかのように鳴り渡っていく。

 

「……! あ、あの……私……」


 音が霞んで静んでいくと共に彼女もまた我に返る。不安げな面持ちをしていることから、興奮のあまりに、人に手を上げてしまった事を時枝自身が一番驚いているといった様子だった。

 泣き叫びながら発していた、本音であろう彼女のあの言葉……他に頼れる人が居ない。抱えている悩みを相談できる相手も、助けてくれる相手も居ないと、孤独に苛まれる時枝の慟哭にも似た叫びが熾乃の耳に残っている。


 不安だったのだ。彼女は。何故そこまで思い詰めてしまったのかは分からないが、その華奢な身体に重くのしかかる心情が時枝に『味方なんて居ない』と……そう錯覚させていたのだ。


 ならば、自分に出来ることは、


「……だったらよ……言えばいいじゃねえか」

「…………え?」


 それがただの錯覚だという事を伝える事だけだ。


「確かにオレ達は何にも知らねえ。ただ金で雇われただけで……アンタから見りゃ、あのじいさんの手先だと思われても仕方ねえさ」


 それは殴ってしまった事への罪悪感か、はたまた熾乃の言葉が彼女に届いたのか。時枝はただ黙って熾乃の話に耳を傾けていた。


「けどな、金で動いているオレにだって心が……人情ってモンがある。アンタが抱え込んでるモヤモヤしたモンを話してくれりゃあ、アンタの力になりたいと思うかもしれねえ。アンタの周りに居る奴だってきっとそうさ」

「……でも、私……貴方に酷い事をした。それに……他に話を聞いてくれる人なんて私には……」

「そう言うんだったら……まずは近くに居る連中に相談する、ってのはどうだ」

「……近、く……」


 そう。ここに居るのは自分だけじゃない。時枝を捜しにここまで一緒に来た……彼女が振り向いた先に居る、優しそうな眼差しを向けているアゼルと久遠が……ここに居る。


「アンタが思い込んでるよりも世間は優しいんだ……自分の事でも無いのにアンタを心配してる友人と笑顔でもう一度再会してほしいって考えてる奇特な奴もいれば、たった二人だけの大事な家族を離れ離れにさせちゃいけねえって思ってる殊勝な女が……ここには居るんだ」

「……私」

「話してみろよ。少なくともそこに居る二人は、アンタの事を本気で心配して、こんな森の奥にまでわざわざやって来たお節介焼き共なんだからよ……ここに居んのは全員、アンタの味方だ」


 その言葉に安堵したのか。まるで憑き物が落ちたかのような、穏やかな表情を時枝は浮かべていた。

 落ち着きを取り戻した今の彼女なら、全てを話してくれる筈だと。そう熾乃達は思っていた。


「私は……」


 ――だがそれを妨げるかのように、熾乃達が居る居間の外、廊下の奥の向こうから……分厚い木の板を大きな鉄球で打ち砕いたような怪音と衝撃が轟いてきたのだ。


「な、なに……?」

「今の……?」


 今のは熾乃達が入ってきた正面玄関の方からだ。怪訝な面持ちで不安を口にした久遠と時枝を居間に残し、熾乃はアゼルと共に正面玄関へと走った。


「っ!? コイツは……!」


 玄関前にたどり着くと、木造の両開き扉は粉々に砕かれていた。そしてその砕け散っていた扉の破片を踏み潰すかのように、一つ眼の鼠の群れと……、


土人形師クレイマー……!」


 それを率いる大男が……立ち尽くしながら、熾乃を睨みつけていた。





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