懐中時計と土人形8
「――つー訳だ。久遠、一刻も早く家出娘を捜し出さなくちゃならなくなっちまった……だからこの懐中時計を使って“例のアレ”をやってくれ」
探偵事務所に戻った熾乃は酒場で起きた出来事を久遠に余すこと無く報告した。
時枝 時恵が確かに酒場へ訪れていた事。
その酒場が時枝 時恵を付け狙っているであろう土人形師と呼ばれる魔術師に襲撃されていて、その大男に自分達が襲われた事。
そしてこうやって話している今も、土人形師は時枝 時恵を捜している――向こうが彼女を見つける前に捜しだして身柄を保護しなければならないと言う事を、事態の深刻さを含めて伝えたのだが、
「……はぁ」
久遠から返ってきたのはうんざりしたように吐き捨てたため息だけだった。
「な? 俺の言った通りだったろ木ノ実ちゃん。アイツ等二人、ちゃんと揃って帰って来るってよぉ。約束通り、今度オジサンとデートな」
「そんな約束してませんよ……確かに十蔵さんの予想通りでしたけど……でもその代わり、伏箕先輩が持って帰ってきたお話を聞いて所長さんが悩み始めちゃいました」
「あ~……けどまぁ、そいつぁ――」
何時もの事じゃねえかと、十蔵は楠野葉と共に、懐中時計が置かれたデスクに両肘をついて頭を抱えている久遠に視線を向けた。
綺麗に整えていた前髪をしだれ柳のようにサバサバと垂らして項垂れる彼女の様子から、現状に関して相当参っているというのが伺える。
齎された情報量が多すぎて脳の整理が追い付かないのか、
はたまた、ただの人捜しだと高を括っていた依頼が予想外の状況へと一変していた事に頭を悩ませているのか、
どちらにせよ、これから彼女の口からでる言葉は、頭痛のタネを持ってきた相手に対する恨み言に尽きるだろう。
「本当にアナタってばいつもいつも……たった数時間、表に出てただけだって言うのに……熾乃クンは一日でもおとなしくするって事が出来ないのかしら?」
前髪をかき上げて恨めしそうに睨みながら放った久遠の小言に聞き覚えがあった熾乃は苦笑した……なんかさっき、おやっさんからもおんなじ事を言われた気がする。
「所長さん、熾乃から聞きました。所長さんなら居なくなった人が今、何処に居るのか、その居場所を瞬時に特定する事が出来ると。もしそれが本当に出来るなら、所長さんの力で彼女を見つけだしてほしいんです」
「う~ん……」
そうは言うけどねぇと、久遠はバツの悪そうな表情でアゼルの頼みに難色を示した。
「熾乃クンとアゼルクンの言い分は分かったけど、その~……土人形師って言ったかしら? その人が時枝 時恵さんを狙っている確証は無いわけでしょ? それなのに……ねぇ?」
確かに確証は無い。
土人形師が時枝 時恵を狙っているというのも、酒場で被害者が所持していた懐中時計から『そうかもしれない』と基づいて考えた熾乃の推測……いや、憶測でしかないのだから。
「確証が出てからじゃ手遅れになっちまうかもしれねえだろ! 土人形師は確かに居て、人を殺してるんだ! しかも殺されたのは時枝 時恵の足取りを知ってた唯一の人物……今分かってる事だけでもソイツが家出娘を捜し回ってるっていう可能性は充分に考えられるだろうが!」
だが、たとえ憶測だとしても看過する事なんて出来ない。あの大男の危うさを直に体験してしまっているから尚の事だ。
土人形師は狙っている――時枝 時恵を。それに未だ半信半疑である久遠に強く訴え続ける熾乃を見兼ねてか、十蔵が助け船を出してくれた。
「……やってやったらどうだ、久遠。熾乃がここまでお前さんに頼んでるんだからよぉ。一回くらい、いいじゃねえの」
「あのね、私だって意地悪してこんな言ってる訳じゃないのよ……ただねぇ」
分かっている。久遠が頑なに首を縦に振らず、尻込みする理由……それは、
「……アゼルクン以外は知っていると思うけど、アレをするのには特別な材料が必要で……しかもそれお金が掛かるのよ。材料の一つ一つが高額だから仕入れ価格は結構するし、事務所にあるストックも少ないから使うのは気が引けると言うか、そのぉ……」
「お前さんなぁ……少しは状況を考えて物を言えよ。ちっとは気を利かすって事が出来んのか?」
「わ、私だって在庫が有ればやってるんだから! ……でも、最近は依頼が無かったから補充する余裕も無くて……だから出来ればそれを使わずに捜索してほしいのだけれど……」
後ろめたい気持ち一杯の顔をしているが、久遠の口からでた台詞はやはりお金の事。
端から見れば十蔵のように『そんな理由で?』と思うかもしれないが、経営者という彼女の立場を考えると、そう言ってしまうのも仕方がないのかもしれない。
嵩嵩探偵事務所は人通りの無い裏通りにひっそりと、隠れるように居を構えている小さな事務所だ。それだけの事で誰も彼もが安易に察せられるだろう。
依頼人が来ないから景気が良くないのだ……酷いぐらいに。
そのせいで収入が少なく、事務所の経営は常に火の車。そんな状態で多大な支出を出すのは火に油を注ぐのと相違無いというのは熾乃にも分かっていた事だった。
「……ならさぁ久遠。金があればやってくれるんだな?」
「え? え、えぇ……それはまぁ」
けれども、今は一刻を争う時なんだ。
「だったら今回の依頼の報酬……オレの取り分は全部お前に譲る。だからその金を材料費の足しにしろ。それで時枝 時恵を捜す協力をしてくれ。頼む、久遠」
つい数時間前まで『今回の仕事は降りた方が良い』と提言していた者から出た言葉とは到底思えなかったのだろう。熾乃の申し出に久遠は一瞬だけ口を開けて呆けた様子を見せた。それは彼女だけでなく、端で聞いていた楠野葉や十蔵も自分の耳を疑うように驚いている。
「……どういった風の吹き回しなのかしら? 熾乃クン、アナタはこの依頼にあんまり乗り気じゃなかったでしょ。どうして急にそこまで今回の事に拘るようになったの?」
「事情が変わったからだよ。確かに、時枝 時恵が行方不明になった理由を知った時は心底うんざりしたさ。『やってられっか!』ってよぉ……けど、あの惨状を見たらそうも言ってられなくなっちまった」
殺害された情報屋の死に顔。
苦悶の表情で凍りついた男の顔が熾乃の脳裏に焼き付いて離れないでいた……。
「……人が殺されたんだ。オレ達が請けた依頼に深く関係していたかもしれない人物を殺したソイツは、人の命を奪う事に何の躊躇いも無いって面してたヤローだった……そんな危ねえ奴が家出娘を狙ってるかもしれないって時に、あーだこーだと難癖つけてる場合じゃねえって思っただけだ」
そして、何よりも……、
「家出を馬鹿みたいに繰り返して身内を心配させる非行少女でも、何かがあったら依頼人のじいさんが心配すんだろ」
どんなに擦れ違いがあっても、
どんなに分かり合えない事があっても、
「たった一人しかいない家族なんだからよ」
――誰だって大切な家族が危険な目に遭うのは、やっぱり辛い筈だから。
「……はぁ~……これはもう私が『うん』と頷くまでは梃子でも動かないって感じじゃないの。ホンッッット、熾乃クンって変なところで頑固なんだから。こーいう時だけは異様にやる気を出しちゃって、それで私達を巻き込んでいくんだもの。嫌になっちゃうわ……目付きが悪い癖に生意気なんだから」
そんな自覚は無いから気付かなかったが久遠は何時も、こういった事案に過敏な反応をする熾乃に難儀していたらしい。
ご立腹なご様子でチェアの背もたれにグッと背を押しつけている事から、熾乃には大分参っていたようだ……と言うか最後のはただの悪口じゃねえか。
「……けれどまぁ、熾乃クンの言ってること分からなくもないわね。やっぱり家族って大事だもの……二人だけなら尚の事よね……」
……意外だった。
資本主義者である久遠の口から、そんな感傷的な台詞が出てくるなんて。
たった二人だけの家族、時枝家。彼女なりに何か思うところがあったのかもしれない。
「しょうがないわね……木ノ実ちゃん、悪いんだけど書斎室にある資料棚から街の地図と“例の物”を二つ、持ってきてちょうだい……捜すわよ、時枝 時恵さんを」
「あっ、はい! 了解です! すぐお持ちしまーすっ!」
書斎室に走る楠野葉の後ろ姿に眼差しを向ける久遠の表情はどことなく微笑んでいるように思えた。
彼女も心の底では時枝 時恵の事を心配していたのかもしれない。素直じゃないところは相変わらずと言うべきか。それでも久遠には感謝だ。
「無理言って悪かった。それと……ありがとな、久遠。なんだかんだ言っても協力してくれんだもんな……やっぱ優しいよ、お前」
「なっ!? なんで熾乃クンがお礼を言うのよ! 言っときますけどね、使った分の材料費はアナタの取り分から引いておきますからね! そこのところを忘れないように!」
本当に素直じゃない。もしくは顔を真っ赤にしてしまうくらいに礼を言われ馴れていないのか。
どちらにしても性格でかなり損をしている奴だ……勿体無い。
「お待たせしましたー!」
勢いよく書斎室から飛び出してきた楠野葉は両腕に、筒状に丸めた街の地図と透明な液体が入った小瓶にグレーの細かいサラサラとした粉末が詰まった瓶を抱き抱えながら持ってきた。
「奏弦市の全体が描かれた街の地図と……『天狐の涙』と『ムニンの羽の灰』です!」
と、楠野葉が持ってきた道具の名称を口した途端、
「天狐に、ムニンって……!? そんな物をいったいどこで!?」
物事に動じるという事に無縁そうなアゼルが眼をギョッと見開いて驚きを示したのだ。
無理もない。その手の逸話に精通している者なら……もっと言えば『魔術師』なら尚更その名に戦き、畏敬の念を抱いてしまう事だろう。
千年の悠久の時を生きて神格化した四尾の狐。その狐の瞳“千里眼”からこぼれ落ちた雫――『天狐の涙』
戦争と死の神にして北欧神話の主神オーディンに付き添う、神気を纏った一対の鴉の片割れ。古き言葉で“記憶”という名を授けられた記憶の海を渡るワタリガラスの翼の一部――『ムニンの羽の灰』
どちらも『神獣』の名を冠する獣の力が宿った逸品。
この大層な二品が、
――嵩嵩 久遠という『魔術師』が駆使する“追跡魔術”に欠かせない触媒になるのだ。
「ウチが贔屓にしてる店があってな。こういった物を卸して売ってる『魔女族』の小生意気な女が店主の雑貨屋から仕入れてんだよ……毎回馬鹿みたいな金額をふっかけられんだけど」
今回もきっとそうなるんだろうなと、熾乃は項垂れた。
「さぁ……始めるわよ」
久遠の手によって丸まっていた街の地図が、ベッドのシーツを伸ばすよう慣れた手つきでデスクに広げられる。
地図の中央に懐中時計をソッと置くと、久遠は机の引き出しから、若干の錆が目につく銅の杯を取り出した。
久遠曰く、この銅杯が重要との事。これでなければ材料が上手い具合に混ざらないらしい。
銅の杯に先程の『ムニンの羽の灰』と『天狐の涙』を順番に入れれば準備完了。
事務所内の明かりを楠野葉に落としてもらい、久遠は魔術を発動させる為の呪いを唱えた。
「――ムニミネー・ディオシス・ウレカ(記憶に沈む主の姿を千里の眼で見つけ出せ)」
呪いを唱えると久遠は銅杯を徐に傾け、灰色の液体を懐中時計と地図に振りかけると、
――その二つを包み込む蒼い炎が立ち上がった。
幻想的な蒼白い炎。デスクの上でユラユラと踊り猛る蒼い火の光が暗くした事務所内を薄明るく照らす。
これが、街の裏界隈で『奏弦市の浄天眼』と称される久遠の追跡魔術。
懐中時計の奥底に刻まれている記憶から、本来の所有者である時枝 時恵の姿を『ムニンの羽の灰』が読み取り、
その姿をもとに千里眼の力を宿した『天狐の涙』が彼女の現在地を探る。
そして居場所が判明すると“探知の炎”は静まりをみせて最後には、狐火の蒼い火が懐中時計と……目的の場所である地図の一ヶ所にだけポツンと火が残る仕組みになっていた。
「……見つけたわよ」
そして今まさに、時枝 時恵の居場所を示す蒼い火が、地図の一番右上に灯る。
そこは何も表示されていない真っ白な区域。地図で見る限りでは建物も何も無いように思えるが……、
「うん? ……そこって確か時枝グループの所有してる森じゃねぇのか?」
「森?」
熾乃の隣で地図を覗き込んでいた十蔵が言うに、
そこは二十年以上も前に時計の製造事業に成功した時枝グループが事業拡大を名目に子会社を建設する為、辺り一帯の森をまるごと当時の地主から一括で買い取った場所である。
――という、時枝グループが持つ資金力の高さを世間に誇示するようなエピソードのある土地だった。
「けどいつの間にかその話しはお蔵入りになっちまってたみたいでな。ビルを建てるどころか、木々も伐採しないままで結局は買った当初と何一つ、今も変わらない状態で残ってるらしいんだが……んな所に何でまた?」
十蔵は首を傾げてう~んと唸っているのだが、火が灯り示しているのはその場所なのだ。
「理由なんかどうだって良い。家出娘がここに居るんなら行くだけの価値は充分にあんだろ」
久遠の追跡魔術が外れた事は今までに一度も無い。行けば必ず捜し人はそこに居た。
だからたとえそこが森しかない場所だったとしても――時枝 時恵はそこに居る筈だ。
「……にしても」
最初にこの追跡魔術の蒼い火を見たときはかなり驚かされた。
手がかりとなる物品と紙の地図を火で包むという演出もそうだが……なによりこの蒼い火自体に度肝を抜かれたのを今でもよく覚えている。
「相変わらず洒落た火の玉だな。熱を帯びていなければ、物を燃やす事も無い……こうやって手に取っても火傷すらしねぇとは」
むしろヒンヤリとしている。
蒼い火に包まれた懐中時計を持った右手に伝わってくるのは、クーラーボックスに手を突っ込んだような冷気に撫でられている清涼感。
不思議な火だ。本当に『魔術』というのは常識破りの塊ような存在である……自分もその類いの存在なので、あまり強くは言えないが……。
「はいはい。観賞はそこまでにして……行くんでしょ、熾乃クン? この場所に……今すぐに。事務所からだと結構距離が離れているから私の車で行くわよ」
「行くわよ、って……久遠も一緒に行くのか?」
「とーぜん。誰が居場所を突き止めたと思ってるのよ。美味しい出番はしっかりといただきますから……熾乃クン、地図と懐中時計を忘れずに持ってきてね」
「へいへい、了解しましたよ、ボス……お前も来るだろ? アゼル」
「勿論」
「うっし! 上等だ」
行き先は決まった。あとは家出娘を迎えにいくだけだ。
蒼い火の消えた地図と懐中時計を携えて熾乃は、アゼルや久遠と共に事務所を出ようとした。
……まさにその時だった。
「ま、待ってください!」
玄関の扉に手を伸ばそうとした久遠を突然、楠野葉が呼び止めたのだ。
「私も皆さんと行きます! ご一緒させてください!」
「……木ノ実ちゃん? どうしたのよ、急に?」
「私も事務所の一員なんですから何かお手伝いしたいんです! こんな時にただ待っているだけなのはイヤなんです! お願いします!」
……思い返してみれば、
『……凄く、心配ですよね……今ごろ依頼人のお爺さんもきっと……』
目の前で深々と頭を下げているこの少女が、この事務所の中で誰よりも時枝 時恵を心配していた人物であった。
少し思いこみの激しいところはあるが、根の優しい子だ。孫娘を思う依頼人である祖父と、危険人物に狙われているかもしれない彼女の事を思うと居ても立ってもいられなかったのだろう。
「でもね、木ノ実ちゃん……」
「お願いします! 足手まといになっちゃうかもしれないけど……私にも何かさせてください! お願いします!」
楠野葉が名乗りをあげるのは無理もない事だったのかもしれない……だが、
「……足手まといになるって分かってんなら無理して来なくてもいいんじゃねえか」
連れていく訳にはいかない。
時枝 時恵がいる場所。そこへ行くという事は、自分達と同じ目的を持った者と鉢合わせしてしまう可能性があるかもしれないという事だ。
――あの鼠の形をした〈土人形〉を操る土人形師に。
そうなってしまったら……衝突は避けられないだろう。酒場の時と同じ、荒事になる。
「やっぱり私……お邪魔、なんでしょうか……?」
そんな危険な場所に、今にも泣きそうな表情で面を上げた楠野葉を連れていく訳にはいかなかった。
「誰もそこまでは言ってねえよ。けど、これから向かう場所にゃあ……下手すりゃあの土人形師がいるかもしれねえ。そしたら確実に荒っぽい展開になっちまう。そうなっちまった時の為に、行くのは荒事に慣れてるオレ達だけの方が効率良いってだけの話だ」
「……伏箕先輩」
「適材適所って奴さ。今回はオレ達が……だが、楠野葉の力が必要な時は遠慮なく楠野葉を頼る。だから今回は大人しく十蔵と一緒に事務所で待ってろ」
これで良い。
こういった危ない事に赴くのは自分達だけで充分。年端もいかない少女にやらせる必要は無いのだ。
だが、寂しげに俯いている楠野葉の気持ちも分からんでもない。
「心配しなくても家出娘はちゃんと守って連れ戻すさ……楠野葉の分までな」
……だからこれが最大限の譲歩。楠野葉の気持ちを汲み取った熾乃なりの配慮の言葉だった。
その言葉にハッとして楠野葉が面を上げた時には既に熾乃の姿は無く、事務所の扉が開いたままになっていた。
「かぁ~っ! 相も変わらず舌足らずっつーか……もう少し優しい言い方ってモンが出来ねぇのかねぇ、あの陰険目付きは」
「今に始まった事じゃないでしょ……それじゃ私達も出るからお留守番をお願いね、十蔵」
あいよと手をぶらぶらと振って久遠達の背中を見送る十蔵の隣で、楠野葉は考えていた。
一緒に行けない今の自分に出来ることを。そしてそれは……
「あ、あの! ……お気をつけて!」
熾乃達の無事を祈って帰りを待つことだと……そう思いに至った。
「えぇ。ありがとう木ノ実ちゃん」
「それじゃ行ってきます」
募る思いを抑えつつ楠野葉は久遠達を見送った……。
オレンジ色の照明灯がアスファルトを照らす夜の高速道路。
次々に通り過ぎていくビルの明かりを、久遠の運転する車の助手席で熾乃は眺めながら思い耽っていた。
頭の中に浮かべている姿はあの大男……土人形師だ。
土人形師の目的は一体何なのか。時枝 時恵が狙いだとするならその理由は。そして彼女との関係は。
いくら考えても答えは出ない。
車窓から見る過ぎ去っていく風景と共に熾乃の推理も、憶測の域を出ること無く曖昧なまま頭の片隅へと置き去りになってしまっていた。
「本当に君って素直じゃないよね」
そう後ろから言葉を投げ掛けてきたのはアゼルだ。
一体何に対して言っているのか分からなかった熾乃は、後部座席に座るアゼルの方を向かずバックミラー越しに軽く切り返した。
「何の話しだよ?」
「行くのは荒事に慣れてる僕達だけの方が効率良いだなんてさ。正直に『危険な目にあって欲しくないから待っていてほしい』って言えば良いのに……ホント、素直じゃない」
どうやらアゼルが言っているのは、つい先程熾乃が楠野葉に掛けた言葉についてのようだ。
正直も何も、自分はそういうニュアンスで楠野葉に伝えたつもりだ。そんな風にケチを付けられる謂れはない。
「ちゃんと言ったじゃねえか」
「世間ではそういうの『言ってない』って事になるんだよ」
……そういうモノなのだろうか?
「ふふっ、熾乃クンにもそんな優しいところがあるという訳で……ちなみに私にはそう言った言葉は掛けてくれないのかしら?」
隣で顔をニヤケさせながら視線だけを熾乃に向けて久遠は気遣いを催促してくるが……、
「久遠には必要無いだろ」
「どうしてよ?」
「危ないって分かったらお前、どうせオレ達を置き去りにして一人だけで安全な場所に避難すんだろ。そんな奴には言わなくても平気だろ」
「……アナタ、ここで車から蹴落としてあげましょうか?」
これだけ鋭い睨みを利かせてくる気の強い女帝なら心配もいらないだろう。
「それよりも、熾乃クン。ちゃんと地図を確認しててちょうだいね。せっかく向かってるのに入れ違いにでもなったら時間の無駄だから」
それはごもっとも。
ここまで来て、会えなかったでは笑い話にもならない。
膝の上に広げた地図に懐中時計を近づけるとその両方に蒼い火が灯る。
地図の一ヶ所に灯った火の場所は、事務所で見た時と変わってはいない。
「大丈夫だ。火の位置は移動してねぇ……対象はまだ同じ場所に居る。予定してたルートで問題ねえよ」
「オーライ。それじゃあ飛ばしていくわよ」
その言葉通り。久遠はアクセルペダルを踏み込んで車を一気に加速させた。
橙色の照明灯の明かりを突っ切りながら夜のハイウェイを車は走り抜けていく。目的地を目指して。
土人形師の目的や正体はいまだに謎だ。だがそれも狙われている本人である時枝 時恵と接触できれば少しは何か分かるかもしれない。
――時枝 時恵。
今回の一連する事件の中心人物。
熾乃達と彼女が出逢うその瞬間は……もうすぐそこまで来ていた……。