タテイシさんのお出まし
「おーい、寝てるところ申し訳ないんだけど……ここがどこか知りませんか」
そんな声、そう、久しくといってもいつのことかはわからないけれど。
とにかく、この場所で初めて聞く、自分以外の存在にボクは突然起こされることとなった。
ちょっとだけうるさい。あとちょっとだけうれしいけど。
ボクはまだ寝てたいんだ。もっと。どうせ起きても何もすることないんだし。
いや、そういえば昨日からノートを書き始めたのだから、することはあるか。だったら……っていやいやいや、誰。
目をパチリと開け、ベッドから身体を起こし、首を声のする方に向ける。居た。
「お坊ちゃん、いや、お嬢ちゃんか。気が付けばこんなところにいたんだけど、ここどこか知らない?」
見たところ声の主はパジャマ姿のおじさん。人柄のよさそうな顔をしている。
といってもボクは初めて他人を目にするはずなんだから、人柄も何もわからないはずなんだけど。
どうして……って今は考えてる場合じゃないんだ。声に出して答えなきゃ!
「ぃぇ………ぉぅ……ぃ………ぅ」
いえ、ボクも知らないのです、と声に出してみる。みたつもり。
「えーっと、えくすきゅーずみー?ニホンゴ、ワカリマスカ?」
よくわからない反応のせいではなく、ボクは頭が真っ白になった。
声が出ない。それもそうかもしれない。
いったい、日数にしてどれだけの間ボクは声を使ってなかったのだろう。
いや、確かに昨日ちょっとだけ使ったけど。こういう時の意思表示手段としてジェスチャーがあるんだ。とりあえず言葉の意味は分かるのでこくりとうなずいてみる。大丈夫だよね?しぐさの意味が違うなんてことないよね?
「おお、わかるんだね?だけれども、声が出ないというわけだ」
そうです。そうなんですと喉のあたりに手を当て、うなずく。
「うーん、ちょっと大きな声を出すつもりで、あーって言ってみて?たぶん出るから。」
そんなわけがない。
「あー」
出た。摩訶不思議。
「よしよしよし、おーけー。じゃあ、自己紹介といこう。喋るのはゆっくりでいいからね。私は立石 晃司。会社員のおじちゃんだ。君は?」
ボクは……
「カミサマ」
「……え?ごめん、もう一回言ってみてくれるかい?」
「ボクが、カミサマです」
もう一度きちんと聞こえるようにゆっくりと言い直す。
「あ、聞き間違いじゃない、と。……あちゃー、年甲斐もなくえらくファンタジックな夢でも見たもんだ」
タテイシさんは夢などというけれど、ボクの知っている現実はここしかない。
「じゃあ、なんだ。もしかして私のとんでもない力が四十路にもなって覚醒の兆しを見せて、神様である君が別世界に棒切れと金50円ほどをもたせて旅へと送り出してくれる……とか」
「そんなことはないです」
しばらくの、間情報整理のために話をしていたところ、
どうやらタテイシさんは仕事から帰り、夕飯を食べ、家族の団欒の後、ぽかぽかお風呂に入って、さて寝るか、とばかりに、ふかふかのベッドに入ったところまでの記憶しかないということを話してくれた。
ボクもこの場所で知っていること――といってもどこにも行けなくて、何もできなくて、ただ死んだように生きるしかないここのことを話した。微妙にワクワクした目で聞いていたタテイシにちょっとだけイライラする。だから心の中で呼び捨てにしてやったけど、ちょっとだけ悪いことをした気がして、すぐ止めた。
そうして情報交換を終えた後、
「そっか。これは夢なのかもしれないな。こんな年にもなって、『勇者になって、世界を救う』みたいな、妄想みたいな夢を持った、私が見ている」
などと、彼はこの場所は夢なのではないかと言ってきた。うん、そりゃ寝てすぐここに居たなら、夢だという解釈が一番当てはまっている気がする。確かに彼個人ならば、その理屈で納得することもできただろう。
でも、だったら、ボクは。
ボクの本体は、いったい、何処に存在するというのだろう?
永遠に醒めない夢。戻る身体の無い意識。似たようなお話は聞いたことがある。
それはどこでだっただろう。そして、その物語の結末はどのようだっただろう。その世への未練を解消して、成仏? 結局、消えてしまうんだ。
救われたい。いっそ義務も権利も自由も何にも存在しない、ここから消えてしまいたいなんて、思っていたボク。
でも、それと同時に、嫌だ。消えたくない。無くなりたくない。どうしてか、そんな思いが心の底のほうから浮かんできて……
「えっと、ごめんごめん。ちょっと配慮のないことを言ってしまったかな?」
黙り込んでしまったボクの顔を心配そうに見つめるタテイシさんに気付いた時には、すでに太陽はだいたい一日の半分の経過を知らせていた。
「じゃあ、さ。ちょっと話でも聞いてくれないかい? 別の話でもしてみれば、少しでも気がまぎれるんじゃないかな」