新撰組の鬼
酒に酔い、千鳥足の沖田のもとに刺客が現れる!
狙われた沖田は、前川邸に迷惑をかけないようにするために、壬生寺へ刺客を誘い出すが……?
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。冷たい空気を切り裂くかのように、ひとりの男が刀を私に向けて詰め寄った。私は、間合いを取りつつ刀を受け流す。そして同じく刀を抜くと男の刃を振り払った。
「名乗りを上げたらどうですか」
「斬れ!」
私の問いなどまるでお構いなしだった。まぁ、どちらにせよ相手をするほかない。しかし、この千鳥足で普段の実力が出せるだろうか。私の切っ先が僅かに相手の喉下を掠めた。普段ならば一撃でしとめられるのにと、私は奥歯を噛み締めた。
五人の刺客が私を狙ってきた。私はここでは前川氏に迷惑がかかると思い、壬生寺の方で斬りあいをしようと誘い出た。私が動けば、知れずと刺客も私を追って来る。「新撰組」に恨みがあるというよりは、どうも私個人に恨みか何かがあるらしい。恨みを買われるようなことは正直……たくさんありすぎて、どのことか逆に身に覚えがなかった。それだけ私は、ひとを斬っていた。
ただし、ひとを斬っていたといっても、安易にひとを斬っているわけではない。こうして斬りあう場合や、長州の者を斬っているだけであり、芹沢先生のように物騒なことをしでかしているつもりはない。
ひとりが私に向かって突きを繰り出してきた。突きに出るとはまた、愚かなことを。三段突きといえば、私の十八番だ。自分が得意な技なら、返し方だって分かっている。私は半歩下がり突きを避ければすぐさま相手の刀を弾き、同じように右足でどんと踏み込み突きに出た。今度はちゃんと相手の喉下に命中し、血しぶきが上がった。もちろん、絶命している。それを見て怯んだのか、他の四人はたじろぎ始めた。
「逃がすつもりはありませんよ。さぁ、次は誰が来ますか」
私が刀を握りなおし、青眼の位置で構えると覚悟を決めたのか。四人が一気に私に向かって突撃してきた。
「沖田!」
敵の声ではなかった。聞きなれた声に、多勢の足音。それが一気に近づいてきた。
「あぁ、永倉さん」
夜の巡察を終えた二番隊の皆が駆けつけたのだ。まだ酔いが回っている私にとっては、とてもありがたい救いだった。永倉さんは組下の者を従え、あっという間に不逞浪士を取り囲んだ。負けているつもりはなかったけれども、これで完全に形勢はこちらの勝ちとなった。
「壬生狼か……くそ、散れ!」
浪士は逃げようと試みた。しかし、すかさず私はリーダー格の男の行き先を塞ぐと、刀の切っ先を相手の喉仏に宛て、動きを封じた。永倉さんは、逃げていく他の浪士をひとり背中からばっさりと斬り倒すと、他の組下の者もそれに習って抜刀し、残らず斬り伏せた。
「さぁ、あなただけになりましたけど……どこのどなたですか?」
私が切っ先をさらに突き立てると、男はがたがたと震えだし腰砕けした。その場にへたり込んだ男を見て、私は永倉さんに目配せした。一番隊の私が二番隊の者に命令を下すのは、永倉さんを前にして失礼だと判断したからだ。
「捕縛しておけ」
「はい!」
お縄についたところを確認すると、私はふーっと息を吐き、永倉さんに抱きついた。何事かと驚いたのは、無論突然抱き疲れた永倉さんだった。
「な、なんだ!? 斬られたのか、沖田!?」
しかしその刹那、永倉さんは私を突き放して嫌な顔をして見せた。半眼で私を睨み、嘆息する。
「……酒臭ぇ」
「あはは、すみません」
安心したら一気に眠気が回ってきた。視界が揺らいで思わず転びそうになる。そこを、倒れる寸でのところで永倉さんが受け止めてくれた。
「全く、餓鬼じゃねぇんだから。ちゃんと屯所で寝ろよ」
「はい、そうです……ね」
もはや、ほとんど意識が残っていなかった私は、永倉さんの胸の中で目を閉じ意識を手放した。永倉さんになら、懐を預けても安心できる。それだけ、信頼の置けるひとだった。ただ、こんな姿を二番隊のひとに見せたのは、まずかったかもしれない……なんてことを、今は考える余裕がなかった。
私はそのまま永倉さんに負ぶわれて前川邸へと戻り、朝の巡察の時間まで熟睡していたそうだ。水を持ち運びに来た山南さんは、前川邸の入り口でへばっていた私の姿がなく焦りを感じ、すぐに騒がしかった壬生寺の方へと足を運んでくださったそうなのだが、土方さんの姿はなかったらしい。また起きたら怒られるのではないかと思ったが、今回の一件はどう考えても自分が愚かだった。土方さんは結局、石田散薬も持ってきては下さらなかったし、やっぱり怒らせてしまったのかな……と、ひとり落ち込むことになった。
「はぁ……」
「沖田先生、先ほどから溜息ばかりですね? 具合が悪いのですか?」
市中に巡察に出ている最中だというのに、私は昨日の一件で頭がいっぱいだった。たった一日のうちに、色々なことがあった。いや、ありすぎたんだ。この少ない脳みそでは処理するには時間がかかりそうだ。もっとも、上手く処理する前に、忘れ去られるか次なる展開が待ちわびている可能性のほうが高そうだが……。
朝、隊士の寝床で目を覚ました私は、とにかく近藤先生と土方さんに謝らなければとお二人のところへ足を運んだのだけれども、近藤先生が「総司」と声を掛けかけた瞬間、土方さんが手でそれを遮り、私を睨むと部屋の戸を閉めたのだ。完全に私のことを軽蔑されている様子だった。無理もない。いくら私の役どころとはいえ、昨日は飲みすぎた訳だし、さらにあの千鳥足。そして二番隊の皆がいる中で意識を手放し後のことを一切覚えてはいない。これが、この新撰組の局長を一番に補佐する一番隊の組長の姿だなんて、鬼の副長とも呼ばれる土方さんには、赦せない醜態だったんだ。私だって、こんなことになるなら、お酒など一滴も飲まなかった。
「沖田先生……体調が悪いのでしたら……」
「大丈夫です」
私は顔を二度、ぱしぱしと叩いた。こんなところを自分の組下に見せていたら、士気が下がるどころか、不安にさせてしまう。その不安はいずれは不満となり、この新撰組を裏切る結果になるやもしれないんだ。
新撰組の鉄の掟には、隊を脱退することを禁じる名目がある。一度入ったら、死ぬまで抜け出せない鬼の住処なんだ。
「……沖田先生。昨夜、賊に襲われたというのは本当ですか?」
思いやりがあり剣の腕も立つ、頼もしい組下のひとり、清水さんだ。剣は一刀流、月代を剃り、武士らしい青年だった。太めの眉はきりっと上がり、目は細い。背丈は私よりもやや高く、歳は確か私より三つ上だったと記憶している。
「はい、本当です。今頃、土方さんが……」
私はまた、土方さんのことを思い出し、思考が止まった。謝りたかったのに、それさえも赦されなかった。土方さんは、一度こうと決めたら何があっても曲げない方だ。貫き通す強さを持っている。一生私を邪険するかもしれない。自業自得と言われればそれまでだが、試衛館道場で一緒に剣を学んできたよき兄的存在。私の方が土方さんよりも先に試衛館に入門したので、土方さんの兄弟子になるのだけれども、近藤先生との付き合いは土方さんの方が長いし、私なんかより近藤先生のことも、この今の情勢のこともよく理解されている。私が慕わないはずはない。このまま溝が出来たままだなんて、耐えられなかった。
「沖田先生……?」
「あ、すみません。いけませんね、隊務中だというのに……」
私はにこりと笑った。動揺を、こんなところで見せていてどうする。泣くなら帰ってひとりで泣けと、自分自身に言い聞かせた。
「早く屯所に帰りたいなぁ」
「沖田先生でも、そんな風に思うことがあるんですか?」
私は、不思議そうに問う清水さんの顔を見て、驚いた。皆には、私とはどう映っているのだろう。私は時間さえあれば、壬生寺の境内で子どもたちと遊んでいるし、暇さえあれば甘味処でお饅頭などを口にしているし。屯所に居るときだって、芹沢先生と干菓子やら何やらを食べていることが多い。屯所で怠けていると見られても仕方がないような駄目隊士のように思えるのだけれども……。
「清水さん。私のこと、どう見ていますか?」
私は素直に聞いてみることにした。自分では答えが出ない問題なら、聞く方が早い。ただ、足を止めることもなく、周りに不審者が居ないかどうかも見逃さないように、意識だけは周囲へと向けていた。
「どう……とは?」
私の言葉が足りなかったらしい。私は、頬を指で掻くと少し首を傾けて言葉を付け足した。
「その……私のことをどう思っているのかなぁ、と思いまして」
「は!?」
さらに混乱させたらしい。清水さんは私を凝視し、心配そうな顔で後を続けた。
「どう……って、私に衆道の気はないですよ!?」
「えっ……?」
思い切り、誤解をされたらしい。衆道というのは、男同士の恋慕のことだ。新撰組隊士の中でも、あると聞いたことがあるけれども、もちろん清水さんにそういうものがあるとは思ったことはないし、もちろん私にだって、そんなものはない。だからといって、女性が好きかと聞かれれば、答えに困るけれども、とにかくこんなところで変な噂が立てられても困るし、私は慌てて弁解した。
「違いますよ! そういう意味ではなくて……私は普段から、甘味物を好んで食べていますし、子どもだって好きです。それなのに、屯所に帰りたいという私を不思議そうに清水さんが言うから……私って、皆の目にはどう映っているんだろうって、気になっただけですよ!」
あえて、今の会話の流れを聞いていたかもしれない他の組下の者にも聞こえるよう、やや大きめな声でそう言った。隊士の中で「沖田に衆道の気あり」なんて噂が流れたら、それこそ土方さんから一生軽蔑されてしまう。土方さんは、昔から女性が好きだし、女性に優しい。そういうところがあった。
だからこそきっと、今度の芹沢先生の一件でもお梅さんを斬れと私に命じたのだ。
もっとも、その計画から私は、外される可能性が高くなったような気がしないでもありませんが……。
「そういうことですか。すみません、変に勘繰ってしまって……」
清水さんは、私に深々と頭を下げてきたので、私は今ある不安を笑って誤魔化した。
「沖田先生は……鬼のように強いじゃないですか。隊務だって見事にこなされるし。だから、てっきりひとを斬るのがお好きなのかと」
ひとを斬るのが好きな人間。そんな人間も、中には居るでしょう。でも私は、ひとを斬るために剣術を学んできたわけではない。ただ、今自分は斬らなければ斬られるという立場にいて、しかも、自分を「隊長」やら「先生」とやら呼び、慕う隊士が居る。私が物怖じしてどうする。
「そうですね。好きではありませんが、必要あらば躊躇いなく斬る自信はありますよ」
「やっぱり、沖田先生はお強いですね」
清水さんは、尊敬の眼差しで私を見た。そんな、大層なことは言っていないし、していないというのに。私は恥ずかしくなった。これでは、この言葉を言わせたいがために、質問したようではないか。
「新撰組隊士は、皆一同に鬼ですよ」
私はそう呟いた。例による局中法度により、敵前逃亡も認められてはいない。とにかく、斬らなければ仕事にならないのだ。
「さぁ、残りも僅かです。張り切っていきましょうか!」
私は後ろの隊士にも聞こえるようにそう言うと、ダンダラ模様の羽織をきちんと着こなして、再び歩き出した。余計なことを考えるのは、とにかく巡察が終わってからにしよう。隊士に余計な心配をかけることが、隊長の責務とは思えない。私がこの隊士の命を預かっていると言っても、過言ではないのだから……。