ひらめ顔
新見の死を知り、怒り狂う芹沢局長の鉄扇を受け、怪我を負った総司。
そこへ斎藤が現れ、仲裁をはかる。
武士として立派に死を遂げた新見を弔うためにも、酒を飲もうと提案する斎藤。
それにのっかり、総司も芹沢の機嫌をうかがう。
「総司!」
「大丈夫です、近藤先生」
私はあえて血を拭うこともせず、芹沢先生に向き直った。私は、私に出来ることをしようとしているんだ。座りなおし、その場に正座すると、私は深々と頭を下げた。
「新見先生は、ご立派な最期をお遂げになられました。武士として、死んでいったのです。それを見守ることもまた、局長である芹沢先生のお勤めかと思われます」
芹沢先生が刀を手にするのが僅かにだが見えた。私を斬るおつもりなのだろうか。でも、新見さんを斬ったのは事実。芹沢先生の腹心だったんだ。さぞ、お怒りであることは知れている。もし芹沢先生一派によって近藤先生や土方さんが斬られでもしたら、私だって同じ事をしていただろう。
「芹沢先生……」
お梅さんはこの修羅場をどうしていいのか分からず、部屋の隅でうずくまっていた。女子が居る中、こんなところで斬りあいをしても、隊の皆に不信感を抱かせるだけ。私も正直困った。
「局長」
「斎藤さん!」
そこへやって来たのは、斎藤さんだった。私は思わず声を上げた。嬉々とした声だ。しかしこのタイミング。もしかしたら、このやり取りを私なんかよりもずっと前から、聞いていたのかもしれない。斎藤さん率いる三番隊の市中巡察の時間はとっくに終わっている。
「今は取り込み中だ」
不機嫌そうに芹沢先生はそう言うけれども、物怖じしない度胸が斎藤さんには備わっていた。
「存じております。外まで声は漏れておりますから」
「どうしたんだね、斎藤くん。急ぎの用でも?」
近藤先生だ。話題を変えるいい機会だと思ったのだろう。私は、視界の悪くなった左目をこすり、手で血を拭うと、思っていた以上に出血していることにはじめて気づいた。
「新見副長の件です。自刃されたとのことで……せめてもの弔い。今宵は飲み明かそうかと」
私は、妙だ……と感じた。根拠はない。単なる勘だった。ただ、斎藤さんがこのような提案を持ちかけるのは、あまりないこと。別に、斎藤さんは芹沢先生を嫌っているわけではないようだったから、私の気にしすぎかもしれないけれども。
「……」
芹沢先生は黙り込んだ。死んだ者を生き返すことなんて出来ないのだし、芹沢先生だって武士だ。自らで腹を切ったと知ったら、納得せざるを得ない点だってあるのだろう。
私はそっと膝立ちし、芹沢先生に歩み寄った。そして、手身近にあった杯を手にと取ると、芹沢先生に渡そうと手を差し伸べた。
「今宵は私もお供致します。お邪魔でしたら、もちろん退散致しますけれども」
私は不意に笑みを浮かべた。そんな私を見て、芹沢先生はむすりとした表情で私から杯を手にした。
「俺より飲むことだな、総司」
「はい」
私は平隊士の方に、お酒と夕餉の準備をとお願いした。お酒は飲みたくなかったけれども、致し方ない。もしかしたら、これが芹沢先生とも最期の晩酌になるかもしれないのだから。そう思ったら、不思議とお酒への抵抗感もなくなっていた。それに、ここは屯所内だ。内乱が勃発したら私も剣を扱える状態でないと困るけれども、一応ここの隊士は私の強さは日々の道場稽古にて身にしみている。早々私を狙ってくることはないだろう。今から賊が侵入してくるという可能性も、まだ小さな浪士組だ。少ないといっていい。それなら、斎藤さんのご提案通り新見さんの弔いに、杯を交わそうではないか。
「総司。お前はとりあえず額の手当てをして来い」
土方さんの声がした。ようやく場が収まりそうだというのに、厄介なひとが来たと私は苦笑した。でも、土方さんはおそらく自分でこの場を立ち去ったのだろう。自分で、芹沢先生とは馬が合わないと自覚があるんだ。
「でも……」
「でもじゃねぇ。そんなに血を流しながらお酌するつもりか?」
私は、再び額に手を当てた。ぬるりとした感触が手に伝わる。しかし、そこまで深く切れているというわけでもないだろう。ただ、少し腫れてきてはいるようだ。近藤先生も心配そうに私を見ている。
「総司、悪かったな。手当てをして来い。お前の分の飯はちゃんと残しておく」
芹沢先生が謝るなんて珍しいと、私は目をまるくした。そして、にこりと微笑んだ。
「いいえ。お気遣いありがとうございます。それでは少し、席を外しますね」
そういうと、私はゆっくりと立ち上がった。誰がこの部屋に残るのだろう。平隊士のひとり、佐々木さんは私の手当てをしてくれるというので、一緒に部屋を後にしたけれども、土方さんはどうするのだろうか。一緒にお酒を飲んでいる姿なんて、あまり想像出来なかった。
「沖田先生、大丈夫ですか?」
「あぁ、これくらい。大丈夫ですよ」
佐々木さんが心配そうに私を見てくるので、私は微笑んだ。とりあえず血塗れた顔を洗おうかと井戸に向かっているのだけれども、いつの間にか随分と日が落ちていた。まだ夏の終わり頃。日は長い方だけれども、もうじき秋が来るなぁと感じた。
「沖田、大丈夫か?」
試衛館の食客だった、永倉さんだ。これから市中を巡察に行くらしい。ダンダラ羽織を着て行燈を持って組下を従えていた。同じく、原田さんも組下を従えて並んでいた。先ほどのやり取りの最中、姿を見なかったのは準備をしていたからだったのかと納得した。こういう事件というか、騒ぎでは必ず永倉さん、原田さんは顔を見せるものだった。藤堂さんと井上さん、山南さんは前川邸に居るのだろう。
「大丈夫ですよ。永倉さん、これから巡察なんですね?」
「まぁな。しっかし、この羽織は夜でも目立つねぇ」
赤穂浪士といったら有名だ。主君の敵討ちにと、ダンダラ模様の羽織を身にまとい、四十七人で討ち入りしたという歴史。それにちなんで作られたのが、この新撰組の羽織だ。浅黄色なのは、いつでも武士らしくあるようにと、死に装束色なのだそうだ。
「かっくぃーじゃねぇかよ、新八!」
原田さんはノリのいいひとだ。なんと、その腹筋の割れたお腹には切腹した傷痕が残っている。もちろん、新撰組で切腹させられたわけではない。十八くらいのときに、村で切腹の作法も知らない奴が……と馬鹿にされたところを、喧嘩を買って斬って見せたらしい。それはもう村中大慌てになったそうで。けれども、原田さんはこの通り生き残った。強運の持ち主なのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
「左之こそ!」
ふたりの組隊長が笑っているものだから、私もついつい傷のことを忘れて笑い出してしまった。そういえば土方さんが昼間、「試衛館の志なら京にもある」と言っていたけれども、本当にそうだと感じた。何を私は淋しがっていたのだろうか。私が求めているものは、みな、ここにあるというのに。
「ふたりとも、皆さんが待ってますよ。行かなくていいんですか?」
危うく勤務のことを忘れるところだった。私は、首を少し傾げてふたりを見つめた。
「あぁ、そうだな。沖田、傷ちゃんと手当てしてこいよ!」
私より頭ひとつ分は背の低い永倉さんは、ひとつに束ねた髪を振り、真ん中分けの前髪をかき上げて出発した。一方、私よりも頭ふたつ分は背の高い原田さんは槍の使い手で、槍を片手にぼさぼさ頭を掻きながら屯所を後にした。
ふたりの背中を見送ってから、私は佐々木さんと井戸の方へ再び歩いた。あまりにも帰りが遅くなったら、せっかく機嫌の戻った芹沢先生が、またへそを曲げてしまうかもしれない。夜風に当たりながら私は井戸の水を汲み、桶に溜めた水に映し出された己の顔を見た。
「わぁ……結構血だらけだったんですね」
左半分の顔に血が滴れている。深くない傷だと思ったけれども、思いのほか深かったのかもしれない。まだ、傷口から血が出てきているようだ。佐々木さんは布を取って来てくれて、私に渡してくれた。
「今から医者に行って、縫合してもらいますか?」
「そんな、大袈裟な」
私はけらけらと笑って言った。しかし、痛みは引かない。意識すればするほど、痛みというのは感じるものだ。骨まで響くような痛みがあった。
とりあえず、頬の辺りまで流れた血を水で洗い流してみる。傷口もこすってみたけれども、流石に水がよく沁みた。傷口に布をあてがい、佐々木さんの顔を見た。
「どうです? 私の顔」
「ひらめ顔ですか?」
思わず出た佐々木さんの本音を聞いて、私は吹き出した。佐々木さんは、私よりも年上の方だけれども、ここの中では平隊士だ。私の方が偉い……という言い方は好きではないけれども、一応そういうことになる。
佐々木さんは失言をしたと、顔を青ざめさせ私に深々と頭を下げた。切腹でもさせられると思ったのだろうか。私は、困った顔をして手を振った。
「嫌だなぁ。そんな顔しないでくださいよ。ひらめ顔なのは事実ですし」
私は笑って言った。そういうことを聞きたかったわけではなかった。
「違うんですよ。傷のほどを聞きたかったんです。腫れてますかね?」
「あ、えっと……そうですね。鉄扇が当たったのですから、そりゃあ……」
私はもう一度、水を見た。もう暗がりだから、あまりよくは見えない。とりあえず、自分がひらめ顔なことだけは確認できる。
もっと冷やした方がいいだろうか。でも、この程度なら放っておけば治りそうな気もする。それに大層な手当てをしていたら、それこそ芹沢先生の機嫌を損ねてしまう。私は布を強押し付け、止血を試み、血が止まったことを確認すると佐々木さんに平間さんと平山さんを呼ぶように伝えた。ふたりとも、芹沢先生の腹心だ。呼ばなくとも芹沢先生のところにすでに居るかもしれないけれども、一応飲み会をするのなら、声をかけておくのが筋だと思ったのだ。
「もう戻られるんですか?」
「だって私が居ないと芹沢先生、何をするか分からないんですもの」
ふふっと女子のように笑って見せると、いつもの私だと安心したのだろうか。佐々木さんは平間さんたちを呼びに行ってくれた。私はひとりそこに残り、もう少しだけ、夜空に浮かんだ月を眺めていた。たまには、こういうひとりの時間があってもいいものだと感じた。
基本的に私は、隊務についていなければ近所の子どもたちと遊んで過ごしている。もちろん、剣術稽古などはするけれども、どちらかといえば遊んでいることが多かった。にぎやかなところで育ってきたからか、もとより子どもが好きな性分だからか、子どもたちと戯れているほうが楽しいんだ。
尤も、何より楽しいのは近藤先生と一緒に居るときですけれども。