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荒れ狂う男

 お梅さんはいつも、前川邸に居る。しかし、芹沢先生はといえば、八木邸に居るのだ。つまりは、お梅さんも斬るということは、お梅さんが八木邸に居るときになる。土方さんは剣の腕はもちろん立つし、その上策士なんだ。きっと何か考えているんだろう。

芹沢先生だけを斬って、お梅さんだけを生き残しにしておくのも、酷だと私も思えて来た。

 いや、もしかしたら土方さんはそう考えてお梅さんを斬ると言っているのだろうか。そうだとしたら、女に甘いのは私ではなく土方さんではないか。私は、身近にあった木にもたれかかって、笑いはじめた。

「なぁんだ、土方さんと一緒か」

一緒にするなと、後ろから声が飛んできそうだが、あえて屯所へは遠回りとなる道を選んで帰ってきているから、土方さんの姿は見えない。私は、赤みをほのかに帯びている自らの髪に手を触れながら、空を見上げた。雲が流れていく。風が心地よい。今日一日で、色々なことがあった気がするのだが、今はとても穏やかだった。

「……?」

ふと私は視線を感じて、辺りを見渡した。新撰組を目の仇にしているひとだらけだから、もし私が新撰組の沖田だと知っている者が居たら、斬りかかって来るかもしれない。けれども、今感じ取ったものは殺気ではなかった。その視線を探りながら目を右往左往させていると、ひとりの少年とも青年とも取れる背格好の子と視線がぶつかった。

 町の子だろうか。長い黒髪をひとつに束ね、大きな瞳は真っ直ぐに私に向けられていた。その子も、私が存在に気づいたことを察知し、こちらに歩いてくる。私は木にもたれかかるのをやめて、首を傾げた。

「私に何か?」

「沖田総司」

私は自身の名を口にされ、思わず左足を引き、抜刀体勢を作った。子どもだと思って油断し過ぎたのか。でも、相手は脇差も何もない。丸腰だ。いや、袖口に何かを隠し持っている可能性だってある。安直に丸腰と決め付けるには、今の京は治安が悪い。

「……私に、何の用ですか」

私は刀の柄に手をかけ、相手を見据えながら応えた。すると、相手はやはり真っ直ぐな視線を私に送ってくるのだ。殺意はないようだ……逆に向き合っていて、私の方が殺気を抱いているほどだ。

「礼を言いに来ただけだ。そう怯えるな」

「怯える?」

私は片目だけ半眼にし、何を言うのかと刀から手を放した。この時点で、私は負けているとは気づいていない。

「そっちに反応がいくんだな」

「そっち?」

背丈は私の胸元ほどしかない。やはり子どもだった。それなのに、何故私は言い負かされているのだろう。何だか悔しい気持ちがこみ上げてきた。同時に、この少年はどうして私の正体を見抜いたのだろうかと不思議に思った。

 今日は、いつもの目立つ浅黄色のダンダラ模様の隊服は身にまとっていないし、非番だったから組下の者も誰も居ない。一見、単なる不逞浪士だ。

 尤も、新撰組の羽織を着ていたところで、やはり不逞浪士といわれれば、それまでなのだが……。

「何でもいい。俺は、礼を言いに来たんだと言っている」

「あぁ、そういえば」

私は、相手は殺気のないただの少年だと読んだところで安心したのか、ついつい壬生寺の境内で遊ぶ子どもをあやすように少年の頭に手を伸ばしてしまった。すると少年は、私の手を払いのけ、怒った顔で私を睨んだ。睨んだ顔もまた、可愛らしいと思えるほど幼さが残る少年だった。

「子ども扱いをするな」

「すみません……悪気はないんですよ」

私はにこりと微笑むと、夕刻の鐘の音を聞いた。そういえば、そろそろ屯所へ戻らなければいけない。いくら非番だといっても、他の皆は職務に就いているわけだし、近藤先生はきっと芹沢先生と一緒に居るだろうし、私もすぐそこへ行かなければならない気がしてきたのだ。今はお梅さんがお酌をしているかもしれないけど、やっぱりこれから斬ろうとしているひとと近藤先生を一緒には、居させておきたくなかった。

「屯所に帰らないと」

「……」

少年は黙っていた。私の事情を、まるで知っているかのように。

「いつか、借りは返す」

私は何のことだかまるで分からなかったけれども、帰ることで頭がいっぱいで、頷くだけに止まった。そして、少年に背を向けると足早に屯所へと今度こそ岐路についた。


 どうして私があえて遠回りをしていたのか。


それは、必ず新見さんの遺体処理を誰かが申し渡されなければならなかったからということと、そんな事実を知った芹沢先生を見るのが、ちょっとだけ気乗りしなかったからだ。土方さんよりも遅く帰れば、少なくとも私や私の隊の者にその命が下ることはないだろうから。

「ただいま戻りました」

「随分と遅い帰りだな、沖田」

土方さんが私を「総司」と呼ばないときは、たいてい機嫌が悪いときだ。新見さんの処理を私にさせようとしていたのだろうか。それとも、芹沢先生に何か言われたのだろうか。どんな憶測を飛ばしてみたところで答えは出ないので、私は平謝りした。

「ちょっと、風に当たっていたんです」

「そんな風情がお前にあるのか?」

「失敬な。私にだって感情というものがあるんですよ」

内心で、「たぶん」と付け加えたことを誰も知らない。新見さんを斬ったときは何も感じなかったのに、時間が経てば経つほど、何だか嫌な思いでいっぱいになって来た。


 私はひと斬りには向いていないのだろうか。


 そんなことを、考えていてはここには居られない。近藤先生のお役に立てない。「馬鹿総司」と、私は自分を叱咤した。

「それはそうと、近藤先生と芹沢先生は?」

土方さんは、顎で八木邸の居間を指した。まだ飲んでいるのだろうか。お梅さんも一緒なのだろうか。この不機嫌な様子を見ると、何かがあったことは間違いない。そのときだ、壬生寺……いや、もっと遠くにまで響き渡るような怒声が響き渡った。

「どういうことなんだ! 新見が切腹だとは!」

芹沢先生の声だ。私はそれを聞きつけ、慌てて室内へと駆け込んだ。土方さんが今まで相手をしていたのだろうか。それならきっと、逆効果だ。土方さんは時に、ひとの神経を逆撫でする癖がある。本人に悪気はないだけあって厄介だ。

「芹沢先生、落ち着いてください」

私が駆け寄り部屋に入ると、おろおろとしたお梅さんと目が合った。酔った勢いもあるのだろう。恐ろしいほどの形相で、他の隊士をも睨みつけている。そんな芹沢先生を、必死に近藤先生が説得を試みていた。

「今回の一件は新見先生が私金としての金策を企て、隊の規律を乱していた故の処置。土方くんの報告では、それは見事な最期を遂げたと言っていたではありませんか」

安易に芹沢先生に触れられないのは、芹沢先生が乱暴だからだとか、そういうことではないのだろう。この距離間が、芹沢一派と近藤一派の差なんだ。今にも暴れ狂いそうな芹沢先生の身体に、近藤先生をはじめ、誰も触れようとはしなかった。

「土方の策略だろう!? そんなにも俺が怖いのか!」

怒鳴り散らす芹沢先生を、とにかく落ち着かせなければならない。私に今出来ることって、何だろうかと考えたけれども、特には思い浮かばない。こんなとき、斎藤さんだったらどうしただろうかと、ふと頭に過ぎった。

「芹沢先生、介錯をしたのは私です。責めるのでしたら、私を責めてください」

「何っ、総司が!?」

芹沢先生の怒りの矛先は、私に変わった。そのことで、私は少なからずほっとした。近藤先生、今のうちに逃げてくださいと言わんばかりに、近藤先生の前に出た。

「はい。私が首を落としました」

「……っ」

怒りが頂点に達したのか、芹沢先生の自慢の鉄扇子が私の肩に向かって投げられた。避けることも出来たけれども、避けたらもしかしたら近藤先生に当たってしまったかもしれない。だから私は甘んじてそれを受けた。

 思いのほか痛かった。額に鈍い痛みが走る。そう思っていたら、視界が赤く染まってきた。


 血だ。



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