鉄の掟
さて、歩き出したのはいいものの、どこへ土方さんを探しに行けばいいのだろうか。怪しいといえば、祇園か島原。でも、最近いい女性が居たという話は聞かないし、そんな余裕もないだろうし。なんてことを考えながら同じく屯所を置いている前川邸を通り過ぎると、角のところでお梅さんと出会い頭でぶつかった。
「これは失礼……あ、お梅さんじゃないですか」
「沖田さん。こんにちは」
お梅さんは、芹沢先生の愛人だった。誰にでも豪快な芹沢先生も、お梅さんの前ではとても朗らかで優しい顔をしていらっしゃる。男女とは、そういうものなのだろうか。私にはあまり、理解できない領域だった。
昔、試衛館で雑務をしていた頃。女性関係をめぐって嫌な記憶があった。思わず思い出しそうになり、私はそれを忘れようと必死に思考回路を変えようと集中した。
「これから、芹沢先生のところへ?」
「えぇ。芹沢先生にお酌のひとつやふたつ、して差し上げられれば良いと思いまして」
可憐に笑うその姿は、美しかった。芹沢先生が骨抜きにされるのも分かる。私だって、女性が嫌いだというわけではない。美しいだとか、可愛いだとか、そういう感情は持ち合わせている。ただ、恋だとか、嫁に貰うだとか、そういうものが分からないんだ。
武士は、主に仕えて死ぬものだ。いつ死ぬ身かも分からない状態で、女性を貰うなんてこと……考えられない。私は生涯独り身を通すつもりだ。
「きっと、喜びますよ。ちょうど今、芹沢先生お酒を召されていますから」
「本当ですか? 私、お邪魔になりませんか?」
そのときだ、私の脳裏に「芹沢を斬る」という土方さんの声が響いた。もし、その場にお梅さんが居たらどうするのだろうか。お梅さんも共に斬り捨てるというのだろうか。お梅さんには何の罪もない。それに、女だ。新撰組の隊士でもない。僅かにだが、嫌な予感が走った。
「沖田さん?」
「失礼。私は所用があります故……」
私はにこりと笑みを浮かべると、足早にその場を立ち去った。変に悟られてはいけない。これ以上墓穴を掘っていては、土方さんにそれこそ切腹させられそうだ。私はもう少し、具体的に土方さんの話を聞きたいと思い、京の町を駆け回った。
「総司」
汗だくになって駆け回っていた私を呼び止めたのは、他でもない。私が探していた男だった。黒の羽織を身にまとっている、土方さんだ。私とは違い、汗ひとつ掻いていない。冷ややかな顔で、私の顔を見た。今まで暑いと感じていた空気が、一瞬で冷たいものに変わったかのような感覚に見舞われる。しかし、決して私は土方さんが嫌いなわけではない。むしろ、大好きだ。近藤先生には敵わないけど……。私が一番お慕いしているのは、近藤先生だったから。
「何をそんなに焦ってやがる」
「土方さんをさがしていたんですよ」
ここは、祇園の近くだ。遊女と遊ぶには早い時間だけど、それが目的だったのだろうか。でも、それにしては土方さんの雰囲気が違う。それくらいは、私にも読み取れる。もう、長い仲だ。
「あぁ……そういうことですか」
私は、これは伏線なのだということに気づいた。今、ここに誰が居るのか察しがついたのだ。そういえば、屯所にもうひとりの副長、新見さんの姿がなかった。
新見さんは、芹沢一派の中でも有望だと言われている方だった。けれども最近では一匹狼という様子が窺えて、さらには、金銭の貸し借りに名を連ねたり、暴挙をやはり繰り返しているというのだ。そんな動きを、土方さんが見逃さないわけはなかった。
「まずは、腹心から斬るということですか?」
私は周りに誰も居ないことを確認してから、そっと土方さんの顔を見ながら呟いた。
「金策を企てた……法度に触れている。だから、切腹を言い渡す」
そんな言い渡し、果たして呑むのかなぁ……と思ったけれども、土方さんがやるというのならば、私はそれに従うまで。私はあくまでも、近藤先生と土方さんについていくと決めているのだ。それが、どんな道であろうとも。
「分かりました。その席、私も同席してもいいですか?」
「構わんが……下手をしたら乱闘だぞ?」
新見さんが、あっさり切腹を受け止めるとはやはり土方さんも思ってはいないらしい。乱暴な方だし、土方さんに万一のことがあっては困る。ここは、私が同席しないわけにはいかなくなった。悪いけれども、新見さんよりは剣の腕は立つと自負していた。土方さんは、私の援護なんか要らないと考えているかもしれないけど、知ってしまった以上、放ってはおけない。
「行くぞ、総司」
「はい」
私たちは、祇園の「山の緒」という部屋に向かった。二人で踏み込んだのがよかったかもしれない。物事を荒立てずに済みそうだ。祇園の方も、私たちを何事もなく新見さんの居る部屋にと通してくださった。
「何だ、無粋な真似をしてくれるじゃないか、土方くん、沖田くん」
不機嫌そうな顔をしたのは、部屋で酒を飲みながら遊女を持て余していた新見さんだった。私はいつものように、にこりと会釈をした程度で、事の次第を見守った。ただ、土方さんが乱闘になるかもしれないといっていたから、遊女に向かって少し席を外すよう声をかけた。
「すみませんね、すぐに終わりますから」
「本当ですか?」
「はい」
笑顔でそう応えると、女性はおろおろとしながらも、土方さんのぴりぴりとした空気を感じ取ってか、そそくさとこの部屋から出て行った。それを見て、どこか安心したのはきっと私だけだろう。
「それで何用だ、土方くん。沖田くんはついで何だろう?」
「あぁ、分かりますか?」
えへへ……と笑みを浮かべるものの、私はいつでも抜刀できるようにと頭は掻かなかった。今からここでひとが死ぬというのに、私は何を笑っているんだろう。初めてひとを斬ったときも、私は何も感じなかった。
「新見さん、あんたは度が過ぎたんだ。金策を企て、名を連ねていることは知れているんだよ。豪遊も過ぎたしな。隊の規律を護るためにも、ここにおいて切腹を言い渡す」
「何だと!」
土方さんは、至って冷静にそれを告げた。今は、新見さんは刀を腰に携えていない。女性と遊んでいたんだから、それはそうかもしれないけど、ちょっと無用心だとも思った。ただ、手の届くところに刀は置いてある。すぐに左手を伸ばして鞘を握った。
「そんな話を、芹沢先生が通すものか!」
「芹沢なんて、どうだっていいんだよ」
「!?」
私は思わず目を見開いた。方や土方さんは目を半眼にし、鋭い眼差しで新見さんを睨みつけていた。今の言葉に驚いたのは、私だけではなかったはず。新見さんは、怒りを顕わにしていた。わなわなと震えあがり、刀を抜きながら立ち上がった。酒気を帯びているというのに、足元は確かだ。それほど飲んではいなかったのだろうか。
「土方! 無礼にも度が過ぎるぞ!」
「今から死ぬ奴に、礼儀を教わりたいとも思わないな」
「土方!」
新見さんは抜刀し、土方さん目掛けて一歩右足を踏み込んだ。それを見てすかさず私は土方さんの前に出ると同じく抜刀し、新見さんの刀を刃こぼれしないよう受け止めると、鍔元で競り合った。
「俺は切腹を言い渡したんだ。武士の端くれだと思うのならば、潔く切腹しろ、新見。お前の腕では総司には勝てん」
土方さんは余裕だった。刀をこしらえているものの、抜刀しようとは思っていないらしい。この場は私が押さえ込むと信じてくれているのだ。それなら私は、それに応える外ない。
「この……沖田!」
斬ろうと思えば、いつでも斬れそうだった。あまり手応えがない。私は、鍔競り合いをしながら、そんなことを考えていた。ただ、そう焦ることもない。いざとなれば、土方さんだって刀を抜くだろうし、今は新見さんに切腹をさせる方が優先事項なのだろう。しかし、私ごときが口を挟むことではない。
「自分の落とし前くらい、自分でつけたらどうだ」
「くっ……!」
刀を押され動きが見られた。新見さんは後ろに飛び退くと同時に私の胴を狙ったが、そんなにも簡単に斬られるものかと言わんばかりに、私は左下から刀を斜めに振り上げ、新見さんの刀を払った。そして、そのまま僅かに空いた新見さんの右肩目指して、一歩踏み出し突きに出た。それが命中し、新見さんは肩に負傷した。ただでさえ力に差があったのだから、これでもう観念するだろう。
「無念……」
新見さんは小さくそう呟くと、悔しそうな形相で自らの刃で腹を切った。切腹なんて、もう何度も見てきているからか、やはり何の感情も私には湧いてこなかった。だてに「鬼」と呼ばれる副長に育てられてきたことはないなと感じた。私も、鬼の子だった。
「総司、介錯してやれ」
「はい」
私は刀を振り上げると、そのまま躊躇うことなく新見さんの首を落とした。たった今まで話していたひとの首が、私の手によって落とされたんだ。それなのに、どうして私はこんなにも落ち着いているんだろう。血しぶきもそれほど上がらないほど、見事に打ち落とせた。何もかもが、これまでの鍛錬の賜物ということだろうか。
「総司、見事だな」
土方さんは、にやりと笑みを浮かべた。それを見て、私は微笑んだ。血を振り払うと、懐紙で血を綺麗に拭い去り、刀を鞘に収めた。
「人殺し!」
青ざめた顔で女性がひとり、部屋の入り口でそう叫んだ。次は自分が殺されるのではないかというような、恐怖が顔に表れている。私は今、ひとを斬ったというのにも関わらず、何事もなかったかのような無邪気な顔で女性を見た。そんな私を見ると、不思議なことにより一層女性は恐怖におののいた顔をするのだ。私なんかより、土方さんの顔のほうが怖いと思うのだけれども……と、私は内心でしょげた。
「この者は新撰組副長。局中法度に触れ見事に自刃したんだ。騒ぐな、女」
土方さんは、その後「行くぞ」と私に告げたので、女性に会釈しながらこの部屋を後にした。
今の女性の声が、別の部屋にまで響いていたのだろう。私たちを見る目は、皆恐ろしいものを見るかのような目に変わっていた。行きに入ってきたときは、皆にこやかだったのに、一瞬でひととは変わるものなんだと思い知った。
けれども、私は鬼の子をやめるつもりはない。近藤先生、土方さんが望む道が、私の望む道なんだ。誰に嫌われようとも、構わない。もし、近藤先生に「自刃しろ」と言われたら、喜んで私は死のう。
「どうした? 総司」
「何でもありませんよ、土方さん」
そのとき、ふと私は重大なことを思い出した。お梅さんだ。この自分の脳みその少なさだけは嘆かれる。時にはこのことが幸いすることもあるかもしれないけれども、大概何か失敗している気がする。こんなんだから、斎藤さんにも溜息を吐かれるのだ。いや、もしかしたら私の組下のみんなが、嘆いていることかもしれない。
「いえ、やっぱりありました、土方さん」
「どっちなんだ」
土方さんは失笑した。私は、頭を掻きながら笑うと、真顔に戻り、声を潜めて話を切り出した。
「あの……お梅さんの件なんですけど」
正確には芹沢先生の件だ。けれども、万一誰かに聞かれていたらと思い、咄嗟にお梅さんの名を出したのだ。お梅さんなんて話だったら、隊士の誰に聞かれてもそうまずくはないだろう。それに、こう切り出せば土方さんは何もかもを読み取る方だ。私の考えていることなんてお見通し。案の定、私が言わんとしていることを察知したらしく、視線を一度も私にぶつけることなく言葉を発した。
「斬れ」
「……」
二の句が出なかったのは、私の方だった。たった今しがた、近藤先生と土方さんに従うと意識を再確認したはずなのに、迷いが生じているのを、恥ずかしながら自覚した。女は斬れない……というわけではないけれども、気が引けるのは確かだ。女、子どもを斬って喜ぶひとなんて、居ないだろう。相手が男であっても刀を持たない者ならば、その者を斬ることには気は引ける。
「何だ、異論があるのか?」
面白そうに、土方さんはようやく私の顔を覗き見た。私はというと、眉を寄せて困った顔をした。異論はない。きっと、近藤先生に聞いても同じ応えが来たはずだ。だったら、私が異論を唱える隙はない。
「総司、お前は女に甘いな」
私は顔を赤く染めた。そんな風に言われると、ますます自分の意識の低さが浮き彫りにされている気がして、矜持も何もないと感じた。
「そんなことないですよ」
「ほぅ?」
口では反論したものの、土方さんの仰るとおりだった。しかしここで、私は開き直った。楽天的な脳が幸いしたのだ。
「土方さん。お梅さんを娶ってはいかがですか?」
「ふざけているのなら、ひとりで帰れ」
お梅さんは、芹沢先生の愛人……ということは、私の提案は馬鹿げているというものだ。土方さんの反応はご尤もなことである。私はくすくすと笑うと、ひとり駆け足で屯所に向かって歩き出した。