信頼の回復
夜に、酒に酔った沖田は賊に襲われた。
長州の間者が新撰組内に居る!
間者を見つけ出さなければ、「芹沢暗殺」の任務からは外すと宣言された。
沖田の取った行動とは……?
「嫌です!」
「嫌じゃねぇ。これは、副長……いや、局長命令だ」
土方さんは、近藤先生を見た。一瞬困った顔をした近藤先生だが、すぐに渋い顔をされ、私のもとに歩み寄った。そして、私の肩に手を置き、なだめるように言葉を発した。
「総司。間者が君を見張っていたら……今度の仕事にも差し支えが出るやもしれないのだ。それは、君にも分かるだろう?」
確かに、私を付け狙うものがいるのならば、私の行動を四六時中……とまではいかないかもしれないが、観察しているはずだ。うっかり者の私が、どこでこの計画を知られるかなんて、分かったものではない。万一知られたら、新撰組の分裂だってあり得ないことじゃない。いや、きっと内乱が起きる。芹沢派と、近藤派の真っ二つに分かれてしまうだろう。私は、障子の向こうに誰も居ないことを確認すると、声を潜めて応えた。
「必ず……突き止めます。ですから、この作戦には私も…………」
「それは、突き止めてから言うこったなぁ、沖田」
土方さんは、意地の悪そうな声でそう言い放つと、おもむろに立ち上がった。そして、その仏頂面のまま障子を開け、表へ出て行ってしまった。私は土方さんの信用を取り戻すには、もはや昨夜の賊を放った新撰組間者を突き止めることしか出来ないのだと諭された。
「総司くん。顔色が優れないが……大丈夫かい?」
心配してくださるのは、山南さんだ。首を傾げて私の顔を覗きこんできた。私は慌てて笑顔を見せ、目を細めた。
「大丈夫ですよ。間者を見つけて見せます。私だけ除け者なんて、嫌ですから」
そういうと、私は近藤先生の顔を見つめてゆっくりと頷いた。申し訳なさそうな顔をしながら……。
お役に立ちたいと思えば思うほど、何だか空回りをしている気がする。もっと、周りをよく見る力が欲しいと感じた。私は、単なる剣術馬鹿だった。
「近藤先生。そう心配しないでくださいね。必ず間者は突き止めます」
声を潜めてそういうと、私も立ち上がり廊下へ出た。
間者を突き止める……私に、本当に出来るのだろうか。とにかく、怪しいと思う隊士にめぼしをつけ、目を光らせておく必要があると感じた。
いつも以上に神経を研ぎ澄ます。どこからか、視線を感じてはいないか。殺気はないか。不穏な動きをしているものはいないか。私は、屯所内をくまなく歩き探してみた。けれども、こちらが警戒しすぎていては、相手も警戒するだろう。私は外面はにこやかに呈し、すれ違う隊士とも、冗談まじりで笑顔で会話した。そんな中からも、糸口が見つかるかもしれない。
「今日の沖田先生、変じゃなかったか?」
「あぁ、俺もそう思っていたんだ」
八木邸の厠を覗いてみようとしたときだ。私のことを話題にあげている隊士がいた。私は無意識のうちに、身を隠した。何を話すのか、不意に気になったのだ。声の主は、一番隊の水川さんと日比野さんだ。一番隊の皆のことは、信頼しているし、その中に間者がいるとは思ってもいなかったけれども、思えば一番長い時間共に過ごしている隊士でもある。私の行動を手に取るように把握出来るのは、実は灯台下暗しで一番隊の者だったのかもしれないと思うと、私は動揺を隠せずにいた。けれども、組長である私が組下のものを疑っていては仕事にならない。どうしていいものかと、余計にこころをかき乱された。
「あの少年……何者だったんだろうな」
「斬り捨てたんじゃないのか? 沖田先生、平然とした顔で戻られたし……それより、昨夜の一件、聞いたか?」
あぁ、もう噂になっている。ひとの噂も何とやらと言うけれども、そんな長い時間噂話を持ち出されていては、私の信用は丸つぶれだ。ここでの私の居場所がどんどんなくなっていってしまう。土方さんからの信頼だけではない。隊士皆からの信頼が薄れてきている。
こんなことでは駄目だ。私は、手に力を込め、水川さんと日比野さんの前に出て話題を変えさせようとまずは笑顔を作って身を乗り出そうとした……ときだった。
「やめておくんだな。今は何を言っても、言い訳にしかならん」
「!?」
背後から忍び寄る声に、私は慌てて振り向いた。思わず息を呑む。しかし、そこに居た人物を見て、私は「あぁ」と笑顔を取り戻した。
「斎藤さん。お疲れ様です」
稽古を終え、汗を掻いた道着姿で現れた。手には剣ではなく、木刀を持っている。私よりいくらか背の高い斎藤さんを上目遣いで見る形で、私は笑顔を見せた。
「その癖も、いかがなものかな」
「え?」
私は目を丸くした。どの癖のことなのか、分からなかったからだ。私はただ、いつも通りに斎藤さんと接しようとしているだけなのだ。巡察を終えたばかりなので、私は浅葱色のダンダラ羽織を身にまとっていた。ひとつ結びの髪が風に揺られ、前髪を掻きあげた。
「あんたの笑顔の裏には何かある。分かるものには、覚られるぞ」
「嫌だなぁ。私は別に、裏表なんかありませんよ」
図星だったかもしれない。無理やり笑顔を作っているときだってある。でも、たいていは心底笑っているのだ。辛いときにまで、私は笑うなんてことは、きっと出来ないと思う。そこまで出来た人間だったならば、今回のような失態は犯していない。斎藤さんは私と同い年のはずなのに、本当に大人びていて。なんだか羨ましくなった。
そしてふと、斎藤さんにならば相談してもよいのではないかということが、頭を過ぎった。斎藤さんは口が決して軽い方ではないし、芹沢派の人間でもない。そして昨日の昼間の一件で、ある程度、私や……特に土方さんが何を考えて今を動いているのかを察知されている。無論、昨夜の私の泥酔事件並びに賊のことだって、耳に入っているはずだ。だからこその、今の助言だったのだろう。
しかし、土方さんは斎藤さんには芹沢先生を斬るという重大機密を話されてはいない。そこを私が話していいわけはない。今私が相談出来ることと言えば……そう、賊と間者の話くらいだ。私は、到底ひとりでは見つけることは出来ないだろうと自分の未熟さを知り、斎藤さんの力を借りたいと願った。
「斎藤さん、私の話を聞いてくださいますか?」
「……話の内容にもよるな」
斎藤さんは、面倒くさがりな性格ではなかった。生真面目で、仕事熱心。そして何より、慎重な方だった。
「とりあえず、水川さんと日比野さんと軽く話してきます。少し、待っていていただけますか?」
「うむ」
私は、よかった……と微笑むと、厠で立ち話をしているふたりのもとへと走った。当然、突然現れた私に、ふたりは驚いた。別に私の悪口を言っていたわけではないのだけれども、ほんの少しでも組長に不満があると知れたら、それが上……つまりは、副長、さらには局長の耳にまで挟まれるかもしれないと怯えたのかもしれない。実際、隊への不満などを持つ者の中にはいい末路を送ったものは居ないのだ。怯えるのも当然といえば当然かもしれない。
「沖田先生!」
「先ほどは巡察の途中に抜け出して、すみませんでした」
私は軽く頭を下げ、頭を掻いた。そして、えへへと笑うと厠に入り、内緒話をしていたふたりの中を割くようにして、話題を変えた。
「私が見たところ、今日の巡察で異常は見られませんでしたが、何かそちらでは問題がありましたか?」
けろっとした顔で質問すると、水川さんが短く「ありません」と応えた。しかし、秋野さんのことを斬ったと思われているのもどうかと思い、私は少しだけ考え込んだ。
「沖田先生は、別順路で巡察を……?」
日比野さんだ。日比野さんもまだ若い。若いといっても、私と同い年くらいだ。やはり、あの謎の少年はどう見ても十五……に満たすかどうかというぐらいの小童。新撰組に入れる訳にはいかないと感じた。
日比野さんは、昨夜の一件について口にしたことをまずかったと思っているらしい。顔色が優れない。そりゃあ、組下にまで筒抜けだったのならば、私としても立場がないし、それをこうして噂として広められていることを知ったら、放っておきたくはないけれども、今は盗み聞きをして、間者を探っていることを知られる方が問題だったから、あえて何気なく厠に寄ったとばかりの平静さを装った。斎藤さんは、ここからでは見えない位置で待機してくださっている。頼もしいよき相談相手だった。
「えぇ、あれから少し祇園の方を歩いてきましたよ。けれども、割とすぐに戻ってきました。昨日の今日で、賊が潜んでいるかもしれないと思い、色々と見て回っては来たんですけどね。尻尾は掴めませんでした」
泳がせておくのがいい。いつか、土方さんが言っていた言葉だった。尻尾を出さないのならば、尻尾を出すまで泳がせておけばいい……と。ただし、それは土方さんだからこそ出来る業なのかもしれない。私は、泳がせたらそのままさよならと逃がしてしまいそうだ。
「昨夜の賊は、沖田先生を狙って……?」
「はいはい、その話はここまで。まだ分かって居ないんですよ。とりあえず、襲って来た賊は全て捕らえ退治した訳ですから、問題ありません。夕餉まで、ゆっくり休んでいてくださいね? 何なら、後で私が剣の稽古でもつけましょうか?」
「「いえ、のんびりさせていただきます!」」
ふたりは口を揃えてそういうものだから、私は思わず声をあげて笑った。そんなにも私は恐れられているのか。確かに、私の稽古は厳しい。それは試衛館で塾頭を務めていたときから変わらない。でも、稽古で死人を出したことはないし、私の扱う天然理心流は、道場相手というよりは、実践向きの剣術なんだ。身体にしみこませておいて、損はないはずだ。
「それでは、夕餉の時刻に!」
「はい」
私が微笑むと、ふたりは足早にここを立ち去った。それを見て、私の第六勘は「このふたりは白」だと思った。一番隊には居ないのか……そうならそうであって欲しいと、願わずにはいられない。
「沖田さん。話はついたのか?」
斎藤さんが平然とした顔つきで私の方に歩いてきた。それを見て、私は笑顔で頷くと、斎藤さんの腕を引っ張り物陰へと隠れた。急な行動で、斎藤さん自身やや驚いているようだ。斎藤さんが驚くとは珍しい。
「斎藤さん……斎藤さんなら、昨夜の出来事は一部始終ご存知でしょう?」
「昨夜の出来事とは……どこまでを指している」
私は、とりあえず芹沢先生に関する事柄だけは省いて説明することにした。私が飲みつぶれて賊に襲われた。問題は、そこからで構わないからだ。
他の隊士に聞かれないように、一層声を潜めて私は斎藤さんに耳打ちをするかのように話しかけた。
「私、賊に狙われたんです」
「今、隊内ではその話でもちっきりだが?」
そこまで広がってしまっているとなれば、間者も動きづらいだろう。隊士皆が賊に対して警戒しているだろうし、私を狙うなんてこと……己惚れも入るけれども、少し無謀な駆け引きだ。そうまでして私を殺したかったということは、よほど私の存在を気に入らないということだ。
「隊内って……どれほどですか?」
私は眉をひそめて真顔で聞いた。すると斎藤さんも真顔で応えた。
「周知のことだろうな」
全隊士知っているということですか……となれば、不穏な動きを見せた者が間者に違いない。いや、間者といっても、長州の者とも限らない。ただ単に私に私怨があるだけかもしれない。
「私は、昨夜の賊を放った首謀者を捕まえなければならないんです」
「ほう……?」
斎藤さんは、目を細めて私の顔を見た。どこか呆れた様子にも見えるその表情の裏には、何を隠しているのだろう。私の頭では読み取れなかった。
「それで、俺に何をしろと……?」
私はにっこりと笑みを浮かべ、斎藤さんの手を握った。すると斎藤さんは嫌そうな顔をしてその手を払ってしまった。ややしょげる私なんかお構いなしで、斎藤さんは袖口に両手を通し、嘆息混じりで言葉を発した。私よりも幾分も低い声質だ。私の声は割と高い。見た目はよく、黒平目といわれるけれども、「男」というよりは「子ども」っぽさを残した顔立ちが特徴的だと自分では思っている。いわゆる、童顔なんだ。
「寝言なら、寝てから言え。沖田さん」
「やだなぁ。まだ何も言っていないじゃないですか」
私はその場に座り込むと、きゅきゅっと斎藤さんの稽古着を引っ張った。一緒にしゃがんでくれといわんばかりの行動だ。そして、どこからも視線がないことを確認してから、私は斎藤さんに今回、無い頭なりに考え出した首謀者捕縛計画を、斎藤さんに知らせようとした。ところが、斎藤さんは全く私の誘いに乗っては下さらなかった。話を聞く姿勢どころか、そっぽを向いて、何かを見張っている……そんな様子だった。風が冷たくなってきた。もうじき夕餉の時刻だ。
「一応聞こう」
私はその言葉が嬉しくて、思わず立ち上がり声をあげた。すると、斎藤さんはすかさず私の口元に手を当て、私から言葉を奪った。息が出来なくなるほどの勢いで、完全に口を塞がれた。
「声が大きい。本当に、隠密には向かないひとだな、沖田さんは……」
「すみません、つい……それでですね?」
切り替えが早いのは、私の長所のひとつだった。悪く言えば……単純過ぎる。けれども、私はこれでいいと思っている。今までだって、この性格でなんとかやってこれたんだから、これからも、私は私であればいいのだと、誇りに思っているんだ。
尤も、私がこうして馬鹿でもやっていけているのは、周りに優秀なひとたちが揃っているからだ。それも分かっていた。剣の才能だけは持ち合わせているけれども、他の才能はどこかへ忘れて生まれてきてしまったようだ。
「私を殺してください」
「……」
斎藤さんは、目を細めた。片や私は、にんまりと微笑んでいる。とても、今から死のうとしている人間には見えなかっただろう。しかし斎藤さんは、短く「承知」と応えると、刀を抜き翻した。
それを見てうろたえたのは私だった。




