夢物語の原点
「俺たちは武士になるんだ! 歳!」
「あぁ、この徳川の国を護ってやろうじゃねぇか、勝っちゃん!」
私が大好きなこのふたりを、これまで培ってきた剣をもって、生涯護り抜こうと決意した瞬間だったかもしれない。
京都で勇士を集い幕府の護衛隊を作るというのだ。そんな話がこんな江戸の田舎にまで届いた。そこまで幕府と朝廷との均衡問題は、事態が重いものなんだろう……なんてことを、私なんかの頭では分かるはずもなく、私はただ単純に喜んでいた。
私の家元は白河の藩士の出だが、敬愛するここ、試衛館道場の近藤勇と、同じくこの道場の免許皆伝、土方歳三は農民の出だ。別にそれをどうこう思ったことはなかったけれども、特に土方さんなんかは昔から武士に憧れているところがあった。執念……いや、嫉妬さえしていたと思う。そんなふたりが、念願の武士になれるというのだ。こんなにも喜ばしいことはない。
ただ、私と同じく門下のひとりである山南敬助は、事を慎重にというのが本音らしい。
「総司くん、君はどう思う?」
「え? 何がですか?」
私は浮かない顔をした山南さんを見て、首を傾げた。もう明日には京に向かって発つというのに、こんな時間まで起きているなんて。それは、私もそうなのだけれども、私はついつい嬉しくて眠れなかったというだけなのだ。私だって、男に生まれたからには武士として二本差しを腰に歩きたいものだ。それが、まさかこんな形で実現するとは思いもしなかったのだから。こんなご時勢に、私は幸運にも幼き頃から剣術を習う機会に恵まれた。十八でここ、天然理心流の免許皆伝を得、以後も指南役として腕を磨いてきた甲斐があったというものだ。今では塾頭を務めている。
「京へ行くことだよ。どうも怪しい話じゃないか」
「そうでしょうか。私は近藤先生と土方さんも喜んでいらっしゃるし、共に参ろうと思っていますけど」
「しかし、どこの者とも問わず募るとは……それほどまでにも、幕府は危ういということだろう?」
「そう……なんですか?」
私は、あはは……と笑ってみせた。自慢ではないが、私は元来お気楽な性格なのだ。難しいことは土方さんや山南さんが考えてきたし、何かあれば近藤先生が穏便に事を対処してきてくださっていたせいかもしれない。私はただ毎日を、剣の修行にあてながら、試衛館で楽しく生きてきた。
幼かった頃、家が貧しくてここに門下として預けられたのだが、そのことに今では感謝している。たまに、姉さんが恋しくなることもあったけれども、今ではもう元服もしたひとりの男だ。
「そんなところへ行っても……」
「山南さん」
私はにこりと微笑むと、井戸水を掬って山南さんに差し出した。
「大丈夫ですよ。みんな、私が護りますから」
山南さんは、呆れただろうか。私なんかに相談するよりも、いっそのことその辺の猫に相談したほうがマシだったとでも思っただろうか。だけど、私は知っているんだ。山南さんは、そういう意地悪なひとではないっていうことを。
「君らしいな」
笑いながら私からひしゃくを手に取ると、水を二口ほど口に含み、空を見上げた。私も同じくして上を見た。月が綺麗な夜だった。
「何してんだ、総司」
「あぁ、土方さん!」
井戸場で山南さんと立ち話しをしていると、その声で起きてしまったのか、もとより起きていたのかは知らないが、寝巻き姿で土方さんが廊下を歩いてきた。
「土方さん。どうしたんですか? もう夜更けですよ?」
けろっとした顔で言ってみせると、土方さんは意地の悪そうな声で私を見据えた。
「お前の笑い声が聞こえたんでな」
「あぁ、すみません。起こしてしまいましたか?」
顔色をうかがうつもりはなかったのだが、土方さんはその言葉を前にして一瞬黙った。そして、口に手を当て暗がりでよくは見えないけれども、若干の照れを見せながら後を続けた。
「い、いや……お前に起こされたわけではなく、その……」
「いやぁ、こうも高ぶってしまっては眠れないなぁ!」
そんな土方さんの後ろから、近藤先生が豪快な笑みを浮かべながら現れた。どうやら山南さん以外は皆、気が高ぶってしまって眠れなかったようだ。鍋を一緒にしている永倉新八、藤堂平助、原田左之助、そしてここで一番年長の井上源三郎も姿を順に現した。
「なんだぁ、皆さんも一緒にお水でも飲みながらお話しますか? この国の行く末についてでも」
私がそういうと、土方さんは馬鹿を言えと笑っていた。私に政治の話など無理だとはじめから知っているからだ。無論、そんなことは私自身が一番よく知っている。私はけらけらと笑っていた。
でも、ちょっとだけ淋しかったりもした。
だって……もう、ここでこんな風に笑いあうことは出来なくなるのだから、きっと。
「なぁに物思いに耽ってんだ、総司!」
「え? いやぁ、お腹が空いたなぁ……って」
「なんだよ、朝まで待てないのか?」
原田さんと永倉さんから突っ込まれ、私はそんな寂しさは、夢の中へ消し去ろうと笑った。なんといってもこれから歩む人生は、私だけの夢ではない。近藤先生と、土方さん、そして、ここにいる試衛館のみんなの夢物語なのだから。