第玖話「ロリババア、人を喰う。」
二日後。
「使者が来た?」
「そうだリン。あんたを指名しているリン」
「どうしますリン?」
近づくなと言ったのに使者を寄越してくるとは、停戦の申し出か、あるいは味方に引き入れようとしているのか。それとも……。
人間たちがどのような結論を出したのか気になる瑟は使者に会うことに決めた。
「何じゃお前らか人攫い」
洞窟の広間に座っているのは、数日ぶりに見る桃色の髪の女性で、相変わらずゴスロリな服を着て美しい顔を青くしてこちらを恨めしそうに見ている。あの浮かぶ光の玉も一緒にいた。
『お久しッス。ちゃんと生きてたんスね』
「あなたは、こんなところで何をしているのですか……」
「こいつらと酒を飲み交わしたら意気投合してな。協力しているのじゃ。お前も言うとったじゃろう、この世界を救えと」
「何言ってるんですか! 逆ですよ! 私が救ってほしいのは人間の方です! こんな醜い奴らじゃありません!」
その言葉に、ゴブリンとオークは武器を手にとって桃色の髪の女性を取り囲む。
「……な、なんちゃって」
「それでよく使者など務まるのう。大方、上の人間に無理矢理やらされているのだろうがな」
瑟が巫女装束の振り袖を振ると、ゴブリンたちは武器をしまって大人しくなった。桃色の髪の女性の対面の椅子に座り、行儀悪く切り株の机に足を組んで乗せる。
「こいつらの見た目は人間視点では醜く映るかもしれんが、儂にはお前ら人間の腹の中の方がよっぽど醜く見えるわ。なあ人攫い」
「先ほどから人攫い人攫いと……私は人攫いじゃありません。プリマベラです。ちゃんと覚えてくださいね」
『あ、ついでに言うとウチはポルタっていうッス。よろしくッス』
「ともかく、使者としてこんな辺鄙な所まできた以上は仕事をさせてもらいますね」
「辺鄙は余計じゃ」
プリマベラはわざとらしく咳払いをしてから話を続ける。
「結論から言いますと、王はあなたの『近づくな』という申し出を突っぱねました。それどころか、先日のあなたの戦いぶりを聞いた王は、一目見たいとおっしゃいまして、国に招待したいと……」
「……巫山戯ておるのか?」
『いやいや、マジなんスよ。これが』
「王は、その、口に出すのは憚られるのですが、色々と欲の強いお方でして……」
「強欲な王が儂を味方に引き入れたいと? 馬鹿馬鹿しい。誰が人間なんぞに味方するものか」
「い、いえ、その、もうちょっと上の話というか先の話というか……」
はっきりとしないプリマベラの物言いに瑟はイライラする。
「で? 何が言いたいのじゃ、お前は」
「で、ですから、その、貴方を……」
「儂を?」
「后として迎え入れたいと……」
「……」
『ロリコン玉の輿ッス』
ゴブリンたちは驚いて声を上げそうになるが、瑟の反応は冷ややかだった。
「嫌じゃ。断固拒否する。お前らの王は稀に見る阿呆じゃの。これを見よ」
そう言って褐色の左手薬指にある銀色の指輪を見せつける。しかしプリマベラはきょとんとした目で指輪を見ている。
「その指輪がどうかしたのですか?」
『ちゃっちい指輪ッスね』
どうやら異世界人の彼女らにはこの指輪の意味が分からないようだ。瑟はため息をつきつつも話を続ける。
「左手薬指の指輪は日本では既婚の証じゃ。つまり儂には夫がいる。この世界では一夫多妻が認められているかどうかはどうでもよいが、儂はもう人の妻じゃ。既婚者に求婚するでないわ」
「ええ!?」
『マジッスか!?』
「何を素っ頓狂な声を上げておる。子供がおると最初に言ったではないか」
「あ、あの子供たちは貴方の実子だったのですか!?」
「当然じゃ。儂の腹から生まれた子らじゃ」
『さらってきた子かと思ったッス』
「そんなロリボディで孕んで産んだんですか!?」
「しつこいぞ! 家にある母子手帳見せてやろうか!」
閑話休題。
「えー。あなたが拒否することは王も考えられていたようで、代わりの条件を出してきました」
「何じゃ」
「決闘です。王の出した相手に勝てば、この島へ立ち入ることは止めると」
「最初からそっちを言え。どんな奴だろうとひねり潰してやるわ」
「相手は棗ですよ」
「誰じゃ?」
「装飾の入った剣を持って変な服着た少年です」
「ああ、あの腰抜けか」
「あの少年も別の人が喚び出した異世界の協力者なのですよ。それをあなたは打ち倒してしまった。これがどれほど大変なことかわかりますか?」
「知らぬ」
「貴方《敵》を喚び出した責任として私の首が飛ぶところだったのですよ。ええ、物理的にスパッと。それが嫌ならあなたを連れてこいと言われたんです。それでこんなところまで飛んできたのですよ!」
「人攫いには相応しい最後じゃな」
カラカラと愉快そうに瑟は嗤う。
「そもそもお前が儂をこんなところに連れてきたのが発端じゃろう。自分の行動には責任を持て。儂は困っている人を無条件で助ける勇者様ではないからのう」
「ぐぬぬ……」
歯噛みして悔しがるプリマベラは、少々危険だが交渉の手を変えてみることにする。
「で、ですが、もしも私が死ねば、あなたは帰る術を失いますよ。それでもいいんですか? お子さんに会えなくなりますよ?」
盛大な音を立てて二人の間にある切り株の机が半分に割れる。瑟がかかと落としでかち割ったのだ。呆気にとられるプリマベラの目の前に、鼻っ面が触れる程の距離に妖しく嗤う瑟の顔がある。不気味な光を湛える黄玉の瞳からプリマベラは目をそらすことができない。
「面白い事をぬかすではないか小娘。それで儂を脅迫しているつもりか?」
「じ、じじ、事実です」
「他にも人攫いの能力を持った者がいるのじゃろう。そいつを使って帰ればよいのだ」
「む、無理です。私たちの能力は喚びだした本人しか元の世界に戻せないのです。ですから、あなたが帰るには私が生きていないとだめなのです!」
「では――」
では今すぐ戻せ。と言い掛けたが、ここで帰ってしまってはゴブリンたちを見捨てる事になる。物事を途中で投げ出さないことに命を懸けている瑟としては、一応の終結を示してからでないと帰るのは憚られる。
プリマベラは、この後に来ると思っていた台詞を口にしなかった瑟を訝しむが、彼女の一瞬の逡巡を見抜くと、内心で嫌らしい笑みを浮かべる。
「……仕方ありませんね。それでは今すぐあなたを元の世界に戻します。その後に私は責任を取らされて死にます。それでよろしいですね?」
泣きそうな声で言うプリマベラは中々の演技派だった。フリルの付いたハンカチで涙を拭う姿は見る者の同情を誘う。もちろん嘘泣きだが。
「あー、いや、それなんじゃが……」
プリマベラの予想通り、瑟は帰ることを躊躇っている。帰りたいが、今はまだその時ではないということか。
「何を戸惑うことがあるのですか。あなたは帰りたいのではないのですか?」
「帰りたいに、決まっておる」
「でしたら帰りましょう。ここであなたを引き入れられなければ、私は本国で処刑されるだけです。今を逃すともう二度と帰れませんよ」
「う……」
瑟はゴブリンたちを見る。彼らは不安そうな顔をしている。
盃を交わした相手の戦争にちょっかいを出すだけ出して知らん顔して見捨てるということはできない。約束もした。しかしこのままプリマベラの要求を飲んで人間側に付くこともできない。そしてプリマベラをの要求を突っぱねて帰すこともできない。八方塞がりの状況であった。
……ん?
いや、待て。何か話がおかしいぞ。何時の間に決闘の話から人間側に味方する話になっているのだ? 儂はただ決闘に勝てば良いのではないか。それに、なぜ先ほどからポルタが黙っているのだ? そもそもこの世界に来たときは……。
「さあ、元の世界に帰してあげましょう」
手でプリマベラの言葉を制する。
「今はまだ帰る秋ではない」
「では、人間側に付いてくれることに決めたんですね?」
「それも違う」
「あの、話がふりだしに戻ってしまうのですが……」
「ふりだし? カカカ、ふりだしだと?」
困惑するプリマベラに瑟は妖しく笑いかける。息が当たるほどの距離で褐色狐巫女と桃色の髪をした美しい女性は見つめ合う。
「お前、実は異世界に人を飛ばす事なんてできないんじゃろ」
ギクリという音が聞こえそうな程プリマベラの顔に焦りが出た。
「な、ななな何を言っているんですか。そんなこと余裕でできちゃいますよ。あなただって私が連れてきたんじゃないですか」
目が泳ぐプリマベラを見て瑟はいやらしく嗤う。
「ほう?」
瑟はプリマベラの側に浮いているポルタを素早く奪い取る。
『ぎゅ!』
「あっ!」
「人を異世界に飛ばす力を持っているのはこいつじゃろう。お前はただ命令しているだけにすぎん」
「そ、そんなこと……」
「ならば今すぐ儂を帰してみろ。できるのか? こいつを使えないお前に」
『あ、ご主人、これ駄目なパティーンッス。ご主人に言われて黙ってたスけど、完全に見抜かれてるッス。短い間だったけどお世話になったッス。ご主人は外見は良いッスけど、中身がいろいろ残念すぎたッス。二十も後半なのにそのフリフリの服は正直きついッス。ウチはこれからこの人と生きてくッス』
「ポルタ! この薄情者!」
「カカカ、これで帰り道も確保できたぞ」
割れた切り株の机の上で立ち上がって瑟は高らかに笑い出す。
「決闘は受けてやろう。あの小僧とはもう一度やり合ってみたかったからのう。帰る前に愚かな人間の王の顔もついでに拝んでおきたいしの。そしてもう二度とこの島に近づかぬよう直接言い聞かせてやる」
これでいつでも帰れる。それならば、帰る前にゴブリンたちの問題も解決して、強い力を持ったあの少年とも一戦を交えてからでも遅くはない。
「では、お前はもういらぬな」
途端に瑟の顔に陰が落ち、人とは思えぬ化け物の笑顔でプリマベラに迫る。プリマベラは恐怖のあまり椅子から転げ落ち、尻餅を付いたまま手と足を動かして後ずさる。
「な、な、なにをするつもりですか……」
壁まで追いつめられたプリマベラは涙を浮かべながらひきつった笑顔で、ゆっくりと迫ってくる瑟と見つめ合う。
瑟は妙に生優しい声で囁く。
「生意気にも刃向かってきた人間に妖怪がすることなど決まっておるじゃろうて……」
瑟の口が狐の様に裂け、白くギザギザな歯をガチガチと噛み合わせながらプリマベラを見下ろす。
「や、やだ! 食べないでください! 私なんておいしくないですよ! し、死にたくない死にたくない! 誰か助け――」
そこで彼女の言葉は途切れた。
17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 文章微修正(大筋に変更なし)