第陸話「ロリババア、ラノベ少年に舐めプす。」
島の高台にある物見櫓に立って悠然と構え、倉稲瑟は褐色の肌と緑の黒髪を降り注ぐ朝日にさらしていた。
その横には三角帽子のゴブリンと倉稲を案内したゴブリンが不安そうに立っている。
「本当にうまく行くのかリン?」
「当然じゃ。おぬしらは戦を知らん。バカ正直に突っ込むだけでは勝てる戦も勝てんぞ」
聞けば彼らは今まで浜で陣を張っている軍に襲いかかっていたらしい。数で圧倒しているならまだしも、現状では愚策にも程がある。そこで瑟は相手を待ち伏せる作戦を取らせることにした。
手を狐の窓の形に組んで瑟はその穴から浜辺を眺める。狐の窓から世界を見れば、ただ見ただけでは見えぬ様々な物が見えてくるのだ。
高台から見下ろす浜辺には、人間たちが陣を張っている。おおよそ五百人といったところだろうか。その中でも一人だけ、周りとは違う気を放つ少年がいる。
「ほう、あれが異世界の戦士か。もっとごつい奴じゃと思っとったがな」
「あれでいて剣の腕は凄まじいものです」
「ふうむ。何か隠しているな、あれは」
さて、相手は異世界の戦士一人と五百の兵、対してこちらはゴブリンとオークを合わせても五十人しかいない。従来通り無策でぶつかれば玉砕する未来しかないのだ。しかし、ここには自分がいる。そんな未来なぞ容易く打ち砕いてやろうぞ。
しばらく待っていると、先頭にいる異世界の戦士を含めた男たちがなにやら言い合っている。
「ほれ、見てみぃ。おぬしらが突っ込んでこない事に不思議がっておるぞ」
「ですが、このままでは奴らが押し寄せてくるのではリン? ここを突破されてしまうと里が……」
「押し寄せてくれば良いではないか。もっと良いのは異世界の戦士とやらが一人で来てくれれば良いのじゃが――」
異世界の少年が兵士たちに向かって剣を抜いて何かを叫んでいる。どうやらあまり仲は良くないらしい。そのまま見ていると少年は一人で森へ入り、兵士たちは海岸に止まっている。
この状況に、瑟はしてやったりと笑う。
「青い青い。若造め、一人で来たな。これは僥倖じゃぞ」
それを確認すると首輪の鎖を流しながら数メートルの高さの櫓から彼女は飛び降る。
「奴一人なら儂に任せろ。見物に来るのは勝手じゃがな」
そう言って瑟は森の中へと消えていった。
〜・〜・〜
異世界の戦士はすぐに見つかった。
森の中で周りを見回しながら歩いていた彼は、木の間から飛び出してきた瑟を見ても大して驚きもしていない 。
「何だ? この子供は。こんなところで何をしている」
異世界の戦士は、背格好から見ると高校生ぐらいだろうか。無駄に豪華なデザインの制服にツンツンとした黒髪、手にはこれまた無駄に装飾の入った大剣が握られている。
「異世界らしくていかにもラノベに出てきそうな格好じゃのう。しかし、女はおらんのか? ラノベ主人公というのは常に周りに女を侍らせて隙あらば胸やら股間やらに顔を突っ込むものと思っておったがな。それに、もっとこう、『やれやれ』とか無気力な感じがあったのだが、そうでない者もいるのかの」
突然現れておかしな言動をする褐色幼女に少年は怪訝な顔をする。
「おい、そこの子供。お前は一体なんなんだ」
言って彼は瑟の後ろにいるゴブリンたちを見て咄嗟に剣を構える。
「お前も十分子供じゃろうて。人間が見た目で判断するのは異世界といえど変わらぬようじゃな。まあ良いわ。ゴブリンたちよ、下がっておれ。儂が格好良く勝つ姿をよく見ておくのじゃぞ」
言い終わる前に大地を踏み込み、一瞬で少年の目の前へ跳躍する。あまりの速さに呆気にとられる少年の顔に向かって蹴りを放つ。少年はなんとか剣で防いで反撃を試みるが、瑟は彼の体を踏み台にして後方へ飛んで距離をとる。
「くっ、ただの子供じゃないな……」
「漸くわかったか小僧。儂は千年を生きた黒狐の倉稲瑟じゃ。さあ、本気を出してこい。人間は妖怪を狩るものじゃろう」
「妖怪……。本当に異世界はなんでもありだな」
少年はそう呟いて再び剣を構える。
「お前がなんであれ、俺の邪魔をするというならば、切り捨てるだけだ」
「ふん。名も名乗らぬのか。まったく、最近の若いもんは……」
少年の目から油断が消えた。迸る殺気が肌をチリチリと刺す。
瑟はこの感覚が好きだった。相棒の月光を左手で鯉口(鞘の口の部分)の付近を持って鞘ごと抜いて悠然と立つ。大脇差である月光も、小さな瑟が持つと何とも言えぬ威圧感がある。
数瞬にらみ合ったかと思うと、両者は激しくぶつかり合う。
少年の方は、両手で大剣を軽々と振り回し、力と速さで瑟を押しつぶそうとしている。対して瑟の方は、卓越した技量で濁流のような少年の攻撃を全て受け流していた。さらに、瑟は防禦するのみで刀を抜いていない。
十秒程打ち合うと、両者は一度距離をとる。
「お前、なぜ刀を抜かない」
「儂は戦いが好きでな。こいつを抜いたらすぐに決着がついてしまうからのう。久々の戦いをもう少し楽しみたいのじゃ。なんなら素手でも良いぞ?」
そう言うと瑟は月光を投げ捨て、本当に素手になる。これを侮辱を受け取った少年は激昂し、先程よりも激しい攻撃を仕掛けてきた。
「ふむ。中々練られておるが、少々退屈じゃのう」
津波のように襲いかかる剣撃を全て間一髪で避けながら、瑟は暇そうに欠伸している。
「……そりゃ!」
避けるのに飽きたのか瑟は中国拳法のような格好で肘打ちを少年の腹に食らわせる。瑟の細い肘が腹にめり込む。
「ゴアッ!」
唾液を吐いて倒れる少年に興味を無くしたように瑟はため息を付き、捨てた月光を拾い上げて腰に佩き直す。
「やれやれ。異世界の戦士は強者と聞いていたのだが、これでは拍子抜けじゃのう。ラノベの主人公ならばもう少し強かろうて。妖怪をなめておるのか?」
腹を押さえて痛みに耐える少年を見下しながら狐の窓で観察する。
「ふむ。お前はもっと強い力を持っておろう。忌まわしく哮る力を。儂にはその力が見える。しかし何故その力を使わないのだ?」
「誰が……使うか……こんな、力を……」
息も絶え絶えな少年は絞り出すように呻く。
「それとも一度死ねば使えるようになるのかのう? 試してやろうか小僧」
「駄目だ……出てくるな……!」
どうやら少年はもう瑟の事は見ておらず、自分の中の強大な力と戦っているようだ。少年から発せられる気の大きさが膨れ上がっていくのを感じる。なにやらどす黒いオーラの様な物も出てきている。
「……おぬしら、もうちっと離れておったほうが良いぞ」
瑟の指示で見物していたゴブリンたちは慌てて森の奥に引っ込んでいく。
「うわああああ!!」
少年が叫ぶと彼の足下に紫色の魔法陣が展開される。そこから巨大な黒い竜の様な物が吹き上がり、周囲の木々を薙ぎ倒しながら遙か上空へと伸びていく。その様子は、浜で待機している兵たちからもよく見えるほどの大きさで、先ほどまで晴れていた空に急に暗雲が立ちこめ始めた。
「ほう」
吹き荒れる暴風にもビクともせずに、黒い竜から発せられる力の強さに感心したように呟いた瑟は、巫女装束の袖を振って桜の装飾が入った鉄扇を素早く取り出す。
「桜花」
『腕が鳴るぜ』
黒竜はおぞましい叫び声を上げて、黒雲のたちこめる上空をゆっくりと周回したかと思うと、瑟に向かって大口を開けて突っ込んでくる。
「久々の力比べじゃ。保たなかったら承知せんぞ」
『任せろ姐!』
「桜技『桜花結界!』」
瑟が漆黒の鉄扇を開くと、装飾として刻まれている桜の刻印が桜色に淡く光り、鉄扇から桜の花びらが次々と湧き出てくる。そして、瑟が舞うように桜花を振るうと、彼女の前に桜の花のバリアが五重に展開され、そこに黒竜が突っ込んできた。
大口の中にはただ漆黒のみが広がり、観戦していたゴブリンたちは恐怖に震えている。しかし、迫り来る漆黒を見ても、瑟は一歩も怯まず、ただ笑っていた。
竜と桜が衝突した衝撃で大気は割れ、倒れた木々やゴブリンたちが吹き飛ぶ。
一枚目の桜のバリアはすぐに割れて桜の花びらとなり、二枚目も即座に散った。三枚目も少し粘ったが堪えきれず、もはや残っているのは四枚目と五枚目だけとなる。三枚の桜のバリアを割って弱まったとはいえ、瑟を消し炭にするだけの力はまだ十分に残っているようだ。
四枚目の結界も桜吹雪となって砕け散った。もはや瑟を守るものは五枚目の桜の花だけだ。
『こりゃ想像以上だな! 姐!』
「うむ、4つも割られるのは百年ぶりじゃあ! 異世界というのも悪くは無いものじゃのう。気張れよ桜花!」
『おお!』
暴風が吹き荒れ、髪も袖も裾も激しくはためく。空気と大地を震わす程の圧倒的な力を前にしても瑟は歯をむき出して笑っていた。いや、悦んでいるのだ。酒と力比べが何よりも好きな彼女は、この押し合いを楽しんでいる。
現代の日本では、彼女を楽しませるほどの力を持ったものはいなかった。しかし、ここにはいる。目の前にいる。あの少年は、久しく出会った熱中できる相手だった。
桜花結界最後の花弁にもひびが入る。
17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 文章微修正(大筋に変更なし)