第弐話「ロリババア、さらわれる。」
駆け寄ってきた女性は、リボンとフリルが沢山付いたゴスロリチックな黒いローブをまとい、桃色の長い髪と豊満な体を揺らし、懇願するように白耳の少女に駆け寄ってくる。しかし瑟は、桜花と呼ぶ鉄扇を白衣の袖にしまって勢い込んで睨みつけると、駆け寄ってきた女性に合わせて飛び込み、彼女の頬を拳で思いっきり殴りつける。桃色の髪の女性は盛大に吹っ飛び、無様に地面に倒れ込む。
「助けてほしいのは儂の方じゃ! 儂の大切な本殿を吹っ飛ばしおって! 貴様の首を切って曝して喰ろうてやるわ!」
「お、おおおお待ちください救世主様!」
月光を手に涙目で近づいてくる瑟に、豊満な体の女性は起き上がって鼻血を出しながらも必死で制止の声をかけた。
「救世主様の住処を壊してしまったことは謝罪します。ですが、今は私どもの世界が大変なことになっているのです。どうか何とぞ倉稲様のお力をお借りしたく……」
それ以上喋るなと言うように月光が振るわれ、刃が見えていないのに桃色の髪が数本切り落とされる。周囲が静かになると、倉稲瑟は蒼天を仰ぎ、先っぽの白い漆黒の尾を上下に揺らし、深呼吸をする。二度三度深呼吸をし、褐色の肌に巻き付く首輪の鎖を指で掻く。すると、落ち着いたのか、涙の跡を拭って気丈そうな表情に戻る。
「救世主だの私たちの世界だの訳の分からんことを。そもそもどこで儂の名を聞いたのじゃ。確かに儂は近所の悪霊退治などを請け負っておるが、人の家を吹っ飛ばすような輩の仕事は受けんぞ」
鼻血を出しながら黙って正座して聞いていた黒ゴスロリローブの女性は、喋ろうと口を開きかけるが、先ほど黙るよう脅されたので喋れずに口をモゴモゴと動かす。
「……もう喋ってもよい」
「わ、私たちの世界というのは、この世界と違う時空にある異世界のことです。私たちの世界では、危機に見舞われた時に、異世界より救世主が現れて世界を救うと予言されているのです。私が魔法で救世主様の名を調べましたところ、倉稲様の名が紙に浮かび上がってきたのです。ですから、私は救世主たる倉稲瑟様を迎えに来たのです」
「そんなことを頼まれた覚えはないわ。そもそもなぜ儂なのじゃ?」
「古よりの予言書からです」
「儂の本殿を消し飛ばすのも予言なのかや?」
「結構根に持ちますね」
「当然じゃろう! 住居を吹っ飛ばされて怒らぬ奴があるか!」
「大丈夫です。それはあとで私が直しておきますから。そんなことよりも救世主様。私たちの世界に来ていただけませんか」
軽く言い逃れられてしまう。
「断る。第一、そういうのは男の子がやるものであろうが。ラノベとかいう書物にもそう書いてあるわ」
現代社会に馴染みきっている妖狐の少女は、先ほどまで読んでいた異世界召喚物のラノベの内容を話し始める。
「別にそれは商業的に売れるから十代の男の子を題材としているだけで、空想と現実で起こっていることとは全く関係ないじゃないですか。さあ、時間がありません。とにかくこちらへ」
「嫌じゃ。……首輪を引っ張るな」
桃色の髪の女性は、巫女装束幼女の首輪から延びる鎖を掴んで本殿跡地へと無理矢理連行する。
『お、やっと来たッスか』
本殿跡地には、大福程度の大きさで黄色く光る変な玉が浮いている。そして不思議なことに言葉を発している。もっとも、喋る鉄扇を持っている瑟には珍しくもなんともなかったが。
「何じゃこいつは。人魂か?」
『ちょ、ご主人、改めて見るとそいつめっちゃロリロリッスね。しかも鎖の首輪とか、絵的に大丈夫なんスか、これ。幼児誘拐にならないッスかね。……ご主人、鼻血が出てるッスけど、そっちも大丈夫ッスか? またなんか余計なこと言ったんスか?』
「私は大丈夫ですし余計なことも言ってません。これはいきなり殴られました」
「けったいな人魂じゃな。それよりもお前、鼻血ぐらい拭け。みっともないぞ」
「あなたが殴ったんじゃないですか」
「原因はお前じゃ」
巫女装束の袖から手拭いを取り出すと桃色の髪の女性を手招きして屈ませて鼻血を拭き取る。そうしないと手が届かないのだ。
「ほれ、綺麗になったぞ。見た目は良いのじゃからもっと身なりを気にしろ」
そう言って桃色の髪の女性のゴスロリローブに付いた砂を払い、傾いたりしているリボンをきちんと直す。
「倉稲様ってお母さんみたいにお優しいんですね……」
「ときめくな阿呆。気持ち悪い」
『えらくしっかりした女児ッスね』
「誰が女児じゃ」
「ええ。これだけお優しい倉稲様なら私たちの世界も容易く救ってくれますよ」
『なんか話が大きくなってないッスか?』
「勝手に決めるでないわ! あと、儂を子供扱いするな。いいか、儂はな、千年を生きた――」
『じゃあ行くッスよー』
光の玉が何やら呪文の様な言葉を呟き始めると、彼女たちの足下にピンク色に発光する魔法陣のような物が広がる。
「な、なんじゃこれは!?」
「今から倉稲様を連れて私たちの世界へ戻るんですよ。大丈夫です。一瞬で着きますから」
「そういう問題ではない! 厭じゃ! 儂は異世界へなんぞ行きとうない! 子供たちが腹をすかせておるのじゃ! この、人攫いめ! 鎖を離さんか!」
「人聞きの悪いことを言わないでください。そもそも、子供たちがお腹をすかせているのは具無し味噌汁しか食べていないからでしょう」
「何故それを知っている!」
そうやってじゃれている間にも魔法陣は広がり、光が強くなっていく。
『位相の固定化中ッス。そろそろ飛ぶッスよー』
「放せと言うとろうが!」
「ぐえっ!」
瑟が片手で桃色の髪の女性を振り上げて地面に叩きつけると、蛙が潰れたような声を出して鎖から手が離れる。しかし、遅かった。
『位相の固定化できたッス。飛ぶッス!』
「厭じゃああ!」
ピンク色の光が一層強くなったかと思うと、もうそこには彼女らの姿はなく、箒たちが壊れた本殿を片づけている音だけがあった。