第拾捌話「ロリババア、友と約束す。」
船が完全に外海に出た頃、甲板で潮風を浴びている瑟の元に三角帽子がやってきた。
「島に着いたら元の世界に帰ってしまうのですねリン」
「なに、今生の別れというわけでもあるまい。会いたいと思えば自然と会える。世の中そういうものじゃ」
「それが縁、ですねリン」
「そういうことじゃ」
笑っているがどこか不安そうな三角帽子の顔を見て瑟は考える。
人間の王は脅しておいたが、いつまた気が変わって攻めてくるかも分からない。それに、他にもあの島を狙う輩がいるかもしれない。しかし、自分はもう帰ってしまう。そうなれば、どうやって自分たちは戦えばいいのか不安なのだろう。
「ふむ。宿代の代わりといってはなんだが、こいつをもらってくりゃれ。桜花」
『おう。ふんぬぅ!』
「気張るな! 黙って出せ!」
瑟は、閉じたままの桜花を三角帽子の手の上で揺すると、桜花から桜の花びらが何枚か落ちてきた。
「これは?」
「桜の花びらじゃ。使うと何かしらの力が働いてお前たちを守ってくれる。そして、最後の一枚を使ったときは儂に分かるようになっておる。その時はすぐに飛んでくるぞ」
「……なにからなにまで、本当にありがとうございますリン」
「なに、儂も存分に楽しませてもらった。またあの酒を飲みに来るから、その時は頼むぞ。島の連中にもよろしく言っておいてくりゃれ」
「本当に里には寄って行かれないのですかリン? 里の者たちも瑟さんに会いたがっておりますリン」
「是非とも行きたいところなのじゃが、儂にも帰る家と家族がおる。書き置きも何も出来ずに一週間もいないままじゃからな。心配しておるじゃろう。まずは帰って安心させてやりたいのじゃ」
「そうですかリン。そういえばお子さんがいるのでしたねリン」
「うむ。息子が二人いてな。中学生の祝と小学生の俤じゃ。二人とも目に入れても痛くないほど可愛くてな」
『……親バカ』
『実際目に入れたらめちゃくちゃ痛えだろうな』
月光と桜花が茶化すが、もちろん無視して瑟は話を進める。
「写真が財布に……と思ったが財布は社務所に忘れてきたのじゃった。そうじゃ、今度こっちに来るときは二人を連れてくるぞ」
「それは楽しみですリン」
二人の間に夏を思わせる海風が吹く。
ゴブリンたちの問題も一応は解決したし、これでようやく帰れるな、と考える瑟に三角帽子は衝撃的な言葉を発する。
「実は、私にもこの間子供が産まれましてリン」
「なんじゃと! どうして黙っておった!」
「人間との戦争中でしたし、戦いに集中すべきと考えましてリン」
「何を言うとるか。事前に知らせてくれればおぬしを里に帰して儂一人で人間たちの町に行ったものを」
「瑟さんに任せて自分だけ帰ることなんて出来ませんリン。妻もわかってくれるはずですリン」
「ふむ、父である前に長か。では仕方あるまい。島に戻ったら真っ先に帰ってやるのだぞ」
「ええ、そうさせてもらいますリン。手紙にとても可愛い男の子と書いてありましたリン。会えるのが楽しみですリン」
「そうじゃろうそうじゃろう。ちゃんと奥さんも労ってやるのだぞ。彼女も戦っておったのだからな」
「はいですリン」
「そして産まれた子は将来はおぬしのように聡明で利発なゴブリンになるじゃろうな。うむ、めでたいのう」
「いえいえ、それほどでもないですリン」
笑いあう二人は母親と父親の顔になっている。そんな二人を尻目に月光と桜花は囁きあう。
『……親バカが二人になった』
『まあ、親ってもんはそんなものだろ。道具の俺たちにゃわからんがな』
『……月光は、少しわかる。瑟の主様に作られたから。主様は月光を大切にしてくれた』
『いいよなー。俺なんか封印されてた所を姐とお前に叩き起こされたからな。誰に作られたかなんて忘れちまった。ま、忘れちまったもんは仕方がねえ。今は姐やお前もいるし、姐の子供たちもいるしな。俺はそれで良いと思ってる』
『……うん』
親バカ話に花を咲かせていた二人も一段落したようだ。
「よし、近いうちに祝い酒と土産を持って必ずこっちに来るぞ。その時は奥さんと子供の顔をみせてくりゃれ」
「はい、いつでもいらしてくださいリン。お待ちしておりますリン」
瑟と三角帽子はしっかりと手を握りあった。異世界の友人は、灰色の肌をした顔のでかい子鬼のようだったが、見た目など関係ない。一緒に酒を飲み交わし、また会おうと言えれば、それだけで友なのだ。
「瑟さ~ん」
『新ご主人~』
瑟と三角帽子が友情を語り合っているところに、瓶とグラスを片手にほろ酔いのプリマベラがポルタと共に乱入してくる。美しい顔を紅潮させて妖艶な雰囲気を醸し出している。
「なんじゃ、見ないと思ったら酒を飲んでいたのか。儂にも寄越せ」
「はいは~い」
瑟が出した漆の杯に白ワインのような酒を注ぐと、盃は嬉しそうな声を上げる。
『ああ、こういうのですよ、ご主人様。僕が注いでほしいのは』
「ふむ。葡萄酒のようじゃの」
瑟は酒を一気に飲み込むと、酒臭い息を吐き出す。
「中々うまい酒じゃ。しかし妙に気取った味じゃのう。やはり日本酒や焼酎のほうが儂は好きじゃな」
「そうですか? 私はこれ大好きですけど~」
『元ご主人は少し飲み過ぎッスよ。さっき二本目を空にしたじゃないッスか』
「だーいじょうぶですよ、だいじょうぶ、アハハ」
『これはダメなパティーンッスね』
上機嫌で白ワインを飲み続けるプリマベラに瑟は疑問をぶつける。
「そういえば最初は救世主だの予言だのと大げさな事を言っておったが、あれはなんだったのじゃ? ふたを開けてみれば、ただお前たち人間が領土を広げたいだけの話ではないか」
「ああ、あれですか。大げさに言った方が雰囲気でるかな~、と。古代の予言なんてもちろん無くて、実際はポルタの魔法でテキトーに選んだのが瑟さんだっただけです。能力が高くて見た目が可愛かったから選んだのですが、まさかこんなに酷い乱暴者だとは思いませんでしたよ。ええ、とんでもない貧乏くじを引いたものです。ポルタを盗られた時は本当に殺されるかと思いました。次からは人外ロリババアを検索候補から外しておくようにします」
『ちょ、元ご主人、それぐらいにしておいた方がいいッスよ……』
酒が入ってプリマベラの舌はだいぶ回りが良くなっているようだ。そのため、瑟の眉間のしわが増えていることに気づかないでいる。
「ほほう、なるほどな。では本殿を壊したのは?」
「それは当然、格好良く登場するための演出のようなもので…………あの、瑟さん?」
喋っている間にプリマベラは、自分の体が海の上に出ていることに気付く。白い紋の走る褐色の細腕にゴスロリローブの首を掴まれて、宙ぶらりんの状態で眼下の波しぶきを見ると、酒で紅潮した顔が青くなり、ふわふわとした脳内が急速に引き締まっていく。
「あの、私、泳げないのですが……」
下手に暴れるとそのまま海に落ちそうなので、抵抗せずに口だけ動かす。
「何を言うか。その乳袋で浮けば良いではないか。ラノベではデカい乳は湯船に浮くと書いてあったぞ。海なら塩も入っとるし問題なく浮くじゃろ」
あまりにも静かに淡々とした声で言うので、プリマベラは瑟が本気で海に落としかねないことを確信する。もはや酔っている場合ではない。
「いやいやいや無理です無理無理! これは浮き輪じゃないんですから! ああ、ごめんなさい! ごめんなさい! 調子に乗……」
ここでプリマベラは思いつく。そうだ、瑟は人を殺せない。だったら泳げない自分を海に放り出したりはできないはずだ。そうと分かればもう怖くないぞ。
「お前、ちっとも反省しとらんじゃろ」
瑟の横で浮かんでいるポルタにすらギクリという音が聞こえた気がした。
『……本当に懲りない人ッスね』
「その見上げた根性に敬意を表して面白い遊びを教えてやろう。ゴブリンたちの島でウドの大木とやり合ったときにな、全身を縛られて空中に放り投げられたのじゃが、あれがなかなか面白かったから今からお前にも体験させてやる」
「え、ちょ、遠慮して――ヒャっ」
プリマベラが困惑している間に瑟は彼女を空に向かって放り上げ、甲板に置いてあった細いロープで彼女の全身を亀甲縛りで縛り上げる。そして、重力に従って落ちてきたプリマベラを片手で一度受け止めると、躊躇いもなく海へと投げ捨てる。何かが海に落ちた音を聞くと、瑟はロープを引っ張り、死にそうな顔をしたプリマベラを引き上げる。
「面白かったか?」
「や、やめ……」
懇願するプリマベラを再び投げ捨て、足が海に浸かるギリギリのところで吊り下げられる。
『あのー、新ご主人。これはちょっとやりすぎじゃないッスかね』
「悪いことをして反省もせんようでは罰を与えねばならぬ。それとも、お前が代わりに罰を受けるか?」
『慎んでお断りするッス』
下の方から何か叫ぶプリマベラの声を無視して瑟はロープを船に結びつけるとそのまま甲板を歩いていく。
「あの、彼女はこのままにしておくのですかリン?」
「言うことを聞かぬ子供を躾るのも親の役目じゃ。放っておけ。死ぬ前には引き上げてやる」
潮風が心地よい。空も澄んでいる。日本で見る空よりも青が強い。空気が綺麗だからだろう。
この世界に来て一週間、入り口は無理矢理だったが、思い返せば中々悪くない日々だった。ゴブリンたちとの出会い、知らない酒の味、久しぶりの強敵、異国の風景、たまにはこんな小旅行も悪くはない。
しかし、旅行は旅行だ。
儂には帰る家がある。
「さあ、もとの世界に帰るぞ!」
16/01/24 誤字修正
17/04/02 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 サブタイトル変更(旧:ロリババア、元の世界へ帰る。)