第拾弐話「ロリババア、夜桜見物す。」
瑟は一息で呼吸を整えると、下を向いて肩を震わせる。
「ククク……」
笑ってしまう。こみ上げてくる笑いを抑えることができない。
「カカカ……」
口の端から火の粉が舞い散る。笑いに震える口元から紅い鱗粉が漏れてくる。
感情が高ぶったとき、瑟はしばしば狐火を漏らすときがある。
「ハァーッハッハ! 面白い! 面白いぞ、小僧! もっと儂を滾らせてくれ!」
『……瑟、楽しそう』
『おいおい姐ぉ。月光だけズルいぜ、俺も使ってくれよ』
「そうじゃな。では、久々にアレをやるか、桜花」
『アレって、まさかアレか!?』
『……おお』
喜びに声が震える桜花だけでなく月光も静かに嬉しそうな声を上げる。その声を受けて瑟は口から火の粉を漏らしながらニヤリと笑う。
「そう、夜桜じゃ」
『っしゃあ! 姐、一生ついて行くぜ!』
「儂がお前を手放す訳なかろう。月光、おぬしも抜くぞ」
『……ん。分かった』
瑟は大剣を構える棗に向かって力強く指を指す。
「小僧、もしや日本の出身ではないかや」
「……何故、日本を知っている。まさか、お前も日本から来たのか!?」
「左様。お前が儂の格好を見て『巫女服』と言っとったからな。この装束を見て巫女が着るものと知っておるのはこの世界におらんはずじゃ。もっとも、これは巫女服ではなく、巫女装束じゃ。細かい違いは自分で調べろ。さて、同じ日本から来たのならば話は早い。春に咲く桜がもっとも美しく見えるのはいつじゃ?」
「……夜か?」
「ほう。若いのによく分かっておるではないか。しかしお前が想像したのはライトアップされた人工的な夜桜じゃろう。今から本物の夜桜を見せてやろうぞ」
瑟は、月光を一度腰に佩き、左手で漆黒の鞘を押さえ、右手で柄を持って一気に抜き放つ。月の光から作られた刀身を見た観客たちは背筋が凍ったような感覚に陥る。抜き放たれた軌跡は銀色の線となり、刀の通った後は空気すら斬れている。
月光のあまりの美しさに観客たちが見とれていると、急に辺りが暗くなってきた。雲が出てきたのだろうか。いや、そんな暗さではない。闇だ。夜の闇がそこここから湧いて出てきた。
「そんな……さっきまで、日の光が出ていたのに……」
起き上がったアナスタシアの見開かれた瞳には、空に浮かぶ銀色の半月が映っている。彼女だけが見ている幻覚ではない。観客たちや三角帽子もまた頭上の半月を驚愕の目で見上げている。彼らの頭上に広がる空には、本当に半分の月が二つ浮かんでいるのだ。
夜になるのはいくら何でも早すぎる。だが、天空にはすでに太陽はなく、月と星と雲のみがあるだけだ。
「月が二つあるのもまた風流じゃな」
周囲が騒然とする中、瑟は抜いた月光を右手に持ったまま左手で袖から桜花を取り出す。桜の装飾が入った鉄扇は、瑟が開くと中から桜の花びらが溢れ出てくる。一度桜花を振るうと、周囲に桜吹雪が舞い、無骨な闘技場が幻想的な雰囲気に包まれる。もう一度振るうと、闘技場の地面に石畳と紅い灯籠が現れ、灯籠に火が灯ったかと思うと、地面や壁が盛り上がり、そこから満開の桜の木が幾本も生えてくる。闘技場が一瞬で夜の神社の境内の様に変貌し、咲いた桜の花は月の明かりを受けて淡い光を放っている。突然生えてきた見たこともない幻想的な樹木に観客たちは息をのむ。
「小僧。いや、棗よ。夜桜見物と洒落込もうではないか。存分に楽しもうぞ!」
瑟は桜花を振るい、桜の木々を揺らす。二つの半月をバックに妖しく笑う彼女の持つ力に棗はわずかにたじろぐ。
『なんなのあいつ。これほどの魔力を持っているなんて……』
「何だっていい。今は、あいつを倒すだけだ。邪竜!」
竦みそうになる足を叱咤して大剣を構え直し、内にある邪悪な力をさらに引き出す。少年の足下から黒い渦が巻き起こり、彼自身に巻き付き、大剣の色も黒く濃くなっていく。大剣の少女も苦しそうな声を上げる。
『くうっ……。あんまり保たないわよ!』
「ああ、すぐにけりを付けてやる」
深く息を吐き、金色の瞳の瑟と紅い瞳で相対する。
「行くぞ化け物!」
「来い、人間!」
棗が振りかぶって剣を振るうと、その剣閃が黒い竜となって瑟に襲いかかる。
「飲み込め! 邪竜!」
「桜技『花嵐!』」
瑟は巫女装束の長い振り袖を靡かせて左手の桜花を振るい、桜吹雪を渦巻のように飛ばして相殺する。直後、瑟が仕掛けた。石畳の上を下駄が走る軽快な音に乗せて棗の最初の攻撃と同じように右手の刀で切りかかってくる。今までとは桁違いの速さだ。しかし、対処できなくはない。月光の攻撃を大剣で受ける。続く高速の連撃もなんとか受けきる。日本刀のくせに、まともにぶつかっても折れも曲がりもしない。反撃。避けられる。足を払われる。体勢を崩された直後、地面から桜の木が生えてきて棗を上空へ突き上げる。突き上げられる最中、桜の枝が伸びてきて棗の四肢を縛り付ける。瞬間、桜の木の中から瑟が口から狐火を零しながら桜の花びらを纏って飛び出してきた。見とれるほど美しい月光の刃が迫る。邪竜の咆哮。棗から黒いオーラが吹き出し、枝の拘束を消滅させ、瑟も吹き飛ばす。大剣で桜の幹を易々と切断して剣の先に刺し、嗤う瑟に投げ飛ばす。瑟は足を大きく広げ、緋袴の先から見える白い紋の走る褐色の足で飛んできた桜の木を挟んで空中で一回転し、棗に投げ返す。棗は一度地面に着地し、切り捨てようと地面を蹴って跳んで剣を振るうと、桜の木は一瞬で大量の花びらとなり視界を覆う。しまったと思う間もなく瑟が花びらの奥から飛び出し、ライダーキックの様に蹴りをぶちかます。吹っ飛んだ棗は地面から生えている桜の木に衝突し、太い幹をへし折りながら地面に激突して砂埃を巻き上げる。
瑟が優雅に着地する瞬間、砂埃の中から巨大な黒い竜が大口を開けて飛び出してくる。このタイミングではどうやっても避けれない。それでも地面から桜の木を生やしてそれを踏んで避けようとするが、間に合わず桜の木ごと黒い竜に飲み込まれてしまう。黒い竜は瑟を飲み込んだまま上昇し、夜空の叢雲を突き破ると急降下し、地面に激突する。凄まじい爆風と爆音を轟かせて、咲いている桜の花だけでなく生えている木を根っこから吹き飛ばして黒い竜はその姿を消す。黒い竜が消えた後の地面には、白い狐耳と黒い尻尾を持つ巫女装束を纏い、首に鎖を巻き付けた少女がうつ伏せで石畳にめり込んでいる。
この攻防の間に、アナスタシアと三角帽子は魔法で援護しようと構えていたのだが、二人の激闘の間に割って入ることができず、ただ見守っているしかなかった。
「……やったか?」
息を荒げながら棗はピクリとも動かない瑟の様子を観察する。体を蝕んでくる邪竜の力もそろそろ限界だ。これで奴が倒れていなければ……。
17/04/02 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 文章微修正(大筋に変更なし)




