第拾話「ロリババア、戰場に立つ。」
二日間の船旅を終えた瑟は連れの三角帽子と共に港町の波止場にいた。
ここはゴブリンたちの島ではない。人間たちの大陸にある港町だ。物珍しげに視線をさまよわせる三角帽子とは裏腹に、薄汚い布に包まれた自分の頭ほどの手荷物を持った瑟はただ潮風に当たって昼の太陽を煌びやかに反射する海を眺めている。
「倉稲瑟様ですね。こちらへ」
燕尾服を着た背の高い老執事がやってきて瑟たちに豪奢な馬車に乗るように促す。瑟は腰に佩いた月光を握って確かめると三角帽子と一緒に馬車に乗り込む。
しばらく馬車に揺られて進むと、高い城壁に囲まれた都市へと入っていく。都市に入ると馬車の窓がカーテンで閉められているが、町の住人がこの馬車を恐怖の視線で眺めていることは気配でわかる。
「到着しました」
瑟と三角帽子が馬車から降りると、凄まじい怒号と熱気に包まれる。
降りた場所は、太陽の光が降り注ぐ巨大な円形闘技場の真ん中だった。闘技場の直径はおよそ五十mで、その周囲に段々に設置された観客席からは、大勢の人間たちがこれから始まる戦いに期待しているのか大きな声を張り上げている。左右に大きな門があり、地面は土が敷き詰められて周りの観客席からは随分低くなっている。
「ここでやり合うようじゃな。危ないからおぬしは門の所まで下がっておれ」
「私にも何かできないでしょうかリン。これでも魔法の心得は少しありますリン」
瑟は三角帽子の三角帽子をぽんぽんと撫でて白い歯を見せて笑う。
「大丈夫じゃ。安心して座って見ておれ。まあ、いざというときは頼むかもしれないのう」
「わかりましたリン」
西の門から入ってきた瑟たちが乗っていた馬車が東の門へ消えていくと、東門から三人の男女が姿を現す。出てきたのは瑟と戦ったラノベ少年と、白を基調とした神官風のゆったりとしたローブを身にまとった長身の女、さらに金髪ツインテールの少女も棗に寄り添うに歩いてくる。
「おう。久方ぶりじゃなラノベ少年。両手に花とは流石じゃのう。本の通りじゃ」
瑟の軽口を受けて三人が何か囁き合うと瑟の白耳がピクリと動く。
「あんなちっちゃい子が……?」
「油断するなよ。巫女服を着た子供みたいななりだが俺たちが戦ってきた誰よりも強い。俺が先陣を切るから援護してくれ」
「わかりました」
瑟にかかれば内緒話を聞き取ることなど造作もない。
「今度は負けないわ。棗」
「ああ。絶対に勝つ」
そういえば棗とか言う名前らしいな、と瑟はプリマベラの言葉を思い出す。そんなことを思い出している間に、棗が横に立つ少女をいきなり抱き寄せ、その唇を重ね合う。
「見せつけてくれるのう」
すると、金髪少女が目映い光を発し、光の粒を散らして装飾の入った大剣へと変化する。
「ほう。結構カッチョイイではないか。月光よ、儂らもアレやってみないか?」
『……めんどうくさい』
「何じゃつれないのう」
『……桜花とでもすればいい』
『お、なんだ姐。俺とアレやりたいのか? 俺はいつでも良いぜ』
「絶対イヤじゃ」
瑟が月光たちと暢気に戯れていると、眼前に大剣の切っ先が迫る。完全に隙をついたはずの棗の攻撃を、瑟は容易く反応して上半身を反らして避ける。彼女は、先っぽの白い黒尻尾を地面に突きだして、その反動で倒れることなく起き上がり、頭突きを食らわせる。少年が怯んだ所に掌底を顎へヒットさせ、軽く浮き上がったところに漆塗りの下駄の後ろ回し蹴りを腹に打ち込む。
蹴っ飛ばされて戻ってきた少年を神官風の女性が慌てて抱き起こす。
「カカカ、どうじゃ、女。儂の強さが分かったか。そんな童の攻撃などかすりもせぬわ」
瑟の啖呵にアナスタシアは冷や汗を流す。彼女は棗の今までの戦いを見てきた。それはいずれも棗の圧勝で、彼に敵う人などいないと思っていた。だが、いる。目の前にいる。棗よりも小さな褐色肌の幼女は、白耳と黒尾を持ち、紅と白の見たことのない装束を纏って不敵に微笑んでいる。
「あいつの言うとおりだ。邪竜の力が暴走しなければ攻撃を当てることすらできなかった」
「そんな……」
「でも、俺はあきらめちゃいない。あの化け物に勝つために、邪竜は必ず制御してみせる」
「無茶よ! そんなことをしたら棗君は……」
「失敗したら死ぬ。そんなことは百も承知だ。だけど、邪竜の力を物にしなければ遅かれ早かれ俺は死ぬんだ」
「でも……」
「信じてくれ、アナスタシア。俺は必ず邪竜を制御してみせる。だから、いつものように魔法で掩護してくれ」
心配そうなアナスタシアをふりほどくように立ち上がり、装飾の入った大剣を構える。
「別れは済んだのか小僧」
「ああ。お前は俺が絶対に倒す」
「ひとつ聞いておこうかの。人間の子供よ。なぜお前はこいつらに味方するのじゃ。お前もこんな世界に連れてこられた被害者であろう?」
「たしかにその通りだ。でも、こっちの事情はお前には関係ない。俺は、自分の信じるように進むだけだ」
棗の目に力が込もっている。真っ直ぐな目だ。昔、自分に挑んできた者たちの中にもこのような目をした者がいた。この少年は、侍と名乗る彼らと同じ目を持っている。
昔の血が、騒ぐ。
「そうじゃ。やり合う前にそこで見物している愚王に渡すものがあったわい。小僧、ちと渡してくれぬかの」
瑟が最上段に座る醜く太った男に一瞥を送ると、持ってきた薄汚い布袋を少年に投げ渡す。放り投げられた布袋は、空中で分解して髪の長い中身をさらけ出した。
その中身は、桃色の長い髪の女の頭部だった。
「うわっ!」
少年は慌てて避けたが、横にいたアナスタシアは地面に転がる首を見て青ざめて嘔吐してしまう。
「アナスタシア、しっかりし――」
『棗! 前!』
「阿呆」
棗が心配してアナスタシアと呼ぶ女のほうを見た瞬間、瑟は初めて会ったときと同じように彼の顔を蹴り飛ばす。
「棗君!」
アナスタシアが叫ぶと同時に瑟に背負い投げを決められる。背中から地面に叩きつけられたアナスタシア呼吸が一瞬止まる。
「なんじゃなんじゃ。二人掛かりの方が弱くなっておるではないか。人の心配をしていて儂に勝てるとでも思うたか」
アナスタシアの首を後ろから片手で持ち上げる。瑟の背が足りないので完全に持ち上げることはできず、アナスタシアは足を投げ出しているような状態になって首を締められている。
「小僧。早くお前の中にある力を出さぬとこやつの首と胴は離れてしまうぞ。そこに転がっている阿呆と同じようにな」
瑟が手の力を強めるとアナスタシアは苦悶の声を上げた。
17/04/02 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/05 文章微修正(大筋に変更なし) 長いので分割。




