10.ナイアス・ヴェルウントの憂鬱②
~ナイアス・ヴェルウントからの視点~
「ドメンスル閣下、ガディミリタナイアス・ヴェルウント様です」
いつもながら思うがドメンスルの執務室の両開きの扉は、ほんとに無駄に大きいな。その見上げるように高い扉の前で、ノックの後に大声で訪問を告げる上等なソフトレザーアーマー(なめした柔らかい革を使ったタイプの鎧)に身を包んだ案内係。扉の両脇には外に居た連中と同じく、ブレスト・アーマー(胸部を守る金属製の鎧)に肩当てや籠手で身を包み、長槍を片手に持った警備兵がふたりピッしと直立している。つまりこの渋い色合いのソフトレザーアーマーを着た奴は、やっぱ警備兵とは役割が違うって訳らしい。しかし案内係までがそれなりの防具を付けているってのは、なかなか緊張感漂う警備体制だな。それにここに来るまでの廊下や階段の要所要所には必ず2人組の警備が立っていたな。どうやら……。
「どうぞお入り下さい。ガディミリタ様」
暫くしてから、ドアの向こうからちょっと低めの声での応答があった。これは聞いた事のあるいつもの副官の声だ。すぐに案内係が両扉の片方を引いて開く。だいたい片方の扉を開けるだけで大人3人は通れるし、今まで両扉が開いたのを見た事がない。ほんとになんでこんな大きな両開きの扉である必要があるんだ……。
中に入って観ると、どうやらドメンスルの執務室自体には、あまり変化はないようだ。100人以上は入れる様なだだっ広い室内、天井ももの凄く高い。この部屋はリシュトプレイスの4階フロアの半分以上を占めている。更に天井に至っては6階までの吹き抜けだそうだ。そんな馬鹿高い天井には色取り取りな絵や文様が描かれ、その下には様々に装飾を施された燭台が吊り下げられている。壁には歴代の王と正妃の肖像画が飾られ、壁に走る白い太い石の柱にも色々な彫刻が彫られている。まぁ、俺に云わせるなら正直かなり趣味が悪い装飾だ。一方そんな天井の下の床には、俺がこの部屋で唯一気に入っている、実に落ち着いた趣きある緑と茶の配色が施された重厚な絨毯が轢かれている。なんでもこの絨毯、織るのに30年は掛かったらしい。そんな広大な絨毯が途切れた部屋の奥には3段の階段に続く王座があるのだが、そこは今は真っ赤な分厚いカーテンで仕切られていて伺い観ることはできない。噂ではそこには背もたれが3メル(m)はあると云う王の玉座があるらしい。だが今まで一度も見たことはない。まぁ、別に見たいとも思わないけどな。
その厚く優雅に襞が波打つ赤いカーテンの壁の前には、部屋の大きさに負けず劣らずのかなり大きい黒檀の机が置かれている。確かに大きくて立派な黒檀の机だが、どう見てもこの部屋の雰囲気にそぐわず、場違いな感じで重そうな机なのに浮きまくってる事夥しい。まぁ、なんと云ってもこの部屋は、本来は王の謁見の間だからな。当初は王が来た時だけ使うと云うことで閉鎖されていたらしい。だがあまりに専有面積が大きく未使用では非効率過ぎると云う事で、ドメンスルの執務室兼応接室にしたらしい。まぁ、だから無理があるんだよな。違和感ありありだ。なんて思っていたら、ここまで案内してくれた、ソフトレザーアーマーの案内係が無言で一礼し部屋を出る。すると背後で音もなく扉が閉まるのが判った。うん、これもいい手際だ。
扉の正面奥にある、そんな浮きまくってる黒檀の机には、リシュール州のドメンスル、ジョルジア・ハルミトが座っている。そして近づく俺に無言のままチラッと視線を向ける。ハミルトの出で立ちは、暖色系の細目のチェニックの上に黒系のチョッキを着ている。まぁ、なかなかにオシャレな感じではある。ここら辺はさすがに長年王都に居ただけの事はあるな。軍官ってのはこう云う時に服装を考える必要が無くて助かる。
部屋のほぼ中央にある黒檀の机からちょっと離れた所に、まぁ、これも上等な部類に属するだろう木製の机があり、ここにはいつも顔色が悪いハルミトの副官が居る。その顔色の悪い副官は、机の脇で立ちながらこちらに視線を向け目礼をする。この副官はなんでも、ハルミトが王都から連れてきた唯一の部下らしい。後の部下は全て現地採用らしい。それだけ聞いてもちょっと変わってるのが判る。
リシュール州のドメンスル、ジョルジア・ハルミト、確かそろそろ60歳、元は司府の産部の府官だ。そこで産部長つまり職部の長にまで昇った処でリシュール州のドメンスルを拝命して准府長となったらしい。産部上がりだから農産管理のプロとして、新規開墾を進めるリシュール州のドメンスルを拝命できた……。と云うのが表向きの理由だ。だがほんとの処は判ったもんじゃない。王都の権力争いの実情なんかは俺には理解の範疇外だからな。
だが結論から云えば、この好々爺然とした細い目に肌にいくつかの皺、短めの白い顎髭を蓄えた60歳の初老の男は、王都での権力闘争の勝利者なんだろう。ドメンスルは、強大な権力を持つ顕職だ。職位的には臣の三府長と同格だし、州の立法・行政を独占する立場だ。軍事・警察・司法の直接的管轄こそは黒虎騎士団にあるが、それに対しても監督権限を有している。それは基本州の命令系統の全てがドメンスルへと繋がっている事と、騎士団の地方司令官レベルである千士隊長よりドメンスルの地位が上位になるからだ。
つまり州レベルにおいては、ドメンスルの権力はほぼ絶対だ。そんな強大な力を持つドメンスルに職務として、唯一意見・諫言できる存在こそが、俺達ガディミリタだ。従ってドメンスルとガディミリタの関係ってのは、普通は対立的関係になるものだ。まぁ、俺に云わせれば、それこそがガディミリタの職務の真髄だと云ってもいい位だ。
だが、不思議な事に俺とリシュール州のドメンスル、ジョルジア・ハルミトとの関係は良好な関係を保っている。まぁ、ハルミトは、俺以外のガディミリタとの関係も良好のようだがな。それと云うのもハルミトが、全くと云っていい程蓄財に興味を持っていない事が理由だ。ハミルトは賄賂や貢物、接待等を一切受けないそうだ。部下の登用もあくまで、国立司府院の卒業生に限定して、縁故登用を一切廃しているらしい。そしてハルミトは赴任以来淡々と職務を熟している。それに配下の部下達にかなりの権限を移譲して自由にやらせているようだ。それは俺についても云える事で、自警団の強化や塾所の建設、公童塾の開設等についても一切の反対はしなかった。ではリシュール州の発展に積極的なのかと云うと、そうでもないのだ。例えば顔色の悪い副官の机の上には多量の書類が積み上がっているが、一方のハルミトの黒檀の机の上には数枚の紙があるだけだ。ハルミトが統治に情熱的だとか、職務に熱心だとか云う噂は一切聞こえて来ない。権限移譲と云えば聞こえはいいが、実際には完全放任主義と云う処だろう……、当然ながら付いた渾名は“昼行灯”だ。しかし昼行灯だがなんだろうが、ドメンスルが蓄財に走らないと云うのは、それだけで正に僥倖なんだ。
普通、ドメンスルの様な顕職を務めると、もう次の仕事は回って来ない。つまり普通はそこで引退となる訳だ。すると何故か彼らは必ずと云っていい程貴民になろうとする。貴民として立嫡する為には必ず15貴氏の最低1家からの推薦と、30家以上の貴民からの賛同書が必要となる。そこで彼らは貴民立嫡の推薦をして貰う為に15貴氏のどこかの家に擦り寄る事になるのだが、ここで多量の贈答品やら付け届けが必要になるらしい。そして更に多数の貴民からの賛同書を取り付ける為に、貴民へも接待、贈答が必要となる。最後に貴民立嫡の判断を行う儀府の内務部への接待や賄賂が必要となるらしい。だから毎年貴民の立嫡が発表されるエスニアの前月になると、王都では夥しい数のパティーが開かれ、贈答品を運ぶ馬車が列を成す姿が見られるらしい……。
当たり前だが普通の稼ぎではそんな接待・贈答・付け届け・賄賂ができる訳がない。だから、彼らの多くは、ドメンスルの職に着いたその翌日から、蓄財に狂奔するのだ。そしてその多くは不正蓄財であり、つまり州民からの搾取へと繋がっていく……。本来貴民とは、王国に多大の貢献をした者の名誉を称え、更なる貢献を促す制度であったハズなのだが、それが今では王国を蝕む元凶と成っているんだ……。
「ガダスシアプ。ドメンスル殿、副官殿」
「ガダスシアプ。ヴェルウント殿、よう来られた」
「ガダスシアプ。ガディミリタ様、ご苦労様でございます」
ハルミトそして、いつも顔色の悪い副官に向って一礼する。俺の挨拶を受けてハルミトが俯いていた顔を上げる。俺は府官と話しをする場合はできるだけ、役職で相手を呼ぶようにしている。まぁ、府官と云う輩とは、ハルミトと云えども極力仲良くはなりたくないからな。
「ドメンスル殿、リシュトプレイスの警備を替えられのですね」
「おお、気が付かれたか。そうだ、そうだ紹介しよう。ダイス殿出て参れ」
普通当たり前に気がつくだろう……。ハルミトがそう声を掛けると背後の赤いカーテンが揺れ、その中から皮系の上着に膝下までのピッタリとしたこれも皮のズボン姿の男が現れた。やっぱりそこに居たのか、なんとなく気配は感じていたから、驚きはしないがな……。腰にはなかなかな拵えのレイピアを佩いている。その物腰から見てかなり出来そうだ。これも警備の一貫って訳か。
「こちらダイス・アシュビー殿、リシュトプレイスの警備隊長殿じゃよ」
「ガダスシアプ。ダイス・アシュビー殿」
「ガダスシアプ。ガディミリタ様」
引き締まった顔と身体、ちょっと珍しい赤毛で彫りが深くて鼻が高い。細いが鋭い眼光、声はかなり渋い響きだ。これはかなり女にモテそうだな。うん、あまり友達にはしたくないな。
「ヴェルウント殿、知ってるおるかな、ダイス殿は、“ファス(信義の女神)の契”のリーダなんじゃよ」
ハルミトがなにやら嬉しそうな顔で紹介を続ける。“ファス(信義の女神)の契”か、なるほど無縛人のクランの中では結構有名なクランだ。クランってのは、要するに傭兵団みたいなもんだが、あれよりも結束が強くて、ようするに専門家の集団って感じだな。入団するのは結構難しいらしい、だからクランは押し並べて傭兵団に比べるとどうしても規模が小さくなるんだ。
「ダイス殿、“ファス(信義の女神)の契”の噂は聞いてますよ。それにリシュトプレイスの警備はなかなかです」
「貴方はナイアス・ヴェルウント様ですね。トファルナの英雄殿にそう云われるとは光栄です」
改めて目深に俺にお辞儀をすると、ダイスは再び音もなくスッと赤いカーテンの中に身を隠す。ここまで警備を強化したって事は単にリシュトプレイスに盗賊が入ったって事ではなく、どうやら噂通りハルミトの身辺にまで危険が迫った様だな……。だが一体、誰がなんの為に?
「さて、ヴェルウント殿、今日はなんの話じゃな? 昨日グスワが届いたばかりでの早速の登城、なにやらお急ぎの要件かの?」
ハルミトはにこやかな笑みを浮かべながら、執務机から立ち上がると広い執務室にぽつんと置かれた、応接セットのソファーに俺を誘う。なんの話だ? お急ぎの要件だと? そんな事は委細承知だろうが……。やはりハルミトも府官だ。全く煮ても焼いても食えない奴だ。
「ドメンスル殿、王税特猶の期間短縮の件です」
「ガディミリタ様、そうではありません。正しくは奉納の公平化特例措置でございます」
俺はハルミトが先にソファに座るのを待ってから、腰を下ろすと早速口を開いた。すすとソファに座るハルミトの背後に立った顔色の悪い副官が、丁寧にも俺の言葉を訂正してくれた。そんな事は知ってる……。
「同じ事だろう?」
「全く違います。ガディミリタ様」
「違う? なにがだ」
ちょっとハルミトの表情が曇る。なにが違うんだ? 言葉は違っても実際にやる事は一緒だろうが、変な処に拘るな。だから府官って奴は嫌いなんだよ。
「王税特猶の期間短縮であれば、その後に適用される奉納率は、王税の基本奉納率の、10ブ4(4/10)になります。しかし奉納公平化特例措置ですから、奉納率は収穫量から再算出する事になります。私がキグトア地区の収穫量から再算出した結果では、奉納率はたぶん10ブ6(6/10)になります」
「ほ、奉納率、10ブ6(6/10)だと?」
「はい、真に近年のキグトア地区の収穫量は素晴らしいですから……」
なんだそれは? その数字を聞いて体温が下がり胃が何かキューっとなる感じに襲われる。確かにキグトア地区の収穫量は高い。だがキグトア地区の集落では、子供の死亡が減り多くの家で家族の人数が増えている。しかも新規入植者も多数受け入れている。つまり集落では大幅に者が増えてきているんだ。だから集落では毎年毎年、新しい畑をかなり広げていかなければならない。当然それだけ翌年の新しい畑に撒く種籾が多く必要になってくる。それに新規入植者の食い扶持が生産出来るのは、入植の翌年以降の収穫からだ。それまでは集落の備蓄を分けるしかない。つまり普通の集落よりも必要とする麦が多いんだ。だからこそ、だからこそ、そんな発展中の集落を保護するのが、王税特猶なんだ。今だってキグトア地区の農民は、自分達の作った麦をほとんど口にしていないんだぞ。
つまり王税特猶の期間短縮ですら許せない状況なのに、いきなり奉納率を10ブ6(6/10)にするだと? 一体なにを考えているんだ、もしかすると王国の希望になるかも知れないキグトア地区の明日を敢えて潰したいのか? 正直こんな事になるくらいなら、一切の改革をしない方がましだったって事になる。農産っての結局は者の労力=意志頼りなんだ。こんな事をされたら集落の連中の意欲が続くハズがない……。なんなんだこれは……。
「奉納の公平性は肝要ですので……」
俺が睨みつけたので、顔色の悪い副官が言葉の途中で黙り込む。
「どうやらヴェルウント殿は公特措(公平化特例措置)には反対のようじゃな」
「当たり前です! そんなめちゃくちゃな奉納率ではキグトア地区は立ち行きません」
「ああ、多分、そうじゃろうな」
「ジョルジア様!」
顔色の悪い副官が驚きの声を出す。ハルミトがその副官を片手を振って黙らす。
「きっと現実の農産の実情など何も知らない、税部と産部の若い者がちょっとした得点を稼ぎたくて、帳簿の数字だけを見て簡単に絵を描いたんじゃろうの。しかも王国の財政は逼迫しておるから蔵部も大賛成じゃ。他の部も自分の処の腹は傷まないから、反対はせんじゃろ。それにの、1年だけでも奉納が増えれば、それで上申した者も、その上役も評価される訳じゃからな。王都では誰にも迷惑を掛けない、なかなかな妙案と云った評価じゃろうな」
「し、しかし」
「ああ、そうじゃな。これを行えばキグトアは悲惨じゃろう。じゃが彼らには帳簿の数字が全てなんじゃ。それに翌年になってしまえば、それは既にもう終わった話しなんじゃ。そして彼らにとっては、キグトアの悲劇もまた単なる数字にしか過ぎないのじゃよ」
「そんな馬鹿な……」
なんだその話しは、そんな軽い点数稼ぎの為にキグトア地区の住民の未来が踏みにじまれるのか? 数字なんかじゃない、サラキトアのみんなの顔が脳裏に浮かんで来た。
「それにかなり頭の良い連中が動いているようなんじゃ。この手の申言は、その地方の臣民会議からさせるのが常套手段じゃが、どうもいち早く司府長のダイタス・ギュント・ホルミア様を抱き込んだようじゃ。それでリシュトの臣民会議にホルミア様の手が伸びておるようなんじゃ。さすが“長い手”じゃ」
「“長い手”ダイタス・ギュント・ホルミア……」
ダイタス・ギュント・ホルミア、様々な噂はあるが、有能な男であることは間違いないらしい。でなければあの虚々実々の王都で、10年以上司府長を続ける事はできないはずだ。それに次の臣府長って声もあるようだな。王国、王都であらゆる意味で有名な男だ。
「ヴェルウント殿、今回の奉納公特措には、わしも反対じゃ」
「ジョルジア様っ!」
「ドメンスル殿っ!」
今の言葉は本当なのか! ドメンスルには臣民会議に対する拒否権がある、それを使えば……。
「じゃがヴェルウント殿、わしはリシュトの臣民会議から申言が成されれば拒否はせんよ」
「しかしドメンスル殿、いま反対と……」
「リシュトの臣民会議が、奉納公特措を申言するなら、それがリシュールの総意じゃ。一部の者の反対意見だけでは、それを止める事はできんのじゃ。まぁ、かの長い手様辺りならそれも可能じゃろうがな。わしには到底無理な相談じゃ」
すでに“長い手”が、リシュトの臣民会議に伸びてるなら、それは既に既成事実に近いと云っても良いだろう。クソッ、一瞬湧いた期待感が、一転して絶望感に突き落とされた。
「わしにはなんとも出来ん。じゃが、今こそがガディミリタ殿、トファルナの英雄殿の腕の見せ所なんじゃなかろうか? 頑張ってみる事じゃな」
そう云って、ハルミトはソファを立ち上がると、くるりとこちらに背を見せる。そして顔色の悪い副官が、無言のまま深々とお辞儀をする。つまり謁見はこれにて終了と云う合図だ。クソッ茶の一杯もなしかよ。マジに煮ても焼いても食えない奴だ。
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