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8.ギルラ(族長)の訪問

 

 

~キニー・ノホク(黒鷹)・フェバオロからの視点~

 ファト・ウズマーの試練の儀式を終え、木々の影で薄暗いオズグムルツ(昏き闇の大森林)の中から2日を掛けて、眩い陽の光に輝く草原に戻ってきた。そんなオズグムルツ(昏き闇の大森林)から戻る旅の途中では、珍しく父との話しが弾んだ。あのフォボル(森狼)はほんとに大きかったとか、あの“延伸槍”はなかなかだったとか、こんなに父と言葉を交わした事は記憶にない程だった。


「“黒牙”に傷」

「ほんとですか?」

フォボル(森狼)の牙硬い」

父が“黒牙”の黒い穂先を陽に翳しながら、なぜか嬉しそうな表情を浮かべていた。確かに目を凝らして観ると、穂先の黒耀石に微かな傷が走っていた。


「大丈夫ですか?」

「傷表面だけ、問題ない」

「でも……」

「お前の“延伸槍”で付いた傷。これ名誉の傷」

父が黒耀石の穂先のその傷をなぜか愛しそうに撫ぜる。そんな父を見ながら俺は首に紐で吊った奴の牙を改めて見詰める。その牙の先端にはくっきりと槍の跡が残っていた。


「この牙にも傷あります」

「そうか」

父と顔を見合わせていると、不思議と笑いがこみ上げてきた。俺が思わず笑い出すと、父も釣られた様に笑い声を上げながら、俺の背中を何度も何度も叩いた。ちょっと痛いけど、なぜか痛くなかった……。




オズグムルツ(昏き闇の大森林)から出ると正直暗闇に慣れた目が光で眩しい。その眩い草原には2頭の大柄な芦毛(灰色の毛色。生まれたときは灰色や黒、年を重ねるにつれ白くなっていく)のポニ(群馬)が、ゆっくりと草を食んでいた。一頭はかなり白っぽく、もう一頭はまだまだ濃い灰色だ。


「兄弟。こい」

俺のポニ(群馬)、ニーに声を掛けると、濃い芦毛のポニ(群馬)が早足でこちらに駆け寄り、その鼻面を俺にグイグイ押し付けてきた。4日間もここに放置していたのだ、甘えてくるのも仕方ない。ニーは俺が5歳の時の“真実の誕生”の儀式(5歳までにあまりに多くの子供が死ぬので、5歳を迎えて初めて生まれたと認める儀式)で、それまでの幼名から今の真名キニーを授かると同時に、父から貰ったポニ(群馬)だ。そうポニ(群馬)の名前は、それまでの俺の幼名なんだ。今15歳の俺との付き合いは既に10年以上、気心は互いに知れている。そうニーこそは俺の兄弟、いや分身と云ってもいい。


“ブッハァ、ブッハァ”

激しく鼻を鳴らすニーに、腰の皮袋から岩塩を少し握って舐めさせる。ふと見ると父もポーに同じく岩塩を与えながら、頭を撫でている。もう1頭の白っぽい栗毛のポニ(群馬)、ポーが父の愛馬だ。ポーは父の10歳の“ナジョテ(成人)の儀式”の時に、自ら草原で捕まえたサラ()らしい。……と云う事はポーはもう30歳以上と云う訳だ。


 ポニ(群馬)の寿命は大体30歳位だから、ポーはもうかなりの老馬に違いない。しかしポーは今でも10歳のニーと比べても全く遜色のない走りを見せている。驚きだ。それでも父が、“ポー疲れてる”と時々寂しそうに云うの聞いたことがあるから、やはり父から見れば老いは確実なのだろう。でも今鼻を鳴らしながら父に甘えるポーにはそんな老いは一切感じられない。父も俺がニーを失う事など想像もできないのと同じ気持ちだと思うから、ポーには父と共にまだまだ元気で居て欲しい。


イステハト(居住地)、帰る」

「コゥセ(了解した)」

“ブルブルルル”

父はスッとポーの背に跨り静かに告げる。その言葉は多分、俺ではなくポーへの言葉なんだと思う。首を一振りするとなにも指示がないままに、ポーがオズグムルツ(昏き闇の大森林)を背にして駆歩(かけあし:時速20キロ程)で走りだす。俺も慌ててニーの背にまたがる。するとニーも何も指示を受けていないのに、自然とポーの後を同じく駆歩(かけあし:時速20キロ程)で追いかけて行く。ニーは基本ポーに従えば間違い無いと信じているようだ。そしてそれは大抵の場合は正しい。






 オズグムルツ(昏き闇の大森林)からイステハト(居住地)までは、駈歩(かけあし:時速20キロ程)で、だいたい6時間位だ。でも途中3回休憩を入れたので、イステハト(居住地)に近づいた頃には、あたりはすっかり夕暮れとなっていた。


「待て」

イステハト(居住地)を望む事ができるなだらかな丘の頂上に着いた時、ほんの少し先を先行していた父が右腕をスッと肩から水平になるまで上げる。こんな時でもその手に握られている槍は、自然と斜めになっている。丘の頂上から見下ろしたなだらかな丘の中腹の先、麓近くの草原の一部の草が薄れて、所々に白っぽい地面が見えている場所に、5張りの、三角形(正確には円錐形)をしたティピー(野営用天幕)が見える。そうそこが俺たちのイステハト(居住地)だ。


 そのティピー(野営用天幕)の周りにでは、多くのシプゥ(家羊)達が、のんびりと草を食んでいる。そして数頭のポニ(群馬)ティピー(野営用天幕)の脇で佇んでいる。パシェル(大型牧羊犬)達が周辺で寝そべりながらシプゥ(家羊)達を見張っている。いつもの光景だ……、ん? だが、そのポニ(群馬)の脇に一目で大きさの違いが判るサラ()サラッド(家馬)か? サラバム(戦馬)か? が3頭いた。


「父さん?」

俺の呼びかけに無言のまま、父はその大きなサラ()をじっと見つめていた。


「あれ、賢き者・オルナ・クイラド(高い雲)・フェバオロのサラバム(戦馬)

しばらくしてから、口を開いた父の表情は今までと一転して間違いなく不機嫌なソレだった。オルナ・クイラド(高い雲)? フェバオロのギルラ(信頼される者=族長)がなぜこんな所に? いまやフェバオロのほとんどは、フェルキア族長国に定住していて、ギルラ(族長)に至っては、赤き岬の街にある石のお屋敷に暮らしてるらしい。父に云わせるならフェバオロのギルラ(族長)としては絶対に認められない存在だ。


「行く」

父が短く呟くと、ポーが再び駈歩(かけあし:時速20キロ程)で、丘の斜面を駆け下りていく。当然ニーも、そして俺もその後に続いていく。




“パチッパチッ”

ティピー(野営用天幕)の中心に置かれた、小さな火壺の中で乾いた小枝が燃えている。もうまもなくウズニア(11の月)雨月の秋雨が始まる季節だ、当然だが夜になればジンジンと冷えが襲って来る。でも分厚い皮で出来ているティピー(野営用天幕)の中は、その僅かな火壺の炎の暖だけで充分に温かい。火壺から出た僅かな煙が、ティピー(野営用天幕)の頂点にある煙穴に向かってゆらゆらと昇って行く。


「「「ガダスシアプ」」」

「ギリール(信頼する)。フェルムのシィオ(英雄)、黒きふたつの爪・タツー・ノホク(黒鷹)」

「ギリール(信頼する)。フェバオロのギルラ(族長)、賢き者・オルナ・クイラド(高い雲)・フェバオロ」

形通りの挨拶が交わされる。だが同じ氏族同士では名前の最後の族名は諸略されるのが普通だ。それを父の様に敢えて云う場合、できればお付き合いは遠慮したいと匂わせる意味になる。俺はガダスシアプの挨拶だけで、後の戦士の挨拶はなんとなく遠慮していた。そしてティピー(野営用天幕)の中は温かいけど、今俺の前にいるふたりの間の空気は冷え冷えとして、まるで今月が1の月(エスタン)の真冬のようだ。


「タツーよ。なぜここに子供がいるのだ?」

「これ、“白き牙”。子供ない」

ちらりとオルナ・クイラド(高い雲)が、こちらを伺う、そして俺の首元に下がった、あのフォボル(森狼)の白い牙で視線がピタリと止まる。


「ギリール(信頼する)。謝罪する。フェバオロの戦士、白き牙・キニー・ノホク(黒鷹)」

「ギリール(信頼する)。感謝する。フェバオロのギルラ(族長)、賢き者・オルナ・クイラド(高い雲)・フェバオロ」

これが俺が父以外と初めて交わした戦士としての挨拶だ。できればこれは叔父と交わしたいと思っていたんだが……。最後に族名を付けたのは、父に習ったからでもあるが、出来れば俺もこの男は遠慮したいと思ったからだ。そんな俺の挨拶にオルナ・クイラド(高い雲)はちょっと眉をしかめた。だがそんな事よりも俺の名前まで知ってた事が気にかかった。どうやらこちらの事は十分に調べているようだ。


 改めて戦士としてはあり得ない白い顎髭を生やした、オルナ・クイラド(高い雲)を観察する。まず顎鬚なんかは老人か戯人が伸ばすもんだ、そこが気に入らない。顔付きはフェルム人らしく、一重の瞼に彫りは浅く鼻は低くて少し幅広で唇も薄い。だけど頬が少しふっくらとしている。髪はちょっと薄い茶だ。ただし肌の色が俺たちと違い全く日焼けしてなく本来の淡黄色の肌色だ。それに本来なら戦士は素肌を隠さないのが普通なのにオルナ・クイラド(高い雲)は、肩から足首までを覆う黒い布を身体に巻き着けている。腰紐を締めた部分の腹の太さと、顎の下のちょっとたるんだ肉から見て、戦士としての身体を保てていない事は明白だ。俺と父は当然上半身は裸で、余分な肉などは一切付いていない。うん、やはりこいつはフェバオロの戦士じゃない。フェバオロの戦士じゃない男がギルラ(族長)なのか……。


 そしてティピー(野営用天幕)の入り口で控えるふたりの男。革鎧を着込んだ間違いなく戦士と思える男だったが、槍を持たずに腰にロングソードを佩いていた。身体の大きさや髪の毛の色、そして武装から見てもフェバオロの戦士とは到底思えない。そうだフェバオロの戦士ならば、絶対に槍を持っているハズなのだ。フェバオロのギルラ(族長)が、フェバオロの誇りフェルムのシィオ(英雄)に会うのに、フェバオロの戦士以外の者を護衛にしてやって来るとは、それはなんだか凄く悲しい現実だ……。


 挨拶の後ふたりはしばらく黙ったままで、互いに相手の顔も見もしない。火壺の中でパチパチと火が爆ぜる音が響くだけだ。だが結局はそんな沈黙を破り父がオルナ・クイラド(高い雲)に話しを促した。一応、ギルラ(族長)の顔を立てた感じだ。いや一刻も早く話しを終わらせたいだけか……。


「オルナ、話し、しろ」

「ああ、実はフェルムのシィオ(英雄)に頼みがある。これはフェバオロ全ての誇りと名誉の問題なのだ」

「誇り?」

「そうだ、我が氏族の誇りと名誉の問題だ」

フェバオロとしては、オルナ・クイラド(高い雲)は酷く饒舌だ。まるでウハ(フェルムのハハ系族の氏族、正族)かヤハ(フェルムのハハ系族の氏族、正族)みたいだ。だがもしギルラ(族長)たる者が、父と同様な寡黙さだったら、それはそれで問題かもしれないな……。


「今年もフェルキア族長会議(=フェルム8氏族会議)は、フェバエロの族長会議への参加を拒絶した。その理由は相も変わらず3000年前の断交宣言だ。確かに断交の解消には、断交を宣言した氏族、断交された氏族、両者による回交宣言が必要だ。しかし、あれからもう3000年だぞ? それにフェバオロはフェバオロ占地で充分にフェルキア族長国に貢献している。なのに、奴らは頑として族長会議に我らフェバオロの参加を認めようとしない。誇り高きフェルム13氏族のひとつたる我らフェバエロが準族のままだ。こんな屈辱があるか」

オルナ・クイラド(高い雲)が顔を少し紅潮させながら声を高める。だけどその話を聞いてるのか、聞いていないのか、父は完全に無言のままじっと火壺の中の炎を見つめていた。


「実は既に族長会議の8氏族の内、ウハ、ヤハ、モハ、ナハ、シャルキア、キシャシャとは、回交の話しは着いているのだ。残るはカナハオロとフェルキアだけだ」

父は、唯の一言も返事をせずに火壺の中の真っ赤になった木の枝を火箸で弄っている。多分こんな話には全く興味を持てないのだ。そうだ、名誉とは自分で勝ち取るもので、他人から与えられるものじゃない。オルナ・クイラド(高い雲)だけが、どんどんと一方的に話しを続けて行く。


「カナハオロは多分何があろうと、我らフェバオロの族長会議参加は認めないだろう。奴らはいつでも我らに敵対する」

そうだ。カナハオロは絶対にフェバオロに加担しない。ハオロ4氏族(フェバオロ、カナハオロ、チェバオロ、ナハオロ)の中で唯一フェルム8氏族会議に残ったのがカナハオロだが、それだって、そもそも何か考えがあった訳じゃなくて、単にフェバオロへの対抗心の為だったんだ。そう、フェバオロとカナハオロは何千年も間、敵対してきたのだから。


「だが、もしフェルキアが回交に賛成するなら、さすがのカナハオロも認めざるを得ない。そうなればついに我らフェバオロは、長年の夢であった正族復帰を果たし。カナハオロと肩を並べる事になるのだ」

「フェバオロ、カナハオロより強い」

オルナ・クイラド(高い雲)が火に酔ったかの様な様子で捲くしたてる。父が火箸を弄る動きを止めて初めて意見を云った。同感です。肩を並べるだって? 何を云ってるんだ、今だって我らフェバオロはカナハオロなどには劣ってはいない。。それが証拠に10年に一度行われるフェルム競武典の優勝者は、カナハオロの“白蛇の槍”の槍長を破った俺の父だ。そう、だからこそ父は“フェルム”のシィオ(英雄)なのだ。それぞれの氏族にシィオ(英雄)数多あまたいるが、“フェルムのシィオ(英雄)”は今、父のみだ。


「当然だ。フェバオロの誇り、フェルムのシィオ(英雄)よ」

ここでオルナ・クイラド(高い雲)が、シプゥ(家羊)の膀胱で出来た茶色の水袋に口を付ける。あんなに喋ったら口も渇くだろうな。いやこの匂い、羊乳酒か?


「だからこそ、フェルムのシィオ(英雄)に頼みがある。フェバオロがカナハオロより優れている事を再び証明して欲しい。そしてフェバオロの力をフェルキアに認めさせ、我ら3000年の念願たる族長会議参加を、正族復帰を実現するのだ」

「フェバオロ、カナハオロより強い」

オルナ・クイラド(高い雲)の顔を一切見ない父の瞳には火壺の蒼い炎が映っていた。





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