表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

探偵部の真夏の夜

作者: 付谷洞爺

 まだまだ未熟ですが、面白いと言っていただけるようなものを書けるよう努力していきたいと思います。 ご指摘などございましたら、よろしくお願いします。

 ――七月二十七日。その日は脳味噌まで溶けてしまいそうなほどの猛暑だった。窓から差し込んでくる日差しと、鼓膜が破けるのではと心配になるほどくっそうるさい蝉の鳴き声の中、俺はパイプ椅子の背もたれに体重を預け、意味もなく天上を見上げていた。

「うあ〜……あちぃ……」

 心の声を言葉にしてみるが、一向に涼しくなる気配はない。それはそうかと自分の行動に自分で嘆息しながら、俺は鞄の中から下敷きを取り出してぱたぱたと首筋に風を送ってみる。

 まぁ、少しはマシになっただろうか。

 そうやって風を送りながら、俺は同じように部屋の隅でパイプ椅子に腰掛け、黙々と読書に耽る同級生女子に目をやった。

 淡い栗色に染め上げたふわふわとした質感の髪と同系色の瞳は、一生懸命に手もとで広げている少女漫画の文字を追っている。切れ長の目元が、いかにも利発そうだなと思う。

 俺は彼女の首筋を流れる汗を目で追いつつ、なぜ俺たちがここにいるのかを訪ねてみた。

「貴重な夏休みだというのに、どうして俺たちはそろって部室にいるんだ? なぁ城島?」

「依頼があったからよ」

 彼女……城島美夏は少女漫画から目を離すことなく、簡潔に俺の問いに答えてくれた。そんな彼女に対し、俺はもう一つ気になることを聞いてみた。

「依頼があったという事実を俺は知らなかったんだが?」

「あらそう? 別にいいじゃない。どうせ暇だったんでしょうから」

 ほとんど断定的な口調で言う城島に、俺は少しばかりムッとした。

「おまえなぁ……」

「何か予定でもあった?」

「だったら部室になんかこねぇよ」

「なら、問題ないでしょ?」

 こちらを一瞥することすらなく、城島は読書に戻ってしまう。俺は溜息をついて、彼女から目を逸らした。

 そう、俺たちがいるのは旧校舎の二階の最奥にある『探偵部』の部室だった。本来であれば、俺たちのこれも立派な部活動であることに変わりはないので、新校舎付近に部室を設け、教師の目の届く範囲で監視をしていなければならないはずなのであるが、あいにくと今新校舎の部室棟は野球部やサッカー部、美術部や華道部などといった主要な部活動が部屋を使い切ってしまっているので、俺たちのような新参はこの旧校舎の一室のカビ臭い部屋を部室として使用せねばならないらしい。が、それは表向きの理由で、本当は『探偵部』なんていう学校に対して何の貢献をしないであろう意味不明な部活に、部室棟を使わせたくはなかったのだろうと俺は睨んでいる。

 ちなみに『探偵部』というのは、簡単に言えば人助けをする部だ。世の中の困っている人々を救済し、見返りを求めないと言うのを部の活動理念としている、らしい。いわゆるなんでも屋といった体である。なぜ『探偵部』という名前なのかというと、俺の前で読書に耽る城島。部長である彼女は無類のミステリマニアで、彼女の趣味が反映されているのだろう。よく知らん。

 段々と首筋に風を送る下敷きを持つ手も疲れてきた。俺は熱さを紛らわせるためにと、特に気になるわけでもないが依頼人について城島に訪ねてみる。

「ちなみに、誰が来るんだ?」

「そのうちわかるわよ」

 そっけなく返す城島に俺は一瞬喉を詰まらせたが、そのまま黙り込むのもしゃくだしもう少し喰い下がってみることにする。

「そんなこと言わず、教えてくれよ。探偵助手が依頼人について何も知らないってのはまずいだろう?」

「別にそんなにまずくはないと思うけど。まぁいいわ」

 城島は読んでいた少女漫画を閉じ、自分の鞄に仕舞う。その動作を目で追いながら、俺は城島の次の言葉を待った。

 漫画を仕舞ったついでに持参した水筒を取り出し、一口含むと、城島は依頼人について語り始める。

「依頼人の名前は浅木九美。知ってるわよね? 私たちと同じ二年B組のクラス委員を務めている人よ。性格は真面目で融通が利かず、病的なくらい責任感が強い。見た目は地味だけど、神のしっかりしているわ」

「つまり、おまえとは真逆の人間ってわけか」

「どういう意味? 私は別に不真面目というわけではないわよ? ただ、人一倍見た目に気を使っているだけ。人間の第一印象はほとんどが見た目で決まるわけだしね」

「ものはいいようだな。で、そんなやつが俺たちに何の用だってんだよ?」

「それは分からないわ。電話では離したくないみたいようだったし」

「つぅかおまえらいつの間に連絡先交換してたわけ? 教室じゃほとんど喋らねぇじゃねぇか」

 城島の手の速さには呆れるしかなかった。

「勘違いしないで欲しいわ。私と浅木さんは友達でも何でもないわよ。ただ、私がホームページ上に後悔している仕事用の電話番号に彼女が連絡を入れてきたのよ」

「おいおい……」

 大丈夫なのか、そんなことして。

 そんな心配は無意味であると分かってはいるのだが、やはりどうしても不安になってしまう。だってそうだろう? ネットって恐いんだぜ?

 俺は城島から視線を外し、依頼人である浅木久美について思いを馳せる。

 クラス委員を努めているだけあって、彼女はなにかと矢面に立たされることが多い。だから、他人の顔を覚えることが苦手な俺であっても、浅木久美という人物の風貌はぼんやりとだが記憶の片隅に存在している。

 あの長い黒髪をカチューシャで留めていて、眼鏡をかけているいかにもお固そうなやつか。

 なんとなくの輪郭を頭の中に思い描き、あいつが果たして我ら『探偵部』に本当に以来を持ちこんでくるのか、この段階になっても今だに信じ難い。

 俺がつれづれなるままにそんなことを考えていると、控えめに、部室の扉が二度、ノックした。

「来たようね」

 城島が立ち上がり、扉を開ける。するとその向こうには、我らがクラス委員様がいつもの用意カチューシャと眼鏡、そして制服を見に纏いて立っていた。

 彼女の鋭そうな目が、部室内を一周する。

「ずいぶんと質素ね」

 敷居を跨ぐことなく、そんな感想を述べる浅木。城島は浅木の第一声に、バタンと乱暴に扉を閉めた。

「さて、帰りましょうか」

「いいのか、あれ?」

 俺が扉を指差して尋ねると、城島は特に気負ったふうでもなく、そっけなく言った。

「冷やかしならお断りよ。依頼があるとか言っていたけど、大したものでもなさそうだしね」

 城島はさっさと帰り支度を済ませると、鞄を肩に掛け部室の扉を開けた。

「ちょっと、何するの!」

 扉を開けると浅木が怒ったように城島を睨みつける。城島はさも以外だというようにわざとらしく目と口を丸くして、

「何、まだいたの?」

「いたわよ! 悪い!」

「なら聞えたはずよ、冷やかしはごめんだって」

「冷やかしなんかじゃないわよ! 昨日連絡したでしょ! お願いしたことがあるって!」

 ヒステリックに叫ぶクラス委員様に、城島は溜息をついた。パイプ椅子に座って傍観を決め込んでいた俺に振り返り、

「何を言っているの?」

 と親指で浅木を指差す。俺は苦笑以外に有効な手立てが思いつかず、力なく笑った。

「とりあえず話を聞いてみようぜ」

「……そうね、いったいどんな大層なご依頼を持って来たのか、じっくり聞こうかしら」

 城島が嫌味ったらしく言い、ジトッと浅木を見やる。俺は二人をひとまずパイプ椅子に座らせると、城島の横に立って浅木の話を聞く。

「聞かせてもらえる? あなたのお話」

「いいわ。あれはじっとりと蒸し暑い七月初旬のことだった」

 まるで長編回想に入るときのような前起きをして、浅木は依頼の内容を語り出した。

 それによると、依頼はこうだ。

 七月五日。そろそろ夏本番に差し掛かろうという日。二年B組の生徒は、夏に負けないために、ここらで一つ肝試し大会でも開こうということになったのだという。肝試しにはクラスの半分以上が集まり、人数もちょうどいいため男女でペアになって校舎の三階にある生物室を目指すことに。生物室まで行った証に、教室の窓から懐中電灯で合図をすることになっていた。三組の男女が物室まで行き、窓から懐中電灯の明かりを外に向けて、無事にクラスメイトが待つ将校口前まで戻って来たらしい。そして、四組目が校舎内へ入った。

 生物室の手前までは何事なく辿りつけた四組目のペアだったが、いざ生物室の扉を開けると、居室の中から何かの鳴き声が聞こえたのだという。なぁごなぁごという、かすれた不気味な声だったたしい。

「それ、俺も誘われたぞ」

「私もよ」

 俺と城島が浅木の話の途中で手を上げてそう言う。浅木は信じられないというような顔で、俺たちを交互に見やった。

「あなたたち、何を――」

「勘違いしないでちょうだい。誘われはしたけど断ったわ。その日は別の案件もあったしね」

「俺も。何かだるかったし」

 俺と城島が口々に言うと、浅木はぐっと押し黙った。夜中に学校に侵入するなんてと思ったのだろうが、あいにくと俺たちは行っていない。そんな俺たちに言っても仕方がないと思ったのかもしれない。

 不愉快そうに眉をぴくぴくさせる浅木に、俺は先を促した。

「続けてくれ」

「……そうね。といっても、もうそれほど話すことはないのだけれど。ここまで話したのだから、後は分かるわよね、城島さん?」

 俺と浅木が城島を見る。城島は目を閉じ眉を寄せ、なにやら難しげに唸っている。

「どうしたんだよ?」

 俺が問うも、城島は答えようとはしない。どうしたというのだろう?

 俺は城島の顔の前で手を振り、呼び掛けてみる。

「おーい、城島―」

「なによ、鬱陶しいわね」

 城島が顔の前で揺れる俺の手を乱暴にはたき落そうとする。その寸前に俺は手引っ込め、城島の左手は空を薙いだだけだった。

「それで城島さん、引き受けてもらえるのかしら、この依頼」

「……まぁ引き受けてもいいのだけど、いいのかしら? 夜中に校舎に侵入する事になるわよ?」

「この際仕方がないわ。クラス委員として、夜中に学校入ることをよしとするわけにはいかないけれど、それ以前に他の生徒が安心して勉強できる学校でなくてはならないのだしね」

 浅木は素っ気なく言うと、城島から顔をそらし、そっぽを向いた。俺は浅木のその態度を見て、思わずにやけてしまうのを自覚した。

「どうしたのよ、その顔。気持ち悪いわよ?」

 城島がジト目で指摘してきたので、俺も浅木を真似するわけではないが、城島から顔を背けた。城島はふんと鼻を鳴らすと、音をならして椅子から立ち上がる。

「いいわ、受けて上げるその依頼」

「本当?」

 浅木が疑るような視線を城島に向ける。次いで、俺の方を向く。

「ああ、大丈夫。?世の全ての人々を救済する?がうちの部のモットーだしな」

 言って、俺は城島を見上げる。城島も俺を見下し、

「そういうことよ。分かって来たじゃない、あんたも」

「当たり前だろ? この一年間で誰よりもおまえを見てきたのは俺だぜ?」

 当然。

 城島は俺から視線を外すと、ビスィ! と浅木に人差し指を突き付ける。

「あんたの依頼、私たちが必ず解決してみせるわ!」

 

          2

 

「さて、夜までは自由行動だな」

 浅木が帰った後、俺は今日の夜のことについての簡単な打ち合わせを城島とし、更にその後、パイプ椅子の背もたれに体重を預けて天上に向かって呟いた。

 城島は呆れたような声で、俺の発言に突っ込みを入れてくる。

「何言ってんのよ。これからいろいろと準備がある決まってんじゃない」

 浅木は鞄を肩に掛けた状態で、俺の視界に顔を覗かせる。栗色の大きな双眸越しに、俺のマヌケな格好が映し出される。

「準備って、何すんだよ?」

「いろいろあるでしょ? 夜食とか、夜食とか、夜食とか」

「夜食ばっかじゃん……普通に懐中電灯だけもってけばいいんじゃねぇの?」

「そういうわけにもいかないわ。もし生物室にいるのが私が思っているようなものじゃないとしたら、やはり何も準備していかないわけにはいかないもの」

「生物室の件、見当付いてんのかよ?」

「そうよ。私を誰だと思っているのよ?」

 ふーむ……誰でしょう?

 俺が悩む振りをしていると、城島はなぜか怒ったように俺を睨み付ける。俺は身の危険を感じ、慌てて口を開いた。

「おまえが予想できてるってんなら、おそらくはその通りなんだろうぜ?」

「そうとは限らないわよ。もしかしたら学校に潜む不審者かもしれないし」

「考え過ぎじゃないか?」

「そうであることを願うわ。でも、もし違った場合のことを考えて行動することは悪い事じゃない。可能性はゼロじゃないもの」

「……そうかよ」

 俺は溜息のようなものを吐き、パイプ椅子から立ち上がる。ポケットから携帯電話を取り出して、時刻を確認。

 現在、十一時三十八分……。

「さて、どうする? 先に腹ごしらえでもしとくか?」

「うーん……まだそんなにお腹減ってないのよね……」

「じゃ、先に必要になると思われる物を揃えとこうぜ?」

「そうね。そうしましょう」

 俺の提案に城島は同調し、二人で並んで部室を出る。

 旧校舎を出て、学校前にある坂道を徒歩で下って行く。当たり前だが辺りに人気はなく、運動部もたいがいは終わっていたのか、遠くから野球部の掛け声が聞こえてくることはない。

 坂道を下り終えると、城島は右に曲った。その後を追って、俺も右へと爪先を向ける。

「どこ行くんだ?」

「そうねぇ……今夜のことについて絶対に必要だと思うものってある?」

「そりゃ懐中電灯とかじゃねぇの? さすがに電気点けたりすんのはまずいだろ?」

「そうね。まぁ懐中電灯は必需品だとして、他に何かないかしら?」

 これはあれか、必要な物は? とか質問をぶつけて、俺からオモシロ解答を引き出そうっていうことか?

「どうなの?」

 うーん……城島がそんなことするだろうか? いやしないだろう。と見せかけてのパターン家? こいつの行動はトリッキー過ぎて予想しずらい。

「何で黙るのよ」

 城島がいらいらしたように言ってくる。俺は一旦考えるのを放棄して、無難な答えを口にした。

「水分とかあるといいんじゃないか? ミネラルウォーター買って行こう」

 俺の返答にどこか不満げながらも、城島はそれ以上何か言ってくることはなく、俺は内心でホッとした。

 なるべくなら波風は立てたくない。今後が面倒になるからな。

 俺たちは学校の近くのスーパーに立ち寄り、城島が言っていた夜食と俺が言ったミネラルウォーターを買った。

 スーパーを出ると、俺たちは別れ、それぞれの帰路につく。俺は一旦自宅に帰るため、人通りの少ない道を歩く。

 人気のない、寂れたようなところだった。それこそ、幽霊か何かが出てくるんじゃないかと思えるほどに。

 自宅の前につくと、俺は玄関を開け、中に入った。ただいま、なんて言わない。返事なんか返って来ないと分かっているからだ。

 俺は靴を脱ぎ、ミネラルウォーターを冷蔵庫に納める。それから自室へ行き、ベッドに体を投げ出した。

 夜まで、まだまだ時間がある。俺は体を休めるため、目を閉じた。

 ここ数年夢なんか見ていなかったが、この日は久しぶりに夢を見た。

 なんだかとてもホッとするような夢だったと思う。


          3


 時刻は八時ジャスト。目を覚ますと、既に辺りは真っ暗だった。そして、物音一つしない我が家に、自分の家にも関わらず気味の悪さを感じてしまう。

 と、俺がベッドの上でボーッとしていると、俺のポケットの中で携帯が鳴り出し、俺は驚きのあまり飛び上った。

「……なんだ城島かよ」

 携帯を開くと、城島美夏の文字が画面上に表示されている。俺が寝ている間に何度も掛けてきたのだろう、名前の下に三十六という数字がある。

 俺は出たくないと訴える己の本能をどうにか抑え込み、携帯の通話ボタンを押した。携帯を耳に当て、電話に出た時の上等句を口にする。

「もしもし?」

『もしもしじゃないわよ! 今何時だと思ってんの!』

「えっと……だいたい七時くらいじゃないかと……」

『もう八時よ! どんだけ大雑把な時計の見方したらそういうふうになるの!』

「いや……えっとよ……」

 言い淀む俺の耳元で、城島は更に叫び声を上げる。

『早く来なさい! 急いで来なさい! いいわね!』

「わっかりましたぁ!」

 俺は見えるはずもないが電話の向こうの城島に敬礼し、通話を切ると急いで家を出た。自転車に飛び乗り、全力でペダルを漕ぐ。


          4


 我ながらこれまで出したことのないような猛スピードで自転車をかっとばし、学校の校門の前に停車させる。校門を塞ぐ鉄扉を飛び越え、城島の姿を探す。

「こっちよ」

 数分歩きまわって、城島を発見した。彼女に駆け寄り、謝罪の言葉を口にする。

「いやー悪かった。うっかり眠っちまってよ」

「ふん、そんなことだろうと思ったわよ」

 城島はいらだったように言い、俺を睨みつけてくる。

 そうやって城島と問答を繰り返していると、俺はふとあることに気付いた。

「あっ、ミネラルウォーター忘れた」

「何のために買ったのよ……まぁいいわ。なくても困ることないだろうし」

 城島が呆れたように嘆息する。俺は立つ瀬がなく、がっくりと肩を落とした。

 城島は俺に背を向け、

「落ち込んでいる暇はないわよ。さ、行きましょう」

 言うと、城島はあらかじめ昼間に鍵を開けておいた窓から校舎内へと侵入する。俺も彼女の後に続き、不法侵入を果たす。

 なんかいやだなぁ……。

 俺は懐中電灯を点け、足下を照らし出す。俺の前で城島が奥の方に光を照射していた。

「なんつーか、夜の学校ってのは案外不気味なんだな」

「そりゃそうでしょ。学校の怪談なんてのもあるくらいだしね。そのくらいじゃなかったら、うちのクラスの連中もわざわざ肝試しになんか使ったりしないわよ」

「……それは、まぁそうか」

 俺は納得し、首を縦に振った。そんな俺を城島は振り返ることなく、先に進んで行く。俺は置いてけぼりを喰らいそうになって、彼女の後を小走りで付いて行った。

「んで、どうするんだ?」

 人気のない職員室の前を通り、階段を使って二階へと上がる途中、俺は城島にそんなことを尋ねてみた。

 城島はチラッと俺を振り返り、また前を向く。

「どうするって、そりゃ問題の生物室に行くに決まってんじゃない。忘れたの?」

「忘れてねぇよ。ただ、生物室以外の場所も見てまわんのかなって。夜の校舎に潜入なんて、そうそう体験できることじゃねぇからな」

「……あんた、私の事勘違いしてんじゃない?」

 目の前で、城島が呆れたように嘆息する。溜息を吐く際に後頭部が若干揺れた。

「私は別に無類のミステリマニアってわけじゃないのよ。ただ人助けが趣味なだけのごくごく普通の女子高生。天才的頭脳だって持っていないし、超常的な能力も持ち合わせてなんかいない。そんな私が、もし依頼されたこと以外の場所に顔を出して、そんで何かしらの事件に巻き込まれたりしたらどうすんの? 私は奇っ怪な事件を解決できるっていうほど、自分自身を過大評価しているつもりはないのよ」

「そうか、そいつは失礼したな」

「まったくよ。無駄口叩いてる暇があるなら足を動かしなさい、足を」

 それに、と城島は俺にやっと聞こえるくらいの小さな声でこんな事を付け足す。

「私に何の才能もないっていうのは、もう既に分かり切っている事だもの」

 城島が最後に言った事は、俺の中で困惑の種となった。

 ここは訊き返すべきなのか、それとも何も言わずに黙っていて、何も聞かなかった振りをするべきなのか。悩みどころである。

 結局、俺は校舎を選んだ。城島の最後の言葉に対し、何も聞かなかった事にし、話題変換を試みる。

「ところでよ、この間の期末テストの結果どうだったよ?」

「期末テスト? なんでそんな古い話を持ち出してくるのよ」

 若干怒ったように言う城島に、俺はまたも困惑した。

 そこまで古くないだろう……だろう?

 俺は内心で苦笑いを浮かべて、城島の背中に懐中電灯の光を当てる。前方は城島が照らしているので、俺が照らすべき場所がなくて少々手持ちぶさたなのだ。

「まぁいいじゃねぇか。それで、どうだった?」

「そうね……まぁまぁっていったところかしら。そっちは?」

「俺は、いつも通りだな」

「いつも通り、四十番後半代だったわけね。ほんとみごとなまでの中の下っぷりね」

「うっせーよ」

 そうやって俺たちが談笑していると、廊下の奥から足音が聞こえて来た。次いで、曲がり角の向こうから、懐中電灯の光が見える。

 やべ、宿直の教師だろうか。都会でも一部の学校はセキュリティ面がしっかりしているため、宿直の教師の存在はほとんど都市伝説化しつつあるが、俺たちの住んでいる場所みたいにまだセキュリティ面で不安のある学校は当番を決めて、交代で教師が一人、学校に止まり込むと聞いたことがある。

 あれが、そうか。

 俺はあたふたしながら、城島の手を引いて近場の教室に入る。そこが普段俺たちが使っているような教室ならば鍵がかかっているところだったが、幸いというかなんというか、そこには鍵の部類はかかっていなかった。

「よっしゃ!」

 俺と城島は教室の扉を閉め、懐中電灯を消して外の様子に耳を澄ませる。

 カッカッカ、というリズミカルな音の後に、聞き覚えのある女教師の下手くそな鼻歌が聞こえて来た。俺はごくりと喉を鳴らし、見つからないだろうかと心臓をばくばくさせる。

「……やべ、もしかしてここに入ってくるつもりか!」

 近付いてくる足音を聞き小声で叫び、あたふたと辺りに視線を巡らせる。小窓から差し込む月明かりのお陰で、辛うじてではあるが教室内の様子を見ることが出来た。

 居室内は雑多な物が乱雑に積まれていた。どれも過去の地方新聞記事や、昔の先輩方が作ったのであろう自作の学校新聞が積まれていた。要するに、ここは物置なのだろう。それも、あまり高価な物を取り扱わない感じの。だから、不用心にもこの教室には鍵が掛かっていなかったのだ。

 何と不用心な、と教師陣の職務怠慢っぷりに腹を立てる時間すらなく、一秒を刻む事に足音は大きくなって行った。

 どうしようと頭を働かせるが、俺の足りない脳細胞では、どう頑張っても諦める以外の結論が導き出せない。これはあれだ、素直に謝るのが一番だ。

 俺が勝手に結論を出し、勝手に出て行こうとすると、俺の手を誰かが握ってくる感触があった。振り返ると、城島だった。そりゃそうだ。

 城島は真剣な表情で教室内を見回すと、俺の手を引いて一番奥の古びたロッカーへ向かう。他に選択肢はなく、そこが唯一、この教室内で隠れることができる場所だった。

 だが、こんなところ開けられてしまえばそれまでだ。俺たちは夜中に学校に不法侵入した罪でお叱りの上停学処分を喰らうだろう。それだけならばまだいい。もっと悪ければ、不順異性交遊というありもなしな罪状まで追加されて、退学というおよそ事実にもとずいているとは思えない処罰を受ける事になる。

「大丈夫だから」

 そんな俺の不安を感じ取ったわけでもないだろうが、城島が俺を安心させるためにそんな事を言う。何が大丈夫だというのだ。

 俺は城島とともにロッカーに入り、内側から扉を閉める。中がえらく狭いため、城島とは密着した形になってしまう。

 意識しないよう努めているが、どうも上手くいかない。城島の小さく華奢な体にはおよそ不釣り合いな胸部の二つのふくらみが俺の腹部辺りに刺激を加え、その上少女特有の甘い匂いが俺の尾行をくすぐり、俺の理性のHPを削り取って行く。

「ぐぅ……」

 なるべく意識してはいけないと自身に言い聞かせれば言い聞かせるほど、俺の中の何かが音を立てて瓦解していくような気がする。

 ロッカー内は狭く、どうしても体が密着する形になるため城島のいろいろな部分が俺のあっちこっちに当てっている。特に、胸部に当たっている二つのふくらみが俺の脳内を刺激する。

「動かないでよ」

 城島が小声で注意してくる。だが、そんな事言われずともこの状況では身じろぎ一つできはしない。あと位置的にちょうど俺の耳元に囁いてくる感じになって、ゾクッと背筋に寒気が走った。

 いくら相手が城島だからといって、女子とこんなシュチュエーションになるなんて想像だににしていなかった俺は、物音よりもむしろ俺の心臓の音で見つかるのではないかと心配になった。

 それにしても、城島はやけに落ち着いているな。どんな不足の事態であっても平常心を忘れないのか? すごいな、城島は。

 城島の様子を窺おうと視線を下に向けてみるが、ロッカーの中で密着している状態であるというのと、この暗がりで彼女の様子を窺い知る事は難しい。せいぜい、城島の吐息が聞こえてくるくらいだが、それにしても呼吸が乱れたりといった事はなく、城島は平常運行だった。

「ちょ、ちょっと……!」

 抑えた城島の声が耳元でささやかれる。その事にまたどきりとし、思わず飛び上がりそうになったが、こんなところで飛び上がったりなんかしたら大きな音を立てる事になり、校内徘徊している宿直の教師に見つかってしまう。俺は跳ね上がりになる自分の体をなんとか抑え付け、小声で城島に問い返す。

「な、なんだ?」

「あんた、こ、これどうにかしなさいよ……」

 これ? とあえて分からない振りはしない。そんな事をすれば彼女の機嫌を損ね、後々面倒な事になるであろう事は容易に想像できたからだ。

 城島が言っているのは、十中八九間違いなく俺の下腹部辺りのモノの事だろう。城島の声音がさきほどよりやや動揺している事と、俺自身の感覚によりそれは立証された。

 俺は慌てて弁解を試みる。

「し、しょうがねェだろ、これは」

「あんた今の状況分かってんの? こんなところでこんな……して」

「生理現象なんだよ、我慢してくれ」

「あんた我慢できんの?」

 ぐぬぬ……城島め、痛いところを。

 俺が返答に窮していると、教室の扉が勢いよく放たれた。そして扉の方向から、年若い女性の声が聞こえて来る。

「いじょーなーし!」

 夜の校舎で一人っきりという不安を紛らわせるためだろうか、必要以上に大きな声で言って、再び扉を閉める音がした。その後、カッカッカ、と靴音を響かせて去って行く。靴音が遠ざかり、聞こえなくなったのを確認して、城島がゆっくりとロッカーを開ける。

「早く出してくれ!」

 城島が半分くらい扉を開けると、月明かりが足下を照らし出す。俺はその明りに早く解放されたいという衝動を抑えきれず、勢いよく外に飛び出してしまう。

「な……!」

 城島が声を詰まらせ、俺たちは大きな音を立てて激しく転倒した。今のでさっきの女教師が帰って来ないかと不安になったが、どうやらそういう様子はなさそうだ。

 俺が、安堵の息を吐き、下敷きになっている城島と目を合わせた。彼女は俺を、艶っぽい視線で見詰めていた。

「あ、あたってる……のよ」

「す、すまん!」

 俺は慌てて城島の上から退こうとしたが、それより早く城島の腕が俺の首に回される。

「その……興味、あるの……?」

「へ……?」

 何とも間抜けな声を出してしまった俺に、城島は若干い起こったように目を細くした。

「だ、だから……その……そういうことに、興味あるか……って」

 恥かしさからか、途切れ途切れに漏らすように発せられる城島の言葉に、俺は目を丸くし、心臓はより一層激しく脈打たせながら問うた。

「それはつまり……そういうこと、なのか?」

「……あ、あんたさえいいのなら、私は興味ある、かな? ほんのちょっとだけど」

 この状況はあれだ、つまりそういうフラグがいつの間にか立っていたのだ。城島が一人で構内の探索に出ず、寝ていた俺を呼び出した理由はそうであると考えられる。いや、むしろそれ以外に考えられない。

 興味がないと言えば嘘になる。っていうか、俺たちの年頃で興味がないやつなんか男じゃねぇ。そして人間でもねぇ。

 もしそういうやつがいるとするならば、そいつは地底人だ。

 俺は城島の目を見詰めたまま、彼女に問い掛ける。

「いいのか、城島?」

「うるさいわね。いいから早く……」

「城島……夏美」

「…………ん」

 城島が小さく唇を突き出してくる。俺はゆっくりと顔を近づけ、目を閉じた。

 城島の鼓動が、俺の手の平を通して伝わってくる。きっと、俺のも聞かれているはずだ。だが、今はそれを恥かしいとは思わない。むしろ、城島も俺でどきどきしてくれているのだと考えると嬉しいとさえ思う。

 城島の吐息が俺の肌を撫でて行く。彼女の匂いに、俺の体温は更に上昇した。

 後数センチで俺たちの唇が重なる。

 そして――

「不純異性交遊を認めた覚えはないわよ?」

 唐突に、本当に唐突に、頭上から声がした。バッと俺と城島が同時に声の主を見やる。そこには仁王立ちで我らがクラス委員・浅木久美が俺たちを軽蔑の眼差しで見下していた。

「な……が……」

「あ……ああ……」

 俺たちは空気を求め海面に上がって来た鯉のごとく口をぱくぱくさせ、一心に浅木に視線を送っている。

 語るべき言葉が思い付かない。

 浅木は溜息を点いて、

「来て正解だったわ。あなたたちがこの部屋に入った後、先生が来たから知らせようかどうしようか迷ったんだけど、ロッカーに身を隠したみたいだったから、一先ずは安心かなって思って様子を見に来たんだけど、何してるのよ?」

「何、っていうか……」

 俺が弁明を口にしようとしたまさにその時、腹部にもの凄い衝撃が襲って来た。

 何、が……!

 一瞬理解できず、目を白黒させる。そして、立ち上がった城島が向けるいつもの高圧的な視線に、俺は何が起きたのかを推察出来た。

「何、をするんだ夏美……」

「気安く名前呼ばないでくれないかしら?」

 城島は浅木と同じように蔑んだ目で俺を見下してくる。そんな城島の様子rに、浅木は呆れ顔だ。

「あなたもよ城島さん。何被害者ぶってるの?」

「何を言っているのかしら浅木さん。私は正真正銘の被害者よ。このゲス男に押し倒されたのよ」

「押し……」

 振り返って俺を指差して言った城島の言葉に、浅木がなぜか頬を染めた。

「確かに押し倒しはしたが、あれは単なる事故じゃ……?」

「黙ってなさい。あなたが喋ると私の耳が腐る」

「俺の声にそんなバイオレンスな能力はねぇよ!」

「ふん、どうだか」

 城島はなぜか俺の声に謎の毒素がある事を示唆して、ぷいとそっぽを向く。さっきまであんなにいい雰囲気だったのに、女って恐い。

 俺は溜息混じりに立ち上がり、膝辺りについている埃を払う。浅木に向き直ると、率直に質問した。

「浅木、何でおまえがここにいるんだ?」

「あなたたちだけではやはり心配だと思ったのよ。……主に、その……だんじょのいみで」

 浅木が言った最後の言葉は訊き取る言葉は訊き取る事が出来ず、反射的に訊き返した。浅木は何でもないと怒鳴ると、俺たちに背を向け、ずかずかとどこかへ行く。

「どこ行くんだ?」

 俺の問いが聞えなかったのか、それとも聞こえない振りをしているのか、浅木は振り返らずに、どんどんと行ってしまう。

 代わりに答えたのは、城島だった。

「私たちがなぜ夜の学校に忍び込んだのか思い出しなさい。それとも、その足りないおつむはただたんに帽子を乗っけるためだけのかしら?」

 すげぇ言われようだな。

 俺は城島に言われた通り、自分の記憶を探ってみる。城島といい雰囲気になったものより以前の出来事に、何かヒントがありそうだ。

「あっ、生物室の謎の鳴き声」

「思いだしたかしら? そうよ。私たちはこの前肝試しに来た二年B組の連中が聞いたというかすれたような泣き声の正体を探りに来ているのよ。思い出したかしら、この脳足りん」

 城島がジト目で睨み、罵倒してくる。俺は反論しようと思ったが、これ以上話が面倒は方向に転がって行くのも何なので口をつぐむ。

 それにしても、と話題を別のところに変換する。

「いったい何だってんだろうな。夜中に聞こえる不気味な泣き声なんて」

「さぁね。まっ、おそらくはっていうのはあるんだけど」

「ん? なんだ、それ?」

「少しは自分で考えなさい。ほんと、その頭は何のためにあるのかしらね」

 言って、城島は俺の前に出る。俺は懐中電灯の光で城島の背中を照らし出し、城島は更にその奥を照らす。

 懐中電灯の光が届くぎりぎりの場所で、浅木が待っていた。

 俺たちは少し歩むスピードを速め、浅木の側まで行った。浅木が不満そうに俺たちを、とりわけ俺を睨みつけて来る。

「な、何だよ?」

「何で男がここにいるわけ?」

「何だよ藪から棒に」

「だって、恐ろしいじゃない、男と一緒なんて。いつ襲われる分かったものじゃないわ」

 浅木の言い草に、俺は溜息を吐いた。

 何か帰りたくなってきた。

「別に何もしねぇって。俺にだって選ぶ権利くらいはあるしな」

「な! それはどういう意味!」

 浅木は目を丸くし、抗議じみた声を上げる。そんな彼女に対し、俺は懐中電灯を向け、

「そのままの意味だが? 誰にでもケツ振るようなやつは嫌だが、おまえみたいにお固いやつもどっちかってーと苦手なんだよな」

「何で、すってぇ……」

 ぷるぷると肩を震わせて、浅木が俺を睨み上げる。その目尻には、うっすらと涙が溜まっているように見えた。

「よくも、そん、なこと……だいたい、あなたみたいな人がいるから、私は……」

 切れ切れに話す浅木に、俺は更に追い打ちを掛けるように言葉を重ねる。

「もっと言えばかわいいやつがいいな。ミヨシクトルフとか」

 今をときめく超絶人気アイドルの名前を出してみる。視線を下に下してみると、今度は明らかに涙が流れていると分かるほど浅木の目には透明の滴が溜まっていた。

 やべ、少し言いすぎたか。

 俺はやっちまったと思いつつも、謝るという選択肢を取らなかった。

 頭の中には浮かんでいたのだが、どうしてもこいつ相手に実行する気にはなれない。第一、最初に憎まれ言を言って来たのは浅木の方だ。俺からは謝らない。絶対に。

 俺たちがそんなふうに愉快に遊んでいると、いつの間にか前方を先頭を歩いていた城島が言葉を投げて来る。

「あんたたち、もう少し静かに出来なの? その調子じゃ生物室に辿り着く前に先生に見つかっちゃうじゃない」

「お、おう。すまん」

「…………」

 素直に謝る俺と、頬を膨らませて不満顔で黙り込む浅木。どうやら俺はこいつとは仲良く出来ない宿命らしい。

 俺は歩く速度を調整して、浅木の後ろにつく。さらさらとした彼女の髪に目をやりながら、先ほどの俺と浅木のやり取りを振り返る。

 やはり言い過ぎたと思う。だが、浅木の方にも非ははあるのだ。そのあたり、こいつはどう思っているのだろう?

 俺がボーッと考えていると、俺たちから見て右手側の教室から、小さな物音が聞えた。

「ぎゃぁぁあああああああああああ――!」

 音がしたと同時に浅木は後ろへ飛び、俺の背後に回り込む。がくがくと身を震わせ、物音の下教室の方を涙目になって睨みつけている。

 俺はそんな浅木を珍しく思いながら、音のした教室の方に懐中電灯の光を向けた。

「ここから、だよな」

「そうね。もしかしたら本当に出るのかも」

 俺たちから数十センチ離れた場所で、城島も音がした教室の方へ懐中電灯を向けている。

 城島がぼそりと言った事に、浅木がびくぅ、と反応する。

「……出るって、何がよ?」

「そんなもの決まっているじゃない」

 城島はなぜか一度懐中電灯の光を消すと、自分の顎辺りに光を当てるようにしてもう一度つけ直す。

 それはもう、パッと消えてパッと現れるかのように。

「幽霊よ」

 雰囲気を出すためだろう、城島の喋る速度がいつもより遅く感じられた。そんな事で俺はびくともしないが、俺の背中に張り付いている浅木は天井に突き刺さるのではないかと思うほどに飛び跳ねた。

 ずざざざざ、と勢いよく後ずさる。

「や、ややや止めて予想言うこと言うの! 冗談でも悪趣味過ぎるわよ!」

 俺もそう思うが、とりあえずそう大声で叫ばないでくれ。さっきの女教師が来るかもしれん。それと俺の服をそうギュッと握るな。皺になるだろう。

 俺は背後の浅木をチラ見して、ふむと唸った。

 しかし以外だな。浅木にこんな弱点があったとは。てっきりこういったものには物怖じしないタイプかと思っていたのに。

 こういう以外な側面を見せられると、どんなに、それこそ下手な怪物より恐ろしいと思っていた女でさえかわいく見えて来るのだから驚きだ。錯覚だと頭では分かっていても、頭以外の部分でそういうふうに思ってしまう。

 城島の事といい、俺はいったいどうしてしまったというのだろう?

 俺が訳もなくそんな事を考えていると、横合いから城島の鋭い声が飛んで来た。

「入ってみなさい」

「はぁ? 俺が?」

 城島に懐中電灯を向け、俺は自分の顔を指差した。当然とばかりに城島は頷き、顎で教室の入り口を示す。

「……はぁ」

 仕方ないなぁ。

 俺は溜息を吐き、まったくと言っていいほど気は乗らないが、不承不承城島に頷き返して教室の扉の前に立った。中では、まだガタガタと音がしている。

 これ開けたらいきなり攻撃されるとかいやだぜ。別に対戦闘用スキルを持っているわけじゃないだからさ。

 俺はなるべく音を立てないようゆっくりと扉を横にスライドさせて行く。その際、小さな音が断続的に鳴っていたが、音の主はその事に気付いていないようだった。

 まず少しだけ隙間を開け、覗き込む形で中の様子を窺う。教室内は当然だが暗く、窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源となっていた。そして、差し込む月明かりの中、ごそごそと何かをやっている誰かがいる事が分かる。教壇から左手三列目、後方四列目に位置する机を漁る人間の姿が。

「マジかよ……」

 俺は小声で、今の心境を表す二文字を口にする。人影はやや興奮気味なのか、少々鼻息を荒くしながらまだガサゴソやっている。

 見てはいけないモノをを見てしまった俺の背をちょいちょいとやるやつがいる事に気付いた。振り返ると、まぁ城島だった。

「どう? 何かいる?」

「何かっていうか……」

 さてどうしようか、と考える。ありのままを城島や浅木に話そうか。

 いや、駄目だ。そんなことをすれば、城島はもちろん責任感が人一倍強い浅木まであの変態をどうにかしようと言い出しかねない。そうなれば、予想を立てるまでもなく前線に立って戦わなければならないのは俺だ。

 さきほども言ったが、俺には戦闘スキルなど毛ほども備わっちゃいない。なので、あいつと殴り合い大立ち回りを演じる事になれば、高確率で殺られるだろう。そうなっては元も子もない。命あっての物種である。

 そいった理由で、俺はあの変態の事をこの二人には伝えたくないと思っている。第一、俺たちの目的は三階生物室で聞かれた不気味な泣き声の方だ。こんなのまで業務内容に入ってないのだから無視して構わないはずだ。あんなもん、学生の手には負えねぇ。

 というわけで、俺は二人に嘘を吐くことにした。こんな嘘だ。

「ちょっと窓が空いていただけだ。そんで外は結構な強風で、その風が入ってきているだけみたいだ」

「そ、そうなの……?」

 浅木は不思議そうに眉を寄せつつも、いちおうは納得してくれたらしくそれ以上の追及はない。

 問題は城島の方だ。

 彼女に目を向けると、疑わしいと言った目付きでジーッと俺の事を見ている。どう好意的にとらえても、ロマンスが始まる気配はない。

 俺はなるべく笑顔を保ち、懐中電灯を城島に向ける。

「ど、どうしたんだ?」

「どうしてそんな押し殺したような声で喋るの? 窓が開いていただけなんでしょ? だったらそんなふうに喋る必要はないと思うんだけど?」

「や、まぁそうなんだけどな」

「何を見たの? 正直に言いなさい」

 急に、城島の目線と声音に迫力が籠る。ドスの利いた声で城島は畳み掛ける掛けるように言う。

「あんたの見たものを私が見て、それでもまだ窓が開いているだけだと言うのならまだいいわ。でも、もしそこの教室に誰かいて、そして誰かの机を漁っているのだとしたら放ってわけにはいかないの。分かった?」

 鋭い。

 もの凄い剣幕で迫ってくる城島に、俺は成す術なく後ずさりするしかなかった。が、それでもなお喋ろうとしない俺に不審感を募らせたらしい城島は、焦れたようにチッと舌打ちして、教室の扉を睨み付ける。

「自分で見た方が早いか」

 城島は俺を吐き飛ばすと、教室の扉の前に立った。ごくり唾液を飲み下す音が聞こえて、扉に手を掛けて横に勢いよくスライドさせる。

「な……」

 城島が息を飲む気配があった。ほぼ同時に、人影もこちらを振り向く。浅木んの位置からでは中の様子を窺い知る事は出来ないのか「どうなっているのよ?」と俺のシャツの裾を引っ張ってくる。俺は言ったもんかどうしようかと考えた末、こうなってはもう動しようもないと判断し、浅木にも伝える事にした。

「教室の中で人影が誰かの机を漁ってんだ」

「な、何、どういう事!」

 浅木が声を上げ、俺は吐き飛ばして教室内の事に目をやる。俺は尻餅をついてその場に倒れ込み、その際に携帯が床に落ちる。

「何してんのよ、あんた!」

 城島が叫ぶと、人影はびく、と肩を揺らしてあからさまに慌てたように首を横に振る。そして、振り返ると一目散に窓の方へと駆けて行った。

「待てこの!」

 城島と浅木が人影を追うように駆け出した。その後ろで、俺はようやっと立ち上がり、二人を止めようと声を掛けた。

「待て!」

「あんたは黙ってなさい!」

 城島に一喝され、黙るしかない俺。

 人影は二人の女子に囲まれ、教室の隅に追い込まれていた。窓を破れば逃げられない事もないが、そんな事をすれば大きな音がして、宿直の教師に見つかり後々面倒な事になると分かっているのだろう。どうにか打開策がないかと頭を巡らせているようだ。

 俺は教室の中で怯えている人影を注視した。

 窓際に追いやられ、月明かりの下に晒された事で、その風貌を見て取る事ができるようになる。

 そいつは小太りの男だった。身長は俺より頭一つ分小さく、ぎょろりと見開かれた目は怯えたように忙しなく、城島たちを交互に見ていた。

 城島は腰に手を当て、勝ち誇ったように、

「まさかあんなしょぼい依頼がこんな展開になるとは思わなかったわ」

「ちょっと、しょぼいってどういう意味よ! 幽霊だってほんとにいるかもしれなし、もしいなかったのだとしても生徒たちが怯えているのは事実よ!」

「そんなもん、夜に学校何かに忍び込まなきゃいいでしょう?」

「んぐ……それはそうだけど……」

 すかさず浅木が抗議するが、それを城島が一蹴。浅木は言葉を詰まらせ、それ以上何も言わなかった。

「それで、どうするこいつ?」

 城島が自分の目の前で座り込んでいる小太りの男を顎で示して浅木に問う。浅木は少し考えるように顎に手を当て、

「そうね。あとで先生にでも引き渡しましょう」

 言って、男の前に視線を向ける。どんな表情をしているのかは俺の位置からでは分からないが、男の今にも泣き出しそうな顔を見るに、きっと鬼のような形相をしていたに違いない。

 俺は小太りの男を少しばかり可哀想に思ったが、もとをたどれば自業自得なので同情する必要もないか、と思い直す。

 その後、城島と浅木は男をボコボコにして、なぜか城島が持っていたロープで男を縛りあげる。

 ロープで縛られて悶える男を見下して、なにかに気付いたのか城島はポンと手を打ち、

「私たちじゃこの男を先生に引き渡せないわ」

「ん? 何でよ?」

「だって私たち、夜の学校に忍び込んでいるのよ? そんな連中が夜中に変態を一匹捕まえました、なんて言って先生の前に出て行ってみなさい。どうなると思う?」

「……どうなるってのよ?」

「怒られて、説教されて、注意されて、場合によっては停学処分もあり得るわね」

「有り得ないでしょ、そんなの」

「なぜそう言い切れるの? 現に私たちはここにいるのよ」

「だって私たち、この変態を捕まえた功労者よ? いわば英雄よ? それが何かしらの処罰を受けるなんて……」

「案外甘いのね」

「どういう意味よ?」

「私たちが変態を一匹、いえこの際何匹だって構わないわ。いい、私たちが変態を数十匹捕まえたところで、学校側は『それはそれとして』という態度を取ってくるに決まっている。大人ってそういうものよ?」

「……大人って……」

 と、二人が大人についての不信感を募らせているところへ、俺は近づいて行く。その際、足下が見えずに机の角に思いっ切り向う脛をぶつけて涙目になった。

「何やってるのよ、あんた?」

 城島が数分前に俺に向けていたのと同じような蔑んだ目で見下げて来る。俺は涙目になり、ぶつけた足を擦りながら二人に確認を取る。

「で、こいつはどうすんだ?」

「そんなもの決まっているじゃない」

「やる事は一つだけだわ」

 城島と浅木が目元に影を作る。なんというか、すげー悪い顔だ。そして何だかんだで仲いいんじゃねぇか、こいつら。

 俺が城島たちの「そんなの決まっている」発言に首を傾げていると、二人がほぼ同時に声を重ねて口を開く。



「「全裸でここに放置よ!」」



 女子高生の発言とは思えないような答えに、俺はやはり変態に同情した。


          5


 変態と別れた俺たち一行は、その後拍子抜けするぐらい何事もなく生物室の前に立っていた。浅木が扉に手を掛け、ガタガタとやってみるがいくらやっても小さく揺れるだけで開く気配は微塵もない。

「開かないわね」

「そうね。開かないわね」

「そりゃ開かないだろ」

 俺たちは口々に言い、うーんと唸る。

 開かなければ調べようがないし、霊的な何かがいるのかどうかも確かめられない。

「どうする? 諦めて帰るか?」

 携帯を取り出しながら提案すると、二人はとんでもないとばかりに首を横に振る。

「ここまで来て何をネガティブ発言してんのよあんたは」

「そうよそうよ。折角来たんだから、謎の鳴き声が何なのか突き止めましょう」

「そうは言うけどなぁ……もう結構な時間だぞ」

 と、現在時刻が分かるように二人に携帯の画面を向ける。俺が見た時には、十時を回っていた。普段なら五分も掛からずに上がって来れるのだが、夜の学校ということで慎重になって、いつもより歩くスピードが遅くなったのかもしれない。

 まぁ、途中で予期せぬハプニングもあったしな。

 俺は携帯を仕舞うと、浅木がやったように生物室の扉が開くかどうか試みた。そして、「何度やっても無駄だよばーか」とでも言いたげに、生物室の扉は開かない。

 聞えたような気もする幻聴を無視して、俺は二人に向き直り、

「開かないんじゃ同しようもないだろ? 幽霊ってやつがいるにしてもいないにしても、手を出さない方がいいって事じゃねぇか?」

「そんな事はないわ。この扉が開かないと言うのであれば、別のところを開ければいいのよ」

「別のところ? どこだよそりゃ?」

「そこよ」

 俺が問うと、城島が扉の横にずらっと五枚くらい並んでいる硝子張りを指差した。どうする気だと訊いたところ、下の階から何か固そうなものを持ってきて、思いっ切り投げつければいいとのことだった。

「そんな事した日にゃただのイタズラじゃ済まなくなるぞ!」

「大丈夫よ。やるのはあんただけだから。私はその辺りに潜んで窓ガラスをかち割っているあんたの雄姿を傍観しているわ」

「俺だけを犯罪者に仕立て上げようとしているぜちくしょう!」

 っていうか傍観て……そこはせめて観戦しているとかに……いや、いい。

 俺はどうしようかと視線を巡らせて、生物室の隣に位置する生物準備室の扉が微妙に開いているのを見た。

「あそこ」

 俺が指差すと、二人も俺の指先を視線で追って、生物準備室の方を見やる。

 生物担当の教師はいつも生物準備室から出て来る。それは、生物準備室と生物室が繋がっているという事だ。

 つまり、あそこから入れば、わざわざ窓を割らなくとも生物室に侵入する事が出来る。

「どうする?」

 城島が浅木を振り返り、生物準備室から入るか否かを問う。ここまで来ていいも悪いもないだろうと思ったが、まぁ仕方ないかと生物準備室の中を想像する。

 何度か入った事があるが、生物準備室にはたくさんの動物や虫の標本が並べられている。蛇にも似た動物の薬漬け何かも見かけたが、それにしたって気持ち悪かった。昼間見てもそうなのだから、夜など比べ物にならないくらいに不気味だろう。

 引き返すのなら、それでもいいか。俺だって、あまり乗り気ではないし。

 そう思い、帰ろうかと提案しようとした俺の言葉を遮るように、浅木が口を開いた。

「行くわ。ここまで来たらもう後には引けないもの」

「……そうね。生物準備室の標本が何だって言うの。そんなもので、私たちの探究心は削られはしないわよ」

 城島と浅木。二人が決意の表情で生物準備室と向かい合う。

 あれ? そんなノリ? 俺たち夜の校舎を探検してたわけ? そういうの、ちがくね?

 混乱する俺を置いて、城島を先頭に浅木が続く。俺は慌てて彼女の後を追い、生物準備室に足を踏み入れた。

「やっぱり、夜になると不気味さが増すわね」

 城島が感嘆ともとれる声音で感想を述べる。浅木が何も言わずいるのを不思議に思ったのか、城島が彼女に懐中電灯の光を当てる。ついでに俺も。

 二つの懐中電灯から放たれた光はがくがくと震える浅木の姿を鮮明に映し出し、同時に俺の中で一つのイタズラ心がかま首をもたげ始める。

「もしかして、こういうの苦手か? そういやさっきの教室での時もずいぶんと震えていたしなぁ」

「ちがっ、あれは」

 弁明しようとする浅木に被せるようにして、城島もにやにや顔で言う。

「そう言えば、何かを振り払うようにしてあの変態に向かって行ったわね。あの勇敢な行動の裏にはそんな胸打つエピソードがあったの!」

 城島は大げさに身振り手振りを交えて浅木を評する。浅木はみるみるうちに顔中真っ赤にして、その場にしゃがみんでしまった。

「そうよそうよ! 私は暗いのとか怖いのとかお化けとか幽霊とかゾンビとか、そういうの苦手よ。死ぬほど嫌いだし、きっとそういうのと出会ったら死んじゃうかもってくらい嫌いよ! 悪かったわね!」

「別に悪いとは言ってねぇよぉ」

「そうよぉ。人間苦手なモノの一つや二つあった方が親近感が湧くしねぇ」

「おい城島、そういう言い方止めろよぉ。何かすごい厭味だぞぉ」

「あんたこそその気持ち悪い笑い顔をどうにかしなさいよぉ。すっごい気持ち悪いわよぉ」

 お互いににやにやが止まらない俺と城島は、ひとしきり浅木をいじめた後、彼女に平謝りに平謝りを繰り返し、ようやっとのことで浅木は立ち上がってくれた。

 すたすたと、無言で先を行く浅木。その後ろで、俺は城島に耳打ちする。

「なぁ、やっぱやり過ぎか?」

「そのようね。でも以外だったわ。まさか彼女にこんな弱点があったなんて。後耳元で喋るの止めてくれる? 吐息が当たって気持ち悪いわ」

「すまねぇ。でもそうだよな。浅木って普段そういう雰囲気全然ねぇし」

 そうやって俺と城島がひそひそ話をしていると、浅木が振り返り、

「いつまで人の悪口を言っているのよ! 生物室はもうすぐそこ何だから。しっかりしてよね!」

「うるさいわよ、この弱虫」

「な……」

「この泣き虫」

「ぶ……」

「このクズ虫が」

「ぐぅ……」

 城島の三連撃によって、浅木は床に倒れ伏した。俺が懐中電灯で浅木を垂らすと、浅木はないやらぶつぶつ言っている。

「浅木ー、大丈夫かー?」

 呼び掛けるも、返答はない。これでは先に進めないではないか。

 俺は助けを求めるように城島を振り返った。城島はある方向を顎でしゃくって示す。俺はそちらに光を照射し、そこに扉があるのを発見した。

 生物室へと続く扉だ。先に行こうという事なのだろう。

「いいのか?」

「何で私たちがこの女を連れて行かないといけないのかしら? 私たちに与えられた依頼謎の声の正体を究明する事よ」

 それは、まぁそうだが。そうはいっても、ここまでを一緒にやって来た仲じゃないか。それはおいて行くなんて、証書酷い事のように思う。

 しばらく考えた後、俺は浅木に近寄り、彼女の側で膝を折った。

「おい浅木、立てるか?」

 問うと、浅木は弱々しく頷いた。俺は浅木を立たせると、生物室の扉の前まで一緒に行く。

 扉の前では、城島が呆れたような表情で腕を組んで立っていた。

「何で連れて来るのよ?」

 不満げな城島に、俺は苦笑しつつも答える。

「折角ここまで一緒にやって来たんだ。最後まで見届けさせてやろうぜ?」

「……ふん、甘ちゃんね」

 面白くなさそうに呟くと、城島は生物室の扉を開けて中に入って行った。俺たちもそれに続く。

「ふーん……」

 中に入ると、先に入った城島が感心したふうもなく息を吐いた。左右に揺れる懐中電灯の光を眼で追って行く。

 確かに、取り上げて不自然なところはない。授業で使っている通り、そのままだ。二人掛けの机が縦に四つ並び、それが三列ある。そして、黒板には夏休み最後の日の授業内容がまだそのままにされていた。生物教師のずぼらさは有名だが、まさかこれほどとは。

「それで、謎の声ってのはどこから聞こえるんだ?」

 俺は生物室の中を見回しながら浅木に問うた。まったくと言っていいほど件の謎の鳴き声とやらは聞こえて来ない。

 浅木が涙混じりの震えた声で答える。

「……肝試しの時は、そこから聞こえたって」

 と、右側の一番後ろの席を指差した。そこには、夜中に見るにはちょっと不気味な人体模型があった。三人の中では、俺が一番近い。

 二人に促され、俺は浅木が指差した辺りまで行く。生物室の後ろで足を止め、きょろきょろと辺りを見回した。

「……何も聞こえねぇ――」

 ぞ、と言おうとした時、俺の背後から?なぁごなぁご?というかすれた不気味な声が聞こえて行きた。それを音と判別していいのか、声と判断していいのか迷うが、とりあえずは何かの鳴き声に聞こえない事もないので、声なんだろうなと思う事にした。

 俺は懐中電灯とともに振り返り、声の聞えて来た方を見る。すると、そこには半分が内蔵で出来ている人体模型が不思議そうに俺を見ていた。

「な、何だ?」

「どうしたのよ?」

 生物室の入口辺りで、城島が訊いてくる。俺はそれに答えようとして、またあの声を聞いた。

「やっぱりいるぜ、ここ」

「だからどうしたのよ? 何がいるって言うの?」

 城島が眉根を寄せ、歩み寄ってくる。そして、城島が俺の側にたったのほぼ同じタイミングで、またあの鳴き声が聞こえる。

「何、これ?」

 城島も不気味に思ったのか、人体模型の方を睨み付けた。な? と城島に言い、

「やっぱりいるんだ。ここには何かいる」

 若干声が震えているのが自分でも分かる。情けにとは思うが、仕方がないじゃないか。怖い者は怖いのだから。

 城島の方に目をやると、彼女は至極落ち付いた様子で、何かを考え込んでいるようだった。

 ややあって、不意に城島が人体模型に近寄り、ひょいと持ち上げる。

「なるほどね」

 城島の納得したような声が俺の鼓膜を震わせる。懐中電灯を向けると、満足そうに笑っている城島がいた。

「どうしたんだよ?」

 俺が近寄ると、城島は顎でそれまで人体模型があった場所辺りを示す。懐中電灯の光を当てて、そこにあるものを見た。

 そこにいたのは、子猫だった。生後数週間程度は経過していると思われるやせ気味の猫で、目は開いていたがあまり元気がないようだ。一生懸命に鳴くその声は、耳を覆いたくなるほど痛々しく、かすれ声だった。

 ?謎の鳴き声?の正体はこいつだったのか。

「ずいぶんと痩せこけているな」

「おそらく、つい最近親猫が死んだか何かして、ここに顔を出せなくなったのよ」

「なるほど、それで必死に鳴いていたわけか」

 これで合点がいった。

 この子猫を連れた親はどこからかここに忍び込み、ここで子供を産み、育てていたわけだ。だが、いつかは分からないがつい最近、母親は死んでしまった。母親が死んだ事で乳を貰えなくなったこの子猫は段々と衰弱していき、それでも生きようと必死に鳴いていたわけだ。

 これが、肝試の際に聞こえていた?謎の鳴き声?の正体だ。

 蓋を開けて見れば、何とも言えず後味の悪い話だな。

 俺は浅木を呼び、ことの全てを語った。そして、俺の話を聞いた後、城島は子猫と視線を交わす。

「この子が……」

 なぁご、と例のかすれたような声で子猫が泣いた。どうにかしてやれないものかと思うが、俺の家は俺以外の全員が猫アレルギーなので飼えない。城島の家はどうか分からないが、こいつがそんな殊勝な事をするとは思えない。

 となれば、最終的には浅木に希望を託すしかない。こいつの面倒を見てくれないだろうか?

 だが、強制は出来ない。そんな事をすれば我が『探偵部』の看板に傷がつく。

 そして、たとえ『探偵部』なんてものが無くても、城島がそれを許さないだろう。どんなに嫌いな相手であっても、そういうところでこいつは頑固だから。

 だから、というわけではないが、代わりに俺は子猫を摘まみ上げた。途端に泣き声が止む。

「何をするの!」

 浅木が怒ったように叫ぶが、城島がいさめるように浅木に言う。

「猫ってね、首の後ろ辺りを持つと大人しくなるのよ」

 知らなかったの? とでも言うように浅木を見つめる彼女を一瞥して、それでも浅木は俺に向かって声を張り上げる。

「その子を、どうする気?」

「そうだな……保健所にでも連絡して、引き取ってもらうおう。多分、殺処分になるだろうけどな」

「――――」

 浅木が息を詰まらせるのが分かった。彼女は俺を睨み付けるようにして見ると、

「どうしてよ……」

 震える声でそう言った。暗いのが怖いと言っていた時のような震えではなく、単純に怒りによるものだと直感した。

 そうでなければいけない。

「仕方ねェだろ。親もいない、こんな痩せこけた子猫をこれ以上放置しとくわけにはいかないんだからさ」

「で、でも……あなたたちは『探偵部』でしょう? 困っている人を助ける事を活動理念としているのでしょう?」

「……そうよ。でも、それは依頼主の?あらゆるわがままを叶える事?じゃないの」

 ともすれば冷たいとさえ称されそうなほど平坦な声で、城島が言う。俺は子猫浅木の前に出し、

「どうするんだ? 俺も城島も、猫なんて飼えるような家じゃねぇんだ。ここで決断してくんねぇと、困っちまう」

 少し意地悪かな、と思う。

 困っちまう。俺の放った一言は、浅木みたいな真面目なやつにはかなり効くだろう。特に浅木は責任感も強い。多分今彼女の心中はこれ以上ないくらいに荒れているはずだ。

 真面目って、損だな。

 そんなふうに、俺が浅木を見下していると、浅木は意を決したように顔を上げ、両手のひらを俺に差し出してくる。

 その意図するところは、俺じゃなくても分かっただろう。

「ほらよ」

 子猫を浅木の手のひらに乗せる。浅木は優しく子猫を抱き、

「軽いね」

「ああ。すげぇ軽いよ」

 浅木は目を細め、何かを少し考えた後、

「この子は、私が面倒を見るわ」

「……そうか」

 そう言った浅木の表情は、それはもう何とも言えないくらいいい感じだった。それを見て、俺の口もとも思わず歪む。

「終わった?」

 俺たちの様子を見ていたであろう城島が、腕を組んだ状態で言ってくる。彼女を振り返った俺たちは、ああ、と頷いた。

 これにて、今回の依頼は一件落着だな。


          5


 それ胃から一週間後の八月四日。その日は陽炎ができるほどの日差しが俺たちの肉体をじりじりと焼き焦がしていた。

 旧校舎の二階最奥に位置する我が『探偵部』には俺以外にもう一人部員がいた。

 『探偵部』部著、城島夏美である。

 城島はパイプ椅子に両足を乗せ、膝の上に顎を乗せる形で持参した少女漫画を読み耽っていた。漢字ばかりのタイトルは、俺にはちょっと難易度が高い。

 と、俺の視線に築いたのか、城島が漫画を読むのを中断して、顔を上げた。

「何か言いたい事でもあるのかしら?」

「いや、なんも」

「そう」

 言って、また読書に戻ってしまう。まったく拍子抜けするくらいに通常営業だった。

 それからおよそ十分間。俺たちの間に会話はなく、しかしそれが居心地が悪いとは言えない。むしろ居心地がいい、と言うべきなのだろう。なにせ、相も変わらずいつも通りなのだから。

 そして、そういった?心地いい沈黙?を破るように、俺は口を開いた。

「なぁ城島。どうして俺たちは夏休みも終盤に差し掛かろうという今日この日に、そろいもそろって部室にいるんだ?」

「そんな事も分からないの? 相変わらずの脳足りんね」

「悪かったな。で、何でなんだよ?」

 そんなの決まっているわ、と前置きして、城島は言った。

「依頼があったからよ」

「…………」

 そんなこったろうと思ったさ。

 俺はパイプ椅子に更に腰を落とし、ふうと息を吐いた。

何か前にもこんなやりとりをした気がする。

「依頼ってどんな?」

「分からないわ」

「おいおい、マジかよ……」

「仕方がないじゃない。私が仕事用に使っているウェブサイトの携帯番号に掛かって来て、電話じゃ言いにくい事だと言うのだもの」

「それって大丈夫なのか? ネットって……」

 言い掛けて止めた。それ以上はデジャヴ感がハンパなかったし。言うとなんだか面倒な事が怒る気がする。

 ま、こいつが招集を掛けるって事は、どう転んでも面倒事にしかならないだろうがな。

 と、そんなふうに考えを巡らせていると、部室の扉がノックされる音が聞こえた。俺と城島が同時に顔を上げ、お互いを見やる。

「来たみたいだな」

「そのようね」

 城島は少女漫画を鞄の中に仕舞い、俺は扉のノブに手を掛けた。

 扉を開ける。すると、そこにはいかにも気弱そうな少年が立っていた。

「あの……ここにくれば助けてもらえると聞いて来たんですが」

 おずおずと、少年は言った。

 それに対し、俺は出来るだけ朗らかに返答する。

 その通り。ここが噂の『探偵部』だよ。


























                                       Fin


 書き上げた時には疲れた、という感じしかありませんでしたが、ここに載せるにあたって、自分の小説が人に読まれるんだなぁ、としみじみと思いました。もしかしたら文庫編集者からお声掛けがあるかも? なんてことを妄想したりしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ