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2.WorldsEnd Girlfriend

 あやふやな意識が透きとおるまで眠ってから、わたしはネットでテレキャスター用の機材を光熱費以外のお金をすべて使って買いまくった。

 コピーは慣れっこだけど、作曲ははじめて。ギターを胸元に抱えながら、PCとにらめっこの日々が続く。イメージの断片を思い浮かべ、理想の詩とメロディを探し求める。とにかく美しく、そしてサディスティックな音像を目指す。


 もはや生放送のことさえ忘れて、ひたすらに曲作りと演奏の練習に励んだ。

 毎度お馴染みの諦観や自虐的な感情の類は不思議と押さえ込まれていた。

 曲の断片が散らかるノートパソコン。ああだこうだと書き散らす歌詞のかけら。

 それらがようやく結実するころには、春のひなたがやわらかい三月の終わりを迎えていた。わたしらしいな。そう心から思える曲の出来上がり!


 たいせつな処女作は、ちょうど四月〆切りの『Vesperia』というオーディションに応募した。

 もちろんいきなり通用するなんて思ってない。けれど、自分の気持ちをぶつけたいなら、すぐステージに立てるアマの登竜門的な賞が最短距離。ひとりで再現できるような曲じゃないのに、わたしは躁転中なのかと自分で錯覚してしまうくらい、とかく生き急いでいた。


 もう退学待ったなしだから、否応なく大学は通うハメになる。

 さくら散りゆく外界の風景はわたしにはまぶしすぎて、くらくらとめまいがした。

 ここは、世界は、わたしを無視し続けて回っているけれど、自意識過剰な感覚器官は春の微風が吹くたびに心を刺す。


 わたしは現実に生きているの?

 わたしは臨床心理学部だったっけ?

 知らないひとたち。記憶のない景色。

 得体の知れない恐怖に、びくびくと怯えていた。

 ひとの視線が怖くて怖くて、ふるふる震えていた。

 名前を呼ばれたり、話しかけられると怖気が走った。

 ガイダンスの内容がまったく頭に入ってこない。リアルで生きるための機能は壊れてしまっていた。


 終日に渡り講義を受けて、脱兎のごとくマンションに逃げ帰る。

 こんな社会不適応状態で、わたしは人前に立って歌えるのかな。

 自答自問を繰り返すけれど、過去を振り返って嘆き叫ぶ生き方は終わりにしなくちゃいけないんだ。もしも叶うのなら、わたしを無に帰す。そのために歌うんだから。テレキャスを抱えてかき鳴らすと、いつか告げたい『さよなら』が聞こえた。


 すぐにわたしは、次の曲に取り組む。今度は生放送で歌うための曲だ。

 配信の目的はふたつ。web選考のアピールと、手っ取り早く自分の気持ちを吐き出すため。

 ひとりぼっちのステージから見える光景は『弾いてみた』ときと変わらないかもしれないけど、リスナーの前でわたしの鳴らすロックが、わたし自身の心に響くものなのか知りたくてたまらなかった。


 曲作りは苦しい。自分の触れたくない部分をほじくり返すような側面があって、ちくちくと心が痛くなる。でもそういう赤裸々なココロを晒し、南条楓のひとみが映す世界の欺瞞を暴くことが、ロックだと思うから。

 ぽつぽつと曲は出来上がり、六月のweb選考前に新しく九曲ほど仕上げた。作曲の理論とかわからないし、mixまでぜんぶ自己流だ。わたしは指の表皮がぼろぼろになって、こえがかすれて出なくなるまでひたすら練習を重ね続けた。


 ――南条楓のソロユニット『WorldsEnd Girlfriend』のライブを今夜22時から配信します。

 わたしは緊張しながら、ツイートボタンを押した。

 そもそもツイッターに触れること自体、あのとき以来だから数ヶ月振り。

 すぐさまたくさんのリプやリツイートが流れ、Vesperia出場の紹介ページも、自称情報通とかいうひとたちの手によって即座に拡散していった。

 Vesperiaは応募アーティスト全員がもれなく参加可能な新しいタイプのオーディションで、基本的に審査員など専門家のひとを挟まず、すべてwebユーザーの投票によって審査を行う。エントリー総数は一万組ほどで、カスタマイズ可能な専用のマイページにプロフィールと共に、あらかじめ送った音源がアップロードされる。近年はニヤニヤ動画やUstreamからの参加者も増え、当然のことながら競争も激しい。なにせ優勝者は夏と年末の日本最大級のフェスに招待され、しかもミニアルバムのリリースまで確約されるのだから。


 参加者は地元で精力的な活動をしてるバンドから、わたしみたいなひとりでこそこそ音楽を趣味に持つひとなど様々だ。

 当たり前だけどなんらかのマーケティングをしないと曲は聴いてもらえないわけで、そういう点において生放送で有名なことはアドバンテージのひとつだった。もっとも奇行を含めデメリットだって多いし、純粋に曲と演奏で勝負するしかない。


 わたしはつとめて、今までの生放送と同じように振る舞おうと決めた。

 しっかりとお風呂に入ってメイクを丹念に済ませ、今日とこれからの配信のために奮発したゴスっぽい感じの黒いワンピースを着る。

 ネットワークカメラが映し出すわたしは、なぜかつまらなさそうな表情を貼り付けていなかった。

 かと言って自信満々ってわけじゃなくて、どこか夢うつつな不思議な感じ……。いつものようにグレープフルーツジュースでデパスを飲み込み、白いテレキャスを持ってマイクの前に立つ。エフェクタを踏みながら、最終的な機材チェックを済ませていく。


 これで終わり。

 南条楓最期の抵抗まで、あと数分を切った。

 すでに会場は数万のリスナーで埋め尽くされていた。わたしは言い聞かせる。わたしはわたしのために歌う。もしもわたしの心に鳴り響くロックが弾けなかったら、必ず夢は叶うだろう。わたしの紡ぐ絶望が届かないと感じた瞬間に、世界は終わる。ジサツというしあわせな結論を以って、美しく世界は終わる。


 笑っていた。

 わたしは、笑っていた。

 社会という虚構の檻のなか、淀んだ赤と蒼のひとみが映し出す心象は、きっとなにかを変えてくれる。わたしがわたしじゃなくなってしまうんだよ。それはとても、キモチイイ。静脈の点滴を引き抜き、透明な血が滴る指で開始をクリックした。


「こんばんは。かな、こと南条楓のソロユニット『WorldsEnd Girlfriend』のライブへようこそ! ご存じのとおり、わたし今年のVesperiaに応募しちゃいました。今日、演奏する曲は登録したものと違うんだけど、もちろんかっこいい仕上がりだからぜひチェックしてね! あと今月は三回くらい配信予定で、ぜんぶ違う新曲を演ります。最後まで聴いてくれたら、うれしいな」


 リアルの対人恐怖症がうそのような、いつもの配信と同じ感覚で話せた。

 そして相変わらず外野のチャットは質問や応援や誹謗中傷その他で白く染められていく。当然、わたしは無視を決め込む。どこまでもひとりよがりなコミュニケーション。わたしの演奏を聴きたいひとは零じゃないと思うけれど、なによりもわたし自身が一番に期待してるんだから。


 さっそく画面のなかはわたしの曲について、あれやこれやと話題が飛び交っていた。ネットだからストレートに下手とかクソとか野次の類が並ぶ。それも慣れっこ。ぜんぜん気にしない。不特定多数の総意といううやむやな圧力は、それこそなんとなく空気でわかってしまうものだ。わたしがかっこよく思えたらオーケー。そっとテレキャスを抱え、マイクスタンドの前に立つ。


「それじゃあ、はじめよっかな。ものすごく大きな音出すから注意してね」


 そんな素っ気ない言葉を残し、コードを抑えたままうつむく。高揚や緊張は感じられない。ただ、ありのままのわたしを、奏でる。どんな世界として鳴り響くのか、それはかみさましか知りえないことだ。願わくば、わたしの夢の投影であって欲しいと思う。


 右脳を妄想で満たし、左脳に音符を並べていく。

 ひとみの映し出す世界はぼやけ、だんだんと描線を失っていった。

 冷たいカナビスの幻覚が、五感の機能を麻痺させる。わたしはこえにならないこえで「死ね」とつぶやきながら、おもいっきりギターをかき鳴らした。


 ――ヴァーチャルな世界で微笑む貴女の遺伝子を、書き換えたくてdeleteを繰り返した

 ロイコトームに咲く蒼い花を捧ぐわ。リアルのわたしは刺し殺されるの WorldsEnd Girlfriend...


 不穏なアルペジオに合わせ、最初のフレーズを紡ぐ。

 途中から入り込む低くうなるベースと無機質なドラムの音と裏腹に、わたしはトーンを下げ曲名を告げる。

 そのあとに激しくゆがむギターリフをオーバードライブさせながら、もう一度、大きなこえでタイトルを叫ぶ!


 そのまま演奏は暴力的な、そしてカオティックな音像を綾なす。

 微妙に歪みながらも輪郭がしっかり残ったメタリックなギターを主軸に、ごりごりと地を這うようなベースと変幻自在なドラムが入り乱れる。曲間に訪れる一瞬の静寂に、わたしはさらに色を足していく。


 ――仮想現実のなかで透きとおる意識。貴女は「世界の限界に居るの」と笑った

 並列化されていく零と壱の文字列はEraser Machine. 蒼いひとみが映し出す世界をロストした


 プリの音色でリフを奏でながら、わたしの見てる世界を表すキーワードを並べてゆく。後ろに下がった音に代わりに鼓膜を揺らす、ハイトーンな声色。

 すべてのパートが絶妙に絡み合い、位相のゆがんだ音塊を作り出す。次にわたしが語るべき言葉は、今まで隠してきた『うそ』


 I feel no pain

 I feel no pain

 I feel no pain

 I feel no pain


 ほのかに甘ったるく、艶やかにささやく。

 やがてわたしは、もうひとりの『わたし』にあこがれを抱く。


 ――どんなわたしにMetamorphoseして、貴女をめちゃくちゃに犯そうかな?


 一瞬の静寂のあと、そっとみだらな欲望を告白した。

 硝子の割れるような二連のリフから、一気にサビ部分になだれ込む。


 ――Egoistic Dream 心が痛くて、前頭葉に食い込んだノイズが秘密の世界を穢して

 ――もうひとりのわたしを殺そうとするから。貴様らの作り出したIllegalなリアルで


 張り裂けんばかりの高いこえで、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。サディスティックな演奏のなかで、わたしのボーカルだけが澄んで響く。

 すっかり汚れて黒くなった心に、摂氏零度の麻酔を刺すような快楽が流れ込む。それはわたしがわたしに酔いしれているなによりの証拠だった。

 それぞれの楽器がヒステリックに共鳴し合う。

 ゆがみながらもエッジがくっきりな、ノイズ混じりのギター。

 オーバードライブやディストーションなどのエフェクターを通したブーストぎりぎりなベースライン。キックや金物の鳴りがきめ細やかなドラミング。空間をねじ曲げてしまうような音像のなかから、高速スネアロールを経て同じトーンのサビを繰り返す。


 ――Egoistic Despair 沈んでいく。逆さまの青空を仰ぎ見ながら舞い散る零と壱の粒子は

 ――わたしと世界を繋ぐ未来を無くさないよう、無限再生を繰り返す感傷性ホログラムvision


 息次ぐ間もなく吐き出す言葉で、わたしはわたしの世界を暴く。

 南条楓のひとみが映し出すリアルと心象がめちゃくちゃになった景色の俯瞰。異次元のトリップは錯覚?――演奏してる当人がわからなくなってしまうくらい、リアルのシルエットがぐんにゃりとねじれていた。


 間々に挟む偏執狂なリフを、次々と鳴らしてゆく。

 もっと上手くやれそうな手応えがあって悔しいけれど、今のわたしが可能なかぎりで最高に狂った爆音だ。

 さらに自分が弾くベースとシンクロしてひとつになっていく感覚は、もうひとりの『わたし』とセッションしてるみたい。

 前のめりにエフェクタを踏み込み、おもいっきりハウリングさせて最後のフレーズを歌い出す。


 ――全能のParadoxに支配された思考に未来を重ね合わせ

 ――赤いひとみの水面に揺れる、蒼の貴女に零のphaseを突き刺した


 オーバーダブしたわたしのこえに重なるように間を入れず、そして無感情を装いながら歌い上げ、メインフレーズのリフを再び大音量でかき鳴らす。

 ますますカオティックになっていく演奏に、わたし自身がぞくぞく身震いしていた。この感覚を再現できる存在は自分しかいない。そんな独善的な優越感に浸ったまま、クールな素振りで二番のAメロを奏ではじめる。


 蒼いひとみのわたし。赤いひとみのわたし。ふたりの南条楓が現実と妄想の狭間で交差する『WorldsEnd Girlfriend』の世界を、暴力的な演奏とひんやり冷たいこえで形成してゆく。

 間奏のデタラメなギターソロを、今わたしの持てる技術のすべてを以って鳴らし、最後のサビ後に「赤いなみだを流す貴女は笑っていた」と無表情にささやき、はじめの一曲は幕を下ろした。


 そのまま休むことなく、すぐに次の『Programmed Brain』へ。ダンスミュージックのようなエレクトロなベースに凶暴なリフと手数の多いドラムが重なってゆく変則的な曲だ。

 わたしはためらわずに、次々と曲を披露していく。さらに無秩序な規則性に乏しいギターの音色が弾む『Ixion』から今回のセトリだと一番スタンダードな、クランチの音色を多用したロック『妄想ボーダーガール』と繋ぎ、最後は美しいフィードバックノイズのなかにヴァイオリンの旋律が絡み合う『IMMORAL』まで五曲を演りきった。

 わたしは興奮しすぎたせいか、最後の残響が鳴り止まないなか、しばしうつむきながらその場に立ち尽くしていた。


 どばどばと満足感と多幸感があふれ出す。

 自分の抱えてきた絶望や、オッドアイのひとみが映し出すリアル、そして妄想の心象世界を、詩と音像に変えて再現できた。

 そう、少なくともわたしが共感を覚えるレベルで演奏できた。自惚れやボダ、ナルシスト扱いだってかまわない。絶望を感じることが、わたしの希望だから。自己の絶望に心酔しきったとき、わたしはジサツするだろう。セラピーのようなものだった。

 死に至る病に犯されて逝くまで、苦しむことなく余生を過ごすための処世術。やっぱりロックはいつだって、弱いひとのための音楽だった。


「……ありがとう。よろしければぜひ、Vesperiaの音源も聴いてみてね」


 そう消え入りそうなこえでつぶやき、テレキャスを立てかけた。

 夢うつつ。からっぽの心。もろもろを吐き出して放心状態なんだろうか。

 自分の体なのに、よくわからないや。六畳間の景色が、ぼんやり見える。

 わたしはグレープフルーツジュースを継ぎ足し、またデパスを何錠か放り込む。そのままベッドの上に戻り、PCのチャット欄に飛び交う文字列を眺めた。


 どうせ相変わらずの罵詈雑言だよね。もう慣れてる――そんな日常が、ひっくり返っていた。なんの根拠もない悪口は驚くほど少数で、それどころか賞賛とか真面目な指摘、挙句は応援のようなコメントがリアルタイムで寄せられている。生放送の総来場者数は十万人を超えていた。

 素直に喜べない。というか、どういう反応をしたらよいのかわからない。とりあえず、今日演奏した曲目を、ぼそぼそとつぶやいた。

 すぐにどの曲がよかったとか、どんな機材を使っているのとか、どうしてオリジナルやらなかったのとか、たくさんのレスが返ってくる。わたしはすっかり困り果ててしまう。なんか、その、どうしても慣れないし、恥ずかしかった。


「あの、応援、ほんとにありがとう。こんなわたしだけど、音楽が変えてくれるかもしれないって、すごく実感できました。わたしの見てる『世界』を、ほんの少しでも感じてもらえたらうれしいな。もしよかったら、演奏したり、歌ってみたりしてね。また来週、会いましょう」


 なんか妙にしおらしい挨拶で、ぱっと生放送を締めくくった。

 ひとはわかり合えない生き物だと思っているせいか、急に共感を伝えられて動揺を隠せなかった。

 わたしの音楽はわたしにさえ届けばよくて、他者の理解は最初から求めてないし、なおさら複雑な感覚に陥ってしまう。


 ツイッターを開くと、こちらもわたしのツイートがリツイートされまくってて、リプも山のように飛ばされていた。

 突然てのひらを返す人間というかみさまに、わたしは多分の嫌悪感を抱きながら流し読みしていく。Vesperiaのマイページも、アクセスカウントは三桁ほどだったのに千倍以上にふくれあがっている。

 心からの、誠実な本音だと信じたい。けれどどうしてもわたしは人間の本質における醜悪さにうんざりしてしまい、ちっともうれしいと思えなかった。


 エゴサーチとか、やっぱり病むだけだ。なのに公共の場に姿を現し、異常性癖のオナニーを晒す矛盾とか撞着とか自己嫌悪その他もろもろ。せっかくの気分を台無しにしてしまう前に、さっさと自分の世界に引きこもることにした。

 ベッドの上のPCを片付け、さっさと着替えて布団を被る。わたしの心をさらけ出したロックンロールが、いつまでも鳴り止まない。


 ふと、思う。生きたいと感じたりするのかな。

 周りからちやほやされてもてはやされたいのかな。

 在りし日のわたしが持っていた、人間として極めて普通の欲求。

 それはやっぱりほんのわずかばかしは残ってるらしい。けれど他人に理解されたいとか、ほんとに傲慢な思考だよね。わたしはわたしがなぐさめてあげなくちゃだめなんだ。わたしは『わたし』の世界でわたしとセックスし続けるの。南条楓のロックは、そういうもの。

 わたし以外の存在、価値観の集合は原罪を示す鏡に過ぎない。認識の相違により絶望は真実味を増し、いつかジサツという希望に成り代わる。わたしの世界は、わたしが犯す。わたしの『正常』はとっくに壊れている。


 ただ、かみさまは言った。

 ジサツに替わる代替案。ロックに抱く希望。


 ほんとうに、ジサツなのかな?

 ジサツと違う期待を無意識で思っていたら?

 そう、もうひとりの、赤いひとみのわたしが思うしあわせは?

 もうなんにもないはずの世界に望む救いは?


 結局のところ、わたしは『終わり』を求めている。

 ジサツ以外は考えられないってだけの話。南条楓という存在が残す音や詩は、世界の終焉を願う故に自己と対話を重ねた証拠なんだろう。もうひとりのわたしが『生きたい』と思うとか、ありえない。

 あとは後ろを振り向くことなく、坂道を転げ落ちながら、這いつくばって、心やすらかに死を選ぶ瞬間を待ち続けよう。

 まどろむ意識のなか、かなしみがこみあげてくる。ぎゅっと押し殺す。ああ、わたしはここから逃げ出したくて仕方ないんだ。おやすみなさい。もう明日の天気予報は見たくないな。




 ★




 明くる朝、重たい体を起こし大学に行くと、何名かのひとに話しかけられた。

 わたしはすぐ逃げ出した。しょせんネットはリアルの延長線上。ひとつため息をつく。

 ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、Vesperiaマイページのアクセス数を見やる。昨日からさらに三倍くらい増えて、参加者ランキングの五位に入っていた。一次審査通過は上位三十組なので、もしかしたら――未来のことをぼんやりと考えながら、人混みでごった返す構内に入っていく。


 壇上に立つ講師の話は右から左へ。

 どうしようかな。わたしは悩んでいた。

 最終審査は都内のライブハウスで実際に演奏した映像をマイページに掲載し、再びwebユーザーに投票してもらうかたちを取っている。

 わたしはソロだから、ひとりでステージに立つとしたらそのままベースとドラムは録音の、たぶん生放送のような形式になってしまう。

 いくらでも誤魔化せるのかもしれないけれど、アンプとエフェクタを通して直に鳴らす生音に敵うはずがなかった。


 サポートを入れることに、どうしても不安を拭い去れない。

 わたしの音を、詩を、世界を、きちんと理解して、忠実に再現してくれるひと――それ以前に、自分の心音を他人に穢されるような、土足で踏み込まれ勝手に咀嚼される感覚が、素直に気持ち悪かった。わたしひとりで完結してる世界なんだから、おかしな解釈の余地を残したくない。

 ただ、きっと本番は持ち時間が決められていて、うまくギター以外の音が出せない可能性は否定できなかった。

 でも、いまさらサポートのひとを探すこと自体、ううん、だれかと接して、あまつさえ協調性の必要なバンドの演奏がわたしにこなせるかと言えば、無理、無理だった。


 あれこれと考え込むうちに講義は終わり、あっと言う間に昼休みや午後のゼミも過ぎ去って、生協でグレープフルーツジュースを大量に買い、そそくさと家に帰った。

 立ち上げっぱなしのPCからメールソフトを起動して、膨大な数の新着欄から件名だけを流し読みしていく。昔はいたずら目的のものしかなかったし、他人の言葉なんて――ふと、あるメールに視線が移る。それは『たいせつなお願い』ってタイトルの、はたから見るとうさんくさい出会い系のメールみたいだったけれど、わたしはほんの気まぐれで本文を開いてしまった。


 見出し:たいせつなお願い

 差出人:change69@cool.ne.jp


 突然のメール失礼します

 Vesperiaで南条楓さんの曲を聴き、先日の生放送で完全にとりこになってしまいました!

 ほんとにあなたの人気はものすごいですね。この調子だと最終選考は確実でしょう。私こと北嶋とCOOL Jのユニット『Dystopia』も参加しているのですが、ぜんぜんだめだめです(笑)

 それはさておき、私たちはちょうどGtかBaを探していまして、ぜひ南条さんとバンド組みたい! と勝手に思い込み、そんな旨を伝えたくてメールさせていただきました

 もちろん南条さんは立派な信念を持っているでしょうし、一応は私たちは音楽がきっかけでめぐりあったのですから、添付の<動画>を見て判断してもらえたらなと思います

 なにゆえ南条さんの楽曲は難しくて、つたない面も多々ありますけれども、私たちの全力で演りました。どうか私たちの想いがあなたに届くよう、電子の海のかなたから祈っております


Vo/Gt/Ba 北嶋沙耶

Drums COOL J

http://vesperia.com/2013/artist_view.html?3345


 わたしは途惑いを隠せないままに、とりあえずVesperiaのページを踏んだ。

 金髪でゴシックパンク風の洋服をまとう女の子と、狐面を被った長身の男の子が並ぶアー写。

 北嶋沙耶というひとは同年代っぽいけれども、わたしと違って笑顔から活発な印象を受ける。

 プロフィールを読むとバンド結成から六年くらい、謳い文句は『私たちのロックで、ここじゃないどこかへ』なんてわたしが夢見てそうなタイトルで、ページの閲覧数は五桁とそこそこの数字だった。


 ヘッドフォンを被り、さっそく音源『Reflect』を聴いてみる。

 自分と同じ音楽を好んでそうな、オルタナティヴなロックだった。

 ベースとドラムの演奏は文句なし。ギターはサポートのひとが弾いてるらしい。

 独特の世界観を描く鮮烈な言葉が並ぶ詩もすてきで、もしもわたしがリスナーだったらCDを買うかもしれない。そう思えるくらいに、上手い。


 そしてもうひとつの、文中のリンクをクリック。1LDKほどの、小綺麗なスタジオが映る。その画面のなかで、シェクターのベースを持つ北嶋さんが笑っていた。すぐ背後で狐面の男がマニピュレーターを調整している。

 やがて腕鳴らしのドラムソロが鳴り響き、ベースの可憐なタッピングと共に、目の前の彼女はやんわりと笑顔を浮かべこちらを向いた。


『ハローハロー! 今日は南条さんのリスペクト全開で演っちゃうよ!』


 カウントと同時に爆音で鳴り響くリフは、わたしがVesperiaに応募した曲『ジサツのための108の方法』だった。

 ぐんにゃりとゆがむ爆音のフィードバックノイズは音源のまま、わたしのうたとギターだけで紡ぐ最初の数フレーズが終わると、超高速のスネアロールからふたりがたたみかけるように演奏しはじめた。なんかとっても不思議な気分になってくる。


 正直なところ、驚きを隠せなかった。

 ベースはわたしのプレイスタイルと若干異なるものの、とても原曲に忠実な音作りでしなやかな印象を受ける。

 そしてなにより難しいはずのドラムも、打ち込みをうまくアレンジしつつ、各部の鳴りや強弱にとことんこだわった技巧派のイメージ。

 信じられない。Vesperiaのweb投票開始からわずか四日なのに、そしてコピーもかなり難しい部類のプログレッシヴな曲に関わらず、ここまで完璧に再現されてしまうとは思わなかった。


「ありがとう! 南条さん、よかったら私たちとバンドやろうよ! お返事、待ってるね!」


 三分半ほどの圧倒的な演奏が終わり、北嶋さんはにっこりと微笑みながら手を振った。そのまま暗転していく画面に、わたしはしばしうつろな視線を泳がせる。普段おぼろな思考回路はショートしそうだった。


 渡りに舟のような申し出だけど、たくさんの不安だってあふれてくる。

 いきなり見ず知らずのひとを信じられるようなお人好しじゃないし、そもそもわたしの世界に干渉されたくないし、もっとも他人と共同作業なんて考えられなかった。

 けれど、ちょっとくらい人間の良心を信じてみようとは思わないの?――希望と危惧が複雑に絡み合い、さらに疑心暗鬼に陥ってくる。わたしはベッドに突っ伏して、ゆっくりと心のこえに耳を傾けた。


 わたしが変わっていくためのきっかけ。そんなポジティヴシンキングができたら苦労しない。

 ただ、なかば自暴自棄で申し込んだはずのVesperiaの大賞は、わたしの夢を叶えてくれそうなところまで近づいている。

 傍観者を決め込む無能な大観衆の前で、わたしという世界の真実を暴く。

 それで、終わる。少なくとも、なんらかの結論は出るだろう。ぐだぐだと生き長らえ、どろどろ腐っていく日常は、もうほんとにお断りだった。すぐに、今すぐ、楽になりたいから。


 とりあえず最終選考は確定だとしても、バンドとして演奏するのならば練習時間が欲しい。

 わたしはおそるおそる「一度セッションしてみませんか?」という旨のメールを返した。重複参加はルール違反だけど、当落決定後ならサポートは問題ない、はずだ。

 ほどなくして、再びメールが届く。明後日、北嶋さんのスタジオにわたしが出向き、セッションを行う線で合意。お互いのメアドや電話番号、当日の待ち合わせ場所や予定を交換し合う。

 ひととおり終えると、あらためて思う。生き急ぐことと、死に遅れること。どちらが美しいか、言うまでもなかった。


 わたしはテレキャスを持ち出し、いつものように曲を作り始める。

 今は見知らぬひとたちとスタジオに入る不安から逃げ出すべく、自分の世界へのめり込むことが最善だと判断したから。

 もうひとりの『わたし』が映す世界を思うと、なぜか心やすらぐ。

 わたしが二重人格者だとか、どうせだれも信じてくれないけれど、蒼いひとみのわたしと赤いひとみのわたしが投影しうる世界は確かに違う。

『ここじゃないどこか』を思うわたしは、いつもやさしく微笑んでいた。


 それは幼いころからの感覚だし、精神の病気にカテゴライズされるものなのかはわからない。

 べつに人格の解離を気持ち悪く思わないし、むしろもうひとりのわたしがささやく心音を聴くことでわたしなりの『正常』を保っていられる。

 曲として表層に浮かぶようになった現状は、実のところとってもうれしい。だから余計に、他者に介在して欲しくない。穢されたくない。


 またろくにご飯も食べないまま、零時まで曲作りに没頭してしまった。

 明日からはギターの練習と半々くらいのペースにしよう。そう決めて遅いお風呂のなかで無意識とたわむれ、暗い六畳間のベッドの上で妄想に耽った。

 なんとなく、うまくいくような気がした。そんなふうに考えて、いつも裏切られるくせに?――わたしを裏切る、失望させるひとは、他ならぬわたしだから。わたしの世界は、わたしだけで完結している。ジサツという夢は、究極の自己完結だ。


 妄想中毒、夢遊病患者の夜は長い。

 遠のく意識のなかを循環する思考は『無』に帰すことのあこがれと、変わりゆくわたし。いつか無くしたはずの未来は、きらきら輝いている。

 希望と絶望は紙一重。けれど記憶が溶けていく感覚こそ、わたしの求めてやまないしあわせなんだよ。


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