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1.引きこもりと、ロックンロールと、六畳間へ繋がる仮想現実と

 遮光カーテンの隙間から漏れ出す光を避けるように寝返りを打つ。

そんな意味のない行動を何度も繰り返し、もう眠れないことをようやく悟った。

 意識を失う睡眠の時間だけが、わたしと世界を完全に切り離してくれる。主観を自覚してしまう時点で吐き気が収まらない。けれどそんな唯の逃避行動さえ奪い取られてしまうと、目を背けたくなる現実さんとにらめっこです。


 付けっぱなしのノートパソコンを引っ張り寄せ『ニヤニヤ動画』の生放送の枠を予約する。

 こういうときだけ、大学に通ってよかったなと思う。

 学生証付属のクレジットカードを使えば、なんの労力を使うことなくお金を支払ってしまえるから。

 とにかく一応は大学生のわたしは、もう退学待ったなしまで留年を繰り返し六年間、親元を離れ一人暮らしを送っている。

 中学生のころから引きこもりだったし、まあ生活は家事の煩わしさが増えた程度かな。

 結局のところ死ぬ勇気のないわたしは、世間の体裁上『大学に通う』ことが多少なりとも時間稼ぎになるなんて打算的な考えで『高認』を取り進学、当然のごとく大学は馴染めず早々に六畳間に籠城を決め込む体たらく。

 そんなモラトリアムもどきの執行猶予も、あとわずかな時間しか残されていなかった。すっかり冷え込んだ部屋の空気が、慢性的低血圧な体のあちこちを刺す。


 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、たっぷり口に含みネグリジェを洗濯機のなかへ放り込む。

 そのまま湯沸かし器のスイッチを入れて、バスルームでシャワーを浴びた。ふと鏡に映る自分の姿を見やる。

 肩口よりほんのわずか伸びた黒い髪の毛。

 それとなりに、女の子として慎ましく膨らんだ乳房や臀部。

 虹彩異色症の、赤と蒼のひとみ。左手のリスカ痕。

 南条楓という人間を構成するパーツは、まあさほど悪くないんじゃないかなあ。

 ただ、それをうまく使ってしあわせをつかむことができないんだから、どっちみち宝の持ち腐れというやつだ。


 たまに自分を抱きたいと思う。

 たまに自分を犯したいと思う。

 自分で自分を慰めるとかじゃなくて、もうひとりの自分と成り代わり、南条楓をめちゃくちゃにしてやりたい。

 外野の連中がわたしに抱く欲望は、わたしが生きていくための糧になりえるかもね。 つまんない。くだんない。おもいっきりシャワーを頭上からぶちまけた。そうやって方法論をこねくり回すことは、理想幻想空想妄想のブルーチアでしかなく、最後にからっぽの無常を醸すだけなんだから。


 とりとめのない思考を振り切ってお風呂からあがり、偏執狂なくらい髪の毛を入念に手入れしていく。

 しょせん世の中すべて、見た目で決まってるようなもの。

 それはあながち間違ってない。ショーツだけ身につけただらしない格好で、ひとりぼっちの部屋を見渡す。

 部屋の右側に佇む、無線LAN機能付きのネットワークカメラ。

 そのレンズが映し出す反対側にはベッドと化粧台、シェクターの白いベース、スコアを並べた譜面台等々、それとなりに女の子っぽくきれいな感じに『映って』いる、はず。というか、映ってないと困る。


 それ以外のスペースはクローゼット以外は悲惨としかたとえようがなく、キッチン周りなどは洗い物が占拠。ペットボトルや冷凍食品の袋が散乱し、もう新しく変わってるかもしれない大学の参考書や音楽雑誌が山のように積み上がり、居住スペースはベッドの上くらいだった。


 とりあえず黒のワンピースを羽織り、しっかりとメイクを済ませておく。

 鏡に映るわたしは、とてもつまらなさそうな表情を浮かべていた。実際につまんないんだから当たり前。そのまま引き出しからピルケースを取り出し、抗不安薬を何錠かつまんで飲み込んだ。

 わたしは常日頃から思うのですが、こんなもので不安に対抗できるわけないじゃん。非合法のドラッグキメてラリって死んだほうがしあわせだよね。

 ほんとに精神科というぼったくり病院は、治療名目を履き違えた挙句に副作用を催すクスリばかり出す。もう睡眠薬以外は処方しなくていいよ。


 そそくさとベッドの上に移動、さっそくツイッターとmixiを立ち上げた。

 南条楓ことハンドルネーム『かな』の繋がりは五千人を超えている。とりあえず今夜の配信告知をつぶやく。

 すぐさま様々なリプが飛び交い、わたしはささやかな優越感に浸る。わたしはつまらない生を実感する。わたしは世界にうんざりする。

 死にたいけれど死ねないわたしの居場所は、もはや中途半端な匿名性がウリの、現実の延長線上に伸びゆく仮想空間にしか残されていなかった。


 だれかに認めて欲しいとは思わない。

 だれかが助けてくれるとは思わない。

 だれかにかまってほしいだけなんだ。

 そうやって足掻くことしかできない。


 ひとは死にたいならさっさと死ねと言う。

 生きることが死よりも苦痛ならば、ためらいなくジサツを選ぶはずだと言う。

 まだ希望を捨てていないから明日を迎えると言う。

 死にたいって気持ち自体が、かわいそうな自分を慈しむ自己愛の現れだと言う。

 眠るように死にたいなんて甘えだと言う。死ぬの、こわい。痛いの、いや。それはわがままだよ。わたしたち人間には、生死の選択肢は平等に与えられている。要するに、選べない貴様がクズだってことだよ、バカ!


 わたしは毎晩のように、そんな幻聴に苛まれている。しかも妙に正論っぽく響くあたりが、ほんとに辛辣だからたちが悪い。

 とかく希死念慮は否定されまくる。そして『生きたくない』という本心は共感を呼ぶことはあっても、その場しのぎの傷の舐め合いにしかならない。

 結局のところ、どちらか選ぶためのきっかけをつかむべく、無様にもがき苦しんでる真っ最中ってわけ。

 ――しあわせに、生きよ。そんな言葉を残したかみさまを殺してやりたい。


 などとひとりごとのように供述し続けなければならない理由は自明です。

 それは南条楓が引きこもりという社会のごみで、音声通話とかできるはずがありません。


 壁際の白いベースを持ち上げ、ちょこんとベッドの上に座る。

 適当に『緩募)今日の生放送で弾いて欲しい曲』とツイート。

 すぐに集まってくるたくさんのリプを見ながら、パソコンのアンプシミュレータを立ち上げる。その名のとおり、アンプ兼エフェクターの役目を果たす。

 ネコのロゴ入りピックをつまみ、適当なコードを抑えかき鳴らしてみる。

 耳元に響くずっしり重たいディストーションかかりまくりの音色は、まるでわたしの心音のように聞こえた。


 こんなわたしだけど、あこがれのひとがいる。

 サディスティックな演奏と裏腹に、クールな佇まいで歪にゆがんだベースを弾き、美しいこえで不思議な世界の言葉を紡ぐ。

 楽器を持って歌えたら、世界が変わるような気がした。たったひとつの、夢とか希望、その類――わたしはわたしをやめることができないのに彼女のようになりたくて、親のクレカをパクってベースとアンプとエフェクターを買った。それが妄想のはじまりで、世界の終わりになろうとしている。


 そもそも楽曲を作りたいと思うことさえない。わたしの夢はジサツだから。

 あこがれのひとになりたいとかベースを弾く行為は、それこそ世間体的な意味で『一応は生きる意味を探しています』みたいな体裁にすぎず、根本的な部分は先天性の病気よろしくぴくりとも変わらない。

 ただ、中学生もどきのころは、バンドマンになって成功したらとか、かみさまのサプライズがあるかもしれないなんておめでたい思考を捨てきれなかったため、結果それとなりにベースが弾けるという事実だけが残った。夢のあとにすがりつくわたしは、ほんとうにみじめだと思う。


 そんな『弾いてみた』をネットに垂れ流すことは、おそらくだれも気づかない抵抗だった。

 存在証明だとかアイデンティティだとか、ご立派な理由は持ち合わせてない。

 わたしみたいなごみくずの一挙手一投足を見て、普段は基本的人権の尊重やら博愛精神やら繋がり合おうやら綺麗事をほざく連中が、ネットだと本性をヒキニートメンヘラビッチコミュ障その他もろもろの蔑称で煽ったり、同情を示すフリして体を求めてくる。

 どいつもこいつも全員もれなくくず。そういう世界だと証明し続けることが、南条楓のロックンロールだった。


 わたしが世界を暴こうと、くるくる青い林檎は回り続ける。

 無意味な行為。わかってるよ。けれど意味のある行為ってなに?


 ――買い物をして経済を回す?

 ボランティアで困っているひとを救う?

 童貞のブサイクに処女を捧げる?

 ぜんぶ無意味じゃん。わたしのしあわせにならないもん。

 なにもかも無意味だって、みんな高校生のころに気づくよね。

 なのに無理矢理理由をつけて、さも『生きることは素晴らしい』なんて謳うから苛々してくる。

 だいたい五感とか余計な器官のせいで、感じたくない情報が前頭葉にのめり込んで痛みをもたらす。ああ、ほら、また無意味な思考。無意味。無意味。なにもかも無意味。すべてが遮断される無意識、要するに睡眠とジサツこそ、わたしに残された唯の救いなんだよ。


 ただ、睡眠はクスリをオーバードーズしても限界があるし、ジサツを邪魔し続ける本能的な恐怖はなぜかどうしてか払拭できない。

 とどのつまり無力なわたしは、むなしい抵抗を続けるしかなかった。終末思想型のモラトリアム生活は、悪夢のように延々と続いていきます。


 ひとまずリクエストのなかから五曲ほど選び、あらかじめ自分で打ち込んだ音源を引っ張り出しておく。

 今は宅録の環境が進んだおかげで、割と原音に近く忠実にコピーできる。ギターとベースは自分で録音したものだからへたくそ。ベースパートだけミュートにして準備完了。放送開始まであと一時間くらい。わたしはなんとなしにplentyというバンドの『ボクのために歌う吟』のコードを抑え、指先で弦を弾きながら小さなこえで歌い出した。


 失うことの意味さえ知らず、からっぽの世界を見渡す。

 なにもかもすべて「くだんないな」の一言で片付いちゃう。

 もれなく全員を殺さないと終わらない世界。わたしがジサツしないと終わらない世界。

 いのちの終わりを幸福と定義したいわたしは、いつまでも続く日常にうんざりしています。


 気がつくと、時計の針は二十二時五分前を指していた。

 たまに演奏してるとき、意識が飛ぶ。とてもキモチイイ。

 からからののどにグレープフルーツジュースを流し込み、ヘッドセットを耳にかける。だいたい一週間ぶりくらい? ゆっくりと息を吐き、開始ボタンをクリックする。


「あ、あ、あ、聞こえてる? だいじょうぶかな? こんばんは」


 なんの変哲もない挨拶をして、MAC側のPCからクラシックを垂れ流す。

 ちゃんとwindows側のPCでモニタリング確認、画面にはベッドに座り込むわたしが映り込んでいた。


 かなちゃんきたーかなちゃんきゃわわかな死ね枠乙88888なにすんの?ヤらせてよ何万円?大学行けよクソビッチかまってちゃんメンヘラはカエレ最近毒づかないよね永久BANまだ?久しぶりにテレキャスおなしゃす見せブラエロすボダうざ――六畳間と世界がリンク。

 別窓に並ぶチャット欄が、あっと言う間に様々な罵詈雑言の類で埋め尽くされていく。もう来場者は二万人を超えている。disられることも、キモチイイ。そんな時期さえあった。


「えーと、先週は、一ヶ月おきの精神科に行ってきて、眠れないからクスリもっとちょうだいって必死に訴えたんだけど、もう七種類超えてるし無理だって。やっぱり前科持ちだから不審がられてるっぽい。結局は処方箋発行マシーンなんだし、どんどん出して儲けたらいいのにね」


 なんとなく、なんの脈絡もない、ほんとにどうでもいい話を切り出すと、また高速で様々な文字列が行き交う。

 まあ視聴者のことなんてそれこそ知らないけれど、基本的にわたしの放送を好むひとはキチガイな言動目的だ。

 おかしな様子を蔑んで他人を見下すことで、心の安定を図っているのかもしれない。 わたしはそんなひとたちを見て、人間ってかみさまのくそったれな本性をさらけ出す。

 だからなにか反応してくれるだけで十分。哀れむひとがいようと偽善と切って捨て、暴言を吐くひとはわたしの気持ちがわからないんだと思いながら、おもいっきり汚い部分を吐き出してもらう。最初のうちは痛快だった。すぐに飽きたけれどね。


 べつになにかしゃべらなくても、チャットは勝手に妄想や虚言で満たされていく。

 わたしのコミュニティ『かなの保護室』の登録者は十万人を超えている。よく言えばファン、悪く言うと事故現場を見たい野次馬の群れ。まあ後者がターゲットだから、世間体を踏まえるとあまりよろしくない生放送を繰り返してきた。

 クスリとアルコールを過剰に飲みまくると効きやすくなるのか試すとか、エロゲーのテキストを朗読しながら喘ぐとか、まあ自覚的なときもあれば衝動的にリスカしてみたりだとか。とかくわたしの常識は世間の非常識で、笑いのネタとして最適らしい。ひとの不幸は蜜の味。つまるところ、そういうことなんだろう。


「それじゃあだいぶ集まったみたいだし、さっそく弾くね。たぶん三十分くらいかな」


 わたしはゆっくりと立ち上がり、マイクスタンドの前に立つ。

 いちいちやかましいチャットに答えたりはしない。かまってくれる偽善者たちの言葉に耳を貸す意味は言わずもかな。

 でも目の前のカメラが数万人のひとみの代わりだろうと、わたしがいつも嫌悪してる社会不適応者を蔑む冷ややかな視線は感じない。そう錯覚できるから、仮想空間の居心地は幾分マシだ。


 MACのPCに繋いだイヤホンをはめ込み、フローリングの床に並ぶエフェクタを踏んで音を鳴らす。

 たったひとりレンズに向かいベースを持つわたしは、はたから見ればひどくマヌケに見えるだろう。次にマイクのチェック。べつに歌わなくていいんだけど、ボーカロイドは正直あんまり好きじゃない。こえのほうはPC側で増幅してくれる。

 すべての準備を終えて、ひとつ息を吐く。それはため息なのか、緊張なのか、はたまた諦観なのか、よくわからない。なりきることで、わたし自身から逃げ出す。夢のあとにすがりつくわたしのなれの果て。ありとあらゆる言い訳がぐちゃぐちゃ頭をかきむしってうざったいことこの上ない。わたしは再生ボタンを押し、スティックカウントに合わせベースをうならせた。


 一曲目はroot13.『シアン』

 ひとりぼっちの部屋で手首を切り、飛び降りジサツを繰り返す女の子のうた。

 メンヘラのエゴと理解されない心が、やわらかいこえと重なってあふれ出す。

 だれかに触れたいと思うことさえ忘れてしまった。蒼く染まりゆく世界が、ただただ美しい。


 二曲目はtricot『夢見がちな少女、舞い上がる、空へ』

 大人の言うことに耳を貸すな。叶わぬ夢、常識外れだろうと、我が道を歩く女の子のうた。

 大人になりたくないと叫ぶ。常識の枠に囚われた大人っていうくだんないひとたちをdisる。

 社会の敷くレールから弾かれた、わたしたちのようなひとの気持ち、あなたたちにわかる?


 三曲目はROSSO『シャロン』

 わたしが今まで生きてきたなかで、ほんとに、ほんとに、一番に大好きなうた。

 歌っていても、弾いていても、聴いていても、どこか知らない世界へ連れ去ってくれる。

 不思議な心象風景にココロは奪われたまま、可憐にドライブしながら低い旋律が鳴り響く。


 四曲目はあさき『月光蝶』

 ずっと、ずっと手を伸ばしても届かない月と、空を飛べないわたしを繋ぐ蝶の儚い物語。

 美しく死す様をとうとうと歌い上げると、自分もかく在りたいと望む想いが募ってゆく。

 感傷性の声色が紡ぐ古語の艶やかな彩は、わたしの抱くほんのわずかな希望を照らしていた。


 五曲目は凛として時雨『illusion is mine』

 きらめく幻想の水面が映し出す幻は、きみ? それともわたし?

 わたしがめちゃくちゃになっていく。またたきを繰り返すたび、夢うつつなわたしが微笑む。

 無意識のイメージにたゆたう儚いこえが、夢と現実の狭間を彷徨う世界を鮮やかに暴き出す。


 なんの脈絡もなく、ただわたしの好きな曲を演りきった。

 いくらたくさんのリスナーが見ていようと、ステージの余韻なんてこれっぽっちもない。

 とりあえずベースを置き、キッチンでデパスをグレープフルーツジュースで飲み込み、そっとベッドに座り直す。相変わらず賑わうチャット欄は、賛辞や罵倒の文言で塗り固められていた。ほんと、どうでもいい。


 わたしは初投稿の凛として時雨『abnormalize』の演奏で、弾いてみたのカテゴリでデイリー一位を取った。

 演奏の評価、ただ「エロい」とか下衆な評価など、意見は様々。けれどわたしはそれらもろもろを、冷ややかな気持ちで受け止めていた。俗に『だれかから認められたい』という承認欲求と呼ぶ心理学的現象は、もはや根本的に崩れ去ってしまっていた。

 いまさら人並みの生活に復帰しようと、社会から『正常』と認知されようと、わたしは絶対に心やすらかに生きていくことなんてできない。

 それは簡単な理由。わたしはわたしを認めていない。わたしはわたしを認められない。南条楓という自己を忌み嫌い、消え失せるべきだと確信している。アイデンティティなど、わたしを縛りつける枷でしかない。


 チャット欄に飛び交う文字を見ても無関心なわけは、人間不信だとか同族嫌悪だとか様々な理由が思い浮かぶけれど、そもそもそうやって優劣に、つまり価値の付随につまらない人間の本質が見え隠れするから。

 わたしは『人それぞれ』って言葉がきらいだ。

 それを口に出すひとの大半は価値観の多様性を認めるフリをしながら、実のところ最大公約数的に担保されている基準――たとえば憲法の謳う平等や道徳性や倫理観モラルの類で、マイノリティのひとたちを変質者と見なす。価値観の概念が消え失せたら、間違いなく世界は平和になっていくと思う。


 人見知りのわたしは人間のくずです。

 引きこもりのわたしは社会のごみです。

 クスリを多量に飲むわたしは精神異常者です。

 手首を切るわたしは人間の良識を失っています。

 同性のセックスに性的な興奮を隠せないわたしは倒錯しています。

 ジサツしたいとわめき叫ぶわたしは『正常』という概念を見失っています。


 すべて勝手にレッテル張りされた意見だ。

 わたしをこんなふうに呼ぶひとの主観でしかない。

 それはかみさまが保証してくれるような、絶対的な価値基準なの?――馬鹿馬鹿しい。なにがどうして正しいかなんてほんとはだれにもわからないはずなのに、人間は大多数の意見を正義と見なし、異端者を排除してきた。たぶんきっと、有史以来ずっと。 もしも『人それぞれ』が許されるのなら、わたしの価値観だって認められなきゃおかしい。けれど現実は残酷で、当然のごとくこえの大きなひとたちのアホらしい大義名分が、南条楓に人間失格の烙印を押す。


 極端な話、犯罪者だって当事者にしかわからない正義を振るった結果が『悪』と見なされる。わたしの場合は引きこもりや自傷その他もろもろ。おかしいよね。そういう環境に追い込んだひとたちの罪は咎められない。

 ねえ、わたしを産まなかったら、パパもママも苦労しなかったよね。恋路とかいうくだらない夢物語に惑わされて、しあわせの担保もなくいのちを育む行為は死罪レベルじゃないかな。そうたどっていくと、この世界を作り出した人間というかみさまの醜悪さに気づく。無から有を生み出すことの罪を、ひとははっきりと認識すべきなんだよ。


 そんな当たり前の事実に気づかないマヌケなひとたちが、チャット欄でぎゃーぎゃーとあれこれ騒いでいる。

 方法論だけは一丁前なわたしがぼけっとしてたせいか、クスリの飲み過ぎでイッちゃってるんじゃねえのとか、普通にアンコールやトークの要求などなど。仮想現実内においても変わらない日常は、リアルの延長線上の世界は、相変わらずつまらない。

 もちろん演奏を褒めてもらえたらうれしい。ただ、わたしは……。承認や価値よりも消失を望んでいる。しょせんゲームオーバーまでの暇つぶし。人間の悪辣な本質を暴くことは、正義の皮を被った自己認識と世界の確認。ここにはなんにもないね。がらんどうの心に風が吹く。


 ごみくずに群がってくるハエのようにうじゃうじゃと湧く文字のなかから、なにか面白そうな言葉を探す。一時間かぎりの枠を無理矢理に伸ばさなくてもよいのだけど、今日のわたしは抗不安薬がハイにキマってちょっぴりやらかしたい気分だった。

 リクエストやろうかな。そう思いキーボードに指を置くと、まるでわたしのことをあざ笑うかのような文章が流れてきた。


『ねえねえナルシストさん。私はあなたの気持ちがよくわかるわ。同じごみくず同士、仲良くしましょうよ。それとも同性愛、もとい同族嫌悪が強すぎて無理かしら。すべて意味がないと吐き捨てることは簡単。故にどうしたいのか、あなたは怖いから語ろうとしない』


 わたしは感傷的になりそうな心を抑え、黙って今の発言をしたIDを探す。

 コミュニティに付く数字の若さから、かなり初期のリスナーとわかる。

 カウンセラー気取り? それともプロファイリング? とにかく、うざい。煽りの分際で調子に乗んなよばーか!


「……わたしは、なんにも怖くない」

『それなら私たちの総意を以ってジサツしてみせて?』


 ああ、怖いんでしたね。失礼(笑)と、すぐに文章が付け足される。

 わたしは落ち着こうと思った。この手の輩とやり合う生放送もあるけれど、そもそも議論の余地なんてない。ただ、ひとの気持ちを見透かすような発言が、めちゃくちゃ気持ち悪かった。


「死にたいけれど死ねないひと、たくさんいると思うけれど、そんなにわたしがおかしいの?」


 ほんとにめずらしく、ひとの話を聞く気になった。

 ひとりごとじゃないことを示すために、ボーカロイドの読み上げアプリを立ち上げる。当該IDだけを指定して、相手の反応を待つ。


『いえいえ、とんでもない。いつもあなたが無様に足掻く様を楽しんでいるひとたちが、この場所に集うのでしょう? そんな視聴者を内心で貶すことで自尊心を保つかなさんの生き方に惹かれますし、人間の本質が垣間見えてすてきじゃありませんか。総じてごみくずなのですよ。おお、我らが同胞たち! などと言うと新興宗教くさいですが、残念ながら現実なのです(笑)』


 すぐさまわたしは後悔した。勝手に本心を歪曲して話さないで!

 わかったような素振りに苛々が募っていく。それはなまじ心あたりがあって、少なからず正しいからなおのことだった。

 もちろんリスナーはわけがわからないまま、今の発言に対して様々な反応を投げ返す。すぐさま発言者のIDが割れ、先ほどのやりとりがコピーされる。みんな口々に言った。ごみくず同士、仲良くやろうぜ――そういうなんの解決にもならない馴れ合いがうざいんだって!


「……あなた、男の子? 女の子?」

『ものすごくイケメン男子と自負しております(笑)』

「そっか。なら同族嫌悪だね。ジサツできないのは、いっしょでしょ?」

『かなさんとふたりなら逝けるような気がします。なんなら練炭とかどうです?』

「そのしゃべりかた、すごくホモっぽくてきらい。間違っても近寄りたくないタイプ」

『まあ、そうかもな。だけど違うだれかを演じると、自分じゃない錯覚に陥ったりしない?』


 ぜんぜん相手の意図が見えてこない。

 やっぱり煽りかなとため息をつく。ほんとに死にたいって感覚が致命的に欠けている、気がした。

 でもわたしが思うことを見抜くあたり、なんらかのきっかけをつぶやくかもしれない。なるべく平静を装い、真意の部分に触れる。


「なにもかも意味がない、それを踏まえた上の答えがジサツ。正解を選べない苦しみを語ったところで、あなたたちのような虫けらは理解してくれないでしょ?」


 くすくす、くすくすと、耳元で知らないひとたちが笑っていた。


『ようやく本性を表したな。あんたの言いたいこと――意味ないとか、人間はごみくずとか、しあわせになるためのジサツとか、それこそ『意味ない』んだよ。ちゃんとおれたち虫けらを納得させなくちゃな。証明は認知されて、はじめて意味を為す。おまえは持論が理解されない現実を認識してる。ひとを見下し悦に浸って悲劇のヒロイン気取り、自己満のオナニーを――』

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいあなたにわたしのなにがわかるっていうの!? わたしはおまえらと同じごみくずだって知ってるわ! あなたたちが見下すから、同じように見下してなにが悪いの!? それにわたしはちゃんと答えを示してる。ジサツがしあわせだって、ずっと、ずっと言ってきたよ! ジサツを選べない苦しみが、わたしをおかしくするって! だれかに認められたいとか思わない! わたしがジサツを選べたらすぐ世界は終わるんだ!」


 わたしはこえを張り上げて叫んだ。

 くだらない講釈を垂れ流すかみさまなんて殺してやる!

 リスナーはげらげらと笑っていた。文字列を音声認識する脳内回路。うわんうわんと輻輳して耳朶に響く。もうひとりの自分に、本心に、真綿で首を絞められている気分だった。


『あらら。図星だったから泣いちゃうんだ(笑)』

「……わたしがもがき苦しむ様を晒すことは、あなたたちが望んだようなものでしょう?」

『いいや、違うね。意味など存在しないと言うのなら、こんな生放送はとんだ茶番って奴だ』


 その先は、知らない。聞きたくない。聞くな。

 わたしの二十年に渡る生の結論を、こいつはめちゃくちゃにしようとしてる。

 PCの電源に指を伸ばす瞬間、かみさまのこえが聞こえた。


『ロックンロールは世界を変えられる。そう信じてやまないから、ベースを弾くんだろう?』


 そんなあこがれや夢物語は、とっくのとうに捨ててしまった。

 大人になっていくってことは、くそったれな現実と迎合しながら、そういう幻想を諦めるってことだから。なのにかみさまは、平然と理想論を持ち出した。ふざけてる。わたしは夢見がちな少女じゃない!


「あなたの言うとおり、今のわたしは『証明する』ことしかできない」

『そうだな。おれたちみたいなごみくずを、あんたは鮮やかに暴き出してみせた』


 そこまで言ってから、一瞬の静寂が訪れた。はじめて言葉を選ぶような仕草に思えた。


『世界を暴く。あるいはジサツを選べない苦しみよりも、ずっとたいせつなことを無意識化で思っていたんだよ。ある証明として提示されたジサツに替わる代替案、それがあんたにとってベースを弾くことなんじゃないのか? ずたぼろになりながら、それでもなお夢と成り果てたロックに希望を抱く故に、あんたはジサツを選べない。そうさ。てめえはベースを弾き続けるかぎり、絶対にジサツできないぜ。ロックは弱いひとのための音楽。そして抵抗のための音楽だからな。おれみたいな上から目線の奴を殺したいんだろ? しあわせそうな奴らが妬ましいんだろ? もれなく全員にあんたの気持ちをぶつけてみろよ。きっとすっきりジサツできる』


 ひとみの奥から、なみだがこぼれ落ちた。

 とめどなく、しとしと、しとしと、こぼれ落ちた。

 こえは、出ない。認めたくなかったのかもしれない。

 けれどネットの海を彷徨う見ず知らずのかみさまは、わたしの心音を密やかに読み取り、わかりやすく言語化してみせた。


 ある証明に意味などない。完全に割り切っていたのなら、もっとわたしは緩やかに朽ち果てていくのだろう。実際に南条楓の腐敗は進んでいる。まともな食事は摂ってない。ベッドから起き上がることさえ困難。排泄と水分補給以外の行動は皆無。からっぽの思考で方法論を磨く。すべて本能的な行動であり、同じく本能的な機能から死を忌諱する。そう、思い込んでいた。

 でもベースを弾くことは、べつにいのちに支障をきたすわけじゃないけれど、なにかしらの理由をつけ定期的に行っている。意味が『ない』と思うことで、ちっぽけなプライドを守ろうとしていたのかもしれない。喪失ばかりの茫然たる心がすがりつく希望ってなに?


「わたしの思うしあわせが、ベースを弾くことで叶うとか、ぜんぜん、ぜんぜん、思えないよ」


 動揺の色がにじむこえに、言葉は返ってこなかった。知った素振りでわたしの心を説くかみさまは、当該IDはロスト。さっきまでのやりとりがおかしいらしく、チャットは『ロックが世界を変える(笑)』とか、侮辱や嘲笑の言葉で埋め尽くされている。わたしはログを見つめ直してから、なんにも言わず生放送を中止してベッドに突っ伏した。

 ロックンロールは世界を変えられるのか?――カウンターカルチャーの機能は失われているかもしれないけれど、人間と世界は同義。少なくともわたしは、あのときベースを弾きたいと思った。それは南条楓を変える、世界を変える可能性の証左に他ならない。実体験なんだよね。聴いてくれたひとの、たったひとりの世界なら変えられる。そしてわたしも、また変わりゆくことを心のどこかで望むから、すべて無意味だと切り捨てるくせにベースを弾き続けている。


 枯れ果てたはずのなみだのあとを、指先でゆっくりたどっていく。

 へんなの。まだ、泣ける。うれしくって、泣いちゃうんだ。わたしはようやくほんとうの答えを見つけてしまった。

 変わっていくことと、変わらないこと。

 わたしの夢はジサツだ。ベースが弾けなくなったら、自分を、世界を変えたいと思う希望さえ砕け散り、未練はすべて消え失せる。わたしが世界を変えられないと絶望したとき、ジサツという鮮やかな未来が見える。

 だらだらと惰性で生きていく日常はうんざり。はっきりとしておきたかった。わたしは『わたし』の心を解き放つ。


 わたしからベースを奪う方法は、かみさまのおかげですんなりと思いついた。

 今まで書いた経験のない作曲という行為で、自分の感情を赤裸々にさらけ出す。

 音、言葉、パフォーマンスのすべてがだれかに受け入れられなければ、ううん、正確には『わたしが』納得できなければ、ありとあらゆる意味で拒絶を感じる。自分の抱く憧憬に共感しなくなったら、それはまさしく意味を失うということだよね。他人に認められたいなんて浅はかな欲求は副産物でかまわない。


 無化した思考は、とめどなく妄想を繰り返す。わたしが絶望のうたを聴いて救われるように、わたしの歌う世界は自分と同じようにかなしむひとの心に届くかな?――ちがう。あくまでもわたしは、わたしのために歌う。わたしはわたしを変えるために、ロックンロールを鳴らす。

 まだ寝起きから数時間しか経っていないけれど、寝逃げを決め込むことにした。たっぷりの睡眠薬はおまじない。部屋の灯りを落とし、布団のなかに潜る。わくわくした。どきどきした。わたしはジサツという夢に向かって、やっと歩き出せる。ほんとに死にたいと思っているの?そんな幻聴をあざ笑うかのように、またなみだがぽろぽろぽろぽろこぼれ落ちた。

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