第十一話 違和感のある鏡
深夜、職人達が滂沱の涙を流しながら、作業をしている。
過密なスケジュールの中で、持てる技術の全てを費やして完成させた領主館。
芸術とすら呼べるその館の一室の壁に穴を空ける作業が、職人達の心を苛んでいる──訳ではない。
「泣くな、お前達! 子爵様を見習うんだ。一番辛いのは子爵様なんだぞ!」
「心中、お察し致します! オラは、オラは……っ」
「馬鹿者! 泣くんじゃない!」
職人達は訳の分からない言葉を交わしながら、涙を堪えようと無駄な努力をしている。
サニアが胡乱な目つきで職人達を見ていた。
「……気持ち悪い」
サニアは職人達に抱いた正直な感想を呟く。
職人達の作業は佳境を迎え、大きな一枚鏡を壁の穴にはめ込み始めた。
ソラが事前に用意していたというこの鏡が、職人達の涙を誘発させているらしい。
先ほど近付いて注視してみたが、サニアは妙な感覚に苛まれた。
「それにしても、おかしな鏡ですな」
言葉に出来ない感覚だが、ゴージュも同じ違和感があるらしい。
隣にいたラゼットとリュリュが首を傾げる。
「特に感じないけど?」
「ウチも特になんとも」
のんびり屋で怠惰なラゼットと、容姿に一切の気を使わないリュリュには、感じ取れないらしい。
サニアは益々不思議そうに首を捻る。
ソラに説明を求めても、はぐらかされた。職人達も知っていそうだが、男の尊厳に関わると、口を閉ざして黙秘されてしまった。
ソラと職人達が共有する奇妙な連帯感に、眉を顰めるサニアだった。
「ところで、ソラ様は何処に行ったの?」
ソラは職人達に指示した後、チャフを伴って出掛けた。
真冬の深夜、息も凍るような気温でも、ソラの足を止めるには力不足だった。
それほどに重要な案件なのだろう。
「教会に向かったわ。お忍びだから、朝日が昇る前には帰ってくるそうよ」
「また悪巧みだね。ガイストさんも大変だ」
気遣うような言葉だが、サニアはリュリュと顔を見合わせて笑い合った。
「ざまあみろ、だね」
「ソラ様を敵に回したガイストが悪い」
意地悪に笑い合う少女達に、ラゼットは苦笑する。
ゴージュが不思議そうな顔をした。
「ガイストという男は何者なのですかな?」
サニアとリュリュに嫌われる人物像が浮かばなかったらしい。
ラゼットが顎に手を当てて、思い出す。
「六年前、ウッドドーラ商会と結託して薪不足を引き起こした教会の司教よ。五年前には、サニア達が復興させた村を手中に収めて、オガライトの販売利権を奪っていったの。ソラ様の罠にかかった今は犬同然だけど」
「ラゼット殿にまで嫌われるとは、相当ですな……」
さらりと酷い喩えで締めるラゼットに、ゴージュは頬を引き釣らせた。
町に降りたソラとチャフ、護衛のフェリクスは、教会を目指して歩いていた。
フードを目深に被り、マフラーで口元を隠している。
刃物で出来ているような鋭い寒風が吹き付けていた。
「……クラインセルト子爵、体調は大丈夫なのか?」
「なんだ、心配してくれてるのか?」
「──ち、違う! 途中で倒れられでもしたら、面倒だからだッ!」
慌てた様子で言い返してくるチャフに、ソラは肩を竦める。
──根は良い奴なんだが、頑固なんだよな。
チャフが聞けば怒り出しそうな事を考えながら、ソラはフェリクスに視線を向ける。
護衛にゴージュを連れて来なかったのは、目立つことを嫌ったためだ。
火炎隊は良くも悪くも目立つ。対して、チャフの護衛達は強面なだけだ。
フェリクスは道の隅々にまで注意を向けて、ソラの視線を無視していた。
ソラは声を掛けずに道の先を見た。
雪より白いと思える壁が、夜闇に浮かんでいる。
二、三人の司祭が冷たい水に浸した布で壁を磨いていた。
丁度、深夜の掃除に出くわしたらしい。
司祭達は向かってくるソラ達を見て、眉を顰めた。
ソラ達はフードやマフラーで顔を隠しているため、正体が分からないのだ。
「シャリナはいるか?」
ソラの目配せを受けたフェリクスが、かすかにため息を吐いた後、司祭に問いかける。
「シャリナ嬢さんに用事か。何者だ?」
「おそらく“村”と言えばわかる」
「……ちょっと待っていろ」
ソラから事前に聞いていた言葉を出すと、司祭は釈然としないと言いたげな顔をしつつも、教会に入っていった。
しばらくすると、血相を変えたシャリナとガイストが出てきた。
ソラ達の顔も確認せず、教会の一室に通す。
「……予想以上の効果だったな」
部屋に入ったソラは呟きながら、フードとマフラーを脱いだ。
シャリナとガイストが目を丸くする。
「ソラ様……?」
かつての村の者達が訪ねて来た、と思っていたのだろう。
正体に気付くや否や、ガイストはすぐさま立ち上がり、折り目正しく礼をした。
「申し訳ありません。まさか、ソラ様だとは思いもよらず」
「気にするな。事前に連絡を入れたわけではないからな。こちらこそ、騙すような真似をして済まなかった」
言葉だけで謝罪して、ソラは足を組む。
双方の態度を見れば、上下関係がはっきりしていた。
「緊急の用事でな。明日、子爵領内の町官吏数人に、ここを訪問させたい」
「当教会に、ですか?」
官吏達の評判はすこぶる悪い。
しかも、今や官吏を束ねるソラに至っては、教会に敵視されている始末だ。
わざわざ、敵地に乗り込んでくるのだから、企みがないとは思えない。
「そうだ。俺とガイストの繋がりを匂わせたくてな。それと、この教会の影響力も見せておきたい。不自然にならない程度に信者を集めておいてくれ」
さらりと嘘を交えつつ、ソラは命令する。
弱り顔のガイストに、ソラは笑っていない笑顔を向けて、問いかける。
「文句はないだろ?」
「……ありません」
あると言ったところで、ソラは平気で計画を実行に移す。
その上、信者の前でガイストを罠に掛けるだろう。
三歳のソラにすら、してやられたのだ。今となっては、逆らうだけ無駄だと悟っている。
ガイストは諦めたようにため息を吐いた。
「しかし、我々教会の不利益になるような事は、謹んで頂きたく思います」
「安心しろ。教会信者も大事な領民だからな」
ソラは平然と言葉を換える。
以前よりも狡猾さが増している気がして、ガイストは胃を捻り上げられるような錯覚を覚えた。
「まぁ、本当に安心していい。教会の理念はともかく、互助組織としての機能は評価しているんだ。無闇に潰すことはしない」
目に見えて具合が悪そうなガイストを見かねて、ソラは心労を軽減してやった。
5/19修正




