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第六話  バックランク

 子爵領でも比較的大きな町であるクロスポートには、数軒の宿屋が存在する。

 その内の一つ、海に面した高級宿の一室に、パーティーを終えた官吏達が集っていた。

 部屋の壁は分厚く、密談するには良い場所だ。

 去年まで寂れた漁師町だったクロスポートには、高級と呼べる宿屋はここしかない。

 図らずも同じ宿を取った官吏達だったが、偶然を肴に酒を酌み交わそうと考えたわけではなかった。


「皆の所にも、伯爵から手紙が来ておるのだろう?」


 白が混じり始めた髭を撫でながら、老いた官吏が集まった者達の顔を窺う。

 老人はクラインセルト伯爵領にほど近い、西部の町を管轄している。

 そのため、老人の手元には真っ先に豚伯爵からの手紙が届いていた。

 内容は極めて単純だ。


「伯爵は、跡継ぎが手綱を引きちぎり、子爵領を立ち上げた事にご立腹だ。経営を破綻させ、統治権を取り戻したい、と考えておられる」


 老人が伯爵の内心を代弁する。

 斜向かいのベッドに腰掛けた中年の男が鼻を鳴らした。


「ごますり爺が言うと説得力が違うな」

「黙れ、女衒が」


 老人が視線で射抜く。

 女衒扱いされた中年の男は、動じる事なく睨み返した。

 どちらも言葉が悪いだけで、相手の本質を突いた呼び方だった。


「二人共、止めたまえよ。伯爵の願いを叶えて忠誠心を示したいのは、皆変わらないだろう?」


 心にもない言葉を紡いだのは、ごますり爺の向かいに座る男だ。

 あまりにも見え透いた嘘はジョークとして受け取られ、何人かが笑い声を漏らした。

 この場に集った誰一人、伯爵に対する忠誠心など持ってはいない。

 上手い汁を吸う為だけに官吏の椅子を目指し、姑息な方法を用いて、手に入れた者がほとんどだ。


「しかし、伯爵に付くか、子爵に付くか。意思の統一はした方が良いとは思うよ。女衒に味方する訳ではないけれども、さ」


 肩を竦めて提案され、ごますり爺と女衒が視線を合わせた。


「儂は伯爵に付く。跡継ぎのガキはどうにでもなるだろうが、相談役がトライネン家らしいからのぉ」

「ちッ。ごますり爺と同じ意見だ。他の連中はどうだ?」


 問いかけて、女衒は部屋を見回した。

 銀髪が目を惹いて、女衒は窓際に座るイェラに視線を固定させる。


「ジーラの、お前ん所はどうする気だ? あの爺さんは何しでかすか、いまいち分かんねぇ。是非とも、お聞かせ願いたいね」


 イェラは鬱陶しそうに息を吐き出し、右手で銀髪を掻き上げた。

 ゴミでも見るような視線を女衒に注ぐ。


「付き合いきれません。ジーラは単独で動きます。そちらの補助も邪魔もしないのですから、互いに不干渉といきましょう」

「如何にも、あの爺さんが言いそうな台詞だ。……ジーラにはもう用がねぇ。失せろ」


 女衒が顎で扉を示す。


「女衒さんは話が早くて助かります」


 イェラは窓際から離れ、何の未練もない様子で部屋を横切る。

 女衒の前を通りがかった時、イェラは腕を捕まれた。


「おい若いの、あんまりナメた口利くようなら」


 ──売り飛ばすぞ。

 下から凄む女衒の顔を、気持ち悪そうな顔で見つめる。

 女衒に捕まれた腕を、イェラは軽く振った。武術の嗜みがあるのか、相互の力の関係を理解した動きだ。女衒の手はいとも簡単に離れた。


「売られたら、買えばいいのです」


 イェラは短く言い返して、扉を開ける。

 イェラの背中を、女衒は嘲弄する。


「お前なんざ、誰が買うんだ?」


 イェラは扉を閉めながら、女衒に向けて微笑む。


「──」


 パタンと、扉が閉まる音に被せて、イェラは何事かを呟いた。

 女衒が怪訝に思い、眉を寄せる。


「なんだ。……まぁ、いいか。街の二人はどうするよ?」


 深くは考えず、女衒はこの場に二人しかいない街官吏へ目を向ける。

 行儀悪く机の上に座っていたホルガーは、不愉快げに片眉を跳ね上げた。


「それはなんだ? あれか? このホルガー様のご意向を窺いたいと、平身低頭する前振りか?」


 ホルガーは机から降り、女衒に歩み寄る。

 ただ近づいて来るだけのホルガーに、女衒は怯んだ様子で視線を逸らした。


「すまなかった。ホルガー殿の動きが気になったんだ」

「そうだろうとも! 俺が動けばこうなるものなッ!」


 空気を切る音がした。

 次の瞬間、女衒は顎を蹴り抜かれていた。


「……っく」


 顎を押さえて痛みを堪える女衒に、ホルガーは眼を細める。


「ナメた口利くようなら、蹴り飛ばすぞ?」


 嘲りながら、ホルガーは女衒の隣に腰掛けた。


「ごますり爺、女衒の代わりに仕切れ」


 女衒の顔を片手でぺちぺちと叩きつつ、ホルガーはごますり爺に命じた。


「相変わらず、女衒に容赦がないな」

「蹴り易い顔してるから悪いんだよ」


 悪びれないホルガーには何を言っても無駄と思えた。

 溜め息を吐いたごますり爺は、壁にもたれかかるザシャに声を掛ける。


「グランスーノはどうするのだ?」


 ザシャの管轄しているグランスーノは子爵領北部の街だ。

 更に北へと二、三の村を越えれば、ベルツェ侯爵領がある。

 ザシャが迂闊に動けば、南のソラと北のベルツェを同時に相手取ることになる。


「……沈む船には乗らない」


 クラインセルト領の諺をぼそりと呟いて、ザシャは部屋の扉に手を掛ける。


「おい、おい、連れねぇな。このホルガー様に馬鹿共の面倒見ろってのかよ」


 ホルガーの声が追いかけてきても、ザシャは無視して部屋を出て行った。


「じゃあ、ホルガー様も勝手にするぜ」


 ホルガーは反動をつけ、ベッドから立ち上がる。

 いつも勝手だろと、陰口を叩いた女衒の腹に足で一撃をくれてやる。


「あばよ、無能共。失敗した挙げ句、陸に上がった魚のように、無様に跳ね回るが良い!」


 乱暴に閉められた扉の向こうから、ホルガーの高笑いが聞こえてくる。

 残された六人の官吏はうんざりした顔を見合わせた。


「あれで中身は安定思考ってんだから、呆れちまう」


 女衒が忌々しげに呟いた。

 ごますり爺が同情して気遣いの言葉を口にしかけるが、女衒は手を振って遮る。


「大丈夫だ。それより、話を詰めようじゃねぇか」


 女衒が話の舵を切る。

 官吏達は顔を寄せて、企てを話し合うのだった。



 宿から出たホルガーはそれまでの高笑いを唐突に止めた。

 鋭い目つきで周囲を見回す。

 目撃者は居ないと判断すると、宿の一室で見せた性格からは想像も付かない静かな足運びで道を歩いた。

 しばらくして、クロスポートの端にある小さな宿の前でホルガーは足を止めた。

 慎重に辺りを見回し、宿の扉を開く。

 一階部分は食事が出来る作りのようだ。案外、こちらが本業なのかもしれない。

 しかし、カウンターに宿の主人は居なかった。

 まるで貸し切ったように静かな店、ホルガーの想像通りだった。

 客を装った男が二人、酒を酌み交わしている。

 店に入ってきたホルガーを一瞥するだけで、止める様子はない。

 ホルガーは誰にも声を掛けず、階段を上がる。

 ギシギシと音を立てる床は、意図せず侵入者対策の用をなしていた。

 二階の奥、中途半端に開けられた扉から光が漏れている。

 まるで、栄光の扉だ。

 頭をよぎった発想に、ホルガーの口端がつり上がる。


「……待っておりました」

「……待ち焦がれておりました」


 部屋の中に居た銀髪の娘達が、ホルガーを歓迎した。

 ホルガーは嬉しく無さそうな顔で肩を竦めた。

 部屋の壁に背中を預ける旧知の顔を見つけ、ホルガーは眼を細める。


「ザシャ、気を付けろよ。跡継ぎのガキが不審がってたろ」

「……跡継ぎの視野が思いの外広い様子で、驚きました」


 眼鏡の位置を直しながら、ザシャが答える。

 ホルガーは舌打ちして腕を組んだ。


「まぁいい。ところで、何故、俺達を呼んだ? “双頭人形”さん、よ」


 ホルガーの質問に、銀髪の娘達は微笑んだ。

 ただそれだけで、部屋中に月の明かりが満ちたように錯覚させる。


「聞いた? まだ誰も気付いていないって事よ」


 銀髪の娘の片方が、同じ顔を持つもう片方に語りかける。


「とても、とても面白い遊び。盤上の駒は慌てる事すら、出来ていないって事よ」


 銀髪の娘は笑みを浮かべながら、ゆるゆると頭を振る。


「私のお人形さん、駒は哀れだと思う?」

「私のお人形さん、駒が惨めだと思う?」


 銀髪の娘達は互いに対し、同時に問いかけ、全く同じ動きと早さで頷き合った。そして、クスクスと笑い合う。

 仲の良い双子の姉妹。しかし、銀髪の姉妹が浮かべ続ける作り物めいた笑顔は、一瞬も変化しない。

 微笑ましさなど欠片もない。あるのは根源的な不気味さだった。

 銀髪の娘達はホルガーとザシャに顔を向ける。


「遊びの説明をしてさしあげます」

「あなた達が参加して下さいましたら、後は商人を用意するだけですもの」


 銀髪の娘達は左右それぞれに首を傾げながら、声を合わせる。


「──だから、一緒に遊びませんか?」


5月8日修正

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