第八話 趣味はこっそりと。
ラゼットの報告にソラは唸った。
「うぅん。つまり、材木商と教会が宝くじを計画しているってのか?」
「おそらくはそうです。邪魔しますか?」
ラゼットがやる気のない声で問う。彼女は椅子に座って天井を仰ぎ、濡れた布を目に当てていた。
緊急の報告と言うことで、五日間の連休の二日目にこうしてソラの部屋にやってきたのだ。本来は休みなので普段からやる気のない彼女は常にも増してぐったりしている。
溶けて消えそうなほどに弛緩したその姿は無防備極まりないものだった。
「ラゼット、俺も一応は男なんだけど」
ソラが注意するとラゼットはチラリと彼を見て、
「十五年したら言ってください」
と、のたまった。
中身はともかく外見上は二歳児なので無理からぬ事だが、ソラにもプライドはある。いっそ襲ってやろうかと思っても、そこはやはり二歳児の体、返り討ちに遭うのは目に見えていた。
悔しさに歯噛みするソラに憐れみを覚えたか、ラゼットは濡れた布を取り払って姿勢を正した。
「それで、どうやって妨害しますか?」
材木商が企画しているため、前回のように材料を買い占めるのは難しい。材木商がわざわざ材料を売るはずがない上に、使う木材の種類も分からない。
ラゼットの質問にソラは首を振った。
「妨害はしない。儲からないし、害もないからな。むしろ、ミナンやお父様の注意が材木商に向かうなら歓迎すべきだ」
どうにかしてラゼットをこき使えないだろうかと考えつつも、ソラの現実的な思考は事態の静観を決めた。
途端にラゼットの顔がほころぶのをソラは忌々しく見つめた。彼は不機嫌を隠そうともせずに窓から教会に視線を移す。
「気になるのは浮浪児がため込んでいるらしい薪だな」
帰る家のない浮浪児といえど凍死しないようにたき火くらいはする。だが、その時にくべられる薪は小枝の類だ。
集めても宝くじの札に出来ないのは目に見えている。
「使い道がちっとも分からん」
「分かりませんね」
首をひねるソラにラゼットも追随する。
ソラはしばらく遠くにある教会の白い壁を睨んでいたが、気を取り直したようにラゼットへ向き直った。
「浮浪児の調査は進んでいるのか?」
「まだ調査中ですよ、一日やそこらでは目星も付けられません。浮浪児は横の繋がりが強いので居なくなっても気にされないという条件が厳しいんですよ」
「やっぱりそうか」
浮浪児間の繋がりはソラも予想していた。
街の中でも立場上は最弱である浮浪児達が結束しないはずがない。一人でいればすぐさま大人の食い物にされるのが、人権の存在しないこの世界での常識だ。
「だが、ラゼットの話だと教会は浮浪児を利用しているようだな」
「そりゃあ、浮浪児達が作る緩い組織でも裏切り者はいるものでしょう」
ラゼットが当然のように言う。それを聞いたソラは眉をひそめた。宝くじを教えたミナンに裏切られたのは記憶に新しい。
「裏切り者は嫌いだ……。」
だから、ソラがぼそりと呟くのも仕方のないことだった。
「浮浪児も生きるのに必死なんですよ。教会が味方に付けば飢えなくて済むでしょう」
「飢え、か」
ソラには飢えた経験がない。日本にいた頃もこちらに来てからも衣食住に不自由はしていないのだ。
「そうだな。食べる為なら仕方ないのか」
──それなら、人を裏切らなくても飢えない世界にするだけだ。
理想論と言われようと、“現実的な手段”で道筋をつけたならば幻想とは言われない。
そして、ソラにはその“現実的な手段”が知識としてあるのだ。
「幻想なき理想主義とは、よく言ったもんだよな」
「それなんですか?」
ラゼットの問いにソラは首を横に振って話を打ち切る。
幻想なき理想主義はとあるアメリカ人が謳った言葉だ。
「とりあえず、宝くじが売り出されたら知らせてくれ」
ラゼットは了解すると部屋を出ていった。これからまた街に降りるのだろう。
誰もいなくなった部屋でソラはしばらく外を眺める振りをして耳を澄ました。
「……誰も来ないようだな」
部屋に来る者がいないと見るや、ソラは部屋の片隅にできた遊び道具の山に手を突っ込む。
木製のパズルや積み木などが転がるが気にした様子もない。
小さな手でおもちゃの山を崩していたソラがようやく引っ張りだしたのは継ぎ接ぎだらけの布に包まれた木のナイフだった。おままごとに使うそのおもちゃのナイフは二歳のソラには大きすぎるので奥に仕舞われていたのだ。
ソラがおもちゃのナイフを包む布を取ると、布の裏には文字が書かれていた。だが、ソラ以外に読めはしない。
「日本語が暗号になるのは、やっぱり複雑だな。……便利だけど」
ソラが頭を掻きながら広げた布には日本語が綴られていた。使用人達には子供特有の取り留めのない落書きだと思われている。ラゼットは何かあると感づいているが、深入りして仕事が増えたら嫌だと無視している。
使用人達の勘違いをソラが訂正しないのには理由がある。
この布はソラのメモ帳代わりだ。それも、様々な書物に散らばる魔法に関しての記述を抜粋した代物である。
領民の実に半数近くが信じている教会が魔法を『神が創った世界を改変する技術』と定めているため、魔法書の類は領内に表向き存在しない。裏には出回っているらしいが、教会と癒着しているクラインセルト家が入手出来るはずもない。
──国土の防衛上、魔法を利用しないとは思えないけど、話を聞かないな。話題を避けてるのか。
どうしても魔法を使ってみたいソラは苦肉の策として書斎にあった書物を片端から読みあさって魔法について調べたのだ。少しでも魔法の技術体系が分かれば幸運だった。
こんな方法で魔法を修得しようなどと本物の魔法使いが聞いたなら、数日間は爆笑し、数十日は笑いを堪えるべく山野を転げ回り、数年は思い出し笑いに苦しめられ、腹筋が割れること請け合いだ。
そう、本来なら夢物語の愚挙である。
「時間かかりそうだな。発動方法は発声……多分、詠唱のことだな。あと魔法陣でも発動は可能か。詠唱の文面も魔法陣をどうやって書くのかも流石に分からないか。厨二チックだと燃えるなぁ。やっぱり『黄昏よりも〜〜』ってのは本気で口にしてみたいし」
ワクワクしながら数少ない情報を拾い、整理していく。
「えっと、次は“反応石”ってなんだ、これ?」
魔法の技術体系を類推出来そうな記述に丸をつけたソラは残る記述に見落しがないか読んでいたが、『反応石の利用法』と書かれた文に眉根を寄せる。
改めて布の全体に目を凝らすと反応石についての記述は数が多かった。ソラは主に教会に関連した書物から文章を拾ってきたが、教会においては非常に重要視される石であるため、記述があちこちに紛れ込んだのだ。
「なんか、やばそうな石だな」
重複する文を除いていき、残った記述をまとめていくと反応石は魔法使いを見分ける特殊な石だとわかった。
「魔法使いを迫害してるから、効率的に見分ける方法が開発されて、その結果がこの石か? 仕組みは書いてないな」
どうやら魔法使いが近づくと反応石が輝くらしいが、如何にして魔法使いと一般人を見分けているのか、その肝心の記述が見あたらない。
「反応石を誤魔化す方法を調べてから魔法を覚えないと教会に捕まるし、危ない橋を渡ることはないな」
よし、とことん調べてやろう。そう決意したソラは尻尾があったら振り回していそうな満面の笑顔で魔法使いと一般人の差違を調べだす。
「ハツカネズミがいれば魔法を使わせてから解剖して何処が変化したかを確かめられるのに、実験動物なんてこの世界にはいないしなぁ」
一般人はもちろん、魔法使いにも毛嫌いされる黒魔術的手法を彼はぼやく。
日が落ち、部屋に夜の闇と月の光が忍び込んでも彼は魔法について調べ続けていた。
慌てたラゼットと血相を変えたミナンが次々に部屋へと飛び込む直前まで。