第十一話 その一手は王手
「そんな馬鹿な……。」
苦渋に満ちた顔でレウルが呟く。
その傍で教主付きは頭を抱えていた。
彼らに次々と届けられたのは“指示通り”領内の信者を一時的に破門したとの報告書だった。
勿論、そんな指示は出していない。すぐに偽書だと気付き、それが巻き起こす問題にも想像が及んだため、即刻破門を取り止めるように指令を飛ばした。
だが、結果的にその指令が届くことはなかった。
クラインセルト領に素早く指令を飛ばすにはベルツェ侯爵領の川を下る必要がある。
だが、ソラから計画を聞いていたベルツェ侯爵がクラインセルト伯爵領への移動を制限していた。
迂回路を通ってようやくクラインセルト伯爵領へ指令が着いた頃には教会が民衆の怒りに叩き壊される最中だった。
完全に後手に回ったのだとレウル達は気付くがもう遅い。
事態はクラインセルト伯爵領だけに止まらず、徐々に各地に波及して教会への不信感が高まっていた。
「してやられた……。」
レウルはソラと盤戦を交えた日を思い出していた。
定石を無視した奇襲、駒の連携を絶ち、隙あらば本陣を強襲する。
「──本陣を強襲する……?」
レウルは引っかかりを覚えて記憶を探る。
何かを見落としているのではないだろうかと。
ソラと交わした契約にはもはや意味がない。
──では、伯爵と交わした契約は……。
クラインセルト伯爵との契約は教会の保護だ。
それは第三者の目にはどう映るのか。
「──お待ち下さい! 幾ら近衛隊といえどもこれほどに強引な調べが許されるはずはありません!」
廊下から争う声が聞こえてきた。
事態の深刻さが想像を超えている事に気付いたレウルの顔が青くなる。
混乱が収まる前に部屋の扉が音を立てて開かれた。
「教主レウル、クラインセルト伯爵による反逆について、お聞きしたいことがある。ご足労願いたい」
部屋に入るなり近衛隊副長がレウルに言い放った。
「──クラインセルト伯爵が教会に便宜を計っていた証拠の契約書を持ち出して反逆の共犯とする。取り調べの名目で長期拘束し、教会の動きを鈍くする。クラインセルト伯爵領から出た火種は各地の教会に飛び火して不信感を募らせる、か」
相変わらず小狸だな、と国王は目の前に座るソラを見て呆れと諦めの溜息を吐いた。
場所は牢として使われる王都の外れにある塔、その最上階に位置する部屋だ。
三人に加えて護衛の近衛隊長までいるため人口密度が高いこの部屋にソラは呼び出されていた。
「そんな事よりも、この契約書はどうやった?」
友人に宿題の回答を教えて貰うような気軽さで王太子がソラに訊ねた。
机に置かれたのはソラとクラインセルト伯爵の間で交わされた契約書だ。
全体がカビにまみれているが、その中で一際カビに染まった場所がある。
ソラが署名し印を押した部分だった。
「ヨウ素デンプン反応液という物をインクの代わりに使いました。青紫色の液体ですが暗所では黒く見えます。そのまま放置しても時間経過で退色しますが、カビを生やしてやることでデンプンが分解されるため退色が早まり、最終的には羊皮紙本来の色に負けて識別できなくなります」
「まったくわからない。ヨウ素でんでん──何語だ?」
「ちなみに悪用は出来ませんよ? そうと知っていれば色の違いに気付きますし、今回の事で注意を払う人が増えますから」
ソラが釘を刺すと、王太子は忍び笑う。
「煮え切らない奴らにソラ卿の助命嘆願をしてもらおうと思ったのにな」
「嘆願書の偽造ですか。王太子が私の邪魔をしたいとは思いませんでした」
私は嫌われていたんですね、とソラが目元を隠し、泣いている風な演技つきで返すと王太子はクスクスと笑った。
その様子に国王が胸の前で腕を組む。
「悪ガキ共が。今更何があったところで処刑は取り止めんぞ」
国王の言葉に王太子は肩を竦めた。分かりきった問題の答えを繰り返し聞かされてうんざりしているのだ。
処刑はソラ自身が言い出した事だった。
クラインセルト伯爵家は反逆を企てたことになっている。
反逆者の血筋というのは存外、厄介な物だ。
事情を知っている今の時代ならば表面化しないだろうが、記憶が薄れた頃になれば内憂の元となる。
国家の未来のため、伯爵家を取り潰す必要があった。
ソラ・クラインセルトは処刑され、伯爵家は断絶、クラインセルト伯爵領は国王が新たな貴族に与えて統治させる。それが国家として最良の選択だ。
だが、ソラが居なくなった後、異常な文化が芽生えているあのクラインセルト子爵領と荒廃したクラインセルト伯爵領のバランスを取れる者は少ない。
発端でもある教会派は論外で、魔法使い派はクラインセルト伯爵領に住む元教会信者が割り切れないだろう。
中立派貴族を領主として立てる必要があるが、そこに問題がある。
ソラの家臣団である。
領内の治安と生活基盤を立て直したラゼット達は現在、行方不明になっていた。
彼らが居なければ復興資金の捻出が出来ない。
──小狸めはそれを見越して雲隠れさせたのだろうがな。
国王が睨むとソラは平然と微笑んで見せた。
ソラの家臣団が居なければ真珠や圧縮木材が生産出来ない。
そのため、中立派の貴族にクラインセルト領がうま味は少なく手の掛かる領地に見えるのだ。下手をすると自領が共倒れになる可能性すらある。
ようやく教会派の勢力が縮小した今、国王もわざわざ中立派の恨みを買いたくない。
しかも、最大の懸念は別にある。
ソラ・クラインセルトの家臣団、彼等が新たな領主を認めなかったなら?
あの見事な救援物資の輸送を行なった彼等が軍需物資を扱い、未知の武装を用いて反旗を翻したならどうなるのか。
実際にそうなる確率は高くない。
だが、二の足を踏ませるには十分な脅威だった。
八方塞がりの状況で、ソラがした提案は些か乱暴な物だった。
だが、問題を全て解決できる上に反発も少ない。むしろ反発出来ない貴族が多い。
誰も不良債権を押し付けられたくはないのだから。
「小狸め」
国王が呟くとソラと王太子は顔を見合わせて笑い出した。
ひとしきり笑った後、ソラは立ち上がり部屋を退出する。
その背中に王太子が声をかけた。
「ソラ卿、次は楽園で会おう」
青空を指しながら質の悪い冗談を言う王太子にソラはニヤリと笑う。
「先におもむき、整えて参ります」
翌日より、ソラ・クラインセルトが非公開処刑されたとの知らせが王国各地を賑わせた。