第八話 偽造
取り引きを終えたならもう用はないとソラは足早に廊下を抜けて集会所を後にする。
レウルが話したそうにしていたが無視した。彼も伯爵の前であるためソラを引き留めはしない。
馬車に乗り込んだソラとラゼットはほっと息をつき、肩の力を抜いた。
「レウルの奴、俺達を持ち駒に出来たと思ってるだろうな」
動き出した馬車の中で、ソラは集会所を振り返る。
「十日もすれば奴の甘いマスクも苦悩で歪んで苦くなるだろうよ。ざまあみろ」
昔から変わらない悪戯っ子の笑みを浮かべてソラは集会所から出てきたレウル達を見る。レウル達の手には丸めて留められた契約書が握られていた。
ラゼットは彼らの契約書を遠目に見ながら御者に声をかける。
「子爵邸に向かって下さい。あまり時間もありませんから」
御者が馬に鞭を当てて速度を上げた。
遠ざかるレウル達に心の中で舌を出し、ソラは馬車の進む先に目を向ける。
石畳の大通りを馬車は軽快に進んでいた。
「ラゼット、ゴージュの馬は届いているな?」
「届いてますよ。少々気の荒い白馬ですが」
「何とかなるだろ」
ゴージュは元々国軍に名を連ねていた。ゼズやサニアと違ってきちんとした乗馬の訓練を行っている。
子爵邸に着いたソラはすぐに執務室に入り契約書を取り出した。
机に置いて別の紙に文字を写し取り、伯爵やレウルの文字を真似て目的の文面を作成していく。
ソラは終始楽しそうな、溌剌とした雰囲気で羊皮紙と睨み合っていた。
その様子をラゼットとゴージュが苦笑して見ていた。
「改竄する時が一番清々しい顔というのも問題ですね」
「良くも悪くも、ソラ殿らしいですな」
「お前ら、人を根っからの悪人みたいに言うな。清々しいのは事実だが、俺は必要に迫られてやってるんだ」
ラゼット達に抗議しながらもソラは手を止めない。
羊皮紙とは動物の皮を処理したものであり、水や火に強く保存の仕方によっては百年以上保つ有用な記録媒体だが、致命的な欠点が一つある。
物理的に削る事が出来るのだ。
改竄が容易に出来てしまうこの特性から契約書などの文面が重要な書類は二枚作成され、必要な時には照らし合わせる事が多い。この対策をしないのは緊急時の手紙や命令書、さもなくば表に出ると危険な物くらいだろう。
ソラは手際良く、伯爵とレウルの署名と印を残して羊皮紙を削る。そこに躊躇も遠慮も容赦もない。むしろ、本日のメインイベントとばかりに嬉しげな顔で羊皮紙を削っている。
レウルの署名が書いてあるだけの羊皮紙を前にソラの唇がつり上がった。
「笑う時は可愛らしくとあれほど言っているのに、ソラ様はまたそんな悪人みたいに」
「何時からこんな顔をするようになったんですかな?」
「二歳からですよ……。」
「筋金入りですなぁ……。」
揃って溜め息を吐く二人に構わずソラは羊皮紙の文面を完全に書き換えた。
会心の仕上がりに満足げな様子で文面を読み直してゴージュに声をかける。
「教主レウル様から緊急の命令書だ。クラインセルト伯爵領の教会に素早く配達するように」
芝居掛かった口調とは裏腹に羊皮紙の扱いはぞんざいだ。
丸めて蝋で留めた羊皮紙をゴージュに渡すと、ソラは真面目な顔に戻った。
「ゼズやコルとの合流地点は川だ。必ず届けろ」
「了解。一足先に子爵領に帰って待ってますぞ」
羊皮紙を受け取ったゴージュは身を翻して馬屋へと走っていった。
それを見送ったソラは伯爵の署名と印が入った羊皮紙を見つめる。
「ラゼット、使用人達の避難準備が出来ているか確かめてこい」
「本当に全員が避難していいんですか?」
「伯爵側が自棄になって襲ってくる可能性がある。俺はトライネン伯爵邸にいれば安全だが、使用人を全員連れていくのは無理だからな」
理由を話すとラゼットは納得して部屋を出ていった。
「実際には近衛隊の方が確率高いかもしれないけど……。」
ぼそっと呟いてからソラは伯爵の署名が入った羊皮紙に文字を書き込んでいく。
偽造したそれを机の引き出しに仕舞って鍵をかけた。
「後は結果を御覧じろってな」
子爵位返還の儀まで後十日ほど、ソラは何をして暇を潰そうか悩みながら外を見る。
「見抜けないように打つのが布石ってな」
大教会の方角に向けてソラは忍び笑う。
「囲碁も将棋も二人で遊ぶものだ。豚を連れて勝てるわけが無いんだよ、レウル」
八日後、ラゼットを含む使用人を子爵領へと送り出したソラはトライネン伯爵邸に宿泊する。
宿泊している間に時折、ウッドドーラ商会の者がソラを訪ねていた。
その不審な動きに気付いた者は多かったが誰一人真意を見抜けないままソラは日々を過ごした。
話を聞きつけたレウルは訝しむが、契約書の件があるため半ば安心していた。
それでも心配そうな教主付きにレウルは微笑みかける。
「子爵邸を引き払うのでしょう。我々教会に喜捨を強要される前に全財産を現金化してどこかへ隠し、今後の活動資金に充てるつもりですね。実に彼らしい選択です」
「放って置いてよろしいんですか?」
「あの怪物にはある程度の力を維持してもらわなければ飼う意味がありませんから、放っておきなさい。ただし、資金に関しては常時把握に努めておきましょう。手綱は握っておかなくてはならないのですから」
実に頼もしい怪物ですね。そう言ってレウルは楽しそうに笑った。
そして、ついに子爵位が剥奪される当日を迎えた。
数多の貴族が並ぶ中、ソラは堂々と入場する。
その姿にはこれから位を剥奪される悲壮感は欠片もない。
彼はただ、薄ら笑いを浮かべていた。