第六話 お誘い
「計画の準備は整った。次の一手を打つ」
ソラは子爵邸への道すがら言う。
「まずは父上達と話し合わないとな」
明るい笑顔で悪巧みをするソラはふとゴージュに視線を移す。
「ゴージュ、馬は良いものを使えよ?」
「……用意をしてはありますがね。最後の最後でコルを使うのは考え直した方がいいと思いますぞ。ゼズの奴がそのまま届ければ済む話ですからな」
「ゼズは顔が売れているから無理なんだ。ゴージュも有名だし、コルが適任だ。何しろ演技が出来ない」
「それが心配なんですがな」
ゴージュは顎を撫でながらソラの思惑が分からず首を傾げた。
最後の要がコルというのもゴージュがふてくされている原因の一つである。
「敵地の真っ直中に行くのは儂ら火炎隊の仕事ですぞ?」
「暴れに行くんじゃないからな。必要なのは騙し討ちだよ」
ソラはクスクスと笑っている。
当のコルは今頃、川船の中でゼズに慰められているだろう。
貧乏くじばっかりだと、嘆く様子が目に浮かぶようだと笑うソラをゴージュは悪趣味だと諫めつつ苦笑した。
実際問題、この計画の成功率がもっとも高い人材の配置なのだろう。それはゴージュも分かっているが、素人を敵地のど真ん中に送り込めるくらいなら剣を握る仕事には就かない。
そんな彼の考えを見透かしたように、ソラは笑顔を一転させて真顔に戻す。
「ゴージュ、俺は足手まといを抱え込めるほど楽な状況に居なかった。ああ見えてコルも曲者なんだよ。そうでなければ俺はとっくに食事に毒を盛られてる」
ソラの台詞にゴージュは息を飲んだ。
思い返してみればソラはかなり危ない立場にいたのだ。
クラインセルト伯爵や教会派にとって一々ソラの爵位を剥奪する手順を踏む必要がない。ソラが死ねば伯爵家の継承権が自動的に弟のサロンに渡るのだから。
ならばなぜ、そうならなかったのか。
ゴージュ達火炎隊がいたから直接的な攻撃が加えられなかった。
そして、
「コルがいたから毒を盛ることが出来なかった……?」
ゴージュは茫然と呟く。
ソラはにやりと笑って頷いた。
「コルはああ見えて曲者だ。普段は頼りないし、プレッシャーにも弱いけどな」
「見かけによらんものですな」
少し気弱な料理人を見直したゴージュだった。
子爵邸に帰り着いたソラはクラインセルト伯爵と教主に会談を申し込む手紙をしたためる。
隣ではラゼットが青紫色のインクと黒いインクを用意していた。
「本当にやるんですか?」
心底面倒臭そうにラゼットが言う。
「当然だ」
「……伯爵はあまり見たい顔ではないんですよね」
ソラが間髪入れずに答えるとラゼットは唇を尖らせた。
「そう言うなって、必要な手順なんだから」
「給料アップか、うちの子に新しい玩具を考案してくれたらやらない事もないです」
「……ルービックキューブでも作ってやるよ」
途端に機敏な動きで二種類のインクを鞄に仕舞うラゼットを見て、ソラは思う。
どっちが使われてるんだか分からない、と。
クラインセルト伯爵と教主レウルは王都の大教会にて、ソラからの手紙を受け取った。
「何が取り引きしたいだ。ふざけるな!」
伯爵が手紙を床に叩きつけて怒鳴る。
教主付きは顔をしかめたがレウルは伯爵の言動を委細気にせず微笑みすら浮かべている。
「ソラ卿の事ですから何か罠を仕掛けているのでしょうね」
ソラに五年もの間クラインセルト伯爵領へ手を出させなかったレウルはソラの誘いの裏を見透かそうとする。
「誘いに乗らないのも一つの手ではありませんか?」
「不出来な息子の罠を恐れて逃げろと言うのかッ!?」
この局面で仕掛けるのだから緩手ではないはずだと思っての教主付きの言葉に伯爵が噛みついた。
無能な豚は黙っていろと言いかけた口を無理やり押し止めて、教主付きはレウルに視線を向ける。
レウルは太陽の輝きに似た金の前髪を弄っていた。
「この誘いに乗らないと、子爵領の技術は即座に流出するのでしょうね」
レウルの静かな声に伯爵が机を叩く。
「そうなったら大損ではないか! 誘いに乗って何もかも奪うべきだ」
「……伯爵、少し口を閉じていなさい」
伯爵の怒声にレウルはにこやかに笑いながら命令する。
それはまともな神経の持ち主がみれば静かに燃える青い火を連想するような静かな怒りが込められていたが、如何せん、伯爵はまともな神経の持ち主でもなければ空気が読めるだけの感性も持ち合わせていなかった。
「あいつは儂から領地を奪ったんだぞ? しかも奴は儂の息子だ。奴の持つ物は全て儂の物になるべきだッ!」
傲慢な伯爵の台詞に教主付きが嫌悪のまなざしを向ける。
レウルは微笑みをそのままに目を怒らせた。
「伯爵、あなたの入信を認めないのが何故か分かりませんか?」
「対等の立場だからだ」
教主付きが呆気に取られて魚のように口をパクつかせた。
レウルですら呆れたように小さなため息を吐いた。
「伯爵、あなたは信者ではない。いつ殺しても構わないのですよ?」
「それは……。いや、まさか裏切るつもりか?」
未だに置かれた状況に気付かないのはある意味幸せなのかもしれない。
レウルにとっては裏切るのではなく切り捨てるという感覚だ。
今のレウルなら伯爵を暗殺するのは難しくない。それをしないのはソラの爵位剥奪が済んでいないからである。今伯爵が死ねばクラインセルト領全体を自動的にソラが継いでしまうのだ。
挙動不審に視線をさまよわせる伯爵をレウルは細めた目で見つつ口を開く。
「まぁいいでしょう。領地を取っても技術が流出した後の残り滓では意味がない。伯爵領の立て直しには有用な技術ですからね」
レウルの決定に伯爵は曖昧に頷いた。
伯爵は領地の立て直しに興味がない。技術があれば他の貴族より優位に立てる上に金を儲けられるという点が彼の関心事である。
ソラかレウル、そのどちらが勝っても彼の命運が変わらないと理解する頭などありはしない。
だから今も伯爵の脳裏では捕らぬ狸の皮算用が展開されていた。
そんな伯爵を侮蔑しながらも教主付きはレウルに耳打ちする。
「……ソラ卿、あるいは家臣を捕らえて拷問すれば良いのでは?」
「ソラ卿の家臣は火炎隊が新参者というくらいに長く連れ添っています。火炎隊の由来を忘れましたか? たったの一カ月で命を懸けさせるカリスマの持ち主と最低でも八年付き合っている家臣の口が割れますか?」
「……難しくとも、あるいは──」
「駄目ですよ。ソラ卿の家臣は子爵領での人気も抜群。捕らえるだけでも反乱が起こりかねない。そもそも、技術は独占しなければ意味がない。ソラ卿との結びつきが強いベルツェ侯爵やトライネン伯爵に先んじて技術を奪えるとは思えません。それにソラ卿は頭が回る。こちらの隠し事に気付くのも時間の問題です」
「痛い腹を探られないようあえて相手の誘いに乗り、目を逸らす。そういう事ですか?」
教主付きの問いかけにレウルは深く頷いた。