第七話 今時の流行
仕事。再び仕事。また仕事。更に仕事。今日も明日も明後日も。
眠たい目をこすりつつ、ラゼットは呟くように暗い詩を歌っていた。
「ラゼット、お疲れ様」
ソラが労いの言葉と共に紅茶を差し出す。貴族が飲むのにふさわしい上等な紅茶から品のいい香りが立ち昇る。
そんな上質の紅茶をさっさと飲めとばかりに突き出され、ラゼットは困惑した。
現代日本人の思考が色濃く残るソラにはいまいち理解できていないが、とても使用人ごときに飲ませる代物ではないのだ。
「何を見つめてるんだ。ほら、紅茶が冷めるぞ」
「……頂きます」
少しぶっきらぼうに渡された紅茶を飲む。やっぱり、ラゼットには分不相応な味だった。
貧乏性を自覚しながら紅茶をちびちびと飲んでいると、ソラは窓を開け放って街を見下ろした。大人でも竦むほど鋭い視線は何処に向けられているのか。
「ラゼット、何日か休暇をやるから浮浪児達の様子を探ってくれ」
「また仕事ですか……。」
げんなりした顔でラゼットがため息をつく。
計画の内容が内容だけに忙しさが増すのは覚悟の上だが、こうも休みなしだと愚痴の一つもこぼしたくなる。
最初は子供特有の正義感か、暇な貴族の手遊びかと思っていたラゼットだが、着々と準備を整えていくソラの手伝いをする内に実現の道が見え始めている。
片棒を担いでいる彼女ですら、その計画性と実行力に呆れるばかりだ。同じ二歳児でも平民とはまるで違う。
貴族の血は恐ろしいと思うラゼットだった。特に人をこき使うのに罪悪感が無いところとか。
「できれば、街から消えても気にされないような浮浪児を選んでおいてくれ。体格に関して贅沢は言わないが最低でも十人は欲しい」
「選ぶ際は内密に、ですか?」
ラゼットが確認するとソラは無言で頷いた。
休暇も含めて三日あれば充分だろうというソラを相手にラゼットはゴネにゴネて五日間の休暇を獲得した。
同僚から送られる羨望の眼差しとメイド長からの嫌みを受け流して彼女は屋敷を後にする。
されないとは思うものの、尾行に注意しながら商店街に向かった。
地面がむき出しの中央通りでは乾いた風によって砂ぼこりが舞い上がり、買い物途中の女性達が店先のしなびた野菜に文句も言わず金を払っている。
所々に穴があいた土壁の家から痩せた子供が飛び出し、友達を見つけては合流し、我先にと遊び場へ走っていく。
ラゼットは見かける子供達が着ている服と自分が作った物を頭の中で比べて自信を失ったり、取り戻したりする内に目的の建物にたどり着いた。
太陽の光を白く反射する石作りの壁には泥跳ね一つない。屋根には杖をくわえた鳥の金飾りが鎮座している。
石製の包丁が日常的に使われるここクラインセルト領では非常に高価な鉄で補強されている両開きの扉と上品にあしらわれた色ガラスや反応石が建物の価値を否応なく高めていた。
人が集まる場所には必ず存在する、この建物は教会だ。
ラゼットはしばらく教会を見上げていたが、周囲に人影が無くなったのを横目で確かめて裏手に回った。
教会の裏は薄暗い路地である。教会の施しを期待して“敬虔な信徒”として浮浪者が集まるため、治安は悪くないものの汚い空間になる。
ラゼットは女一人で貧民街に入るよりは安全なこの場所で浮浪児を見つけるつもりだった。
時刻もちょうど昼近く、炊き出しは無くともパンを配る場面に出くわせば、手伝う振りをして浮浪児を観察できる。
そこまで考えてラゼットはここに来たのだが、彼女は一つ忘れていた。
ここは悪政で名高いクラインセルト領の中心地でもある街だ。施しが出来るほど寄付金は望めない。挙げ句の果てに、教会そのものも寄付金より賄賂を当てにするくらい腐敗していた。
「……誰もいない」
教会裏の少し広い空間を路地から覗いてため息を吐く。
猫やカラスも居ないところから、施しがないのは何時もの事らしい。そうでなければ、落としたパンを目当てにした動物が集まらないはずがない。
教会の壁に背中を預けて思案する。当てが外れた腹いせに小石でも蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、何処にも落ちていない。
ままならない日である。
ラゼットが所在なく立っていると、教会の裏口から人の話し声が聞こえてきた。
「──領主も面白い商売を考えなさる。詰めは甘かったが」
「えぇ、材木の買い付けにも混乱があったようですからな。私どもにはその心配がありません」
神経質そうな声に自信満々の声が言い返す。
声のする方へラゼットは首だけ出して覗き込む。ものぐさな彼女らしい仕草だが、今回はその性格に救われたようだ。
覗き込んだ教会の裏口に三人の影があった。一人は五歳かそこらの子供、残りの二人は大人。その三人を取り巻く肌が泡立つような空気は人目をはばかるもので、何らかの密談をしている事がうかがえた。
「心配事があるとすれば領主の機嫌のみか」
神経質そうな声が鼻で笑いながら言った。
「それは教会にお任せしますよ」
「……まぁいいだろう。こちらにもうま味があるからな」
ラゼットは首を引っ込めて聞き耳を立てながら、仕事が増えた気配にため息をついた。
自信満々な声には聞き覚えがあったのだ。
「ツェンド、この話は教会に所属する他の連中にも秘密だ。手柄を分散させる気はないからな。引き換えに商会の王都進出には口添えしよう」
神経質そうな声にツェンドと呼ばれた男はラゼットも知っている。
材木商会ウッドドーラの会長を務める男だ。宝くじに先んじた材木の取引にも巻き込んだので、商談を行ったラゼットにも面識があった。
「分かりました。それでは、私もこれで失礼します」
ツェンドはラゼットが身を潜めているのとは反対の路地へと向かった。
ラゼットもその場を後にしようとした時、神経質そうな声が子供に話しかけた。
「仲間の浮浪児が薪をため込んでいる場所を調べろ。こっそりとな」
神経質そうな声が子供に命じるのを聞きながら、ラゼットはデジャブを感じていた。
どうやら、この街では隠密行動が流行しているらしい。