第十三話 歩の餌食
双方とも家名に誓って尋常な決闘を行う事や、無用な人死を出さないようにと注意を受ける。
ソラは遠くに対峙するチャフの顔を眺めながら重い息を吐き出した。
誰もがチャフの勝利を信じて疑わない。そのせいでソラが言いそびれていることがあった。
決闘に勝った時のチャフに対する要求である。
今それを口にすればソラが勝つ気でいる事にチャフが気付いて警戒し、急戦が成立しない可能性がある。
ソラは口を閉じているしかなかった。
見届け人が口上を並べ終わり、決闘の当事者双方が兵を鼓舞する時間が設けられる。本来なら騎士道精神に則った誓いの一つも立てる場面だが、何しろ決闘方法が変則的なのでこうなった。
チャフが口を開き掛けた時、国王が口を挟んだ。
「勝てば子爵の位を与えよう。爵位が無くては領地の経営に口出しできぬからな」
観客席がざわつきかけたが、すぐに静まった。
国王がクラインセルト伯爵家を切り取ってトライネン伯爵家に組み込むつもりなのだと納得したのだ。
何かとうるさい教会派への見せしめもあるだろうが、クラインセルト領の荒廃振りが目に余るのも事実、功績のあるトライネン伯爵家に便宜を計るのもあるだろう。
忠臣にはクラインセルト領を切り取って与えるわけだ。
反発も大きいだろうに事態を掻き回すのは血がなせる業か、ソラはため息を吐きかけて、はたと気付く。
口を片手で覆い隠し、俯いて表情を悟られないようにしながら考えをまとめ、ソラは会心の笑みを浮かべた。
国王の宣言を聞いて驚いていたチャフが立ち直り、兵を鼓舞する文言を述べる。
「王国の善良な民を苦しめるクラインセルト家にこの手で正義の裁きをくだす!」
形式ばって真面目腐ったそれはこの場に似つかわしい。
近衛隊が「応ッ!」と息を合わせれば、観客席にいた貴族の子弟も皆盛り上がる。年齢相応にこの決闘騒ぎを楽しんでいるのだ。
完全に見せ物だな、と冷めているのはソラばかり。
「ソラ・クラインセルト、兵に掛ける言葉はないのか?」
見届け人に促されたソラは軽く息を吸う。
「無い」
腕を組んで堂々と、しかし端的な返答に眉を顰めた見届け人だが、続くゴージュ達の行動に困惑した。
音もなく十三の木剣が天高く掲げられる。微動だにせぬ重厚なその木剣は密に刻まれた年輪が悠久の時を大地に根を張って生きた証だと誇る。
率いるソラと共に多くを語らぬその姿は揺るがない自信を裏付けた。
ひと月と経たない内に築かれた信頼関係はチャフと近衛隊とのそれを遥かに凌駕するのだと、誰の目にも明らかだった。
「……これより、ソラ・クラインセルトとチャフ・トライネンの決闘を始める。双方、構え」
見届け人がソラをチラリと見ながら告げる。
この決闘で失うのは無能で下衆な“脂豚”の子ではなく、兵に真の信頼を寄せられる指揮官の卵かもしれないと残念に思いながら、見届け人は緊張に乾いた唇を押し開く。
「始めッ!」
開始と共に息を挟む余地すらないほど素早く近衛隊副長を先頭に二列横隊を維持したままチャフ側が警備隊へと突撃する。
前列が長剣の切っ先を警備隊へと向けたまま腰だめに構え、間合いに入るや否や一斉に突き出した。
ゴージュ率いる警備隊は後方に跳び退いてこれをやり過ごし、反撃に移ろうとするがチャフの合図で近衛隊後列が長剣を振り被る。
前列への反撃に対する牽制であり、反撃に転じたゴージュ達の鼻先で近衛隊後列が振り下ろす長剣が風を巻き起こす。
刃が潰されてはいても鉄剣ともなれば骨を砕くなど容易い。あたり所が悪ければ死ぬ可能性も充分にある。
だが、ゴージュ達は些かも怯まずに木剣を横に凪ぐ。近衛隊前列はすかさず長剣でこれを受けたが、内心は驚愕していた。
「なんて速さと重さだ。本当に木剣か!?」
一撃の重さは鉄剣の方に軍配が上がるが、木剣とは思えない威力を秘めている。そして、鉄剣とは比較にならない程に──速い。
剣筋も国軍の正式な型を使っていないのか、酷く読みにくい。
「泣き言は吐き捨てろ。近衛隊が警備隊ごときに負けたら恥と思え!」
近衛隊副長の喝が入れば全体が戦いに意識を集中し、人数差による連携を活かして徐々にゴージュ達を押し始めた。
近衛隊の攻撃を凌ぎながら、後退し始めるゴージュ達。
歩幅を合わせて横列を乱さず剣撃を捌く姿に近衛隊副長は違和感を覚える。
──引きが上手い。上手すぎる。
近衛隊には劣るだろうが、脱落者を出さず巧みに隊列を下げるその練度は相当なもの。余裕がなければ出来ない動きだ。
何かあると感じて周囲に注意を向けるが、ゴージュ達が振るう素早い斬撃に鉄剣をかち合わせるのに意識を取られてしまう。
速さを重視した剣筋は注意を引き付けるためだとようやく分かった。
「チャフ殿、敵は何かを企んでいる。警戒してください!」
近衛隊副長が最後尾にいるチャフへ知らせる。
チャフが首を巡らせて練兵場を見渡すが、不自然な物は発見できない。
しかし、ゴージュ達が斜め後ろに退いたために開始位置から動かずに孤立したソラと護衛二名への進路が開けているのを見つけた。
副長が率いる前列だけでもゴージュ達を押さえることは可能だ。武器の相性により拮抗しているため長期戦になるだろうが、手の空いた後列の十名とチャフで大将であるソラを襲えるメリットは大きい。
このままあの無能のクラインセルト家を相手に長々と闘いを続けては武家の名折れだ。早期に決着させなければならない。
「後列はオレに続け! ソラ・クラインセルトを討つぞッ!」
チャフの命令とほぼ同時に後列が動く。
チャフ率いる総勢十一名が向かってくるのを見てもソラは逃げ出す素振りを見せない。腰に括り付けていた容量五百ミリリットル程のガラス瓶を一本取り出し、木の皮を丸めて作った栓に火を灯す。
護衛二名も同様にガラス瓶を取り出したが、火は点けない。
ソラがガラス瓶を持った手を振り被りながら声を張り上げる。
「攻撃開始ッ!」
ソラが投げたガラス瓶がチャフ達の八メートル前方に落ち、火の手が上がった。
魔法とも思える現象を見て、チャフが走りながら見届け人へ視線で問う。
「魔法ではない。続行」
あらかじめソラから火炎瓶を見せられていた見届け人が決闘の続行を宣言する。
戸惑いはあるが、続けろと言うなら魔法ではないのだろうと判断して思考を切り替える。
幸い、地面を舐める火炎は大した広さも高さもない。簡単に飛び越せる。
チャフはそう判断するが、ソラの護衛二名が続け様に投げたガラス瓶はソラのそれと比べて三倍近い大きさがあった。
わざわざ用意した特注品である。ソラ達の陰に隠すように用意されたそれらが持ち運べないため開始位置から動けなかったのだ。
ガラス瓶の大きさと、それによる規模の違いを想像してチャフはぞっとする。
近衛隊副長が警告した敵の策はこれかと、納得すると同時、背後から雄叫びが響き、彼は思わず振り返って顔を青くした。
ソラの策はまだ始まったばかりだった。




