第一話 五年経った。状況は悪化した。
オガライトの利権騒動からもうじき四年が経つ。
七歳の誕生日を数日後に控えたソラは王都にいる両親からの手紙に思い切り舌打ちした。
「何が王都に来いだ。今はそれ所じゃないってのに」
彼が空のカップを置くとラゼットが慣れた手つきで紅茶を注いだ。
「そういえば、領主様は一昨年からこちらに来てませんけど、ソラ様を王都へ呼んだのもその関係ですか?」
「違うな。王太子の十歳の誕生日祝賀会だそうだ。下は五歳から上は十五歳までの男爵以上に当たる貴族の子供を集めて大々的にやるんだとよ。本音は有力貴族の子供と顔を合わせておこうって所だろうけどな」
俺は賑やかしだよ、とソラは自嘲する。
ラゼットは呆れ混じりに苦笑した。
この四年間を振り返れば、ソラほどに将来有望な跡継ぎが何人いるだろうか。
「お父様は現状を何処まで分かっておいでかね」
机の脇に置かれた木箱を指先で叩く。
街でも指折りの頑固職人が泣くほどの無理をさせて作らせた人の頭ほどの大きさの寄せ木細工。特定の手順でパズルのように板をスライドさせなければ開かない秘密箱である。
中身は大量の真珠だ。五十はあるそれは金額にすればかなりの物で、一生を遊んで暮らすのも夢ではない。
「リュリュ様々だな」
真珠は全てこの四年間で養殖されたものだ。
ラゼットの故郷の村にゼズと共にサニアとリュリュを派遣し、貝を養殖させた。
せっかく捕った貝を食べもせず、何かの細工をして育てる。そんな変人を見る村人の視線に耐えて養殖した貝は成長し、四年間で三回収穫された。真珠の成長に一年の時を要するためだ。
三度の収穫で五十もの真珠を確保した。その八割がリュリュによって核を入れられた貝から穫れたのだ。
彼女とは反対にゼズとサニアは直ぐに貝を駄目にしてしまうので向いてないと判断された。
彼らは代わりに一年中蒸留酒を製造し、漁村の経済を支えている。
酒を蒸留しアルコール濃度を高め、それを燃料としたアルコールランプを売っているのだ。
蝋燭と違って臭いが気にならないため料理屋などが買い求める。それを当て込んだ行商人がゼズ達を訪ねるのだが、ソラの指示により販売店を設けずに漁村を順番に回らせている。
アルコールランプと共にその漁村で品物を買わせる作戦だった。つまりは客寄せである。
たった三人にも関わらず、弾き出す利益はなかなかのものだ。
豚領主が目を付けるのは当然だったが、ソラがゼズ達の行方を誤魔化すようガイストに“お願い”するなどで悉くかわした。
これで、ソラは資金面に関しての目処をつけた。
豚領主はまだソラの動きには気づいていない。何人かの有能な家臣が資金の流れを追っているが、教会への寄付に偽装してガイストを通じてソラに渡る流れを完全には把握できていない。
ソラは窓から街を見下ろす。
ラゼットが隣に立って同じく外を眺めた。秋風に目を細める仕草はひなたぼっこをする猫を思わせる。
「食料品が高値留まりだそうですよ。特に野菜が」
「野菜はどうしようもない」
ソラは嘆息する。
野菜は魚と違い、供給量が圧倒的に足りない。他領からの輸入を当てにしていたが、そこに困った問題が立ち塞がっていた。
それは、政治である。
クラインセルト家の領地は二つの貴族領と接している。
一つはクラインセルト家などの教会派貴族と対立関係にある魔法使い派貴族のベルツェ侯爵家。
もう一つは政治には中立的だが公明正大な武の家柄のトライネン伯爵家で腐敗したクラインセルト家とは仲が悪い。
隣接したどの領地から野菜を輸入しても莫大な関税をかけられてしまってまともな貿易が叶わないのだ。
クラインセルト家前当主と現当主の振る舞いが招いたこの状況はソラを大いに悩ませていた。
直接に会って話せば提示できる利益も用意できる。だが、ソラは豚領主を出し抜かねばならないために領内から動けない。交渉の場を作れないのでは打つ手がなかった。
八方塞がりだ。
そして、さらに致命的なことが起こっている。
二年前から塩の輸出量が大幅に低下したのだ。
クラインセルト領と他領との貿易において、塩は最重要品目だった。塩を輸出していたからこそ漁村はギリギリで暮らす事ができたし、領内の経済は回っていた。
しかし、今や塩の輸出は滞った。原因はまだ分からないが、これは漁村、ひいてはクラインセルト領の収入源が絶たれたことを意味する。
そして、クラインセルト領はどうしても食料品を輸入しなければならない。
現在、クラインセルト領は貿易赤字を抱えており、領内の村が経済的に死にかけている。
ソラは必死に延命処置を施しているが、限界が近い。
「ラゼット、旅行の準備をしてくれ」
ソラは椅子に腰を下ろしながら命じる。
「旅って面倒ですよ?」
早くも疲れた顔をするラゼットにソラは苦笑する。
「仕方ないさ。他ならぬお父様からのお呼び出しだ。それに、悪いことばかりとも言えない」
「と言うと?」
ラゼットが問うとソラは続ける。
「簡単さ。祝賀会には隣接地の領主も顔を出すから上手く話して野菜類を輸入する」
それに王都でならばソラが求めてやまない物が手に入るかもしれないのだ。
苦節五年、ようやく魔法書を手にして魔法使いとなれるかどうかがソラ最大の関心事だった。
いつになく浮き足だった様子の小さな主をラゼットは不思議そうに見つめる。
「本当に、それはもう想像を絶するほど旅は辛いものですよ?」
生まれてから七年間ソラは館から出た事がない。暗殺される危険性が高過ぎるのだ。
それ故にソラが外の世界に夢を見ているのではないかと思ったラゼットはさとしてみるが、彼はまるで聞く耳を持たない。
椅子に座ったために宙に浮いている足をリズミカルにぶらつかせるソラはピクニック前の子供そのものだ。
何を言っても無駄だと判断したラゼットは出発準備を誰かに押しつけられないだろうかと同僚の顔を思い浮かべた。
鼻歌を歌い始めたソラがふと思い出したようにラゼットを振り仰ぐ。
「そうそう、サニアとリュリュを連れていく」
ラゼットが真意を問うような視線を向ける。
ソラは先ほどの上機嫌が嘘のような真顔になっていた。
「王都では人材がおそらく用意できない。俺が動かせる仲間は可能な限り連れていきたい。いざという時の選択肢が狭まるのは不味いからな」
この慎重さはメイドのミナンに裏切られた五年前から変わらないようだ。
「ゼズはどうしますか?」
「可能なら連れていきたい。だが、アルコールランプの販売があるから長期間は無理だろうな」
ソラは苦い顔で机に肘を突いた。
ゼズは能力が高い。その中でも特に、大人の男であるという点が優れている。若い女である二十一歳のラゼットや十七歳のリュリュ、子供である十一歳のサニアとは違って単独行動が出来るのだ。
長い漁師稼業で鍛えられた太い腕はそこらのゴロツキが近寄れない逞しさを持っている。
今のソラには頼りになる男だった。
「多分、連れていけます」
顎に手を当てて思案していたラゼットがソラに福音をもたらした。
「本当か?」
「はい。一時的に教会に販売を委託すればいいと思います。在庫もかなりありますし半年くらいなら、ゼズも動けるはずです」
心強い、ソラが本心からそう言うとラゼットは嬉しそうに微笑んだ。
「やる時はやる男、ですからね」
「ノロケかよ」
ソラがからかい混じりに口にするとラゼットは少し頬を染めて笑った。
三章を開始します。
更新頻度は変えません。
全十一話を予定。
11月8日修正
12月14日修正