第十二話 ソラ不在の王都
メロヴイン伯爵は屋敷に帰るなり、すぐに次のパーティー会場へ向かうべく支度を始めた。
メロヴイン伯爵の機嫌はすこぶる良い。
新ジユズ国との戦争を準備するべく根回しをする東部貴族の動きを察して王太子が動き出した時はまだ余裕を持っていられた。
しかし、ソラが王都にやってきてから、王太子の画策する南部西部貴族派閥は急速に整えられていた。
「それも今日までだったな。ソラ・クライン伯爵にはてこずらされたが、もうこれで心配はない」
昨夜のパーティーにおけるソラの行動で、南部西部貴族派閥は事実上崩壊した。
もともとソラを中心に置いた南部貴族の結束で持っていたようなもろい派閥だ。
王太子はソラとチャフを両輪にして派閥のけん引力を確保するつもりだったのだろうが、まだチャフには派閥の中軸になりうる器量がない。
だが、まだ南部西部貴族派閥には教会派の雄であるジーストラ侯爵がいた。
ジーストラ侯爵は比較的温和な人物であり、武力を背景にした恫喝などは行わない。
だが、教会派だけあって教会組織に強い発言力を持ち、情報収集や調略に長けている。敵に回せば裏で何をしてくるか動向を常に窺わなくてはならない厄介な敵になりえた。
だが、昨夜ソラが自身の領地へ帰ったと聞くなり、ジーストラ侯爵もすぐに自領へと引き上げたという。
今日のパーティーで姿が見えないジーストラ侯爵について、王太子は気にしていない振りを押し通そうと健気な努力をしていた。
メロヴイン伯爵はソラやジーストラ侯爵が抜けた穴を埋めるべく必死に動き回っていたチャフとブライアン男爵の様子を思い出してほくそ笑む。
ジーストラ侯爵がなぜ姿を消したのか、王太子はまだ気付いていない様子だった。
「材料はそろっているというのに、まだまだ青いな」
教会派貴族の塩不足は深刻だ。
岩塩貴族はいまだメロヴイン伯爵の手の内であり、ようやく確保した塩の輸入先であるソラが王太子に反発した。
「いかなジーストラ侯爵であろうとも、塩を握られていてはソラ伯爵の敵には回れんのだよ」
メロヴイン伯爵の予測では、今日のジーストラ侯爵帰郷の情報を貴族たちに流すだけで、西部の教会派貴族はすぐに王太子を見限り、所領へ帰る事だろう。
戦略物資である塩を持つソラに見限られた時点で王太子の敗北は決定しているというのが、メロヴイン伯爵の見立てだった。
戦略物資の塩を押さえるという意味では岩塩貴族も良く働いてくれたとメロヴイン伯爵はほくそ笑む。
岩塩貴族は火付けの実行役を命じたときは顔面蒼白だった。
だが、メロヴイン伯爵が時限発火装置の準備などを行い、岩塩貴族はただ人を雇って火付けを指示しただけだ。明るみに出る可能性は極めて低く、発覚しても雇い入れた者をしっぽ切りしておけばよいだけだというのに、つくづく気の弱い男だとも思う。
「奴の肝がもう少し据わっていれば、教会派貴族共も塩で悩む事はなかっただろうに」
クックッと笑いながら、メロヴイン伯爵は着替えを終える。
時刻を確かめれば、次のパーティーである東部貴族の夜会の開催までは今しばらく余裕があった。
昨夜から今夜までの南部西部貴族派閥を取り巻く状況についての情報交換を兼ねた夜会だが、もはやあまり意味のある夜会でもない。
それほどまでに、王太子の計画からソラが抜けた影響は大きかった。
「それにしても、ソラ伯爵も愚かなことだ。獣人一頭と我々貴族の心証など、天秤に掛ける物ですらないというのに、よりにもよって獣人を取るとは」
ソラが獣人を取った事で宮廷政治に熱心な貴族たちも顔を顰めている。特に東部貴族からの心証は最悪だ。
ジーストラ侯爵たち教会派貴族の塩を握っているとはいえ、塩の産地は他にもある。
「このままいくと、ジーストラ侯爵や他の教会派貴族もソラ伯爵を見限るだろうな。孤立無援、か」
メロヴイン伯爵にとってもソラが獣人を庇い立てするのは理解できない事ではある。
だが、貴族社会における孤立が何を生むかは理解できる。
そして、メロヴイン伯爵から見て、ソラが孤立の意味するところを理解できないほどの愚か者とも思えなかった。
「……噂通りにソラ・クラインセルトと同一人物なら、配下を大事にするあまり周りが見えなくなってもおかしくはないか。何しろまだ若い」
決闘騒動で火炎隊を率いたソラと近衛隊を率いたチャフの戦いは、メロヴイン伯爵も見物していた。
火炎隊の忠誠を引き出したのが、配下を大事にするソラの姿勢だとすれば、獣人を執拗に庇い立てするのも頷ける。
「ならば、ソラ伯爵も孤立は本意ではない?」
ふと思いついて、メロヴイン伯爵は近くに控えていた執事に紙と筆を用意させた。
盆に載せた紙や筆を捧げ持った執事が首をかしげる。
「夜も遅いですが、どなたへの手紙を書かれるのですか?」
「ちょっとした戯れだ。届かなくても良いほどのな」
メロヴイン伯爵は紙に流麗な字を書き連ねる。自身も魔法使いだけあって、達筆だった。
あて先はソラ・クライン伯爵。
「派閥を失い、後ろ盾もなく、孤立するしかないソラ伯爵を東部貴族に招待しようではないか」
孤立する原因を作ったメロヴイン伯爵は悪びれずソラへ東部貴族派閥への参加を促す手紙をしたためる。
脳裏に浮かぶのは情けない岩塩貴族だったが、ソラ伯爵領は新技術の宝庫だ。味方に引き入れる事が出来たなら何かと使い道もあるだろう。
「さて、乗ってくればよし。乗って来ぬのなら一人踊り狂う様を高みの見物としゃれ込もう」
手紙に封蝋を施して、メロヴイン伯爵は下卑た笑みを浮かべた。




