第九話 逆鱗
ブライアン男爵がソラ・クラインセルトを最初に見たのは王太子の誕生パーティーでのことだった。
悪名高きクラインセルト伯爵家の御曹司ではあったが、パーティー会場では如才ない立ち回りをしていた事を覚えている。
ソラが見せた立ち回りの見事さは、ブライアン男爵自身が歳を重ねるにつれて記憶の中で輝きを放った。
集団における立ち位置の作り方、別の集団へ移動する際の引き際、情報の抜き出し方、様々なことが記憶にあるソラの立ち回りから学べたからだ。
今、若手貴族で最も顔が広いと自負できるようになったのも、ソラの立ち回りを研究し、自己流に台詞回しなどを変えていったからだ。
ブライアン男爵にとって、ソラはある種の教本だった。
だからこそ、目の前の状況が信じられなかった。
「……大丈夫ですの?」
メーティエがブライアン男爵の腕にそっと片手をあてる。
はっとして、ブライアン男爵は生唾を飲み込み、冷静さを取り戻す。
冷静になれば、澄ますまでもなくブライアン男爵の耳にも東部貴族が流した噂が聞こえてきた。
「魔窟に火をつけたのはどこぞの伯爵が飼っている愛玩動物だとか」
「魔法を習わせ見世物屋でも開くつもりだったのでしょう。先日も大劇場から楽団を招いたそうですから」
敵意、悪意、害意、外側から人を貶そうとする言葉が東部貴族を中心に繰り出される。
躍進著しい若手貴族のソラが王太子に近付くのを快く思わない北部の貴族も参加して、会場は瞬く間に魔窟の火事と容疑者である熊の獣人の話題で持ちきりになった。
拡散の速さから考えて、事前に打ち合わせしていたとしか思えない。
対するソラは静かに佇んでいた。
現状、ソラには側近の無実を晴らす手立てがない。口を挟む事が藪蛇になりかねず、口を閉ざしているのだろう。
それ以外に打つ手がないことはブライアン男爵にも分かっている。
だが同時に、それが悪手であることも理解していた。
「ソラ伯爵のご意見を伺いたいですな」
メロヴイン伯爵のわきから進み出た小男がソラに声をかけた。
ブライアン男爵の記憶が確かなら、教会派に属していた男だが、岩塩の利権を奪われる前にメロヴイン伯爵にすり寄った貴族だ。
直接表には立たず岩塩貴族を盾に押し出すメロヴイン伯爵のやり口に、ブライアン男爵は思わず顔を顰めてしまう。
だが、有効な手であることも認めざるを得なかった。
ソラが無実を証明する手立てを持たないのと同じように、東部貴族側も犯人だと証明する手立てがない。濡れ衣を着せているのだから当然だ。
つまり、明確な証拠もなく他家の家臣を貶める事になるため外聞が悪い。
そんな告発係を岩塩貴族にやらせる事で、自らの家名には傷を付けない策だろう。
岩塩貴族とのつながりを告発しても、岩塩貴族が勝手にやった事だからと言われてしまえばそれまでだ。むしろ告発者が濡れ衣を着せようとしたと言い返されてしまう。
援護に出たいが、どう切り込んだものか分からずブライアン男爵は思案する。
その時、ソラが鼻で笑った。
「現場である魔窟に住む者が皆一笑に付した説をいまさら持ち出すとは、王都の出来事によほど関心がないと見える。人は背後を見ることができない。東部の皆さんがどちらを向いているかよくわかりますね」
王国の東部に領地を持つ者が国境を接する東の新ジユズ国を睨めば、必然的に王国中央の王都に背を向ける形になる。
ソラの皮肉に岩塩貴族がわずかにたじろいだ。
喧嘩を吹っかけた岩塩貴族は、ソラの返す刀で両断され、二の句が継げないでいる。
ソラが肩をすくめると、自尊心を刺激されたのか岩塩貴族が我に返った。
だが、岩塩貴族が言い返す前にメロヴイン伯爵が笑顔を浮かべてソラに話しかけた。岩塩貴族に任せてもソラには敵わないと踏んだのだろう。
どの道、濡れ衣を着せる一番汚い役回りはすでに岩塩貴族が果たしている。
メロヴイン伯爵が笑顔の中にソラを気遣うような色を見せていた。よくぞあそこまで自分を偽れるものだとブライアン男爵でさえ感心してしまうほどに無害を装って、メロヴイン伯爵が切り出す。
「ソラ伯爵のおっしゃる通り、魔窟では誰も取り合わない説のようだ。だが、事前に現場へ立ち入っていたとの証言があっては、魔窟以外では疑う者が出ても仕方がない。なにしろ、われらの住む東部ではつい最近も獣人が暴れてしまったのだから。そうだ、ここでソラ伯爵が無実の証明をしてみてはどうだろうか?」
さもいま思いついたように、メロヴイン伯爵がソラに無実の証明を促す。
形だけはソラに弁解の機会を与えているように見せかけているのが何ともいやらしかった。
火の粉がかかるのを恐れて、ソラの周囲から人が引いていく。
「無実の証明……。真犯人か黒幕を捕えろとおっしゃるのですか?」
「そこまでしなくともよろしいでしょう。火事に関わりがないと示せばよいだけなのですから」
ソラの形勢が不利になっているのを見て取って、ブライアン男爵は介入を決意した。
「メーティエ、私は殿下に声をかけてくる」
ブライアン男爵はメーティエの手に自らの手を重ねて囁く。
「お父様のそばにおりますわ」
「そうしてくれ」
ジーストラ侯爵のそばにいる限り、メーティエに火の粉がかかる恐れはない。
ブライアン男爵はメーティエと別れ、王太子の下へ静かに移動した。
会場の視線は、無実の証明を促すメロヴイン伯爵とのらりくらりとかわしているソラに集まっている。
難なく王太子のそばに到着したブライアン男爵は周囲をはばかりながら声をかけた。
「殿下、王都における火事の捜査は王家が管轄するはず。ソラ伯爵に証明の義務はありません。メロヴイン伯爵を止めていただけませんか?」
王家の捜査権を盾にすれば、ソラは警備隊が結論を出すまで待つべきだと主張できる。
だが、王太子は苦々しい顔で首を振った。
「それができればソラ卿が真っ先に言い出している。言い出さないという事は、なにか考えがあるか、言いだせない事情があるんだ」
ソラの考えが分からないのか、王太子は難しい顔で考えている。
その時、メロヴイン伯爵がついに攻勢に転じた。
「それにしてもソラ卿、側近が火付けの疑いを掛けられるなど脇が甘いのではありませんかな?」
ソラが無実の証明に応じないとみて、メロヴイン伯爵は攻め手を変えたらしい。
ブライアン男爵は瞬時に頭を切り替えて、メロヴイン伯爵の攻め手を看破する。
ソラの側近の脇の甘さをソラ自身の不始末に転じ、ソラが重要な位置につこうとしている南部西部派閥の結束を崩すつもりだ。
ソラの反論が来る前に、メロヴイン伯爵が続ける。
「そもそも、ソラ卿の側近は出自の漠然とした者が多い。あまつさえ、火付けの疑いを掛けられるような者をいつまで配下として抱えているつもりです? まして、容疑者は獣人でしょう」
ふと、ソラの動きが静止したことに気付いた者がどれだけいただろうか。
ブライアン男爵はソラの変化に気付いたが、それが意味するところは分からなかった。
だが、ブライアン男爵は、焦ったように「まずい」と呟く声を聴いた。
顔を向けた先には青ざめたチャフの姿があった。
慌てたチャフが王太子に駆け寄る直前、メロヴイン伯爵の目がソラから王太子に向く。
「殿下、容疑者であるソラ伯爵の配下の獣人を拘束するべきではございませんか? ソラ伯爵にはどうも部下をかばい立てする悪癖があるようですから」
メロヴイン伯爵が王太子に進言すると同時に、会場の空気が極度の緊張に張りつめた。
ピリピリと肌を刺す緊張感と、息遣いさえ押し殺す静寂の中、ブライアン男爵は理解する。
メロヴイン伯爵の狙いは最初から、王太子にソラ配下の獣人を拘束させる事だったのだと。
差別対象である獣人の容疑者を庇うソラに対して王太子が取れる選択は二つ。容疑者を拘束するか否か。
東部貴族であるメロヴイン伯爵の進言を受け入れて、自己の派閥に属するソラの配下を拘束したならば、東部貴族に対抗するという派閥そのものの意義を否定したことになる。
かといって、拘束しないという選択も取りにくい。
容疑者の拘束自体は理に適っているというのも理由の一つだが、それ以上に件の容疑者が獣人であるという事実が影響している。
南部西部派閥に組み込んだ貴族の内、獣人嫌いの貴族が一斉に離反し、東部と北部の貴族からの心証も悪くなる。
なにより厄介なことに、容疑者が差別対象の獣人であるため、拘束することに〝言い訳〟ができてしまう。新ジユズ国の工作による獣人の暴動を持ち出し、ひとまず容疑者である獣人を拘束するに至った、と。
どちらの選択がより派閥維持に影響が少ないかを考えれば、答えは一つしかなかった。
王太子がソラに声を掛ける。
「……ソラ卿、近衛隊を君の屋敷に向かわせる」
ソラが譲れば、派閥としての被害は最小限に抑えられる。
メロヴイン伯爵が満足そうに頷き、結論が出たことに会場の空気がわずかに緩んだ瞬間――
「――もうやめだ」
緩んだ空気をソラが一言でずたずたに切り裂いた。
メロヴイン伯爵だけでなく、会場中の貴族が唖然としてソラを見る。
ソラが会場の出口に歩き出しながら、不敬にも顔を見る事さえせず王太子に声を掛ける。
「殿下は未熟と思い、今までは譲ってきました。ですが、今回ばかりは承諾しかねる」
カツカツと威圧的に靴音を鳴らして出口へ向かうソラの進路上にいた貴族が硬直する。
硬直した貴族を路傍の石か何かと認識しているのか、ソラは接触しかねないほどスレスレをまっすぐ通り抜ける。
出口の前に到着したソラは初めて会場を振り返り、仮面の下で冷たい輝きを放つ瞳で王太子を見つめた。隣にいるブライアン男爵でさえ肌が泡立つような冷たい眼だ。決して、敬うべき王家へ向ける目ではない。
「ご自分がいかなる判断を下したか、その眼で、その耳でよくご覧になるといい。失礼する」
内臓に氷の刃を突き立てられたような錯覚がするほどの凍てつく声音で、ソラは暇を告げ、慌てて出口を固めようとしている警備の近衛隊士を一瞥する。
「邪魔だ」
付き合いの浅いブライアン男爵でもわかる。
王太子の選択は完全にソラの逆鱗に触れたのだ。
近衛隊が怯みながらも職務を全うすべく出口を固めていると、会場全体を震わせる大音声が奥から響いた。
「――何をやっとる⁉」
床下から突き上げられているのではないかと勘違いしそうな大声の主は確認するまでもない。活火山シドルバー伯爵だ。
国王を迎えに行き、先触れとして先に会場に戻ってきてこの騒動に出くわしたのだろう。
シドルバー伯爵は会場を一瞥し、王太子、チャフ、メロヴイン伯爵の順に視線を移した後、おもむろにソラを見た。
「殿下は予想外の事態に戸惑い、チャフは食い止められなかったと恥じ入り、メロヴインは理解できずに苦しみ、ソラ卿は……ふむ、そうか」
響きすぎて独り言になっていない独り言を呟いたシドルバー伯爵は、腕を組んだ。
「ソラ卿、帰ってよい。出口の近衛共、儂に投げ飛ばされたくなくばソラ卿に道を開けろ」
今度こそ、会場中の貴族の思考が停止した。
王家との繋がりが深いシドルバー伯爵がソラの肩を持つとは考えていなかったのだ。
王太子へ見せつけるように、ソラはシドルバー伯爵に対して敬意の込められた礼をして、会場を出て行った。そんなソラの不敬な態度さえ、シドルバー伯爵は一切咎めない。
「……どうなってるんだ、いったい」
ブライアン男爵は思わずつぶやく。
ソラが譲る、譲らないの状況を超え、いまや南部西部派閥は瓦解した。
ソラと王太子の間に深い溝が作られたことが、王国貴族全員の意識に刻まれただろう。
東部貴族の、メロヴイン伯爵の一人勝ちである。
目まぐるしく変わる状況に理解が追いついた貴族たちが先の一幕をひそひそと囁きだした直後、シドルバー伯爵が本来の仕事に戻り国王の入場を告げる。
ざわつくパーティー出席者の声を遠く聞きながら、ブライアン男爵の頭の中でソラの言葉が繰り返された。
「――ご自分がいかなる判断を下したか、その目で、その耳でよくご覧になるといい」
「何をする気だ、ソラ卿……」
絶望とも取れるあきらめの表情で天井を仰いだチャフが隣で呟いていた。




