第三話 帰ってきた領主
豚親父が帰ってくる。
その知らせを聞いた使用人は総出で玄関に集っていた。
ソラもラゼットに連れられて玄関に姿を見せる。不安そうな顔の使用人たちにソラは笑いかけた。
「お父様はまだ?」
いつもより柔らかい口調を心がけて問いかける。
「もう街に入っておりますので、直にご到着なされるかと思います」
メイド長の返答を聞いたソラはさりげなく玄関扉を睨んだ。
今回の滞在は四日間だ。初日は歓待して酔い潰し、翌日は二日酔いで動きを封じ、三日目は政務で忙殺し、最終日は送行会で酔い潰す。
ソラとしては三日目の政務すらさせたくはないが、流石に外聞が悪い上に領主権限がないと対応できない仕事も多い。
──無能でもいないよりマシって問題だけ片付けてお帰り願うぜ、お父様。
一年かけて調べた結果、文官の五人の内で居残りを命じられた二人が政治の実務面、つまり行政を担当していることが分かっている。行政担当者は半年ごとにメンバーが変わるためソラも把握し切れていない。
行政担当者と豚親父の仲もよく分からないため、ソラは仲間に引き込む前に人間性を調べ、優秀な者を選別するつもりでいる。
その点で見るとこの一年間で行政担当者になった四人は有能なクズが半数、無能な正直者が一人、無能なクズが一人だった。
有能なクズは生かさず殺さず搾り取るのがやたら巧みなので、ソラは質問攻めにより知識と技術を頂いた。不正のやり方も想像が付いたので今後クズを左遷する際につつき回す気だ。
「お帰りなさいませ!」
領主夫婦が馬車から降りるのを見たメイド達が口を揃えて挨拶する。
ソラは満面の笑みを顔に張り付けた。それはあたかも帰郷した両親との再会が嬉しくてたまらない子供に見えるが、事実は異なる。
──いらっしゃいませ、豚野郎ども。今回も騙しきってやる。
腹の黒さでは恐らくこの場で他の追随を許さないソラだった。
「お父様、お母様、お帰りなさい」
「おぉ、ソラ。ずいぶんと大きくなったな」
「たった半年で成長するものね」
口々に息子の成長を喜ぶ姿はどこにでも居る親の姿だ。
「それはそうと、宝くじの代わりはまだ何も思いつかないのか?」
ただでさえ醜い顔に歪んだ唇で弧を描き、豚親父が訊ねた。
「ごめんなさい。思いつきません」
ソラは笑みを浮かべたままはっきりと言い切る。
豚親父はソラの答えを聞くなり笑顔を引っ込めた。
「そうか。役に立たんな」
半年に一度会う度にこれである。
前世も含めて子供を育てたことのないソラだが、腹立たしさを覚えるやり取りだった。
だが、ソラは内心の苛立ちをおくびにも出さない。
「王都のお話を聞かせて下さい」
子供らしく体全体でせがむソラは演技すると共に情報収集を開始する。
領主の座を継ぐにしろ、乗っ取るにしろ、クラインセルト家の政治的な立ち位置を知らなければ後々苦労する。王都での話を聞くことはその点でもプラスになるのだ。
「王都の土産話は後だ。すこし休ませろ」
土産話といいながらもどこか苦々しい口調で豚親父が言う。
王都で何かあったのかと勘ぐるソラだったが、ここはひとまず引くことにした。無理に聞き出して不機嫌さを増せば使用人達の生存率が下がってしまう。
強引な手には出られなかった。
内心のもどかしさを押し殺し、ソラは領主夫婦を見送る。
一度自室に引き上げようかと考えたソラが歩き出す直前、豚領主に声をかける者がいた。
ソラは興味を引かれて足の動きを止め、耳を澄ませる。
「挨拶したいと二等司教様が参られています」
クラインセルト領に司教枠は二人分。各地の教会にいる司祭を取りまとめる立場に当たる職だ。
昨年、新しい司教が一人就任した。豚領主から出世祝い金を受け取っている。
賄賂を送るか、送られるかの違いはあれど、豚領主に近づく教会関係者は総じて下衆だ。聞き耳をたてるだけ無駄と思えて、ソラは興味を失った。
「ラゼット、あなたも呼ばれているわ」
豚領主と話していた使用人が今度はラゼットに声をかける。
ソラとラゼットは思わず顔を見合わせた。司教がラゼットと会いたがる理由が思いつかない。
「ソラ様は私が見ておきますから、ラゼットは応接間へ行きなさい」
返事も聞かずに使用人はソラの手を取った。
「ちょっと待って下さい。私は偉い人との接し方なんて知りませんよ」
「教会の方だから心配はいらないわ。教義にも人を見殺しにしてはいけないってあるから安心なさい」
使用人の言葉にソラは眉を寄せる。
昨年の騒動では間接的に街の人々を殺そうとした連中の掲げる教義に胸が悪くなったのだ。
浮浪児の蓄えていた薪を奪ったのが教会だと知っているラゼットも言葉を失う。
ソラとラゼットの内心は一致していた。
──信用できねえ……!
「兎に角、呼ばれている以上は行かないと駄目よ。それこそ“偉い人”が相手なのだから、待たせるのも失礼だわ。早く行きなさい」
虫でも追い払うような仕草で使用人がラゼットを急かす。
ラゼットは嫌そうな顔を隠しもせずに応接間へと去っていった。
ラゼットを見送った使用人は邪魔者は消えたとばかりに満面の笑みでソラに向き直る。
「さぁ、ソラ様。お着替えをしましょう。旦那様や奥様との久しぶりのお食事会ですもの、精一杯におめかししないといけませんよ。さぁ、さぁ」
ソラ、三歳。何を着せてもかわいいお年頃。
若い使用人の中に機会を見つけてはソラの着せ替えを楽しむ者が増えてきた。
元々ソラは実用一点張りの服を好む。
側付きのラゼットは手っ取り早く仕事が終われば良いという思考なため、やはり着せやすい服に偏る。
必然的に普段のソラは飾り気の欠片もない服装なのだ。
「成長したら旦那様のようになるのですから、着飾れるのは今だけですよ。早く参りましょう」
不敬罪に問われそうな言葉が混じる。
しかし、ソラは笑顔を見せながら使用人に手を引かれるまま歩きだした。
着せ替え人形の代わりをするだけで好感度が上がるなら儲け物だと彼は打算的に考えていた。
12月14日修正