第十五話 暗躍する人々
ツェンドはウッドドーラ商会の一室で唸っていた。
ある日を境に宝くじがめっきり売れなくなったのだ。
原因は分かっている。
「オガライト……なんだ、あれは」
突然にして市場に現れた薪。
オガライトという商品名のそれは、薪不足で苦しむ街中で焚き火をしながら売っていたらしい。
通常の薪より安いそれは完売する度にどこからともなく現れた子供たちによって補充され、在庫の底が分からない。
宝くじを買う客は一気に減少した。宝くじを薪代わりにする家庭も無くなっただろう。
ウッドドーラ商会の収支上はすでに黒字である。
だが、ツェンドは青い顔で頭を抱えていた。
ツェンドの計画では教会の後ろ盾を得て王都で商売を始める予定だった。王都での商売が軌道に乗るまでの資金を今回の宝くじで稼ぎ出し、店を畳んで再出発する気でいたのだ。
クラインセルト領は遠からず破綻する。それがツェンドの予想であり、それならば街のお金を何としてでもかき集めて王都へ活路を求めるべきだと思い、実行した。
街の住人が薪を求めても売り渋り、宝くじにする事で利益を増やしていた。
今、街中でのウッドドーラ商会の評判は酷く否定的だ。利益重視で街を混乱に陥れたのだから当然といえる。
「街で商売は続けられん。王都で店を開いても資金がすぐに底をつく」
街の人々を敵に回した今のウッドドーラ商会に資金を借りる当てなどない。
教会とは手を結んでいるが、教会にとってはウッドドーラ商会の宝くじにこだわる必要はない。王都にある別の商会に話を持ちかければいいのだから。
新しい店舗の購入費などをいくど計算しても結果は変わらない。
ツェンドが頭を悩ませていると部屋の扉が叩かれた。
「なんだ?」
「失礼します。例のメイドがやって来まして、会長に会いたいと」
「例の……クラインセルト家のあのメイドか?」
「はい」
申し訳なさそうに肯定する部下を押しのけて、ツェンドは廊下に飛び出した。
「あら、会長さん。まだ元気そうね。首を吊ってたら商会ごと乗っ取ろうと思ってたのに」
酷く質の悪い冗談を口にした女性は見慣れたメイド服ではなく街娘の格好をしていた。服そのものは安物だが、複雑な鳥の姿が彫り抜かれた木製の髪飾りには小さな真珠が埋め込まれていて一目で上物だと分かる。
一メイドの給料で買える品ではない。
女性は上品な仕草で頭を下げた。
「王都での宝くじを計画しているとか、一枚かませて下さいな。損はさせませんよ」
外した髪飾りを見せびらかすように軽く振る。赤い唇が弧を描き自信に溢れた口調に説得力を上乗せする。
「……ミナンさん。その髪飾りはどこで?」
「クラインセルト家を逃げ出しまして、“給金”で買いました」
ぬけぬけと嘘をついたミナンは目を細めた。
実際は故郷を出る際にもしもの時の資金として持って来た真珠を細工が施された木の髪飾りにはめただけだ。
ウッドドーラ商会は今わずかでも資金が欲しい。ならば王都への道程、匿ってくれるよう交渉できる。
「逃げ出したって……。出身の村がまとめて奴隷化されると聞いてますが、大丈夫なので?」
「既になくなっていました。おそらくは夜逃げでしょうね。少ないながらも給金を仕送りしていたのに挨拶もなく勝手に逃げたんですよ、酷いと思いません?」
何時の間に距離を詰めたのか、気がつけばツェンドの間近でミナンが小首を傾げて微笑んでいた。過剰とも言える自信の明かりが瞳に灯っている。
──もう失うものはない。それでも私はこんなところで終わらない。何度でも這い上がってやる。
一層、笑みを深めたミナンとツェンドが手を結ぶまで、時間はかからなかった。
同じ頃、教会の裏口ではオガライトの現物を検分する男がいた。
表面を撫でる、割って中を確かめるのみならず匂いを嗅いだり舐めてみたりする。偏執的な検分を長い間続けているが、その間にオガライトを持ってきたフードを被った子供に目も向けない。
「これがオガクズから作られているのか」
ようやく口を開いた男に子供はホッと息をついた。
「言われてみれば確かにそのようだが、どうやって固めているんだ……?」
「筒に入れて焼きました」
「それだけか?」
「後はお兄さん達がやったから……。」
子供は両手の指を胸の前で絡ませ、不安そうな上目使いで男をみる。
男は髭のない顎を撫でるとオガライトを脇に置いた。
「誰が考えたか分かるかい?」
「ソラ様だと思う」
子供の返答に男は頬を掻く。ソラ様と言われて思い浮かぶのは領主跡継ぎだが、
──確か、まだ二歳のはずだ。おそらく、発案者が別にいるな。
男はオガライトに目を向ける。
当初は薪の代用品としか見られなかったオガライトは灰や煙の少なさから薪との使い分けも可能と分かり、各商会が扱いたがっている。
男はオガライトを見つめて考え込んでいたが、上に報告して判断を仰ぐのが良いと判断した。
「分かった。しばらくは他の子と一緒にいなさい。教会の事は秘密だ」
子供の頭を撫でて男はいつものように言い含める。
こくりと可愛らしく頭を縦に振った子供は名残惜しそうに教会の金飾りを見上げて背中を向けた。
「こらこら、待ちなさい」
男が優しく声をかけると子供は慌てて振り返った。
「せっかく来たんだ。中に入って神に祈りなさい」
「えっ? でも服が……。」
子供は自分の体を見下ろして言い淀む。服どころか布と呼ぶのもおこがましいボロを巻いた姿だ。
教会に入ればつまみ出されるのは間違いない。実際、忍び込んで放り出されたためにこの男と知り合ったのだ。
「その格好で入れるわけにはいかないな。だが、立派な服を貰ったのだろう?」
男はイタズラっぽい仕草でクラインセルト家の館へ向けて顎をしゃくる。
合点がいった子供は瞳を輝かせて男を見た。
「着替えて来なさい。誰にも知られないようにね」
念を押して男は教会に入っていった。
見送った子供は嬉しそうな顔をしていた。
しかし、一匹の蝶が視界を横切り教会の壁に留まったのを見つけて眉根を寄せると、それを即座に叩き落とした。
地面でもがくように羽を動かす蝶を小さな足で潰し、踏みにじる。
ぐちゃぐちゃになった蝶を見て満足げな顔をした子供は教会の壁が汚れていないのを確かめ、誇らしい顔で去っていった。