第十一話 7ランク
サニアは軽やかな身のこなしで、チャフの懐に潜り込んだ。
チャフの襟元を掴み、静かに押してフェイントを掛け、押し戻そうと足に力が乗った瞬間に背負い投げる。
地面で背中を打つチャフを見下ろし、サニアは立ち上がるように指示した。
「時間がないよ。のんびりしないで」
「……分かっている」
チャフは渋々立ち上がった。
打ちつけた背中が痛むが、文句は言っていられない。
サニアが宿泊している宿の庭で行われている稽古は、二日目に突入していた。
シドルバー伯爵に命じられたからとはいえ、貴族であるチャフに頭を下げられては、サニアも断る事が出来なかったのだ。
ソラに自主裁量を任されてもおり、サニアはチャフに稽古をつける事を承諾した。
稽古を再開するサニアとチャフを宿の中から見守り、ソラはため息を吐く。
「……ただ投げ飛ばしているだけな気がするな」
運動神経が抜群に良いせいか、サニアは実践していれば勝手に身に付くと考えている節がある。
当初こそ、口を挟もうかと思ったソラだが、チャフが急速に実力を付けていく過程を見せつけられ、慎んだ。
今もチャフがサニアの袖を取り、体落としを仕掛けている。
三本前にサニアが使った技である。
何故、ただ投げられるだけで技を身につけられるのか、ソラにはさっぱり理解出来ない。
チャフが仕掛けた体落としは、崩しが未完成だった。
サニアはあっさりと腕を引き、逆にチャフの体勢を崩しにかかる。
力が呑まれる気配を感じたチャフが、サニアの袖を離して距離を取る。
仕切り直しとなって、サニア達は睨み合った。
「お前ら、そろそろ休憩しておけ」
ソラが声を掛けると、サニア達は構えを解いて休憩に入る。
──気まずそうにしてるな……。
サニアとチャフの様子を、ソラがニヤニヤと意地悪に眺めていると、肩を叩かれた。
振り返ると、瞳を輝かせたリュリュがソラに顔を寄せる。
「ソラ様に見せたい物があるんだ」
お気に入りのゲームの新しい楽しみ方を見つけたように、浮かれた調子の声だ。
宿の一室を示すリュリュの指の先は、炭で黒く汚れていた。
羊皮紙か何かに炭で書き込んでいたのだろう。
ソラの手首を掴み、リュリュは目的の部屋に引っ張って行く。
早く披露したくて仕方がないらしい。
「あの設計図を改良したんだ。もっと簡単な作りに出来るんだよ!」
「あぁ、なるほど。もう気付いたのか」
苦笑しながら、ソラが言葉を返す。
リュリュの足が止まった。
リュリュは悔しそうな顔でソラを見る。
「気付いてたのに、なんで“あの形”のままにしたの?」
リュリュの質問に、ソラは肩を竦めた。
「儲けるためだ。改良しない限り、利権は俺とベルツェ侯爵がほぼ独占できるからな」
リュリュは眉を寄せ、考え込んだ。
なかなか答えを導き出せず、眉の距離が次第に縮まっていく。
「いいか、改良前には問題点が──」
ヒントを出そうとしたソラの唇に、リュリュは人差し指を当てた。
「自分で考える」
「……そうか。思い付いたら、答え合わせに来い」
ソラが面白がって微笑むと、リュリュは一人で部屋に戻って行った。
ソラが庭に目をやると、チャフが一人で水を飲み、汗を拭いている姿が見える。
わざわざ庭に出て、隅々まで見渡しても、サニアの姿が見つからなかった。
キョロキョロと辺りを見回すソラに気付き、チャフは鬱陶しそうな顔をする。
「サニアならいない。汗を拭きに行った」
「汗を拭く……ってことは服を脱ぐ? 詳しく聞かせろ。主に場所をッ!」
勢い込んで訊ねたソラに、チャフは呆れの視線を向ける。
チャフは静かに宿の二階を指差した。
見上げてみると、サニアの護衛を命じられていた火炎隊士が窓から顔を出した。
「すんません。ソラ様が来たら全力で排除しろ、とサニアちゃんの仰せでして」
「誰の部下だよ!」
「勿論、ソラ様の部下っすよ。ソラ様の命令は絶対なんで、全力でサニアちゃんの貞操を守り抜く所存っす!」
「なんで排除対象に俺まで入ってるんだ!?」
「全力っすから」
「都合良いな!」
あしからず、と火炎隊士は廊下に頭を引っ込めてしまう。
ソラは諦めてチャフの隣に腰を下ろした。
チャフが横目でちらちらとソラを窺う。
ソラは視線に気付いていたが、あえて無視していた。
やがて、決心がついたのか、チャフは口を開く。
「クラインセルト子爵は何故、獣人を部下にしているのだ?」
「獣人ではなく、サニアを部下にしているんだ」
ソラは静かに答えを返し、チャフの眼を見た。
「サニアは優秀だろう?」
ソラは笑い、チャフは渋い顔をした。
「優秀だから、獣人でも手元に置くのか?」
「チャフは、無能だからといって、人間を手放すのか?」
辛口の質問に、チャフが嫌そうな顔をした。
ソラは苦笑する。
「生まれも、育ちも、能力も、関係ない。関係あるとすれば、上に立つ者が部下を教育できない無能であった場合だけだ。重要なのは、心根や目標さ」
ソラはチャフの胸に軽く拳をぶつけた。
ソラの哲学は、生まれを背景に権力を行使する貴族が理解を示す類の物ではない。
だが、一目置かれるような有力な貴族は表に出さないだけで、理解しているものだ。
生まれや育ちが悪く、能力が低いとしても、裏切る者より遙かに優秀なのだと。
しかし、チャフは難しい顔をする。
──まだ、早いのか。
ソラは小さくため息を吐く。
鉱山の排水装置は図面に起こしてある。試作品が完成すれば、国王達に御披露目する事になるだろう。
チャフはまだ、何一つ知らされていないというのに……。
「フェリクスに勝った時、チャフがどうするのか。その行動で見極めさせてもらう」
「何を見極めると言うんだ?」
チャフの質問には答えず、ソラは立ち上がった。
歩き去るソラの後ろ姿を見送りながら、チャフは考え込んでいた。
「──教えを請うて勝て、か……」
チャフの呟きがかすかにソラの耳に届いた。




