第十八話 本来の使い道
「──捕えた官吏達を乗せた船が上流へ出向したそうですよ」
ラゼットがカップに紅茶を注ぎ入れながら、世間話のように報告した。
カップに手を伸ばしたソラは、笑いをかみ殺していた。
「冬の川は冷たいだろうな」
官吏達を罠にはめ、捕縛した後の動きはきわめて迅速だった。
教会に表から堂々とリュリュが入り、官吏達が毒麦による中毒で領民を無差別に殺害しようとした“事実”をガイストや信者達に説明、直ちに官吏達を破門するよう求めた。
付け加えて、リュリュはソラの言葉も伝えた。
「敬虔な信者とはいえ、所詮は人。間違いを犯すこともある。しかし、神話に関する話は聞いておきたいので、可能ならガイストが見立てた敬虔な信者を寄越して貰いたい」
信者達の動揺と、町の住人が信者に向ける疑いの瞳を見て、ガイストはとばっちりを受けた事を悟る。
ご丁寧に、女衒を含む“無罪の官吏達”が町の各所で直筆の告発書を掲げ、同僚の不始末を詫びていた。
女衒達は一様に繰り返す。
今回の事件に教会は無関係、教会そのものは無実。
もちろん、逆効果だ。
なにしろ、発表された犯行動機は、信者でない者へ天罰を与える事。
一等司教が褒め称えた“敬虔な信者”たる官吏達が、無差別殺人事件で捕まった。
教会の人間だからといっても、選民思想に取り付かれた危ない奴がいる。
信者を見る視線は鋭くなった。
ここのところ、教会への信頼を回復するべく、ガイストやシャリナが走り回っている。
──そろそろ、どちらかが倒れる頃合いだな。
ソラは見舞いの品に何を送ろうかと模索して、クスリと笑う。
これをネタに教会への信頼をもう一段階、失墜させる事もできそうだからだ。
またもや悪巧みをし始めるソラに、ラゼットは苦笑する。
「あまり虐めてはいけませんよ。せっかく、首輪が付いているガイストが、別人と交代しては、私の仕事が増えますから」
「はいはい、考えておくさ」
ソラは釘を刺されても気にせず、軽く流した。
「ライ麦粉の回収はどうだ?」
紅茶を飲んだソラが訊ねる。
倒れてから数日、ソラはライ麦を口にしていないが、未だに本調子ではない。
暖かなカップが冷たい手に心地良かった。
「クロスポートと、周辺の村に関しては既に回収が済んだそうです。他の町や村へも連絡が付きましたが、回収を終えるまで、まだ数日掛かるかと思います」
ラゼットの言葉にソラは神妙に頷いた。
拡散範囲が広く、人手不足が影響している。
回収に際しては買取の形にしているが、幾つかのがめつい商人との交渉も難航していた。
とはいえ、毒麦について周知されるに従って、交渉もまとまる事だろう。
「念の為、宿料亭組合に回収状況の説明と周知を依頼しておくか」
毒麦の回収が終了しない限り、ライ麦の輸入が出来ない。
今でさえ、ライ麦を密輸入し、毒麦としてソラに買取回収させようとする輩が居る。
クラインセルト領の人間は、妙な方向に逞しいのだ。
「……そういえば、ソラ様に聞きたいことがあります」
ラゼットがソラの対面の椅子に腰を下ろす。
毒麦輸入を防ぐための検査が出来ないか、と考えていたソラは半分だけ思考を割いて、口を開く。
「例の鏡か?」
「そうです。あれはなんですか?」
鏡は、リュリュの所有物になっている。研究対象と言った方が近い。
件のリュリュは、ソラから説明を受けた後、部屋に閉じこもって実験に没頭している。
説明をリュリュに丸投げしよう、と考えていたソラの目論見が外れた結果だ。
「あれはハーフミラーだ。……粗製だがな」
頭の後ろで組んだ両手を枕にして、ソラは椅子に寝そべった。
ハーフミラーはマジックミラーとも呼ばれる。
通常の鏡はガラス表面に金属膜を形成するが、ハーフミラーは意図的に金属膜を薄くする事で光の透過率を上げてあるのだ。
この加工により、暗所からはハーフミラーを透過した光により、向こう側を確認できる。
しかし、明所からは金属膜に反射した光が強いために、透過した光に気付かないのだ。
「ただ、いざ造ろうとすると、一つ問題があってな」
ソラは枕にしていた両手を解き、カップに手を伸ばす。
ラゼットは空のカップにお代わりを注ぎ、中身がなくなったティーポットを持って部屋を出た。
新しく用意するのだろう。
ソラは欠伸しながら、冬にしては暖かい太陽の光でひなたぼっこに興じる。
しばらくして、ラゼットが帰ってきたので説明を再開した。
「問題になったのは、金属薄膜をガラスの表面に作る方法だ」
この世界でメッキ加工といえば、アマルガム法と、加熱魔法による蒸着法である。
前者が、水銀に金属を溶かし込んでガラス表面に膜を作る方法。
後者は、金属を蒸発させてガラスに付着させる方法だ。
どちらも、薄膜を作るにはかなりの技術が必要と思えた。
しかし、ソラは絶対に諦めたくなかったのだ。
風呂に浸かり、頭を悩ませること数時間、ふと閃いた。
「無理して薄膜を作る必要なんてないってな」
肩を竦めたソラは服の袖を摘んだ。
袖の布越しにラゼットの顔を透かし見る。
「近くに寄らないと分からない穴を無数に開ければ、向こう側が見えるんだよ」
ソラが考えたハーフミラーは、通常の金属膜をガラス表面に蒸着形成した後に、処理する方法だ。
「絵画手法にスパッタリングというものがある。ブラシで絵の具を飛ばし、小さな水滴を利用するんだ」
ソラは、この方法で金属膜に穴を開けた。
液体である水銀を絵の具に見立て、スパッタリングで金属薄膜に向けて飛ばすのだ。
水滴となった水銀は金属薄膜に付着すると、アマルガムを形成する。
そして、水銀が完全に馴染む前に拭き取る。
スパッタリングで飛んだ無数の水銀水滴が、金属膜を少しずつ溶かし、穴を開けていく。
何度となく繰り返せば、斑の金属薄膜の出来上がりだ。
しかし、これがまた新しい問題を生じさせた。
鏡全体を見た際、光の反射率に違いが出来てしまい、金属薄膜部分がくすんで見えるのだ。
合点が入ったラゼットは、思い出す。
「サニアやゴージュが言っていた違和感の正体ですね?」
「ゴージュにまで気付かれてたか。まぁ、そうだ。一応は誤魔化すために、鏡全体を緩く湾曲させて、光を拡散させたりもした」
光を拡散させることで錯覚を引き起こし、くすんだ部分の面積が小さく見える。
──かなり知恵を絞って作らせたんだがな……。
まさか見破られていたとは知らず、ソラはため息を吐いた。
ソラの仕草を興味深げに観察しながら、ラゼットは口を開く。
「執拗なまでの工夫ですね。……本当は何に使うつもりだったんですか?」
ソラはさり気なく視線を窓に逸らした。
「……前にも言った通り、最初から官吏を罠にはめるために、活用するつもりで──」
「嘘ですよね? 最初からそのつもりなら、壁を取り払う必要なんてなかったはずです。既に作られていた隠し廊下と併せて、別の仕掛けを作る計画だったんでしょう?」
ラゼットがソラの横顔をジッと見つめる。
些細な変化も見逃さない、と口以上に目が言っている。
「……サニアの尻尾は黒と白の二色の毛で覆われているらしい」
脈絡もなくソラが語り出した。
突然なにを言い出すのかと、ラゼットが首を傾げた。
「確かにサニアの尻尾は二色構成ですけど、それが──」
何か関係があるのか。
ラゼットの疑問は言葉にならなかった。
ソラが、机に拳を落としたのである。
鈍いが力強い、腹の底に響くような重量級の打撃音。
ソラの口が小さく開く。
「──だったのに……」
「はい?」
ソラの言葉が聞き取れず、ラゼットが頭を寄せる。
「後少しだったのにッ!」
ガタンッと椅子が倒れる事も気にせずに、ソラは勢い良く立ち上がる。
悔し涙が頬を伝っていた。
血が出るのではないかと心配になる程、薄い唇を噛み締めている。
ソラの表情を見て、ラゼットは理解した。
「まさか、尻尾を覗き見るためだけにあの鏡を?」
「そうだ! 耳と違って尻尾は何時までも隠したまま。短いから邪魔にならないとか、そんな問題じゃないんだよ! 俺が見たいんだよ! サニアは分かってない。何も分かってない。自分が持つアドバンテージを、アイデンティティを、理解していないんだ! だが、今はどうでも良い。俺は、俺は──」
ソラは大きく息を吸い、肺よ燃え尽きろ、とばかりに叫ぶ。
「尻尾が見たいんだッ!」
胸の前で拳を固く握りしめ、ソラは吼えた。
それは、男らしいと形容するに相応しい、確固たる野望に満ちていた。
だが、ラゼットは同情的な視線を扉に向ける。
ラゼットの反応を疑問に思い、ソラは視線を追って部屋の扉を見た。
扉は開かれていた。
部屋に一歩、足を踏み入れた体勢で、一人の少女が固まっていた。
手に持ったティーポットの中身が凍り付きそうなくらいに冷たい瞳で、少女はソラを見つめている。
「……ケダモノ」
少女、サニアは一言だけ呟いて、足を引き戻し、扉を閉めた。
ソラは胸の前で握りしめていた拳を開き、至って冷静にラゼットへ向き直る。
「ラゼットが紅茶の代わりを淹れるよう、サニアに頼んで戻ってきた。頼まれた紅茶を持ってやってきたサニアは、俺の野望を耳にした。今、俺の評価はだだ下がり……?」
ラゼットは静かに頷いた。
「正解です」
ソラは駆け出した。
風を巻き起こし、扉を開けた際のけたたましい音など知った事かと、ソラは廊下を駆けていった。
「誤解だ、サニア!」
「うるさい。寄るな、ケダモノ変態!」
ソラの言い訳とサニアの罵声が遠ざかっていく。
一人残されたラゼットは暖かな日の光に眼を細め、欠伸した。
「──良い天気ですね」
何処かで、人が投げ飛ばされて地に落ちる音が鳴った。
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