第十七話 そして、悩める囚人は居なくなった。
町官吏を集めた広間に、ラゼットとリュリュが入ってきた。
二人に遅れてやって来たソラは、部屋を見回して微笑を浮かべる。
町官吏達は裏切り者を見つけ出そうと、互いに警戒し合っていた。
──無駄な努力だってのに。
広間に入ってきたソラに気付いた町官吏達は、それぞれに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
しかし、全員が同じ表情でソラに近付こうとして、足を止める。
「……どうなってる?」
女衒が怪訝な顔でごますり爺を見た。
六人の町官吏の内、三人が首を切られるはずだ。
全員が勝ち誇る事態は有り得ない。
女衒は、ごますり爺が裏切る場面を鏡の裏から見て、知っている。
裏切り者の枠は後一人のはずだ。
不測の事態に女衒は内心で首を捻る。
しかし、自分が裏切り者である以上、ソラの近くに居た方が安全だ。
そう考えて、一歩を踏み出すが、同僚達もまったく同じタイミングで足を動かしていた。
女衒の額に冷たい汗が浮かぶ。
「──同僚を思うお前達の麗しい心、確かに受け取った」
込み上げる笑いを堪えるような声が、場に落とされる。
顔を向ければ、分厚い羊皮紙の束を両手で掲げたソラがいた。
女衒達の視線は見覚えのある羊皮紙の束に釘付けだ。
ソラは羊皮紙の束を掲げたまま、首を傾げてニッコリと微笑んだ。
「六人掛ける三枚で、計十八枚。これ、なぁんだ?」
事態を把握した者から、顔色が青く染まっていく。
女衒は青い顔で、ごますり爺達を見回した。
「まさか、全員が裏切りを持ちかけられて、告発文を書いたのか……?」
女衒の問いに答えたのは、ソラだった。
「その通りだ。裏切りを三人にしか勧めないと、誰か言ったのか?」
絶句する町官吏達を、ソラが笑う。
「ちなみに、誰かさんが“最初”に裏切った事は全員が知っている」
ソラは意味ありげに女衒を見た。
女衒の目がごますり爺に向くが、その時、自分に同僚の視線を集まっている事に気付く。
まるで、この事態を招いた犯人を見るような視線だった。
不可解な状況に直面し、女衒の目が泳ぐ。
「……先に書かれた告発書を見せてやったんだ」
ソラが笑う。簡単な芸を成功させた馬鹿犬を褒めるように、良くできました、と誉めそやす。
「読み通り、やればできる子だったな」
ソラは羊皮紙の束を後ろに控えていたラゼットに渡す。
そして、笑みを消し、町官吏達に冷徹な瞳を向けた。
「リュリュ、例の物を出せ」
指示を受けたリュリュが書類束を出した。
ソラはリュリュが持つ書類束を指し示す。
「不正の証拠書類だ。証人にも話を付けてある。言い逃れようなんて考えるな。まぁ、考えたところで──」
言葉を区切ったソラは、意味ありげに告発書の束に視線を向けた。
そう、告発書がある限り、町官吏同士で連携する事はおろか、教会に助けを求める事も出来ない。
町官吏達に退路は残されていなかった。
ただでさえ青くなっていた女衒達の顔から、血の気が引く。
「……だ、誰の首を切る、つもりですか?」
女衒が震え声で訊ねる。限界まで乾いた喉が痛み、次第に声はかすれていった。
女衒の言葉で我に返ったごますり爺が、即座に跪いて頭を垂れた。
「儂は最初からソラ様に臣従を誓っております! 商業的に魅力のない土地を任された身として、商会を繋ぎ留めるべく汚い手も使いましたが、決して、誓って、本心からでは御座いません。何卒、ご考慮頂きたく!」
「汚ぇぞ、ごますり爺!」
ごますり爺が自尊心をかなぐり捨てて、ソラに縋るような態度で言葉を並べると、即座に罵声が飛んだ。
「そもそも、賄賂を送ってくる商会に肩入れして、商売敵に脱税の罪を着せて潰しただろうが!」
罵声の主にまくし立てられ、ごますり爺は慌てたように反論する。
「ち、違う! 儂はそんな事をしておらん! それに、貴様こそ、押収物を闇市に横流ししておると聞いとるぞ! どいつもこいつも、臑に傷を持っとる輩ばかりだ!」
「なんだとッ?」
ごますり爺が返した言葉が呼び水となり、町官吏達は互いの罪を挙げ連ねる。
町官吏達は必死だった。
次々と暴露される自らの罪の重さを思えば、刑は相当に過酷なものとなる。
暴露会場と化した広間を、ラゼット達家臣団は呆れ顔で眺めていた。
ソラは、眼前で繰り広げられる醜い馬鹿騒ぎに嫌気が差して、盛大なため息を吐き出した。
「……おい、馬鹿共」
ソラの声は小さな物だった。
しかし、広間を囲む火炎隊が一斉に居住まいを正した事で、町官吏達も気付いたのだろう。
土気色の顔を揃えて、ソラを見る。
家畜の屠殺を思案するような、無感動で鋭利な瞳とぶつかり、町官吏達の体が芯から震えた。
ソラは、断首刀を想起させる人差し指を、右端に立つごますり爺へと、向けた。
「一匹」
ごますり爺が目を見開いた瞬間、火炎隊士の一人に腕を捕まれ、組伏せられた。
人を床に叩き付ける、異質な音が響く。
手荒なやり方に呆けていたごますり爺は、状況を理解すると顔をくしゃくしゃにして、歯をガチガチと噛み合わせた。
「やだ、嫌だ……死刑は嫌だッ!」
暴れようとしても、本職の兵士に敵うはずもない。
ごますり爺は、嫌だ嫌だと、うわ言を繰り返す。
縋るような視線を、ソラは鼻で笑った。
「知るか。次はそれ」
ソラの指先が向いた途端、示された男は逃走を試みる。
全速力で駆け出した男は、すぐさま隣に並んだ火炎隊士に襟を捕まれた。
逃げられないと悟った男は、絶望に顔を歪める。
ソラはつまらなそうに男を一瞥し、舌打ちした。
「逃げるな。手間が増える」
ソラは最後に中年の男へ視線を向ける。
中年男がビクリと震わせた肩へ、火炎隊士が手を置いた。
中年男がさめざめと涙を流しながら、くず折れる。
興味を失ったらしく、ソラは眼を向ける事もしなかった。
「……片付けは終わり──」
「慈悲を、一抹の慈悲をッ!」
ソラの台詞を遮って、悲痛なまでにごますり爺が懇願した。
あまりにも惨めな姿。
女衒達は、一歩間違えれば自身がごますり爺と同じ立場になっていた事に、心の底から沸き上がる恐怖を覚えた。
ソラがどんな無慈悲な言葉を叩きつけるのかと、恐れながら視線を向ける。
しかし、ソラはにこやかな笑みを浮かべていた。
「言っただろう。ベルツェ侯爵から数人借りた。何を喚こうがお前らは用済みだ。取り敢えず、罪を償って貰おうか」
笑みを浮かべながら、ソラは無慈悲にごますり爺の懇願を一蹴した。
ごますり爺はその場で床に額を擦りつける。
「いやだ。死刑は、死刑は嫌だッ!」
「助けて下さい。命だけはどうか!」
ごますり爺と共に捕まった二人も、床に這い蹲り、必死に慈悲を請う。
「──死刑になんかしないさ。死体は何の役にも立たないからな」
意外な台詞が場に投じられ、沈黙が落ちた。
俯いて涙を堪えていたごますり爺が、一筋の希望に安心して、汚い笑みが浮かんだ顔を僅かに上げる。
これほどに惨めな姿を晒す羽目になったのだ。
必ず、後悔させてやる。
ごますり爺は決意したが、ソラを隠れ見て、ぞっとする。
何故なら、ソラの顔には罪を許す、慈悲をたたえた笑みなどなかったから。
ソラの顔にはただ、命令を聞かない馬鹿犬に鞭をくれてやる飼い主のような、嗜虐的な表情が浮かんでいた。
「刑は強制労働に決定。子爵領の川底を浚ってこい」
ソラは天使のようなとびきりの笑顔で、悪魔のようなとびきりに悪質な言葉を付け足した。
「一生、な」
希望の糸に火をつけるような台詞。
衝撃を受けて呆けたごますり爺の襟を掴み上げ、火炎隊士達は罪人を連行していく。
ソラはごますり爺達を見送りながら、しみじみと呟いた。
「俺って、なんて優しいんだろ……」
ソラの独り言を聞き取った女衒は、心に堅く誓う。
──こんな化け物、二度と敵に回すものか。