剣戟が響く森
ルボワの森に風が吹き抜け、木々の枝葉を撫ぜていく。
だが、森の中で対峙する二人は、風などに気を留めずに互いを見据えていた。
片や、無表情。片や、笑顔。対照的な表情を顔に浮かべながら、視線が相手から外れることはない。
両者が構える剣は、微動だにせず相手を狙う。
緊張感で張り詰めた空間に、音は無い。
風で揺れる枝葉の音も、彼らには聞こえない。
「……っ」
エンデがその空気に堪えかねてか、後ろに一歩下がった。
その足が落ち葉を踏み、がさりという音がやけに大きく森に響く。
瞬間、両者は同時に地を蹴った。
刃のぶつかり合う音が森の中に響く。
―――剣戟の音と共に、戦いの舞台は開幕した。
先に仕掛けたのはアルバだ。
男の剣を受け流し、彼の胴を断ち切るように剣を薙ぐ。
鋭い剣筋に、風を切るような音が聞こえた。
「よっと!」
だが、男は軽々とその剣を受け止めて、逆にアルバの剣を弾き返した。
更に、彼の喉元目掛けて剣を突き出す。
「……!」
アルバは咄嗟に体を反らして剣先から逃れるが、僅かに首筋を掠めた。
ちり、とほんの一瞬焼け付くような痛みが走り、首筋に血が滲む。
「これで、お相子だな」
にっこりと男は笑い、アルバに刻まれた首の傷を指差した。
そして、彼は思い出したように再び口を開く。
「そういえば、自己紹介がまだだったよな」
「……」
「俺はキース。キース・エイデンだ。君の名前は……」
男―――キースは名乗ると同時に地を蹴った。
「どうせ殺すんだし、知らなくてもいいよなっ!」
彼は一気にアルバに肉薄し、剣を振り下ろす。
脳天めがけて振り下ろされたその刃を、アルバは体をずらしてかわすと、逆にキースに切りかかった。
だが、その攻撃は防がれる。
「ははっ!まだまだ行くぜっ!」
「……はぁッ!」
金属音と共に、火花が散った。
彼らは一度距離を取り、だがどちらともなく再び距離を詰める。銀の軌跡が二つ、森の中で煌いた。
二度、三度と打ち合うほどに、互いの剣が鋭さを増していく。
「……」
ギィィンと、鈍く響き渡る金属音。アルバとキースの剣がせめぎ合う。
拮抗する力の押し合いに、刀身が細かく震えていた。
「意外にやるなぁ、君」
「……」
「相変わらずだんまりか……君、もう少し愛想良くすればいいのに」
「………聞きたいことがある」
鍔迫り合いの最中、アルバはキースの刃を受け止めながら、低い声で問いかける。
「師匠を……ツァイト村の者達を殺したのは、お前か?」
「………さあて、ね。どうだろうな?」
おどけた様子で彼は笑った。
平凡な笑顔だ。刃ごしに見える笑みとは到底思えない。
アルバは剣呑な光を宿した目を細めると、剣を握る手に力を込めた。
「―――言わないなら、言わせるだけだ」
「へぇ?やってごらんよ。出来るものならの話だけどね!」
両者の剣は金属音と共に弾かれて、二人もまた後方に跳ぶ。
アルバはキースが体勢を整えるその前に地面を蹴り、剣を大きく振りかぶった。
***
アルバとキースが戦っている場所から少し離れた、森の奥。
そこに二人の人間が立っていた。
森に紛れるような迷彩柄の外套を身に纏った痩躯の青年と、漆黒の外套を頭まですっぽりと被った子供程度の身長の人物。
くすんだ金色の髪で片目を隠している青年は、隻眼でアルバとキースの戦いを眺め、面倒くさそうに溜息を吐いた。
「……アイツ、タイムリミットあるってわかってんのかよ?」
それを聞いていた小柄な身長の人物が俯き、小さな声で青年に言う。
「………あの人いつも、おにいちゃんの言うこと聞かない……」
可愛らしい声だった。
声の質からして、幼い少女のようである。
「んー……『おにいちゃん』の言う事もだが、『直属の上司様』の言う事も聞かねえよなぁ………あの人がいる時は言うこと聞いてるけどよ…」
半ば愚痴に近い言葉を呟いてから、青年は懐に手を差し入れた。
外套の中から出した手の中には、掌に収まる大きさをした金色の懐中時計が握られている。
彼は竜頭を押して時計の蓋を開けると、時間を確認して溜息を吐いた。
「あー……もう時間ねぇぞ。キースの奴、遊びすぎだっつーの」
「………キースと戦ってるの、弱いの?」
「どうだろうな。お互い、小手調べって所だろうが……」
青年は時計を再び懐に仕舞いこむと、少女の方に振り返る。
少女の表情はフードに隠れていて見えないが、どうやら緊張しているらしく、体が微かに震えているのが見て取れた。
「もう時間切れだな。―――頼む」
「……わかった」
少女が頷いたのを見て、青年は彼女の頭に手を置く。
青年の手が離れると同時、フードの奥に隠れている少女の瞳が蒼く煌めいた。
***
「―――アルバさんッ!!」
アルバが剣を振り上げた瞬間、エンデが自分の名を叫ぶのが聞こえた。
切羽詰まったその叫びに、彼は視線を一度彼女に向ける。
次いで視線を反対側、つまりエンデが見ている方向に移した。
「……?」
道から逸れた茂みの遥か奥、褐色の何かが駆けてくるのが見えたのだ。
見間違いかと思ったが、褐色は段々と大きくなってくる。
アルバが目を凝らしてみると、獣が此方に向かってきている。
……否、違う。獣ではない。
褐色の体躯は獣以上に巨大で、下手したら普通の魔物よりも大きい。
魔物が大きく跳躍した。同時、爪を振り上げてアルバに襲いかかってくる。
「く……っ!」
彼はキースを切ることを諦めて、後方に跳んだ。
一拍置いて、魔物の爪がアルバが居た空間を抉る。
「……あれ?君って確か……」
キースが目前に降り立った魔物に目を丸くした。
その声に、魔物がキースの方にくるりと振り返る。
驚いたことに、その魔物はキースに対する敵意が無かった。
ただじっと、キースの方を見ているだけだ。
「……ああ!もう時間切れなのか」
彼は不意に声を上げる。
キースは残念そうに溜息を吐くと、剣を鞘にしまった。
アルバは目を剣呑に細め、低い声で唸る。
「……逃げるのか」
「うーん……残念だけど、今回は撤退させてもらうよ」
キースは全く残念に聞こえない調子で答えると、森の茂みへと身を翻した。
「生きてたら会おうぜ。エンデちゃんと―――アルバくん」
「待て!」
アルバの制止もむなしく、キースの黒いコートが森の奥へと消えていく。
あの男を追うべきかどうか逡巡したアルバ。
だが、此処にエンデを一人で残すということは、唸り声を上げる魔物の餌食になるということに他ならない。
そうなれば、本末転倒だ。
「……」
彼はキースの去っていった方向から目を逸らし、既に戦闘態勢に入っている魔物を睨み据えた。
アルバは剣を構え直し、魔物を注視する。
姿形は狼に似ているが、尾だけが異様に長い。時折上下に揺れて、地面をびしりと叩いている。
体躯は狼と比較すると倍以上の大きさだ。
固そうな体毛は褐色で、獰猛な光を湛える瞳は黄褐色をしていた。
ルボワの森に出現する魔物は、基本的に植物に擬態する植物型の魔物か、小型の獣のような魔物である。
この森を何度も通っているアルバだが、このような魔物は見たことが無い。
となると新種か、それとも―――
「グルルル………ッ!」
唸り声と共に、ジャリ…と土を踏む音が響く。
魔物が地を蹴りアルバに襲いかかった。
鋭い爪を振り上げて、アルバに向かって振り下ろす。
体重が乗せられた重い一撃を、彼は横っ跳びに回避した。
「くらえ!」
そして、即座に攻撃に移行する。
アルバは魔物との距離を詰め、剣を水平に切り払う。
剣先が魔物の体を僅かに切り裂くも、決定打には至らない。
褐色の毛が何本か宙を舞った。
「ガアアアァッ!!」
だが、魔物はそんなことは瑣末なものだと言わんばかりに、アルバに向かって襲いかかる。
喉元めがけて喰らいつこうとする口に、鋭い牙が並んでいるのが見えた。
その攻撃を、アルバは後ろに下がりながら剣を振る。今度は確かな手応えがあった。
「はあッ!」
彼は勢いのまま、剣を振り切る。
魔物の鼻先を刃が斬り抉り、真っ赤な鮮血を地面に散らせた。
痛みのあまりか魔物が一瞬動きを止める。
―――アルバには、その一瞬で十分だった。
「終わりだ!」
彼は叫び、力強く大地を踏み締め駆けていく。
一気に魔物に肉薄し、両手に握った剣を突き出した。
「ギャィィンッ!!」
肉を貫く嫌な感触が広がり、魔物の悲鳴が鼓膜を震わせる。
それら全ての感覚を無視して、アルバは剣を引き抜いた。
引き抜くと同時に血が飛び散り、魔物の褐色の体毛を鮮やかに染めていく。
だが、まだ倒れていない。アルバは魔物に止めを刺そうと、血に濡れた剣を振り上げた。
「……?」
その時、彼の視界の隅に何かが映る。
茶色の糸を束ねたような、長い―――
―――尾だ。
気付いた瞬間、魔物の尾がしなり、アルバに向かって放たれる。
「ぐ……っ!」
咄嗟に腕で防いだものの、その威力は彼の予想を越えていた。
尾とはいえ、魔物のそれはまさに鞭のように、アルバの手の甲へ叩きつけられたのである。
防具を着けていたが想定外の衝撃により、彼の手から剣が弾き飛ばされた。
剣は空中でくるくると回り、アルバと魔物から少し離れた場所に突き刺さる。
「しまっ……!」
この時、彼は魔物に対して無防備であった。
ほんの刹那の動揺。魔物はその隙を突き、体を捩らせアルバに向かって大きく口を開けた。
いかに防具を身に着けていた人間であろうと、この魔物の牙にかかれば、そんなものは紙切れのように簡単に切り裂かれ、魔物の餌食となっただろう。
彼もまた、同じ運命を辿るかに思われた。
―――だが、その運命は思いもよらぬ者の手により覆される。
「アルバ――――――ッ!!!」
少女の絶叫。
エンデの悲鳴に近いその声が森に響いた瞬間―――アルバと魔物の間に、透明な障壁が現れたのだ。
魔物は突然の出来事に反応できず、障壁にぶつかり弾き飛ばされる。牙が首元から離れた。
「な……これは……?」
アルバが茫然と透明な障壁を眺めるて後ろを振り返るが、呆気に取られているのはエンデも同じだった。
だが、障壁が消えた瞬間、アルバは弾かれたように走り出す。
「……っ!」
彼は剣に手を伸ばし、地面に突き刺さった刃を引き抜いた。
それと同時に、魔物が体勢を整えてアルバに向かって突進してくる。
「……」
アルバは魔物に向き直り、静かに呼吸を整えた。
狙うは一瞬。一度、隙を作ればいい。
一撃で、決める。
魔物は目を爛々と獰猛に輝かせながら、アルバに向かってくる。だが、彼は動かない。
アルバの思惑を知ってか知らずか、魔物はまっすぐ彼に向かって行き、距離はみるみる縮まっていく。
「……アルバ……っ!」
エンデが小さな声でアルバを呼んだ瞬間、魔物が加速した。
魔物の体重と速さが合わさり、重い一撃に変貌する。当たれば確実に命が無い、そんな一撃へと。
だが、その一撃をアルバは見事に避けて見せた。
大振りな一撃をかわされたことで、魔物の懐はがらあきになる。
それこそが、彼の狙っていたものだ。
「―――はッ!!」
一閃。
アルバの放った一撃は、的確に魔物の急所を切り裂いた。
魔物の体から鮮血が飛び散り、地面を斑に赤く染める。
力無く倒れた魔物は、もう息をしていなかった。
「………」
アルバは息を吐いて、剣を鞘に仕舞う。
今回は完全に油断していた。
いつもなら、もっと簡単に魔物を倒せていた筈なのに。何かを知っている様子だったキースの態度に惑わされて、焦ってしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、アルバは無言で魔物を見つめる。
「だ、大丈夫っ!?」
エンデが慌てて彼の元に近寄って来た。
心配そうに見つめる藤色の瞳に、アルバは知らずたじろいでしまう。
「………ああ、平気だ」
それだけを答えると、エンデはほっとしたように息を吐いた。
「無事でよかった……」
「……君のお陰だ」
「え?」
アルバの言葉に、エンデが目を瞬かせる。
きょとんとした表情の彼女を見下ろして、アルバは続けた。
「君が偶然とはいえ魔術を発動しなければ、俺は死んでいたから……助かった、ありがとう」
油断した。その言葉では片付けられない。
その油断のせいで、本来なら自分と彼女は死んでいたからだ。
守る対象の少女に守られたなんて、ふがいない。
だが、次は油断などしない。ちゃんと、彼女を守る。
そんな決意を胸に伝えたアルバの言葉を受けて、エンデは戸惑ったように返した。
「……そ、そんなお礼なんて……私もどうして使えたかなんてわからないし……」
その答えに、今度はアルバが目を瞬く。
緊迫感から解放されたからか、敬語を忘れているらしい。
エンデは不思議そうな表情でアルバを見上げ、はっと口元を押さえた。
「あ……つい……気が抜けちゃって、」
「いや、気にするな。その口調で構わない」
彼が首を横に振りながら言うと、エンデは迷いながらも頷いた。
「……うん、わかった」
彼女の言葉を聞いてから、アルバは言う。
「それより、このまま此処に留まるのは危険だ」
そろそろ此処から離れるべきだ。
そうでなければ、魔物の血の臭いに釣られてやってきた別の魔物と戦う羽目になってしまう。
アルバがその旨を伝えると、エンデは首を縦に振り頷いて顔を上げる。
「このまま進めばヴァーナ興国、なの?」
「ああ。……行こう」
二人は歩き出した。
エンデを狙う謎の男。
ツァイト村の事件で出会った者達と関連があるのか。
彼は、彼らは一体何者なのか。
答えの出ない問いを思考しながら、アルバは前を向く。
―――ヴァーナ興国は、もう目前だ。
相変わらずバトルって難しいですね……。
特に難しいのは一対一の戦いだと実感しました。
メインにする予定だった初登場のキースとの戦いが魔物との戦闘の前哨戦になってしまったとか……ホントもうorz