旅の始まり
※※※ 注意! ※※※
今回の話は人が死ぬなどの少々残酷な表現があります。
そのような話が苦手な方は注意してください。
ツァイト村は穏やかでのどかな、自然豊かな村だ。
人々もまた穏やかに、そして平和に、日々を謳歌している。
―――少なくとも、昨日まではそうだった。
だが、二人の目の前に広がるものは。
それは焼け焦げた大地と、原形を留めないほどに破壊された、かつて家だったものの残骸だった。
盗賊に焼かれなかった木材も焼かれたのか、所々燃えている場所もある。
「これは、一体……」
アルバはランタンを手に、周囲を見回す。
家の残骸の下に男が倒れているのを見つけて近寄ってみたが、男は既に事切れていた。
男の胸は赤く染まっている。致命傷を一突きされたらしい。
同じように殺された人間を、彼は知っている。
アルバは目を細めて呟いた。
「……盗賊の砦と同じ……」
アルバの脳裏に浮かんだのは、先程の屋敷の地下で対峙した、黒いコートを纏った人物。
あの者ならばと考えるも、すぐにそれは不可能だと気付く。
屋敷からツァイト村までは遠すぎる。
周囲には馬のような動物はおらず、馬小屋のような建物も存在していなかったのだから、彼らは徒歩で動いていた筈―――
「……とう、さんは…………父さんは、どこ………?」
エンデが茫然と呟いた言葉は、アルバの思考を止めるには十分だった。
彼は思わず振り返り、エンデと目が合う。彼女は今にも、泣き出しそうな表情をしていた。
ぞわりと、背筋が粟立つような感覚が奔る。
「……師匠を探そう」
アルバはなるべく平静を装って、彼女に言った。
彼の言葉にエンデが今にも零れそうな涙を拭い、唇を引き結んで頷く。
二人は村の奥に向かって進み始めた。
***
村は完膚なきまでに破壊されていた。
アルバが来た時には焦げていながらも、何とか原形を留めていた家々は土台ごと壊されている。
村人は至る所に倒れている。家々の残骸に埋もれている者もいた。道の真ん中で倒れている者もいる。
逃げ惑う村人達を執拗に狙い、殺したような惨状だ。
「……!」
ふと見やった先にあった光景に、アルバは顔を歪めた。
倒れている村人達の中に、抱き合う母子の姿があったから。
盗賊に攫われ、ようやく戻ってこれたと思ったら、再び村が襲われた。
……なんて、惨い。
「……っ」
隣で息を呑む音がして、彼は横目でエンデを見る。
彼女は村人達を見かけるたびに立ち止まっていた。それが父でないことを悟って安堵の息を吐くも、知人の死に泣き出しそうな表情に変わる。その繰り返しだった。
「……君は…やはり、村の入り口で待っていた方がいいんじゃないか」
「…………大丈夫、です」
アルバの言葉に、全く大丈夫に見えない表情でエンデが答える。
彼は嘆息し、エンデの姿を一瞥した。
血の気が引いて青ざめた表情に、ふらふらと頼りない足取り。
これで大丈夫だと信じられる人間がいるなら、一度会ってみたいものだ。
「……だが、」
「……あ、」
アルバとエンデの言葉は、同時に発せられた。
彼は口を噤んでエンデを見る。だが、彼女はアルバの視線に気付かずにある一点を見つめ、大きく目を見開いた。
「―――父さんッ!!」
エンデが叫ぶや否や、村の奥に駆け出していく。
アルバは後ろを振り返った。エンデが向かう先は、瓦礫の山。
木材が燃えているのか、所々が明るくなっている。その中で、倒れている恩師の姿が炎に照らされていた。
師の姿を認め、アルバもまた彼女と同じように走り出す。
「父さん……父さん!!しっかりして…ッ!」
エンデが屈み込んで、必死の表情で父の体を揺らした。
恩師の体は血まみれだった。
腹、そして背中からとめどなく血を流し、周囲の地面を赤く染めている。
それでも握った剣を離さないのは、彼の武人としての意地なのだろうか。
「………!」
アルバが彼女に追いつき、地面に投げ出された恩師の体を見た瞬間、彼は悟る。
…もう、手遅れなのだと。
「………ぅ」
その時、微かに呻くような声を上げて、恩師がゆっくりと目を開けた。
絶望に染まっていたエンデの表情に、僅かに明るさが戻る。
「父さん……ッ!」
「……エンデ、か。……よかった。無事、だったか……」
いつもは気難しい光を宿している恩師の瞳が、娘の姿を捉えて穏やかな色を見せた。
エンデがその言葉に、涙を浮かべながら微笑む。
「ばか…ッ!私よりも、父さんの方が重傷じゃない……待ってて、今手当ての道具を」
探してくるから。そう言って立ち上がろうとした彼女を、恩師が制する。
戸惑ったような表情をするエンデに、息も絶え絶えに彼が言った。
「いい。もう、手遅れだ。……俺は、助からない」
「そんな……」
「自分の体だ。自分が、一番わかる」
最後の言葉に、彼女の体から力が抜ける。
アルバはそんなエンデの隣に腰を下ろすと、恩師の瞳を覗き込んだ。
「アルバ、か。………君に、任せたのは……正解だった、な」
「師匠……一体、何があったのですか」
アルバの問いに、恩師は緩慢な動きで首を振る。
彼は悲しげな声で、ぽつぽつと話し始めた。
「……わから、ない。…だが、奴等は………突然、襲ってきた。…………村は、全滅だ」
「……そんな………」
エンデの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。最早、堪えられないのだろう。
それを皮切りに、彼女の頬に次々と涙が伝っていく。
「……どうして…こんなことに……ッ!」
「………」
アルバはエンデを慰めようと、手を伸ばしかけた。だが、その動きは半ばで止まる。
アルバでは、彼女の嘆きを止められない。
「……っ」
彼は伸ばした腕を戻し、手を握り締める。
自分は無力だと、そう思いながら。
「…………俺の、責任だ」
「……師匠?」
今まで黙り込んでいた恩師が、突然口を開いた。だが、アルバの声に答えない。
それはアルバやエンデに聞かせる為、というよりも、自分に対して言い聞かせるような、そんな響きが込められていた。
「………アルバ」
「……はい」
恩師が、アルバを呼ぶ。
彼がその声に答えると、恩師はまっすぐにアルバを見つめて言ったのだ。
「頼む。どうか娘を、エンデを守ってくれ―――」
予想もしていなかった言葉に、アルバが戸惑ったように目を瞬く。
泣き続けていたエンデも自分の名前が出た為か、ぼんやりとした表情で死に逝く父を見つめていた。
恩師は二人の反応を見、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「この先、エンデを狙う人間が、現れる」
「………彼女を?」
どういうことなのか、まったくわからない。
アルバがその疑問を口に出しかけた時、恩師が苦しそうに咳き込み始めた。
その唇の端から、血が零れ落ちる。
「父さん!!」
「師匠…っ!」
だが、二人の声に恩師は答えない。
もう時間がない。そう言うかのように、恩師はアルバを見上げていた。
「頼む、アルバ…!」
その必死な表情に、アルバが目を細める。
エンデを、彼女を狙う集団から、守る。
それがどんなに大変なことなのかは理解している。きっと、一度や二度の話ではない。
何度も、何度も、それこそ気が遠くなる程に、襲撃は続くのだろう。
恩師の頼みは、無謀であり、無茶なものなのだ。
だが―――
「……わかりました」
アルバは恩師の瞳を見つめ返し、ゆっくりと首を縦に振る。
―――恩師の最期の頼みを、アルバに断れる筈が無かった。
「エンデは、俺が守ります」
「……ありがとう」
恩師はうっすらと微笑むと、エンデに目を向ける。
「……父さん……」
「エンデ……すまない……お前を守ると、誓って、いたのに………」
「……最期の言葉みたいに、言わないで………」
エンデから零れ落ちた涙が、恩師の頬に落ちた。
彼は目を細めると、彼女の目元に手を伸ばし、涙を掬い取っていく。
力無く落ちかけた腕を、エンデが握りしめた。
「………お前だけは、どうか……生きてくれ………」
「いやだよ……父さん、死なないでッ!!」
それは、聞いた者の胸を抉るような悲痛な声。
だが、恩師はそれに応える事無く、掠れた声で言葉を紡ぐ。
「どうか、幸せに………俺……の………可愛い、娘―――」
最後に祈るように囁いて、彼の体からゆっくりと力が抜けた。
同時に、エンデの手の中から師の腕がすり抜けて、大地に力無く落ちる。
「……父さん………」
エンデが再び恩師の手を握りしめた。だが、もうその手が握り返してくることはない。
それでも、何度も彼女は父の名を呼ぶ。
「父さん…父さん……起きて、父さん……っ」
彼女とて、理解はしているだろう。
ただ、認められない。……認めたくないだけなのだ。
「起きて………目を、開けてよぉ…ッ」
エンデが泣きながら、師に縋りつく。
静かになった村の中で、彼女の咽び泣く声だけが、挽歌のように響いていた。
***
「……」
アルバは無表情ともとれる沈んだ表情で、恩師の顔を見下ろす。
その顔は、眠っているように穏やかだ。
死に際に、愛する娘に会えたからだろうか。それとも、愛する娘をアルバに託せたからであろうか。
「……」
彼は顔を上げると、静かに立ち上がった。
「―――エンデ」
傍らの少女の名を呼ぶ。
彼女の嗚咽は止まらなかったが、アルバの声に顔を上げた。
「……行こう」
「……どこへ、ですか……?」
「わからない」
彼は首を横に振り、だがすぐに言葉を続ける。
「だが、此処にいれば、君を狙っているという連中に襲われる」
「……」
「……俺は、師匠の最期の頼みを守りたいと思う。君が生きてほしいという、願いを」
「……」
エンデは黙り込んだままだった。
じっと父親の顔を眺める彼女の胸中は、アルバにはわからない。
だから、彼は静かにエンデの答えを待った。
「……」
暫く、二人の間に言葉は無かった。
冷たい風が、二人の頬を撫でていく。
「……せめて、」
エンデの唇が動いた。
頬を涙に濡らしたまま、彼女は小さな声で言う。
「父さんと、村の人達のお墓を………作っても、いいですか?」
「……ああ」
その時、空の端から光が覗く。
太陽で空が真白に染まり、ツァイト村に優しい光が差し込んだ。