sette.1
翌朝、凛は甘い匂いが鼻をくすぐり目を覚ます。
ソファーで寝ている凛の腕の中に杏がいた。
「いつの間に潜り込んで来たんだ?」
凛が困った顔をすると杏が目を覚ました。
「凛、おはよー」
「おはよーは良いけれど、どういうつもりなんだ?」
「良いじゃん。少しくらい甘えたって」
「まぁ、良いか。今日はどこに行きたいんだ。離島か?」
「凛と一緒に居られればそれで良い」
「面倒くさいなぁ」
「面倒くさい言うな」
杏が照れながらプクッと頬を膨らませて口を尖らせた。
「そうだ、ひとつだけ聞いて良いか?」
「うん、いっぱい聞いて」
「夏海 杏の夢は何なんだ」
「それは、嫌味で聞いてるの?」
「いや、純粋に聞きたかったんだ」
「杏の夢は映画のヒロインをする事。もし大好きな物語が映画化されたら絶対にヒロインの役をしてみたいんだ」
「そうか、それなら杏の大好きなグランパやアクアマリンに出てくる場所めぐりでもするか」
「本当に、本当?」
「ああ、本当だ」
「凛は全部知ってるの?」
「知ってるぞ、秋葉系もどきだからな」
「直ぐに準備して行こう!」
杏が飛び起きて着替えを済ませる。
凛も起き出しジーンズを穿いてストライプのシャツを着て仕舞ってあったオレンジ色のキャップを被りサングラスを掛けた。
杏が先に部屋を出る。
凛もいつもの黒いスニーカーを履いて部屋を出て階段を降りて車に乗り込んだ。
杏はとても嬉しかった。
自分の正体を知っても変らず接してくれる事が。
杏の心と同じ様に台風が直撃したのが嘘のように晴れ渡っていた。
そして、杏と買い物をした大型店舗に着いた。
「凛、ここは一緒に買い物したお店だよ」
「そうだ、ここの1階にはベーカリーがあるだろ。それに2階は洋服売り場だ」
「ああ、アクアマリンとグランパに出てきた所だったんだ」
「ご名答です。次に行くぞ」
「うん」
杏が嬉しそうに凛の後を着いてきた。
車を東海岸沿いに走らせる。
「この道をしばらく走ると大浜と宮良、白保の集落があってしばらく走ると玉取崎なんだよね」
「詳しいんだな」
「当然だよ。何回も読んだんだから」
玉取崎の展望台に着くと杏が走り出した。
「そんなに急ぐと危ないぞ」
「大丈夫だもん」
「うわ、凄い。右が太平洋で、左が東支那海だよね」
平久保半島を挟むようにして太平洋と東シナ海が見渡せる。
どちらの海もキラキラと光り輝いて色んなブルーに光り輝いている。
「そうだ、綺麗だろ」
「うん、ハイビスカスもいっぱい咲いてるしね。それじゃ、次に行こう」
「そんなに慌てるなよ」
「だって、時間がもったいないもん」
「判ったよ」
平久保崎灯台に向かう。
「ここも、凄く綺麗だね」
「そうだろ、海が輝いているな」
「うん。あそこの色が青くなっている所がリーフの切れ目なんだね、初めて見た」
「それじゃ、行こうか。どうした?」
杏が凛の格好をまじまじと見ていた。
「よく見たら、凛の格好ってグランパの隆羅みたいだね」
「そうか? 普段着と何も変わらないだろ」
「そうだね。それに凛には孫は居ないもんね」
車で来た道を戻り玉取崎展望台の麓にあるお店を目指す。
「ああ、見えてきた。本当に黄色くって可愛いお店なんだ」
「食事でもするか」
「うん」
店の裏手にある駐車場に車を止めて店の中に入る。
「いらっしゃい。あら桜木君じゃない」
「ご無沙汰しています」
凛が出迎えた日に焼けて人懐っこい笑顔の女性に挨拶をして奥の席に座った。
席に着くと直ぐに杏が声を掛けてきた。
「凛、知り合いなの?」
「そうだよ。同じ調理の仕事してるしな」
「ふうん、そうなんだ」
杏がきょろきょろと店内を見渡す。
「何を注文するんだ」
「何って決まっているでしょ。ここのお薦めの」
「石垣牛のシチューをセットで2つ下さい」
凛が注文をすると店内を見渡していた杏の目が壁に飾ってある色紙に釘付けになった。
そして立ち上がり壁に飾ってある色紙の近くに見に行った。
「これって、もしかして仲村 歩のサインですか?」
「ええ、そうよ」
女性が答えた。
「凄い、ここに実際に来たんですね」
「前にね、最近は来なくなっちゃったけどね」
「忙しいんだろうね。桜木君」
調理場から優しそうな背の高い男の人が顔を出した。
「オーナー。俺に聞いたって知らないですよ。杏、大人しく料理が出来るのを待ったらどうだ」
「ごめんなさい。つい嬉しくなっちゃって、でも羨ましいな」
杏が席に着く。
「何が羨ましいんだ?」
「だって、自筆のサインだよ」
「杏も欲しいのか?」
「当たり前じゃん、大、大ファンなんだから」
「はい、お待ちどうさま。カボチャの冷静スープと島魚のカルパッチョよ」
「うわ、本物だ。美味しそう」
「本物の味はどうだ?」
「美味しい! 感激だよ」
杏があっという間に食べ終わって凛を見ると、凛は嬉しそうに杏の顔を見ていた。
「どうしたの? 凛」
「美味しそうに料理を食べている人の顔を見て居るのが好きなんだよ」
「あれ、どこかで聞いた事のある台詞だな」
「俺の本当の気持ちだよ」
「はい、お待ちどうさま。例の黒紫米のご飯と石垣牛のシチューになります」
「例のって?」
杏が料理を運んで来た女の人に聞いた。
「あら、アクアマリンかグランパを読んで来たんでしょ」
「はい、そうですけど」
「あなたと同じ様なお客さんが最近多いのよ。歩君、様様よ。ねぇ桜木君」
「何だか変だよ、さっきから」
杏の頭の上には?マークが浮かび上がっている。
「からかわないで下さいよ。杏、食べないと冷めちゃうぞ」
「いただきまーす。これも凄く美味しい!」
「幸せそうだな」
「うん、幸せ」
杏は幸せに続く言葉を言うのを止めた。
だって大好きな人と美味しい物が食べられて、怖かったのだ。
凛の気持ちをはっきり聞いたわけじゃなく、凛のトラウマが治っている訳でもない今。伝えてしまえばこの関係が終わってしまう気がしたから。
食事を終えて車を走らせる。
東海岸から西海岸への道を進む。
しばらく走ると特徴がある山が見えてきた。
「凛、もしかして、あれが野底のマーペーなの」
「そうだよ、あの尖がった山がマーペーだ」
「悲しい物語があるんだよね」
「そうだったな、杏がもしマーペーだったらどうする?」
「どんな事をしても会いに行く」
「周りの人に迷惑が掛かってもか?」
「うん、私は愛する人を選ぶ」
「それじゃ、質問を変えよう。もし自分の夢が叶うとしたらその時はどうする? 夢か愛か?」
「凛の意地悪、そんなのその時になってみないと判んないよ」
「でもな、人生にはそんな時が必ずあるんだ」
「凛にもあったの?」
「無かったと言えば嘘になるかな」
「その時、凛はどっちを選んだの?」
「愛だよ」
「凛、それは双樹さんの事?」
「昔、昔の話さ」
しばらく走ると米原キャンプ場の案内看板が見えてきた。
「さぁ、着いたぞ米原のビーチだ」
「うわぁ、広いビーチなんだね」
杏が砂浜を走り回った。
「杏、危ないぞ」
「キャーア」
杏が躓いて膝を着いた。
「もう、しょうがないなぁ」
凛が抱き起こし、服に付いた砂を払い落とした。
「えへへ、ありがとう。やっぱり凛は優しいなぁ」
「普通だよ」
「普通の事を普通に出来るのが凄いんだよ」
「杏の台詞もどこかで聞いた台詞だな」
「私の本当の気持ちです」
「真似っこだな」
「いいんだもん! 凛向こうに見える所は何?」
杏が遠くに見える岬の様な所を指差した。
「あそこでビーチパーリーしただろう、あそこが石崎だよ。そしてグランパでビーチパーリーしていたのも同じビーチだよ」
「ええ、それじゃ、私達は同じ場所でバーベキューしていたの?」
「そうだよ」
「何で教えてくれないのさ!」
「教えたら、皆が居るのに杏の頭の中はグランパになっちゃうだろ」
「そうだね」
「それに隆羅と海の様に2人でビーチを歩いただろ」
「あっ」
杏が思い出して顔が真っ赤になった。
「明日はここでシュノーケリングでもするか」
「凛、怪我しているのに無理だよ」
「大丈夫だ、杏は海の中見たくないのか?」
「見たいけど」
「隆羅と海が見た海だぞ」
「本当に凛は意地悪なんだから」
その後で御神崎の灯台、名蔵湾、そして展望台に登り赤瓦のホテルに向かっていた。
「青いアーチのサザンゲートブリッジにはもう行ったし……次は」
「杏、見えてきたぞ」
「赤瓦の塀が続いてる。凄い、凄い」
ホテルの駐車場に車を止めて2人でロビーに入って行く。
「いらっしゃいませ」
フロントのスタッフが挨拶をした。
「少しいいかな?」
凛がフロントのスタッフに確認を取る。
「どうぞごゆっくり」
フロントのスタッフは不審がらずに答えた。
杏はキョロキョロしながら凛の後に着いて行った。
「うわぁ、ここがあのホテルなんだ。ここがレストランで、あっちが」
「おーい、杏。迷子になるぞ」
「えっ、待ってよ」
「しょうがない奴だな、ほら」
凛が照れ臭そうに手を出した。
「えっ、良いの?」
「何でだ?」
「だって凛から、手を繋ごうって言ってくれたの初めてなんだもん」
杏が照れていると凛が杏の手を取って歩き出した。
「行くぞ」
「うん!」
ホテルの中は物語の主人公達が不意に飛び出してきそうな雰囲気だった。
ロビーの直ぐ横には売店がありそこを曲がるとお店の看板が見えてきた。
「あ、ここが『ゆんたくはんたく』のモデルのお店だね」
「そうだ、ゆんたくはんたくはおしゃべりと言う意味なんだ」
「へぇ、そうなんだ」
その時、お店から板前さんが出てきた。
「あれ、珍しい。桜木が女の子連れで」
「ご無沙汰しています。料理長」
「たまには、お店にも来ないと」
「また、今度寄らせてもらいますよ」
「おかげで、俺も有名人だからな。あははは」
笑いながら板前さんは歩いてレストランの裏口に入っていった。
「凛、あの人がカニさんなの?」
「そうなのかなぁ?」
「そうなのかなぁって、それに変だよ。どこに行っても凛の知り合いみたいだし、判った何回も色んな女の子を連れて来たんでしょ」
「料理長が言っていただろ珍しいって。杏が初めてだよ」
「本当に?」
「本当だ」
「そうだよね、凛は……」
「何だ?」
「な、なんでもない」
凛がお店の横から林の中に入り歩き出す、直ぐに開けて海が見えた。
そしてそこには桟橋が海に突き出していた。
「桟橋だ!」
杏が凛の手を握ったまま走り出した。
「危ないぞ」
「早く早く」
「判ったから」
「綺麗! 本当に、私達物語の主人公になったみたいだね」
杏が満面の笑顔で言った、それを凛は優しい目で見ていた。
少しビーチを歩きプールサイドバーに向かう。
カウンターに座りドリンクをオーダーする。
「凛はヒラミね」
「問答無用ですか?」
「私は、あっ。あった! ティーダ」
「それじゃ、ヒラミとティーダを頼むよ」
凛がオーダーすると日焼けした男性のスタッフが手際よくドリンクを作り目の前に置いてくれた。
「いただきまーす。冷たくって美味しい、これってあれと同じティーダなのかなぁ」
「もしかして、小説のですか? 同じレシピですよ」
スタッフが親切に教えてくれた。
「凄い、感激しちゃうな。私」
「最近、多いんですよ。何でもここが小説の舞台になっているらしくって、それで同じレシピ同じ名前でお出しているんです。作者さんにも了承をとっているし、映画化される話まで出ているくらい人気があるみたいですよ」
「ここにも、来たのかなぁ」
「これが、その時に頂いたサインです」
スタッフが色紙を出した。
「ここにもあるんだ。凄いね、凛」
「そうだな」
だいぶ日が傾いていた。
夕食は杏のリクエストでホテルで夕日を見ながらバーベキューを食べる事になった。
杏は始終ご機嫌で夕食後まだ時間があったのでARIAに立ち寄る事にする。
ARIAに着くとディナーの時間が終わり皆が賄いを食べていた。
「お疲れ様です」
杏が声をかけて店に入る。
「ああ、杏ちゃんだ。今日はどこに行ってたの? 西表島? それとも他の離島?」
杏の姿を見て楓が声を掛けてきた。
「今日はね、あの小説に出てくる場所めぐりしてたんだ」
「杏ちゃん、それって本当に?」
柚葉が敏感に反応する。
「うん」
「羨ましいな。それも大好きな人とだよね」
楓が突っ込むと杏が真っ赤になった。
「照れてる、照れてる」
葛城が茶々をいれる。
「もう、そんなんじゃないってば」
「じゃ、嫌いなんだ」
「楓ちゃんの意地悪」
「あははは」
「うふふふ」
皆が大笑いをした。
「若いっていいですね」
「そうね」
藤崎がぽつりと言うと亜紗が頷いた。
「そうだな。夢か……」
凛が呟いた。