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私ヒストリーと戦争の話

作者: 黒辺あゆみ
掲載日:2026/08/15

先に断っておくが、これから語る話はあくまで私が聞いた事をなんの検証もせず、私が独断と偏見で考察した内容である。


私は父方が、先の大戦末期の朝鮮からの引き上げ者だ。

 父方一家の歴史をざっくりと語れば、一族皆で朝鮮に渡って入植したのだそうだ。そのメンバーは私の把握している限りでは、父の祖父母と両親、おじおばたちで、けれど後で考えるに祖母の兄弟も一緒だった可能性もある。さらに年齢を考えると、生きていれば今年八十五歳の父はもちろんだが、父の両親たちも朝鮮生まれなのが濃厚か。(日本が朝鮮を占領統治した期間は三十五年である)この辺りの詳細は聞いていないのだけれど、そうなると朝鮮に渡ったのは父の祖父母の世代ってことかも。

 父の父、私から見て祖父は一家の長男で、彼の姉である長女の大伯母と共に朝鮮で日本人同士の見合いをして結婚したらしい。祖父は身体が弱くて英字新聞を読んじゃうっていう、どこかのマンガのキャラみたいな人で、伯母は朝鮮の女学校に通ってとても楽しい青春時代だったとのことだった。

 その一家は旅館を経営していたそうで、曰くそれなりに繁盛していたのだけれど、やがてその一家に日本の敗戦濃厚の一報がもたらされる。朝鮮で裕福に暮らしていた一家は這う這うの体で逃げまどい、なんとか日本に帰り着いたというわけだ。

 けれどその道のりは当然楽なものではなくて、逃げる途中で祖父の弟が一人河に流されて行方知らずになった。それに逃げるのもここではちょっと語れない、かなりの修羅場だったという話だけれど、父本人は当時まだ四歳くらいだったはずなので、逃走中の記憶はほぼないらしい。大伯母やら大叔父曰く、父は誰かに背負われたり手を引かれたりして、なんにも考えずにただついてきている子どもだったそうな。

 祖父の兄弟姉妹は、祖父本人も含めて皆早死にしてしまい、結局私がよく知っているのは祖父の姉である長女の大伯母と、兄弟の末っ子だった大叔父だけだ。昔曾祖母の法要で会ったことのない人を連れて、行ったことのないお墓を探した覚えがあるけれど、あれは思えばその早死にした祖父の兄弟姉妹の子孫だったのかもしれない。

 ちなみに祖父は日本に帰って比較的すぐに亡くなっており、それはあくまで病気が原因で戦争は関係ない。いや、薬が手に入り難いとか、遠回しになにかしらの関係はあったのかもしれないけれど、戦死という意味では無関係だ。っていうか、我が家で戦争に駆り出されたのは大伯母の夫だけで、そちらは激戦区に向かったらしくて石コロ一つだけが戻ってきたのだとか。

 この朝鮮での暮らしから逃げ帰るまでの一連の流れは、お盆に一族が集まった時のお酒の席での大伯母と大叔父の鉄板ネタだったりする。


 父方だけでは片手落ちなので、母方も語るならば、母方は福岡にずっといた人だ。

 貧乏子だくさん家族の長女だった私の祖母は、戦中戦後と苦労して働いて自分の弟妹たちを育て上げ、やっと自分の人生を考えられるようになった頃には、もう当時の結婚適齢期はとうに過ぎていた。それで両親は良かれと思って、地元で家持ちの男に嫁がせたが、この男というのがとんだダメ男で、とにかく金遣いが荒く、その持ち家は早々に借金で持って行かれてしまう。祖母はその夫の金遣いの荒さの隙をかいくぐって金を貯め、母とその兄姉の三人を育て上げたのだから、すごい人という一言に尽きる。

 父方の方と違って、私はこの祖母から戦争の話は聞いたことがなかった。当時は父方の親族とのその辺の違いについて、考えたこともなかったのだけれど。今思えば、なにか思い出したくもない事があったのかもしれない。

 それこそ、実はあの最悪な夫と結婚する前に、お付き合いをしていたお相手がいて、その人は戦争に取られて帰ってこなかったとか、当時ならばありふれた話を想像できてしまう。ただ、私は祖母の孫の中で末っ子なので、大変可愛がってもらったという記憶だけが残っている。


で、最近になって私が気になるというか、色々とツッコみたくなったのは、父方一族の戦争体験の方だ。

 まず祖父とその姉が地元でお見合い結婚だったのだから、父一家が暮らしていた地域には、一大日本人コミュニティが出来ていたということだ。しかも女学校まで出来ていたんですってよ。

 加えて、父一家は朝鮮で旅館を経営していたという話だけれども。一家が日本でも旅館を経営していたのだとか、日本に戻ってから朝鮮でのノウハウを生かして旅館を開いたとか、そういうことは全く聞いたことがない。もし日本にも旅館があったなら、絶対に自慢されていたと思う。

 そもそもが、父一家は島根県の出身だ。父の生前、島根に残っている親戚から年賀状が届いていたので、縁が切れていたわけではなかったようで。それでその島根で、我が家が有名な資産家であったという話も聞いたことがない。

 っていうか、だいたいそういう入植者は貧乏農家の子など、日本で持て余されていた人員が行くものだろう。そういう有象無象を監督する役目のお偉いさん枠もあっただろうけれど、その手の人は役人になっているだろうから、一家が旅館をやっていた時点で違う。

 第一、私が知る父方の親類にそんな商売っ気は皆無で、むしろ商売下手というか、金勘定が苦手そうだったというのが、今の私が思い出から感じる印象である。

 それに、日本に帰って祖父が亡くなった途端、祖母は離縁して一人息子の父を残して実家に帰ったそうなので、この家に未来を感じなかったのだろう。金の切れ目は縁の切れ目ということだ。息子を残したのは、曾祖母がキッツい人だったらしいから、連れ出すのを許されなかったというのは想像に難くない。

 これに関して、これは朝鮮の話ではないけれど、中国の方では日本人の入植者のために、その土地住まいの中国人たちを家やら店やら工場やらから追い出して、その後釜を日本人たちに配っていたと聞く。中国でやっていたことを、朝鮮でやっていない理由はない。

 しかも旅館には朝鮮人の使用人がいて、甲斐甲斐しくお世話をされてとても良い暮らしだったと、父本人が母に語ったことがあるという。もしこの旅館が朝鮮人から取り上げたものだとすれば、この使用人っていうのは元の経営者だったって考えるのが自然かな……。

 このあらすじだけを追えば、マジでやっていることがラノベとかでの典型的な悪役のお家乗っ取りなんだよなぁ。

 加えて、大伯母やら大叔父は朝鮮時代の自分たちの境遇を、今思い出せば、全く疑問にも思っていなかったんだよね。むしろ雰囲気が「私たちのものだった幸せを奪われた」という感じですらあった。だから朝鮮時代を懐かしんで、酒が入ったら「あの頃は良かった、なんで逃げなきゃいけなかったんだ」って愚痴っていたんだ。

 まあけれど祖父兄弟姉妹は朝鮮で暮らしていた当時は若造で、末っ子に至っては父と歳が近いくらいだった。なので戦争の内情とか入植の裏事情とか、知ったことではなかっただろう。曾祖父母辺りは事情を知っていたかもしれないけれども。

 それで、一家が日本に逃げ帰った後のこと。

 父一家は故郷に戻ったのだけれど、ここで恐らくネックになったであろうことが入植者システムだ。どうやら余所に入植しに行った家の土地財産は、村の財産として吸収して再分配されるんだそうだ。だから故郷には元の自分の家なんてないし、親類がいたとしても、戻って来られてかつての自分の財産の所有権を主張されるのは面倒であろう。だから入植するために出て行ったものが帰って来ても、けんもほろろに追い返すのがデフォだったってことだ。

 けど村人側に立って考えれば、こっちが戦争で食うにも困っていたのに、朝鮮で良い思いをして帰って来た連中のことが腹立ったのかもしれないな。

 なにしろ父一家がもし朝鮮に渡らず島根にいたならば、当時の勉学はほとんどの子どもが義務教育である尋常小学校止まりだった中で、祖父は英字新聞を読めるような教育を受けていたのか、もっといえば英字新聞が身近な環境にあっただろうか? 大伯母だって尋常小学校を卒業した後、女学校(今でいう中高一貫女子高)に進学するお金が実家にあっただろうか? 子だくさん一家の長女ってことは、母方の祖母と条件は同じだというのに。

 それを思えば、苦労した道のりだったとはいえ、自分たちには叶わない教育を受けて垢ぬけた雰囲気で帰って来た元住民を、村の中で温かく迎え入れることができる人は、人間ができているわな。

 そんなわけで、故郷で助けを得られなかったためか、曾祖母は長女の大伯母を夫家族の元へと行かせたらしいけれど、大伯母はそちらからも追い返されたというので、大伯母の夫一家も入植者システムの罠にかかっていたのだろう。

 けれど大伯母はなんとか自力で生き抜いて、見つけた安住の地が九州だった。そこへ曾祖母やらの一族一党を呼び寄せたというのだから、けなげというか、長女の鑑というか。病弱長男がアテにならないからっていう、使命感もあったんだろうなぁ。

 まあこの大伯母も、晩年は丸くなって優しいおばあちゃんという感じだったけれど、若い頃は強烈にキッツい女性だったらしい。父方は、明らかに女性が強い一族の気はある。曾祖父なんて、私の記憶の中では存在を感じられない空気ですよ。


 けどこの戦争の流れを父一家の目線で考えてみると。

 島根の貧乏農家で苦しい暮らしをしていたところへ、国の政策に乗って朝鮮に渡ればお大尽生活が突然スタート! 朝鮮人使用人に甲斐甲斐しくお世話されて「この世は天国か!」って思っていたところへ、敗戦でまた貧乏生活に戻るっていうね。まるでなにかに化かされたか、夢を見ていたかっていうような、つかの間の幸せだったわけですよ。

 私には戦争のドンパチでの被害は、身内に兵隊関係者がいなかったので、いまいちピンとこないのだけれど。この私の中にある戦争ストーリーだけでも、「戦争のエゴってエグいな」って思う。だから、韓国との国際問題がニュースになる度に、韓国が日本との戦後問題で過激化するのを見ると、微妙っていうか、ちょっと「まあ、そうなるだろうなぁ」って思っちゃうっていうか……。

 ウチの一家って、韓国人にとっては加害者なんだよ。そしてやらかした方は都合よく忘れても、やらかされた方は孫子の代を越えても忘れない。マジで、他人のものを奪って自分が幸せになろうっていう思考回路、どうかしていますって。


そんなドンパチとは違う側からの、私の一家の戦争の話なのでした。

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