14 貸付1,000,000GOLD 新居準備費用
夜の収穫祭は、昼の喧騒とはまるで別物だった。
あちこちで揺れる松明やランタンの灯りが通りを幻想的に照らし、楽師たちが奏でる音楽が夜風に溶けて甘く響く。
ただ歩いているだけで、世界が少しだけきらきらと輝いて見えた。
二人は賑やかな食堂のテラス席で地元の料理を楽しみ、広場では大勢の群衆に混じって、慣れない足取りでダンスを踊った。
祭りの余韻を惜しむようにして、二人はゆっくりと帰路に着く。
セドリックがベアトリスを家まで送り届ける道すがら、丘の上からは山下の街の明かりと、遠くかすかに祭りの喧騒が聞こえてくる。
ふいに、ベアトリスが繋いだままだったセドリックの腕をグイと引っ張った。
「?」
足を止めたセドリックが、怪訝そうに彼女を振り向く。
そこには、いつもの俯きがちな彼女はいなかった。ベアトリスは背筋を伸ばし、まっすぐな視線でセドリックを見つめていた。
そして、おもむろに口を開く。
「セドリック。あなたが初めてうちに来た時に話してくれた、あなたの旅の目的。――調合師を見つけ出し、連れて帰ること。あなたは、あれ以来その話を私にしませんでしたよね。一度も」
ベアトリスは完全に足を止め、セドリックと正面から対峙する。
「この一年。あなたはただ、いつも美味しいお菓子を持ってきてくれて、私の拙い話を聞いてくれて……そして、何度も危険を冒して薬草を取ってきてくれました。きっと、内心ではやきもきしていたはずです。でも、あなたは決して私を説得しようとも、急かそうともせず、ただ、待っていてくれた」
夜の静寂の中、ベアトリスの瞳が星空を映したかのように輝きを増した。
「……あなたは、私のたった一人の、大切な友人です。私は、友人の望みを叶えたい。……私、あなたについて行きます。」
突然のベアトリスの宣言に、セドリックは激しい衝撃を受けた。
求めていたはずの言葉。けれど、いざそれを突きつけられると、大きな喜びと共に、彼女の静かな生活を奪うことへの戸惑いが心を満たす。
「……本当に、良いのですか? ベアトリス」
念を押すようなセドリックの問いに、ベアトリスは彼を見つめたまま、静かに、しかし強く頷いた。
その瞳は、いつもの薬草談義をしている時と同じ――あるいはそれ以上の、揺るぎない確信に満ちた光を放っていた。
◇
「――というわけで、それから二ヶ月ほど、旅の準備や仕事の後片付けに費やしたのち、二人で『ハイ・ドラシル』を旅立ったというわけだ」
セドリックが話し終えるころには、『どんぐり金庫』の窓からは、琥珀色の夕日が差し込み、室内を穏やかに染め上げていた。
「なんて、素敵なお話……!」
ノエルが今にも飛び上がらんばかりに声を弾ませた。
「なんか、不覚にも泣けてきました」
ルカもまた、物語の余韻に浸るように深く感銘を受けた様子で呟く。
「ははは、そんな大げさなものでもないよ」
セドリックは照れくさそうに肩をすくめ、謙遜してみせた。
「ちょっと、待って」
そこで、アルテが片手を挙げて話を遮った。
「……今の話だと、あなたたち『友人』としてハイ・ドラシルを旅立ったわよね? なんでこの街に到着したときには、『夫婦』になっているのよ?」
その直球の質問に、セドリックは一瞬だけ表情を崩したが、すぐに大真面目な顔を作って説明を始めた。
「それはだな……二人っきりの旅の途中、いろいろと進展があった、ということだ。……まあ、詳しくは話さんがな」
セドリックの隣で、ベアトリスが耳の付け根まで真っ赤にして俯いた。その様子が何よりも雄弁に物語っており、アルテは「あ……」と察したように声を上げる。
「ごめんなさい、無粋なことを聞いたわね」
「無粋なことって?」
無邪気に首を傾げるルカの頭を、ノエルがパンと叩いた。
「あんたは黙ってなさい!」
騒がしい年下二人をよそに、セドリックが話を続ける。
「で、途中の街で式を挙げてね。それからは帰路を兼ねた新婚旅行になった、というわけだ」
「それはそれは……ご馳走様ね、本当に」
アルテは呆れたように息を吐き、苦笑いを浮かべた。
「それで? 惚気話はいいとして、これからどうするつもり?」
「ああ。まずは、この街で二人の家を探したい。もちろん、本格的な魔法薬の調合ができる工房付きの場所だ。なんせ馬車には、ベアトリスの道具や薬草が山ほど積んであるからな。なるべく早く、活動を開始したいんだ」
そこで、セドリックはふむ、と一息つくと、真剣な眼差しでアルテを見つめた。
「そこでだ、アルテ。……そのための資金、貸してもらえるだろうか?」
「もちろんよ」
アルテは即答した。
「オルフェから預かっているお金があるわ。百万ゴールド、そのまま貸し出すわ。もちろん、利子なんて野暮なものは取らないから」
「それは、ありがたい……。助かるよ」
セドリックは深く安堵の息をつき、さらに言葉を重ねた。
「それから、もう一つ」
「ええ、何?」
「ベアトリスに、この辺りの森を案内してやってくれないか。薬草採取のために、早めに地理を把握しておきたいそうなんだ」
セドリックの言葉に合わせるように、ベアトリスが蚊の鳴くような声で、けれどもしっかりとアルテの目を見て言った。
「……よろしくお願いします」
「そんなの、お安い御用よ! 狩りのついでに案内するわ。こちらこそよろしくね、ベアトリス」
アルテが明るく笑って手を差し出すと、ベアトリスもまた、はにかむように微笑んだ。
セドリックは百万ゴールドが詰まった重みのある革袋をよいしょと担ぎ上げると、ベアトリスと共に晴れやかな足取りで店を出て行った。
「――少し、忙しくなりそうね」
西日に伸びる二人の影を見つめながら、アルテは独り言のように、静かに微笑んで呟いた。
◇
それからすぐの、ある早朝のこと。
『どんぐり金庫』の店内で、アルテとニルスがいつものように狩りの準備を整えていると、不意に小気味よい声が響いた。
「おはよう。今日はよろしく頼むよ」
現れたのはセドリックだ。その後ろには、まるで彼の影に隠れるようにしてベアトリスがぴったりとひっついており、アルテたちと目が合うとぺこりと小さく頭を下げた。
今日のベアトリスは、山歩きに適した丈夫な服装に身を包んでいた。柔らかな髪は邪魔にならないよう後ろで一つに束ねられ、背中には大きな採取用の籠を背負っている。
これが、彼女が「専門家」として野山を駆けるときのスタイルなのだろう。
しかし、いざ出発してみると――。
「…………」
「…………」
森へと続く道中、会話がまったくない。
聞こえるのは足音と衣擦れの音だけ。セドリックは苦笑いし、アルテは何から話しかけるべきか測りかねている。ベアトリスはといえば、極度の緊張からか俯いたままで、一行の間には若干の気まずい沈黙が漂っていた。
やがて四人は、街の隣に広がる深い森へと足を踏み入れた。
朝の澄み切った空気が肺を満たし、木漏れ日が地面に斑模様を描き出す。
森に入った途端、ベアトリスの表情に活気が宿り始めた。
先ほどまでの消え入りそうな雰囲気はどこへやら、彼女の瞳は周囲の植物を追い、鋭く、けれど楽しげに輝き始めている。
(その気持ち、わからなくもないわね……)
アルテは内心で共感した。自分にとっての狩場がそうであるように、ベアトリスにとって森は「戦場」であり、同時に「遊び場」なのだ。
森の奥へと進む途中、ニルスがいつものように手慣れた動作で罠を仕掛けて回る。
その様子をじっと見つめていたベアトリスが、遠慮がちにアルテへ問いかけた。
「……これは?」
「うさぎやリスを捕まえる罠よ。ああやって細い紐で輪っかを作って、通り道に仕掛けるの」
アルテが隣で丁寧に説明すると、ベアトリスは仕掛けの構造を覗き込むようにして頷いた。
「なるほど……足を入れた途端に引き絞られ、輪っかが閉まる。非常に合理的です。……感心しました」
ベアトリスの目に、いっそう強い光が宿り始める。
「でしょ? しかもこれ、獲物の重さを利用してね……」
気づけば、アルテの説明にも熱が入っていた。
そんな二人の様子を後ろから眺めていたセドリックは、ふと、可笑しそうに口角を上げた。
(……似ているな、この二人)
森の奥へ進むほど、ベアトリスの独壇場となった。
彼女は時折、地面を這いずるようにして茂みを見て回り、驚くべき速さで次々と薬草を見つけていく。
「それも薬草なの? 私にはただの雑草にしか見えないけど」
アルテが隣で覗き込み、感心したように尋ねる。それを合図に、ベアトリスの熱弁が始まった。
「これはですね、一見するとただの草ですが、根の断面に微かな魔力を含んでいるんです。これを特定の温度で抽出すると……」
「なるほど、面白いわね! じゃあ、あっちに生えてるあの一段と青いのは?」
「あれはですね……!」
乗っかるアルテ。止まらないベアトリス。
もはや狩りはニルスに任せっきりで、二人は薬草探しという名の「宝探し」に夢中になっていた。
森から街へ帰るころには、道中の気まずさなど微塵も残っていなかった。
「ありがとう、アルテ。あの……また、一緒に来ていい?」
「もちろんよ! いつでも来なさいな。待ってるわね、ベアトリス」
すっかり意気投合し、笑顔で約束を交わす二人。
そんな二人の様子にセドリックは呆れたように肩をすくめつつも、ベアトリスの新しい居場所が見つかったことに、心からの安堵を覚えるのだった。




