第5話 新入生オリエンテーリング
明るい日差しが差し込む、シュデリィとアイリスの寮室。二人は並んでベッドに腰掛け、一枚のプリントされた紙を見つめていた。
「……新入生、オリエンテーリング?」
聞き慣れない言葉にシュデリィは首を傾げ、不思議そうに問いかけた。
「そう。今度あるんだって」
「……これは、何?」
「私たち高等部の1年生で、学園の広い森を探索するみたい。地図に書かれたチェックポイントを回りながら、ゴールを目指すの」
「……そうなんだ。何で、そんなことするんだろう」
オリエンテーリングの目的がよく理解できないシュデリィは、素直な疑問を口にした。ただ森の中を歩くだけで何が得られるのだろうか、と内心で考えていた。
「シュデリィちゃんは転入したてだけど、私たちもまだまだ新入生だから。みんなで協力して、友情を深めよう! とか、そういう感じかな」
「……森を探索すると、友情が深まる?」
「みんなで何か一つのことをすると、そうだね。きっと、自然と仲良くなれるんだと思う」
アイリスは、どこか他人事のような口調で答えた。
「……そうなんだ」
納得したような、しないような、複雑な表情をシュデリィは浮かべた。
「だから一緒に、がんばろうね。シュデリィちゃん」
「……努力する」
シュデリィは、小さく頷いた。友情が本当に深まるかどうかはまだ分からないが、アイリスと一緒に何かをするのは決して嫌なことではなかった。
オリエンテーリング当日。澄み渡る青空の下、動きやすい服装に着替えた1年生たちが学園の広い庭に集まっている。皆、期待と興奮に満ちた表情を浮かべていた。
先生から一人一枚ずつ、地図が手渡される。その地図には、スタート地点とゴール地点が記載されている。参加者は地図を頼りに、森の中に設置された複数のチェックポイントを巡りゴールを目指す。地図には微弱な魔力が込められており、自身の魔力を通すことで現在地などがより詳細に表示される仕組みになっている。と説明され、全員が地図に魔力を登録するよう指示された。
「……この地図」
受け取った地図を広げたシュデリィは、何かに気づいたように眉をわずかにひそめた。
「どうしたの、シュデリィちゃん。何か気になることでもあった?」
隣に立っていたアイリスが、シュデリィの微妙な表情の変化にすぐに気づき、心配そうに声をかけた。
「……ううん、なんでもない」
シュデリィはそう答えたものの、地図を凝視し続けていた。
オリエンテーリングがはじまる。スタートの合図とともに、生徒たちは一斉に森の中へと散っていった。木漏れ日がキラキラと舞い、鳥のさえずりが心地よい。
森に入ってしばらく歩いた頃。アイリスはふと立ち止まり、顔をしかめた。嫌な予感が、彼女の胸をざわつかせていた。
「シュデリィちゃん、なんだか、嫌な予感がする。こんな時に……」
「……どこから?」
すぐにアイリスの異変に気づいたシュデリィが、警戒するように周囲を見回した。
「この森の外れの方。私たちが通るルートからは、少し遠いけれど……」
アイリスは地図をシュデリィに見せながら、ある一点を指し示す。
「……すぐに行って、帰ってくる。アイリスさんは、オリエンテーリングを続けて」
すぐにその場所へ向かおうとするシュデリィ。
「ううん、私も一緒に行く。だいたいの位置がわかるだけじゃ、魔族が門から出てきちゃうかもしれないよ。私と一緒にいけば、シュデリィちゃんも戦わなくて済むかもしれないし」
「……そうなんだけど。問題があって。この地図には、私たちの位置がわかる魔法が仕掛けられている」
「もし迷子になった時に、先生たちが助けてくれるためじゃないの?」
地図に仕掛けられた魔法の意図を、アイリスはそう素直に解釈した。
「……本来は、きっとそう。でも、大前提として、魔族が現れる時、いつもその場所が魔法で監視されていた。今までは、それを破壊しておいたけど。今日は、この地図がある限り、私たちの位置がバレてしまう」
「そうだったんだ……。ということは、私たちが門を閉じているってことが、門を開けている人に知られちゃうってこと?」
「……その可能性がある。そして、魔界への門をわざと開けているような人たちが、良い人たちなわけがない。だから、やっぱり、私が一人で向かう。アイリスさんは、そのままゴールを目指して」
「それだと、シュデリィちゃんの位置はバレちゃうんじゃ……」
「……うん、だから、これをお願い」
そう言って、シュデリィは自分の持っていた地図をアイリスに渡した。
「わかった。じゃあ、私がこの地図を預かる。ただ、ゴールまでに合流しないと、それも怪しまれるかも」
「……私、その追跡の魔法がわかる。だから、アイリスさんの地図の反応を追う」
「シュデリィちゃん、やっぱりすごいね……。気をつけてね」
アイリスはシュデリィの言葉を信じ、頷いた。そしてシュデリィは、魔界の門が開く気配のする方向へと、森の中を駆け出した。
(……アイリスさんにはああ言ったけど、恐らく私はすでに疑われている可能性がある。なぜなら、私が転校してきたタイミングと、魔族が現れなくなったタイミングが一致するからだ)
(……だけど、それで良い。毎回監視魔法が破壊されるのなら、敵は直接現場を見に来るしかない。私が魔界の門を閉めていることを断定するには、それなりのリスクが伴うはず。敵がリスクを取れば、私が犯人に近づける)
アイリスに言われた場所の近くまで来たところ、シュデリィは魔族の気配を察知した。そのまま、その場所へと駆けつける。ついでのように、周囲に張り巡らされている監視魔法を魔力で叩き割る。周囲を索敵する魔法も使ってみたが、その魔族以外の気配は感じられない。
「誰かと思えば、魔王のところの小娘ですか。これは驚きましたね」
シュデリィが警戒しながら視線を向ける。そこには吸血鬼と呼ばれる、言葉を話す高位の魔族がすでに降り立っていた。
「……あなた、昔、魔王城にいた」
記憶の片隅に引っかかるその顔を、シュデリィは思い出す。
「名前すら覚えてないですか。まぁそれは良いでしょう。こんなところで、人間のふりまでして、一体何をしているんですか」
「……それは、私のセリフ。あなたは、どうやってここに来たの」
「目の前で、急に人間界への門が開いたんです。せっかくなので、少しここで暴れてやろうと思ってきたのですが……最初に出会った相手が、まさかお前とは。不幸にもほどがありますね」
「……ここは人間界。あなたのような悪い人は、お引き取り願う」
「そうですか。勝てるわけがないですし、大人しく帰るとしますか」
「……もう少し、詳しい状況を教えて」
せっかく、こうして会話が通じるほど高位の魔族が現れたのだ。ここで、門が開いた時の状況を聞き出さない手はない。そうシュデリィは考えた。
「対価は?」
魔族はニヤリと笑い、当然のようにそう言ってきた。
だがシュデリィは、特に持ち合わせもなく、この魔族に教えるような魔法も思いつかなかった。少し考えてから、彼女は意を決して口を開いた。
「…………私に、殴られない」
そういうと、シュデリィの右腕の肘から先が、黒い鱗のようなものに覆われる。彼女が魔族として本気を出した時の片鱗。それは、一瞬にして周囲の空気が変わるほどの威圧感を放っていた。
その異様な光景を目の当たりにした高位の魔族は、抵抗する気持ちのひとかけらすら消え失せた。
「それは、恐ろしいことで……。とはいえ、さっきの説明が全てです。強いて言うなら、しっかり私の目の前に現れました。ちょうど通れるくらいの大きさでした。罠かとも思いましたが……まぁ実際、罠のようなものでしたね」
「……他には」
「そうですね……魔法の気配が無かった、とかですかね」
「……魔力以外の反応は」
「私にはわかりません」
「……そう。じゃあもう帰って」
「扱いが酷くないですか? まぁ、ここで無駄に勝負を仕掛けるほど、私も愚かじゃありません。お暇させていただきます」
そう言い残して、魔族はそのまま魔界へと帰っていった。魔族は気性が荒く、暴れるのを好む個体が多いが、根は基本的に素直である。本能のままに生きているともいう。
魔族が完全に姿を消したのを確認してから、シュデリィは魔界の門を閉じた。黒い渦が消え去り、森には再び静寂が戻る。
「……魔法以外の、何か」
魔族が完全に姿を消した後、何かに気づいたように、シュデリィはそう呟いた。
その後シュデリィは、身体強化魔法と気配を消す魔法を重ねがけし、ものすごい速度でアイリスの元に帰ってきた。
「……ただいま」
「おかえり、シュデリィちゃん。怪我とかしてない……?」
アイリスが心配そうに見つめる。
しかしそれ以上に、他の人間の機微に疎いシュデリィでさえ心配になるほどアイリスの顔色が悪く、具合が優れないように見えた。
「……うん。問題なし。あの、アイリスさん、どこかが痛い?」
「ど、どうして……?」
「……すごく、体調が悪そうにみえる」
「ええと、その……だ、大丈夫だから」
「……なら良いけど。アイリスさん、協力してくれて、ありがとう」
「ううん。全然だよ。むしろ、シュデリィちゃんが頼ってくれるのが嬉しい。こうやって、お礼を言ってくれるのも、すごく嬉しい」
「……そうなの?」
「うん。そういうものなの」
先ほどまでの具合の悪そうな姿はどこへやら、アイリスが笑顔でそう言うと、シュデリィは何も言い返すことができなくなった。
その笑顔は、まるで太陽のように明るく、見ていると心が温かくなる。
だがふと、シュデリィは思い出した。
(……私は、この人に、魅了の魔法をかけられている。だから、アイリスさんの笑顔を見ることが、嬉しい、のかな)
自分が、アイリスの笑顔をみて「嬉しい」と感じていることに驚く。だがその自分の気持ちは、造られたものということを思い出して……なぜかわからないまま、気持ちが落ち込む。そんな心の変化を、シュデリィは疑問に感じる。
「……どうして」
シュデリィは、小さく首を振った。自分の心なのに、全く理解できない。
「どうしたの、シュデリィちゃん。何かあった?」
そんな様子のシュデリィを、アイリスは心配そうに見つめる。
「……なんでもない」
「そっか」
アイリスは、それ以上深く詮索することはなかった。それでも心配で、ずっとシュデリィのことを気にかけていた。
(……もし、この魅了の魔法が切れたら、私はどんな気持ちになるんだろう)
そんなことをシュデリィは考える。だが、どんなに考えても答えは出なかった。
その後、何事もなかったかのようにオリエンテーリングは無事終了した。
ゴール地点では、クラスメイトの輪がいくつか自然にできている。その輪の一つに、シュデリィは引き入れられた。
「シュデリィさん、オリエンテーリングの間、全然姿を見なかったけど、誰と一緒に回っていたの?」
「……アイリスさんと」
「えっ!? あの子と……? ああ、そういえば寮のお部屋、同室なんだっけ?」
「……うん」
「アイリスさんって、全然話したこと無いんだよねー。ほら、あの子って、いつも下を向いているし。それに、全然喋らないし」
「……?」
クラスメイトの語るアイリスの印象が、自分が知っている明るくて優しいアイリスの姿と全く違うことに、シュデリィは強い違和感を覚えた。
「あの子同室なんて、大変じゃないー?」
「……そんなこと、思ったことない。むしろ、たくさん助けてもらっている」
「へぇー。なんか意外だね。想像つかない」
アイリスのことを悪く言われたような気がして、シュデリィは不機嫌になっていたが、全くの無自覚だった。
その後もシュデリィは、クラスメイトたちの他愛もない会話に、機械的に答えていく。彼女にとって、このような人間との会話は、仕事の一環という認識だった。自分が魔族だと悟られないように、そして可能な限り多くの情報を収集するため。全ては事件を解決するために必要なこと、という理解だった。
当初、ずっとこのような淡々とした日々を送るものだと、シュデリィは思っていた。
だが、そんなモノクロのような日々に彩りを与えてくれたのは……。
そんな彼女の姿を、シュデリィは無意識に周囲の人混みの中から探す。
「……?」
だが、どれだけ周囲を見渡しても、先ほどまで一緒にいたはずのアイリスの姿は、どこにも見当たらなかった。