第4話 調べもの
シュデリィが学園に編入してから、数日が過ぎた。
寮の自室。机に向かったシュデリィは、便箋とペンを手に取った。窓の外はすっかり暗くなり、遠くの灯りが小さく瞬いている。今日は魔界にいる親に、近況報告の手紙を書くことにしていた。
ペン先を走らせ、現状の報告を書き始める。
アイリスという、人間の協力者を得られたこと。彼女のおかげで、もし魔界の門が開いても、魔族が現れる前にすぐ閉じることができていること。そして彼女は自分のような魔族に対しても、友好的であることを伝えようとして……ふと手が止まった。
「……これ、私が魔族だって、人間にバレてることになる」
自分が書いた一文をじっと見つめ、シュデリィはその部分を消すべきかどうかを真剣に考え始めた。
ペンを持ったまま小さく唸っているシュデリィを見て、アイリスが心配そうに声をかけた。
「どうしたの、シュデリィちゃん。何かあった?」
「……親に、手紙を書いてる。けれど、私が魔族だって知られたとバレるから、どうしようかなって」
「ええっ! シュデリィちゃん、やっぱりバレたらまずかったの……? 親って、魔王さんなんだよね? だ、大丈夫……?」
アイリスは、シュデリィの言葉に目を丸くして驚いた。シュデリィの親が魔王であることは、何気ない会話の中で聞いたことがあった。しかし改めて聞くと、やはり衝撃が大きい。彼女は、シュデリィのことを心配そうに見つめた。
「……なるべく隠すように、と言われてはいた。絶対とは言われていない」
「じゃあ、大丈夫なのかな……?」
「……たぶん」
シュデリィは、少しだけ肩の力を抜いた。
とりあえず、人間界で魔族が暴れるという最悪の事態は避けられそうであり、目の前の問題は解決したと言えるだろう。しかし、そもそもなぜ魔界の門が開くのか、その原因はいまだに分かっていない。
ただひとつだけ言えることは、この事件が人為的なものであるということだ。
その理由として、シュデリィが門の出現場所へたどり着いた際、常に『監視魔法』と呼ばれる、遠隔からその様子を見ることのできる魔法が、巧妙に隠蔽された形で発動していたからだ。
これまでのところ、その魔法は全て破壊している。そのため、その姿が相手に捕捉されている可能性は限りなく低いとシュデリィは考えていた。
彼女は、ここまでの内容を報告書として手紙にまとめた。そして、もし他の誰かに見られても問題がないように、しっかりと魔法を施した。これで、親に手紙を送る準備は完了だ。
魅了の魔法については……書かない。なぜか、なんだか、書きたくないという気持ちになったからだった。この件については、誰にも知られたくない。シュデリィは、そう固く心に誓った。
「……アイリスさん、私、調べものをしたい。この学園で、そういうことができる場所はある?」
「うん。図書館があるよ。私で良ければ、案内するね!」
アイリスは、笑顔でそう応える。
「……場所を教えてくれれば、大丈夫」
「一緒に行きたいなぁ。……だめ?」
アイリスは、ほんの少し心細そうな表情で、シュデリィを見つめた。
「……全然、だめじゃない」
「じゃあ、明日の放課後に一緒に行こっ」
「……お願いします」
その潤んだ瞳に、シュデリィは抗えなかった。
次の日の放課後、シュデリィとアイリスは学園の図書館へ向かう。
そこは、高い書架が迷路のように並び、古木の香りが漂う、静かで落ち着いた空間だった。
シュデリィは、解呪の魔法について書かれた本はないかと書架の間を歩き回る。魔族のことや、魔界の門について書かれた本も念のため探しておく。やがて机の上には、数冊の本が積み上がっていった。
「シュデリィちゃん、この本とかはどう?」
アイリスが、自分の探している本を数冊抱えてやってきた。
よく見ると顔色がどこか優れないように見えたが……シュデリィはそれを言葉にしなかった。
「……中身、みてみる。アイリスさん、色々持ってきてくれているけど、私のこと、手伝わなくても大丈夫」
シュデリィは、少し申し訳なさそうに言った。
「いいの。私が手伝いたいから。それに、シュデリィちゃんの助手を目指そうと思って」
「……助手?」
シュデリィは首を傾げた。
「うん。なんか、シュデリィちゃんの役に立ちたいなって、すごく思うの」
「……そうなの? でも、助かる。また何か、お礼をした方がいい?」
「シュデリィちゃんにありがとうって言ってもらえるだけで、私はいくらでも頑張れちゃう」
「……でも、それだと対価にならない」
シュデリィは、少し困ったように眉をひそめた。魔界では、何かをしてもらったら、それに見合う対価を渡すのが常識だったからだ。お礼の言葉だけでは、相手にとって不十分なのではないかと考えてしまう。
「私は、対価が欲しくてお手伝いしているわけじゃないよ」
「……じゃあ、目的は、何?」
シュデリィは、少し警戒した様子でアイリスに尋ねた。彼女は、人間の行動原理がまだよく理解できていない。
「も、目的……? そう言われると……。うーん……シュデリィちゃんと、もっと仲良くなりたいから、だとなんだか言い方が打算的すぎるし……。友達の力になりたいって思うことは、当然だから……かな?」
「……私たち、友達?」
シュデリィは、アイリスの言葉を反芻するように、ゆっくりと問い返した。『友達』。それは、言葉の意味としては知っていても、彼女にとって、まだよくわからない概念だった。
「私は、そうありたいと思っているよ。シュデリィちゃんが、自然に私のことを、友達だと思ってくれるように……私、がんばるね」
アイリスは、真剣な眼差しでシュデリィを見つめた。この数日のやり取りで、シュデリィが友達という関係性に疎いことは、アイリスにもよく分かっていた。
「……うん。えっと、アイリスさん、ありがとう」
シュデリィは、少し照れたように、そして少しだけ戸惑ったように、そう応えた。
「うんっ! こちらこそ、ありがとう!」
アイリスは、ぱあぁ、と花が開くように嬉しそうな表情をした。その笑顔は、見ているだけでシュデリィの心が温かくなるようだった。
「……私、アイリスさんに、お礼を言われるようなこと、何もしていない」
「シュデリィちゃんが、少しでも私に歩み寄ってくれようとしているのがわかったから。嬉しすぎて、思わずお礼を言いたくなっちゃった」
「……ふふ、変なの」
アイリスの言葉を聞いて、シュデリィの口元から自然と小さな笑みがこぼれた。
シュデリィ自身は、自分が今「楽しい」と感じていることに、まだ気づいていない。
ただ、アイリスと一緒にいると、なぜか心が穏やかで温かい気持ちになる。
その理由を、彼女はまだ知る由もなかった。
借りてきた本を読み終えたシュデリィは、調べたことをノートにまとめている。
(……魔界の門を開く具体的な方法については、依然として見当もつかない)
当初、実際に現場にいけば何らかの手がかりが得られるだろうと、シュデリィは安易に考えていた。なぜなら、もし魔法が使われた痕跡があれば、それを分析することで門を開く方法もわかるはずだ、と踏んでいたからだ。しかし、実際に魔界の門が開いた場所に、そのような魔法的な痕跡は一切残されていなかった。
(……魅了の魔法についても調べているけど、アイリスさんが使うような効果のものはない)
魔法に関する本も何冊か読み込んだが、自分が知っている以上の知識は何も得られなかった。解呪の方法についても同様だった。
(……そもそもの話として、自分は魔法を発動した瞬間をみている。そして、魔法の効果というものは、魔法陣を見ればわかる)
今になって冷静に考えてみれば、アイリスが発動した魔法に、魅了に関する効果はなかった。もちろん効果を巧妙に隠蔽したり、別の効果に見せかけたりする技術も存在する。だが、たとえそうだったとしても看破する自信はあった。
(アイリスさんの言っていた『悪意が見える魔法』というのも、全く記述が見当たらない)
こちらも気になって調べてみたが、手がかりは得られなかった。もしその魔法の詳細がわかれば、自身がその魔法を使うことで、アイリスの負担を軽減できるのではないかと考えたからだ。
魔界の門を開く方法。
魅了の魔法。
悪意がみえる魔法。
この三つの謎が、シュデリィの頭を悩ませていた。窓の外の木々を見つめながら、シュデリィは深い溜息をついた。