第15話 聖魔教会
不気味に口を開いた魔界の門から、魔族がゆっくりと人間界へと降り立った。アリーナ全体が悲鳴と混乱に包まれる。
魔族が禍々しい魔法を発動し、観客を襲おうとしたその時。
「ここは危険です! 我々『聖魔教会』が対応しますので、皆さんは落ち着いて避難してください!」
凛とした声がアリーナに響き渡った。その声の主は、聖騎士と思しき人物だ。
魔族の攻撃は、魔法によるバリアによって阻まれる。だが、そのバリアは、魔族の一撃を受けるたびにガラスのようにひび割れ、いまにも砕け散りそうに見えた。
彼に続いて銀色の鎧を身につけた聖騎士たちが、怒涛のごとくアリーナへとなだれ込んできた。その後ろからは、純白のローブをまとった教会の魔法使いや聖女たちが続く。彼らの登場は人々にとって、まるで暗闇に差し込む一筋の光のようだった。観客たちの間から、安堵によるざわめきが起きる。
それを見たシュデリィは、小さく眉を寄せた。彼女の瞳に、周囲の状況が冷静に映し出される。何かを考えるような素振りを見せてから、隣に立つアイリスの方へ視線を向けた。
「……ここは任せよう」
「うん、そうだね」
二人は会場を後にした。
一般の観客たちも次々と避難していく。彼らの間から、ひそひそと会話が聞こえてくる。
「まさか、こんな場所で魔族が出るとは……」
「今年のバトルトーナメント、いったいどうなっちゃうんだろ?」
「やっぱ聖魔教会の方々は優秀だな。いざって時に頼りになる」
そんな声がシュデリィの耳に届く。彼女の頭の中には、いくつもの疑問が渦巻いていた。
(……今回の事件、あまりにも対応が早すぎる。事前に魔界の門が開くことを知っていたと考えるのが、自然なくらいに)
このタイミングで魔族が現れたことも辻褄があう。まるでシュデリィが、これ以上勝ち上がるのを阻止するかのように。教会にとって、懇意にしている貴族がバトルトーナメントで勝ち上がれないことは相当嫌なことなのだろう。
観客の避難が終わり、熱気にあふれていたアリーナが静まり返った後。バトルトーナメントが中止になったことが正式に知らされた。人々は困惑したが、当然の成り行きでもあった。
そしてこれまでの試合成績を加味して、シュデリィは最終的に四位という結果になったと告げられた。これまた予想通りというか、あまりにも露骨な結果だった。
教会は、学校側から予算を減らされそうであること。今回のトーナメントでは毎回身内が優勝しており、そこに作為的なものが含まれているかもしれないこと。シュデリィの優勝目前で、このような事件を起こしたこと。
今までの調査結果も踏まえると、シュデリィは、もはや教会の関与は確定でいいのではないかと、確信に近い考えを抱いた。
シュデリィとアイリスは寮へと帰る。
「何がこれまでの成績なのっ!? シュデリィちゃんを優勝させたくなかっただけじゃん! ひどいと思わない……?」
「……私は正直、なんでもいい。でもアイリスさんにそう思わせたという点において、ひどい」
「まぁ、シュデリィちゃんが気にしてないなら良いけど……。一番強いのはシュデリィちゃんだし。実質、優勝おめでとうーっ!!」
アイリスはくるりとシュデリィに向き直ると、満面の笑みを浮かべた。その笑顔はさっきまでの怒りを吹き飛ばすように明るく、太陽のように輝いていた。弾むような声で言いながら、彼女はここぞとばかりにシュデリィに勢いよく抱きついた。
「……あ、ありがとう?」
シュデリィは戸惑いながらも、アイリスの熱意に押されるように小さく頷いた。
「お祝いしなくちゃ! ケーキ買ってこよっ!」
アイリスはそう言うと、パッと顔を輝かせた。彼女の頭の中には、甘いケーキの香りとシュデリィの喜ぶ顔が、すでに鮮やかに描かれているらしい。
「……よかった。アイリスさんが喜んでくれるなら、嬉しい」
「じゃあ、早速街に……!」
アイリスが駆け出そうとした、その時だった。
「……私、実はこの後、学園長に呼ばれている。まぁ、学園長は後回し」
シュデリィの言葉に、アイリスの動きがピタリと止まる。
「それはしない方がいいんじゃないかな……!? 私が買って用意しておくから、シュデリィちゃんはその用事を済ませてきて」
「…………わかった。じゃあ、行ってくる」
一緒に行きたかった、と思うのは自分のわがままなのだろうか、と考えるシュデリィ。変に人間というものに染まっていた彼女は、少し遠慮することを覚えた。
「またあとでね!」
そういってアイリスは街に、シュデリィは学園長室へと向かった。
学校の校舎の中に入る。学園長室へと向かうシュデリィの足音だけが、静かな廊下に響いていた。窓から差し込む夕焼けの光が、彼女の影を長く伸ばす。
何か、嫌な予感がする。
アイリスの力の精度とは程遠いが、シュデリィは何となく心がざわついた。
その時。
シュデリィに、魔法で警告が届いた。
「……これは、アイリスさんの髪飾りの……!?」
シュデリィが、アイリスにプレゼントした髪飾り。それはただの飾りではない。シュデリィがアイリスの安全を願って、特別に魔力を込めて作り上げたもの。
『アイリスさんの身に危険が迫ったら、自動的に防壁魔法と音声と視界遮断、心理防御魔法が少しの間、発動するようになっている』
『アクセサリーの魔法の効果時間は、付与量の限界で少しの間しか持たなかった。でも、私に警告がくるようにしてある。その間に私が駆けつけられる』
その警告が今、シュデリィの手元に届いている。
シュデリィの表情が、一瞬にして凍りついた。学園長室へ向かっていた足が、ピタリと止まる。彼女の頭の中には、アイリスの不安げな顔が鮮明に浮かび上がった。
学園長の用事など、一瞬で頭の中から吹き飛んだ。シュデリィは大急ぎで警告のあった場所へと向かう。
そこは学園の敷地内、まさに街へと向かう道の途中だった。しかしその場所に辿り着いたシュデリィの視界に、アイリスの姿はない。ただ草木の影が揺れるばかりで、周りには何もない。
よく見ると、シュデリィがアイリスにプレゼントしたあの髪飾りが、地面に転がっていた。
「……どうして……!?」
彼女の心臓が、警鐘を鳴らすように激しく脈打った。かつてないほどの焦りが、彼女の全身を支配する。
どうしよう、どうしよう、と焦る思考が頭の中を駆け巡るが、シュデリィはそれを必死に抑えようとする。
(……防壁魔法がそんなに簡単に抜かれるわけない。私が込めた魔力は、並大抵の力では砕けない。でも事実、ここにアイリスさんはいない)
シュデリィはアイリスを助けるため、必死に頭を働かせた。この防壁を破壊できるとすれば、相当強大な力を持っている。それこそ、あの魔界の門を開けることができるくらいの。
それで私を狙うのなら理解できる。しかしなぜアイリスさんが狙われたのか、全く見当がつかない。とシュデリィは思案する。
「……きっと、教会。あそこにいるはず」
シュデリィの口元が、きつく引き結ばれる。確証はない。しかし彼女の直感がそう告げていた。今までの出来事と、この突然のアイリスの消失。すべてがあの教会へと繋がっているように思えた。そう目星をつけ、シュデリィは一気に駆け出した。
教会の中は、先ほど魔族の対応をした聖騎士や聖女でごった返していた。彼らは傷つき疲弊しきった様子で、互いに労り合う声が飛び交っている。
シュデリィは彼らには目もくれず、大急ぎで奥へと向かう。しかし大きな扉の前で、聖騎士の人に呼び止められた。
「あなたは、先ほどバトルトーナメントに出ていた生徒さんじゃないですか。ここから先は関係者以外立ち入り禁止となっていますよ」
行く手を阻む聖騎士の声が冷たく響く。彼の顔は疲労でやつれていたが、警戒を怠っていない。
「……どいて」
シュデリィの声は氷のように冷たい。彼女は無理やり奥の部屋へと入ろうとする。当然、聖騎士は彼女を止めようと腕を伸ばすが、シュデリィはそれを振り切った。
探知魔法を使うと建物の地下深くに、いくつかの反応があった。シュデリィは迷わず、その場所に向けて強力な魔法を放つ。地面が激しく揺れ、床に大きな穴が開いた。そのままシュデリィは躊躇なくその穴へと飛び降りる。暗闇の中を落下し、衝撃と共にその場所に降り立った。
「まさか本当に来るとは。一体何が、化け物にそうさせるのかね」
そこにいたのは純白のローブをまとった、一見すると慈悲深い老人の姿だった。しかし彼の口元には、薄っすらと嘲笑が浮かんでいるように見えた。
シュデリィがこれまで調査していく中で、最も怪しいと考えていた人物だった。その予感は今、確信へと変わる。
大きな部屋の一番奥には神々しい光を放つ、白い女性の像が立っている。
その像の足元に、魔法で拘束され、動けないアイリスがいた。




