第13話 バトルトーナメント3
学園のバトルトーナメントは、七日間をかけて行われる大規模な催しである。その期間は、生徒たちが実家に帰省するなどの長い休みの最初の七日間と一致している。ただ、ほとんどの生徒が「後学のため」と称して観戦を選ぶ。
学園中が、まるでお祭りのような高揚感に包まれていた。色とりどりの旗が飾られ、賑やかな屋台が並んでいる。
一方で、バトルトーナメントの会場。開会式後のざわめきの中、アイリスがやけにきょろきょろしているなとシュデリィは感じた。その瞳は、何かを探すかのように揺れている。よくみると『心理防御魔法』を使っていなかった。そのことを不安に思いつつ、彼女は対戦フィールドへと向かう。
いよいよ一回戦。シュデリィの相手は、三年生の生徒だった。フィールドに立つ相手の体格はシュデリィよりも一回り大きく、いかにも強そうだった。
「じゃあ、シュデリィちゃん、がんばって……!」
アイリスの声には、心配と期待が入り混じっていた。シュデリィの手をそっと握りしめる。
「……がんばる」
アイリスに応援されて、シュデリィの心は温かくなった。その温かさが、彼女の表情をいつもより柔らかく見せる。
シュデリィの戦いは、一部の生徒や関係者の間で既に注目されていた。それもそのはず、つい先日練習試合とはいえ、学園の中でも名が知れた実力者である貴族の生徒を、まるで手玉に取るかのようにあっという間に倒してしまったのだから。その噂は、学園中に瞬く間に広まっていた。
審判の合図と共に、試合開始となる。
開始直後、シュデリィは登録した聖属性の攻撃魔法を放った。白く輝く光の球が、相手に向かって縦横無尽に飛んでいく。まるで降り注ぐ流星群のように、その光は美しい軌跡を描く。相手の生徒は反応する間もなく、その光に飲み込まれた。
あまりにも呆気なく終わってしまったので、審判も一瞬呆然と立ち尽くしていた。場内にいた観客たちも、何が起こったのか理解できないといった様子で静まり返った。
しかし、すぐ驚嘆と興奮のざわめきに包まれた。『今の、何だ!?』『あの子が、噂の……?』といった声が飛び交い、シュデリィのあまりにも圧倒的な勝利に、誰もが信じられないといった様子で立ち尽くしていた。
試合が終わってすぐに、形式的な対戦後の手続きを済ませる。シュデリィとアイリスは足早に会場を後にし、寮への帰路に着いた。
初日のバトルトーナメントは、ただそれだけで、あっけなく終わった。
その日の夜。寮の部屋でくつろいでいると、アイリスがふと真剣な表情でシュデリィに話しかけた。
「シュデリィちゃん、これから魔界の門が開くかも……」
最近はあまり頻繁には起きていなかった、魔界の門が開く予感をアイリスは察知した。
「……アイリスさん、今も心理防御魔法、使ってない」
「うん。今まで、魔界の門が開くのって、いつも夜の時間だったから。どちらにしても魔法は一日持たないし……」
「……それは、なんだか、申し訳ない」
「ううん、私なりに、向き合った結果だから。シュデリィちゃんのおかげで、前より全然辛くないよ」
アイリスが優しく微笑んだ。その笑顔は、シュデリィにとって何より安心できるものだった。
「……それなら、良い。でも、アイリスさん、震えてるから」
ほとんど無意識に、シュデリィはそっとアイリスを抱きしめた。温かい腕の中にすっぽりと収まる。シュデリィの体温が、アイリスの震えをゆっくりと鎮めていく。
「……今度から、解除する時は言って。できるだけこうする」
シュデリィは、アイリスの耳元でそっと囁いた。その声はいつもより柔らかく、優しさに満ちていた。
「ありがとう、シュデリィちゃん。これじゃ逆に、解除するのが楽しみになっちゃうね、なんて……」
アイリスはシュデリィの胸の中で、少し照れたように笑った。
「……そう思ってもらえるなら、いくらでもする」
シュデリィは、より強くアイリスのことを抱きしめる。その温かさが、アイリスの全身にじんわりと広がっていく。
「本当に、ありがとう。シュデリィちゃんのおかげで今、私、幸せだよ」
「……よかった。じゃあ、今日も一緒に、門を閉めに行こう」
シュデリィは、アイリスを抱きしめる腕を少し緩め、そっと手を差し出した。その手はまるで、頼りになる騎士がお姫様を誘うかのようだった。
「よろしくね、シュデリィちゃん」
アイリスはその手をとる。二人の指が絡み合い、互いの温もりを感じ合った。
その夜も二人は人知れず現場まで行き、魔界の門が完全に開ききるよりも前にそれを閉じた。
大会二日目。シュデリィは二回戦となった。
この日も彼女は特に苦戦することなく、一瞬で試合を終えた。その圧倒的な実力は、学園中の話題を独占し始めていた。
そして再びその日の夜。寮の部屋に戻ると、アイリスは悪意の予兆を感じ取った。
「今日も? 二日連続で魔界の門が開くなんてはじめてだけど……」
アイリスは少し驚いたように呟いた。これまでの経験から魔界の門が開くのは、せいぜい数日に一回程度だったからだ。
「……とりあえず、閉めに行く。魔力たくさん必要だから、大変」
そのあともシュデリィは、順調にバトルトーナメントを勝ち進んでいく。そして、まるでそれに呼応するかのように、毎日魔界の門が開くという事件も起き続けた。昼は学園の大会、夜は魔界の門。二人の日常は、にわかに忙しさを増していった。
その後の四日目、五日目と、トーナメントは順調に進んでいった。シュデリィは変わらず圧倒的な強さを見せ、試合はあっという間に終わる。しかし日が暮れれば、必ずアイリスが真剣な表情で『今日も……』と告げる。
毎夜繰り返される魔界の門を閉じる作業は想像以上に魔力を消耗し、いくらシュデリィでもさすがに疲労が蓄積しているようだった。
朝食を摂るシュデリィの動作はわずかに重く、時折深い溜息を漏らすようになった。アイリスは、そんなシュデリィの様子を心配そうに見つめる。
「大丈夫……? 疲れていない?」
「……平気」
その一言は、いつもより少しだけ小さく聞こえた。
彼女はシュデリィの好物を用意したり、試合前に肩を揉んだり、できる限りの方法でシュデリィを支え続ける。シュデリィが『ありがとう』と呟くたびに、アイリスの心は温かくなった。
また日を追うごとに、学園でのシュデリィへの注目度は高まっていった。『平民の希望』『魔法の天才』といった言葉が学園の至る所で囁かれ、一方で彼女への嫉妬や反感もまた、静かに広がり始めていた。そうした学園の空気の変化を、アイリスは敏感に感じ取っていた。
大会六日目。
今日は予選の最終日だった。この試合に勝てば、明日の決勝トーナメントに確実に行ける。二回負けると敗退となるこの大会で、シュデリィは未だ無敗である。そして学園で唯一、無敗の平民はシュデリィのみとなっていた。彼女の快進撃は貴族社会が中心の学園において、大きな波紋を広げていた。
フィールドの入り口で、アイリスがシュデリィの腕をそっと掴んだ。
「シュデリィちゃん、審判の人が、もしかしたら……」
「……わかった」
シュデリィは静かに頷いた。審判からの悪意を察知したアイリスが、シュデリィに注意を促した。
予選の六回戦目が始まる。シュデリィが今まで通り、聖属性魔法を放った。白く輝く球体が十個現れ、縦横無尽に動き相手に襲いかかる。その光景はもはや、お馴染みとなりつつあった。
「それの対策はバッチリしてきたぜ」
しかし相手の生徒が頑丈な防御魔法を発動させ、シュデリィの攻撃を耐え切ってみせた。シュデリィの初撃を耐えた人物が現れたのは、このトーナメントではじめての出来事だった。場内からどよめきと、そして割れんばかりの歓声が上がる。
相手が同じく聖属性魔法で反撃してくる。白い球体が五個現れ、シュデリィに襲いかかる。
彼女はそれを、まるで散歩でもするかのような気軽さで難なく避ける。観客から見ると、まるで魔法の軌道が全てわかっているかのような、信じられない光景だった。
シュデリィは、なるべく手の内を明かさないように立ち回りたいと考えていた。できれば聖属性魔法だけでなんとかしたかったが、相手が急に距離を詰めてくる。その手には、白く輝く剣が握られていた。
これが実戦であれば後ろに下がればいいのだが、この模擬戦には後ろにフィールドの壁がある。逃げ場は限られている。
シュデリィはあらかじめ登録していた短剣を2本取り出し、両手に構えた。
(……普段、全然使わないけど)
シュデリィは相手の初撃をはじき返し、流れるような動きで短剣を振るった。相手はギリギリのところでそれを避け、すぐに距離をとる。そこに彼女が聖属性魔法を放とうとした瞬間。
「……! シュデリィちゃん!」
アイリスが叫ぶ。
それは突然の、悪意の反応だった。
シュデリィが魔法陣を作るが、その魔法式が一部めちゃくちゃになる。これでは不発になってしまう。
(……! これは……!)
シュデリィは、自身の魔法に絶対の自信をもっている。この学校のまだ未熟な生徒であれば、焦った瞬間に魔法をミスってしまうことはよくあることだ。しかしシュデリィに限って、そんなミスは絶対にしない。
シュデリィは、めちゃくちゃになった魔法式を咄嗟にさらに書き換えて、魔法を発動させようと試みる。だがそのせいで魔法が複雑になりすぎたのか、今度は戦闘用のフィールドから警告音が鳴ることを察知し、発動をキャンセルした。
結果として魔法は不発となる。魔力の光が、シュデリィの指先から消え去った。
「今のはヒヤっとしたぜ、だがこれで終わりだ!」
その隙に、相手は聖属性魔法を構えていた。シュデリィの魔法が不発になったのを見て、勝利を確信する。
シュデリィは、すぐさま身体強化の魔法を自分にかける動作をする。今度は消えない。
彼女は急加速し、聖属性魔法の包囲網を潜り抜け、相手の懐に飛び込んだ。そして加減して、相手を軽く殴った。それが決め手となり、相手がダウンする。試合は終了した。観客たちはシュデリィの異常なまでの強さに、再び盛り上がった。
控室でシュデリィとアイリスが話し合う。
「シュデリィちゃん、ちょっと色々と問題が……」
「……そうみたい。アイリスさん、この大会中、ずっと悪意が見える状態だけど」
「うん。もしかしたら、こういう妨害があるかもしれないって、学園長先生が言ってたから……わざと感知できるようにしてた」
「……ぎゅーってする?」
シュデリィはアイリスの様子を見て、彼女の不安を取り除こうと、いつものように問いかけた。
「…………部屋帰ったら、お願い、したい」
アイリスは顔を赤くしながら、小さく頷いた。今は周りの目があるから、と躊躇する。
「……わかった」
「えっと、それでね、審判の人、観客席、そしてフィールドそのもの。この三か所から、特に悪意を感じたの」
「……思っていたより多い」
「シュデリィちゃん、やっぱり、魔法が発動しなかったのも」
「……そう。妨害された。まぁ、あの程度は大したことない」
シュデリィは、自身の魔法をめちゃくちゃにした力が『古代魔法文字』による妨害であると推測した。何者かが、この大会でシュデリィを脱落させようとしている。それだけは確かだった。
「相手の人、優勝候補のうちの一人だったらしいよ。それなのに、妨害されても大丈夫なんだね……?」
「……私、強いから」
「こんなに……かわ……」
アイリスは思わず口から出かかった言葉を、途中で飲み込んだ。
「……可愛い?」
「う、うん……か、可愛い、のに、ね」
アイリスはしどろもどろになりながら、必死に言葉を絞り出した。シュデリィの可愛らしさと、その圧倒的な強さのギャップに、胸が締め付けられるようだった。
「……アイリスさんも、可愛い」
シュデリィの言葉は、まるで爆発する魔法のようにアイリスの心の中に炸裂した。
「ふぇっ!? な、な、なに、急に」
アイリスは完全に混乱し、顔を真っ赤にして狼狽した。
「……思ったことを言っただけ。帰ろう」
シュデリィは、いたって真顔でそう言い放つと、さっさと控室を出て行こうとする。
「それはそれで聞き捨てならないよ!?」
アイリスは、慌ててシュデリィの後を追いかける。
可愛いと言われたことがお互いの心の中で、ずっと反芻していた。




