第12話 バトルトーナメント2
バトルトーナメントの準備期間に入り、教室はどこかそわそわとした雰囲気に包まれている。誰もが大会の話題で持ちきりだった。窓から差し込む午後の光が、生徒たちの浮き足立った気持ちを照らしているように見えた。
「初戦は、三年生の人みたい」
「……誰が相手でも変わらない」
シュデリィとアイリスは教室で話していた。
体育祭をサボって以来、二人はクラスメイトから遠巻きに見られることが増えていた。しかし、そんな中で気にしない人もいる。
「シュデリィさん、バトルトーナメント出るの!? ちょっと意外」
「あれだけ魔法が上手いなら、きっと良いところまでいけるかもなあ」
今まで自身の力の影響でクラスメイトに怯える日々を送っていたアイリス。しかし最近はシュデリィと一緒にいることで、少しずつ会話の輪の中に入れるようになっていた。まだ自分から話すことは少ないが、その小さな変化はアイリスにとって大きな一歩だった。
「……まぁ、がんばる」
クラスメイトの中にも、出場する予定の人が十人ほどいる。
自分の実力に自信のある貴族。将来に聖騎士、ギルドなどを希望する者。そして教会関係者が多い。
学園全体が、この一大イベントの熱気に包まれていた。
放課後。
二人は、バトルトーナメントの試合が行われる会場へと足を運んだ。
校舎とは別の場所に設けられた、巨大なアリーナが目の前にそびえ立つ。その威容に、アイリスは思わず息を呑んだ。石と魔法で築かれたその巨大な建物は、まるで古代の神殿のように荘厳で、圧倒的な存在感を放っている。
「ここで、実際の試合のフィールドを試したり、練習試合をしたりできるみたい」
アイリスが、アリーナの入り口にある案内板を示しながら説明する。
「……事前に試せるのは、助かる」
「でも、人がいっぱいだね……?」
アイリスが、アリーナの中を見渡して呟いた。すでに多くの生徒が練習試合を始めており、魔法の光が飛び交い、ぶつかり合う音が響き渡っている。火花が散り、風が唸り、土煙が舞い上がる。
「……本当に、試せる?」
フィールドの数は限られており、それぞれの場所が練習試合をする生徒たちでごった返していた。
いくつかあるフィールドの中で、一つだけ使われていない場所が目に入る。二人はそこへ向かって歩き出した。しかし、その手前がやけに騒がしい。
「だから、ここは俺が使うって言ってんだろ。貴族の言うことも聞けないのか?」
耳慣れない傲慢な声が響いた。
「ここは今、僕たちが使っていたんだ。一人五分って時間も守っている。学園の中では貴族と平民は平等だ。それは関係ないだろう」
どうやら、貴族と平民が言い争っているようだった。
「どうせ勝ち上がれないお前たちが使ったって時間の無駄だろ。さっさとどけ。それが嫌なら実力でどかしてみせろよ」
「それも関係ない。どうして練習するのに実力が必要なんだ」
言い争いは一向に収まる気配がない。貴族の生徒は鼻で笑い、平民の生徒は顔を真っ赤にして反論している。そんな言い争いをしているせいで、フィールドは使われていない状態だった。
シュデリィはその言い争いには目も向けず、使われていないフィールドの中に手を入れ解析をはじめた。
(……このフィールドは、事前に登録した魔法や武器の物理的なダメージを打ち消す仕組みになっている。痛みは別の魔法で再現する形)
シュデリィの頭の中で、フィールドの仕組みが詳細に分析されていく。
(……そして、登録していない魔法を使うと警告が鳴って反則負け。でも、『人間に擬態するための魔法』や『心理防御魔法』をここに登録するのは……論外)
秘匿性の高い魔法などを守るため、魔法の登録をしても他の誰かに読み取られることはない、と説明にはあった。
しかし、シュデリィはそれを全く信用していない。自分であれば読み取れる自信があるからだ。
何も登録されていないフィールドで、シュデリィが小さく魔法を発動する。しかし、警告音は鳴らない。
シュデリィは、自分の『魔法を使っていることを隠蔽する技術』が、このフィールドの検知システムをを上回っていることを確認した。これさえ確認できれば十分。それ以外については、後でどうにでもなるだろうと考えた。
「おい! そこのちっこいの!! なんでフィールドつかってんだよ!」
貴族の生徒がシュデリィに気づき、怒鳴りつけた。その声が周囲の注目を集める。
「……今終わった。もう大丈夫」
「ここはな、俺たちが使ってるんだよ。お前、どこかの貴族か?」
「……ええと、たしか平民?」
「たしかってなんだよ。ってか平民かよ。お前、喧嘩売ってんのか!?」
「……いくらで買ってくれる?」
売ってるのかを確認されたので、売ることにしたシュデリィ。特に深い意味はわかっていない。だが彼女の返答は、貴族の生徒の逆鱗に触れた。
「貴様っ……! ボコボコにしてやる。お望み通りフィールドに入りやがれ」
「……? まだ対価、もらってない。あとフィールドの確認は終わったから大丈夫」
話の流れを理解できなかったため、シュデリィは踵を返して帰ろうとした。しかし隣に立つアイリスの顔を見ると、彼女は小刻みに震えている。まるで、恐ろしい悪夢を見ているかの表情だった。
「……アイリスさん?」
シュデリィが心配そうに尋ねる。
「ちょっ、シュデリィちゃん……! 貴族の人と喧嘩したらまずいよっ」
アイリスは震える小さな声で、シュデリィの服の裾を引っ張った。
「……そんなことはどうでもよくて、アイリスさん、怖い……?」
シュデリィの視線は貴族の生徒ではなく、アイリスの表情だけに注がれている。
「え、う、うん……。その、もう赤いのは見えなくなったけど、ちょっとやっぱりまだ人は怖くて」
「……怖い? あれが?」
「あれとか言っちゃだめだよシュデリィちゃん……!」
シュデリィの無邪気な言葉に、アイリスは慌てて注意した。
「……気が変わった。一応、倒しておく。常識の範囲内で」
アイリスの不安を和らげようと、シュデリィはつぶやいた。
「シュデリィちゃんの常識の範囲内、不安なんだけど……」
「……大丈夫。フィールドの限界値を超えなければ相手は本当の怪我をしない。痛いけど。理解している」
(不安しかない……!)
アイリスは、心の中で叫んだ。
「おい! 全部聞こえてんぞ! いいから早くフィールドに入りやがれ!」
貴族の生徒の怒鳴り声が響き渡る。その様子を、周りの生徒たちは呆然と見つめていた。
こうして、シュデリィと見知らぬ貴族の練習試合が幕を開けた。
試合の準備。まずは魔法を登録する。
シュデリィは、『聖属性魔法』と『身体強化魔法』を試しに登録する。
それを審判が確認する形だ。
それが終わるとシュデリィは呑気にフィールドの中に入り、再び解析を行う。
(……やっぱり自分が常時使っている魔法に、フィールドは反応しない)
シュデリィの頭の中で、フィールドの解析結果がまとまっていく。彼女が常に身に纏っているいくつかの魔法、例えば人間に擬態するための魔法や、心理防御魔法はフィールドの検知能力を上回っていた。
相手は大きな剣を構えフィールドでシュデリィを待ち構えているが、シュデリィの目には入っていない。
審判が試合開始の宣言をする。
相手が剣を振るうが、シュデリィには当たらない。
シュデリィは、登録した『聖属性魔法』をフィールドのバリアに向かって放つ。光の球がバリアに触れると、まるで水面に波紋が広がるように光が四方に散っていった。
(……登録した魔法であれば打ち消される。これなら外に魔法が出ることもない。安心)
シュデリィは、その結果に満足したように頷いた。
相手が攻撃魔法を放つが、シュデリィは最低限の動きでそれを避ける。
次にシュデリィは、自分が普段使っているオリジナルの身体強化の魔法ではなく、一般的な身体強化の魔法を使う。
魔力を多めに入れたところで、警告音が鳴りそうだとわかったためキャンセルする。
(……魔力が一定のしきい値を超えると警告音が鳴ってしまう。調整が難しい)
「おいお前! 逃げてばかりいないでちゃんと戦いやがれ!!」
そういうと、相手も『聖属性魔法』を放ってきた。
白い光の球が、シュデリィ目掛けて飛んでくる。それをシュデリィは難なく避ける。
――聖属性魔法。
魔族や瘴気の影響を受けた相手に対して、非常に有効な魔法。
少ない魔力で放つことができ、発動も容易。
魔法式が簡単で、魔法の基礎中の基礎とされる。
最も使い勝手の良い攻撃魔法として、人間界では広く普及している。
人間相手に放つ場合はただの物理的な攻撃となってしまうが……それでも、連発しやすさが他の魔法と格段に違う。そのため、このような戦いでもよく使われる魔法だった。
(……たぶん、大会では聖属性魔法がたくさん飛んでくる。全部避けなきゃいけないのは、ちょっと面倒)
シュデリィはそんなことを考えながら、そろそろ試合を終わらせることにした。
彼女も聖属性魔法は使える。
それは当然のことだった。
なぜなら最初にこの魔法を人間に伝えたのは昔の魔王、つまりシュデリィの先祖なのだから。
フィールド効果の確認も兼ねて、シュデリィは聖属性魔法を放った。
白く輝く球体が10個ほど現れ、それらが縦横無尽にフィールドを飛び回り相手に命中する。まるで夜空に散らばる星々が、一斉に降り注ぐかのように。一瞬で貴族の生徒を飲み込んだ。
練習試合は、あっけなく終了した。
試合後。
シュデリィは、多くの生徒に囲まれそうになった。しかしはっきりと断り、アイリスの手を引いて寮へと戻る。練習場は、まだ興奮冷めやらぬ生徒たちのざわめきに包まれていた。
寮の部屋に戻ると、二人はベッドに座った。柔らかいマットレスが、一日の疲れを優しく受け止める。窓からは、夜空にきらめく星々が見えた。
「やっぱりシュデリィちゃん、強いね」
「……うん。だから、あんなの怖がらなくて大丈夫」
「そ、そこまでは思わないけど……! でも、ありがとう、シュデリィちゃん」
アイリスは少し恥ずかしそうに笑った。ついつい、隣に座るシュデリィの髪を撫でてしまう。さらりとした髪が指の間を滑っていく感触が心地よいと、彼女は感じた。
そしてなんとなく、二人で見つめ合ってしまう。言葉にならない感情が、二人の間に流れる。
アイリスはその視線に耐えきれなくなり、恥ずかしさで目を逸らした。顔が赤くなるのを感じていた。
「えっと……そういえばシュデリィちゃん、聖属性魔法を使うんだね。前に、魔族さんを相手している時は使ってなかったよね」
アイリスは、沈黙を破るように話題を変えた。
「……うん。滅多に使わない。魔族にとって、あの聖属性魔法は致命傷になりうる。私の目的は、相手を消すことじゃなくて、送り返すことだから」
「そっか、そういうことだったんだね。でも、そしたらシュデリィちゃん、バトルトーナメント危ないんじゃない……?」
アイリスは、はっとしたように顔を上げた。その瞳には、心配の色が濃く浮かんでいる。
「……なぜ?」
「えっ、だって、聖属性の攻撃魔法って、一番みんな使う魔法だから……。当たったら、シュデリィちゃん危ないんじゃ……」
「確かにあのフィールドに、聖属性魔法の、魔族に対する効果を軽減するものはなかった。でも、それは問題ない。当たるとちょっと、説明がめんどくさいだけ」
「危ないんじゃんっ! もしも、手違いで当たっちゃったりしたら……私、怖いよ」
「……大丈夫。心配しないで」
「ううー……本当かなぁ。防御魔法とかで、防いだりはできないの……?」
「……実は私、防御魔法が苦手。原理は理解しているから、時間をかけて常に発動することはできる。でも咄嗟に、反射的に出せないから実戦では使わない」
「そうだったんだ……。じゃあもう、絶対に避けてね……?」
アイリスは、祈るようにシュデリィを見つめた。
「……そのつもり。任せて」
直接心配してもらえることが滅多にないシュデリィにとってアイリスのこの言葉は、なんだか新鮮でとても嬉しかった。胸の奥が、ほんのりあたたかくなるのを感じる。
自然とアイリスに甘えかかるように、彼女はそっと体を寄せた。
「ちょっ、シュデリィちゃんっ……!?」
アイリスは突然の行動に驚き、少しだけ体を跳ねさせた。
「……心配してくれて、嬉しい。でもアイリスさんを不安にはさせたくない。難しい」
シュデリィは困ったような、でもどこか嬉しそうな表情で呟いた。
「心配するのは、シュデリィちゃんのことを大切に思っているからだよ。だから心配させて。もちろん、不安だけど……でも、シュデリィちゃんのこと、信用してる」
「……でも、すごく不安そう」
シュデリィはアイリスの顔を覗き込んだ。その瞳には、まだ拭いきれない不安が揺れている。
「そればっかりは仕方ないというか……! 万が一がとか、思っちゃうから……!」
「……本当に大丈夫なのに。でも、そうやって心配してくれるアイリスさんのことが」
『好き』と伝える代わりに、シュデリィは笑顔で誤魔化した。
一方のアイリスも、今、『好き』と言われるんじゃないかと思って……口をぱくぱくさせていた。頬が真っ赤に染まっている。
「……な、何、シュデリィちゃん……?」
アイリスは、ドキドキしながら尋ねた。
「……秘密」
シュデリィは、いつもより楽しそうに答えた。




