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第10話 二人の体育祭

 寮の自室。窓から流れ込む風が、カーテンをふわりと揺らしていた。どこか遠くから、賑やかな歓声が聞こえてくる。今日は体育祭当日。校庭に集まった生徒たちの熱気が、風に乗ってここまで届いているのを感じる。


 体育祭を、完全にサボってしまうと出席扱いにならず、後々響いて成績に影響しかねないことに気づいた二人。話し合った結果、やっぱり最低限の出席はすることに決めた。出席確認さえ済ませてしまえば、競技は自由参加だ。無理に出場する必要はない。


 動きやすい体操服へと着替えを済ませ、体育祭特有のざわめきに満ちた校庭へ、二人は足を踏み出す。

 点呼を終えたあと、二人はその賑わいから少し離れた場所を目指した。校庭の端々には木々が枝を広げている。そこを歩いていると、古びた木製ベンチが、まるで二人を隠してくれるようにひっそりと佇んでいた。周囲の喧騒から切り離されたその場所に腰を下ろし、シュデリィは念の為に気配を遮断する魔法を使った。これで、誰にも気づかれる心配はない。


「……アイリスさん、その、大丈夫?」


 隣に座ったアイリスの顔色を、シュデリィは心配そうに尋ねた。先日の一件以来、アイリスが無理をしていないか、常に気になってしまう。


「うん。シュデリィちゃんが教えてくれた魔法のおかげで、最近はすごく調子いいよ。その、髪飾りもありがとうね」


 アイリスは、もらった髪飾りをそっと指先で触れた。護りの魔法が込められたそれは、物理的な安全だけはなく、アイリスの心にも大きな安心を与えてくれていた。


「……それなら、よかった」


「ただ、やっぱりクラスメイトの人たちとは関わりたくないけど……」


 体育祭の賑わいの中に時折、先日アイリスを傷つけた女子生徒たちの顔がちらつく気がした。その度に、胸の奥がキュッと締め付けられる。


「……あんなの、関わらなくて良い」


「あんなのって……。シュデリィちゃん、最近クラスメイトの人たちの扱いが雑だよ」


「……? アイリスさんのことを悪くいう人たちと、私も関わりたくない」


「シュデリィちゃんは、皆に尊敬されてるんだから、そんな態度を取らなくても……なんか、私が申し訳なくなっちゃう」


 自分のせいでシュデリィが、クラスメイトから反感を買うのではないかと、アイリスは少し不安になった。


「……そんなことは気にしなくていい。アイリスさんのことが、一番大事」 


 まるで当たり前かのように、シュデリィはまっすぐ、静かに言葉を紡いだ。


「…………ありがとう、ございます」


 あまりにもストレートな言葉に、アイリスの顔はあっという間にリンゴのように赤くなった。熱くなった頬をごまかすように、シュデリィから顔を背ける。


「……? 喋り方が、変」


 アイリスの明らかに動揺した様子に気づいたものの、その理由がわからず、シュデリィは首を傾げる。


「シュデリィちゃんが、だって……恥ずかしいこと言うから」


「……そうなの?」


 自分が恥ずかしいことを言ったという自覚が、シュデリィにはなかった。きょとんとした表情のままである。


「私のことが一番大事って、だって、こ、告白みたいだよっ!」


 開き直ったアイリスは、精一杯の勇気を振り絞って叫んだ。

 その言葉を聞いた瞬間、シュデリィは何かに気づいたような顔をする。


「……! えっと、その……」


 事実として、シュデリィはアイリスのことが好きで、一番大事だ。だから、アイリスが口にした「告白みたい」という言葉を否定できるわけもなく。

 アイリスがあんまりにも顔を赤くして、必死に言うものだから、シュデリィ自身も顔に熱が集まるのを感じ、視線を泳がせた。


「そ、そんな照れないでよぉ……っ! それじゃ肯定してるのと同じだよっ……!」


 まさかシュデリィが、自分と同じように照れた様子をみせるなんて。予想外の反応に、アイリスの冷静な思考はどこかへ吹き飛んだ。心臓の音がうるさすぎて、全く落ち着かない。


 それは、シュデリィも同様だった。

 お互いの顔をまともに見られず、顔を赤くしたまま俯いてしまう。

 二人の間に流れる甘くて気まずい沈黙を、木陰に吹く風が優しく撫でていった。体育祭の喧騒が、遠くに聞こえる。


「……アイリスさんの力についての話だけど」


 シュデリィは、真っ赤になった顔を隠すように、唐突に話題を変えた。


「とんでもない方向転換……!」


 あまりにも強引な話題の飛び方に、思わずアイリスはツッコミを入れてしまう。しかし、この恥ずかしい空気から逃れるため、便乗して、聞く姿勢をとる。


「……先日、アイリスさんの力が発動した瞬間を見て、私はそれが『古代魔族文字』で書かれた魔法のようなもの、だと目星がついた」


「古代魔族文字……?」


 アイリスは、初めて聞く言葉に首を傾げた。


「……現代の、魔族や人間が、魔法を発動する際に使っているものは『近代魔族文字』と呼ばれる。魔法式を書く。魔法陣に組み込む。魔力を通す。このプロセスで発動している」


 シュデリィは、わかりやすく、丁寧に説明する。まるで、アイリス一人のための特別授業をしているかのようだった。その声を聞いているだけで、アイリスの心は落ち着いてくるようだった。


「授業だと、それは『魔法文字』って名称だったよね……?」


「……うん。人間界ではそう。でも、私たちはこれを魔族文字と呼んでいる。話は戻るけど、『古代魔族文字』で書かれた力は、魔法式を書くところまでは同じ。でも、発動するために、媒体と、魔力以外の力が必要」


「難しくなってきた……」


「……媒体というのは、魔法具と同義。アイリスさんに渡した、髪飾りと同じようなもの。それが魔法陣の役目を果たす。魔力以外の力は、色々」


「でも、私、魔法具なんて持ってないよ……?」


「……そこが、不明なところ。でも、近いはず。まだ調べている途中」


「シュデリィちゃん、ありがとう。私のために、こんなに調べてくれて……。私もいっぱい手伝うから」


 シュデリィの真剣な横顔をみていて、アイリスの心は温かくなった。自分のために、こんなに真剣になってくれていることが、何より嬉しかった。


「……この過程で、元々調べていた、魔界の門を開ける方法も、おそらくこれだと目星がついた。アイリスさんのおかげ」


「それならよかった……!」


「……この、魔界の門の事件も、解決する日は近い、はず」


 それを聞いて、アイリスの胸には、冷たい風が吹き抜けたような感覚が走った。


「その、シュデリィちゃんは、事件が解決したら、魔界に帰っちゃうの……?」


 声が震える。

 シュデリィが魔界から人間界に来たのは、魔界の門の調査のためだと、アイリスは聞いている。目的が達成されれば、彼女が人間界にいる理由はなくなるのではないか。そう考えた途端に、目の前が真っ暗になってしまうかのような絶望感に襲われる。


「……調査のために来たから。終わったら、魔界に……」


 シュデリィは、そこで言葉を切った。アイリスの震える声と、不安に大きく揺れる瞳を見て、「帰る」という言葉を、口にできなかった。


 当初は、学校になんて行きたくなかった。さっさと終わらせて、魔界に帰りたかった。

 だけど、今は……。

 シュデリィは、自分の心の変わりようを自覚する。


 遠くで響く体育祭の歓声。二人は、その喧騒を、木陰からじっと見つめた。まるで、ガラス越しの、別世界の出来事のようだった。


「みんな、がんばってるね」


 アイリスが、ポツリとつぶやいた。


「……何をしているんだろう、あれ」


「今は、徒競走だね。走る速度を競うの。障害物がたくさんあって、一筋縄じゃいかないけれど」


「……魔法を使って良いなら、一瞬」


「シュデリィちゃんならそうだね。だから皆、シュデリィちゃんに出て欲しかったんだと思うけど」


「……興味、ない」


「良いのかな、私がシュデリィちゃんを独り占めして」


「……うん。そうして」


「どうしてシュデリィちゃんは、そんなに、その、私に優しくしてくれるの?」


 アイリスは、ずっと聞きたかった疑問を口にした。シュデリィが自分に向けてくれる、この特別な優しさは、一体どこから来ているのだろう、と。


「……それは」


 シュデリィは、アイリスの問いに答えようと、言葉を探す。


 魅了の力にかかっているから?

 自分の仕事を手伝ってくれているから?

 彼女が、優しくしてくれるから?

 彼女が『友達』だから?


 一つ一つを検証していく中で、シュデリィは、少しずつ答えに近づいていくのを感じた。だが、まだ、何かが違う。まだ、腑に落ちないでいる。

 考え込むシュデリィの横顔を、アイリスは不安そうに見つめていた。


「ごめんね、意地悪な質問しちゃった」


 長い沈黙に、アイリスは少し不安になって、慌ててシュデリィに謝った。


「……そんなこと、ない。たくさん考えていただけ」


 シュデリィは、謝るアイリスに優しく答える。

 その言葉に、アイリスは安堵して微笑んだ。


「たくさん考えてくれて、ありがとう」


 お礼を言われたシュデリィは、ふと閃いたように気づく。


「……アイリスさんに『ありがとう』って言われると、嬉しい、から?」


「だから、優しくしてくれるの?」


「……それも、あるかもしれない。前に、アイリスさんが、私にお礼を言われると嬉しいって言ってた。その意味がわかってきた」


 以前アイリスから、言って欲しいと言われて、言い始めた「ありがとう」という言葉。


 その時のアイリスが見せる、花が咲くかのような嬉しそうな顔。

 それを思い出して……シュデリィは、その感情が今、自分の中にあると感じた。


「ほんと? すっごく嬉しい……!」


「……だんだんと、アイリスさんと同じ気持ちになってきたのかも。そうなって欲しいって、前にアイリスさんが言ってたから」


「うん。もっともっと、私と、同じ気持ちになってくれると嬉しいな」


 募る想いを抑えきれずに、アイリスは、シュデリィの手を両手でそっと包み込んだ。そして、ギュッと目を瞑った。


 大切な願い事をするように。


(私は、あなたのことが大好きだよ。私のことを、どうか、好きになってくれますように――)


 アイリスが真剣に祈る様子をみて、シュデリィは、はじめて出会った時のことを思い出していた。


 あの時、言語化できなかった気持ち。

 魅了の魔法にかかってしまったと思っていたけど、魔法ではなかった。

 他の、何か。

 アイリスさんの、悪意の見える力や、古代魔法文字を使った何かでもない。


 どうして、そういった力が働いているわけでもないのに、こんなに、強い感情が働くのだろうか。

 考えてみれば、この前だって、アイリスさんが泣いている様子をみて、今まで感じたことのない気持ちが湧き上がった。

 人間に、自分より弱いただのクラスメイトに、怒り感情を向ける必要なんて皆無のはず。

 自分に何か言われたって、心には波風一つ立たない。

 なのに、アイリスさんに、何かひどいことを言っている現場をみた時、気持ちが抑えきれなかった。

 相手に、何か魔法を、力を使われたわけではない。

 なら、自分が、自発的に、そう思ったのではないか。


 シュデリィは、ようやく、そのことに気づく。


 では、自分が、アイリスという人間のことを、こんなにも強く想っているのは。


「……私が、そう思ったから?」


 シュデリィは、まるで自分自身に問いかけるかのように、小さく呟いた。


「どうしたの、シュデリィちゃん」


 アイリスが、心配そうにシュデリィの顔を覗き込むが、シュデリィは考え事をしていて気づかない。


 シュデリィは考える。

 でも、はじめて出会った人間に、ここまでの感情を抱くなんておかしい。

 やはり何かしら、好意を向かせる術を、アイリスという人間はもっているはずなのだ。


 そこでまた、一つの疑問が思い浮かぶ。


 そんな術を持っているのなら。

 あのクラスメイトたちに、その力を使えば良いのではないか。そうすれば、先日のようなことも起こらないはずだ。


 でも、それをしないということは。


「……アイリスさんは、他の誰かの考え方を変えたりとか……そういった心を操作するような力を、何か使える?」


「えっと……? 使えないけど、その、さっきのは、ただのお願いというか、私のわがままというか……。ご、ごめんね! 変なこと言って……」


 アイリスは、シュデリィの唐突な疑問に目を丸くした。その後、先ほど自分が言った「同じ気持ちになって欲しい」という言葉のことを指しているのかと思い、慌てて訂正した。


「……確認したかっただけ。そうなんだ。私の勘違いだった」


 シュデリィは、アイリスの返答を聞いて納得する。

 やはり、アイリスは、自分に対して特別な力を一切使っていない。自分のこの感情は、外から操作されたものではない、とシュデリィは結論付けた。


「え、えっと、シュデリィちゃん? 何が……?」


「……なんでもない。私も、アイリスさんが私と『同じ気持ち』になってくれると嬉しい、と、はじめて思った」


「その、それは、どんな気持ちなの……?」


「……アイリスさんが教えてくれたら、教える」


「わ、私!? 私のは、ええとね、シュデリィちゃんにはまだ早いかなって……思って……」


 恥ずかしすぎて、ストレートに「大好き」とは言えず、アイリスは誤魔化そうとする。


「……じゃあ、私も秘密。はじめて、秘密をもった。なんだかくすぐったい気持ち」


「へっ、き、気になる……!」


「……心理防御魔法があるから覗かせない」


「わ、私も今は使えるから!」


 アイリスも負けじと、先日シュデリィが教えてくれた魔法が使えるようになったことをアピールする。二人の間に、和やかな空気が流れる。


 シュデリィは、アイリスの手を、そっと握り直した。指先が絡み合って、彼女に体温が伝わってくる。


(……どうか、アイリスさんが、私と『同じ気持ち』になってくれますように――)


 シュデリィは、アイリスと同じように、心の中でそっと祈った。

 まだ、具体的な言語化はできないけれど。

 自分の気持ちを、魅了の魔法などを理由にせずに、はじめて自らの意思として、シュデリィが向き合った瞬間だった。


 一方のアイリスは、自分のどきどき鳴る心臓の音を聞きながら、シュデリィに手を握られている感覚を噛み締めた。このまま、時間が止まってしまえばいいのに、と思った。


 遠くでは、体育祭の賑やかな喧騒が、まだ続いている。だが、この木陰のベンチに座る二人だけは、外とは切り離された、特別な世界の中にいるようだった。

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