【コミカライズ】病弱令嬢の大誤算 ~ ヤンデレ伯爵は、いつも私をみている ~
見渡す限りの白い雪。
枝に煌めく薄氷が木漏れ日に反射する。
五年前、病に臥しベッドから起き上がることも儘ならなかった私に、突然婚約を申し込んだ一人の男性。
顔を合わせるどころか絵姿すら見せてもらえないまま、婚約が結ばれた。
病気で部屋から出られず、会えないならせめてと思い手紙を送っても返事は無く、やっと会えたと思ったら、一言も話さない。
そして今日もまた部屋の隅に立ち、私をただじっと見つめている。
(こんな何を考えているか分からない人と結婚なんて、絶対に嫌……)
しかもなぜか、会いに来るのは冬限定――。
婚約から五年経った今、病気も治り実は元気いっぱいなのだが、婚約破棄をしたいがために病弱設定のままにしている。
「サイラス様、私は身体も弱く、伯爵夫人の責はとても果たせそうにございません。大変心苦しいのですが、婚約を破棄して頂く事は可能でしょうか」
勇気を出してついに婚約破棄を求めると、部屋の隅にいた男は訝しそうに眉を顰めた。
「メリッサ様、そのような事を仰ってはいけません。病状も回復し、外に出ることも可能です。伯爵家の皆もきっとメリッサ様がいらっしゃるのを心待ちにしていますよ」
せっかく病弱なふりをしているのに、主治医が余計な合いの手を入れる。
「ですがあと一年で、結婚をお約束した十八歳になってしまいます。この状態で満足に妻の座が務まるとは思えません。どうか、婚約破棄を……!」
必死で懇願する私に何を言うでもなく、男は無言で目を伏せる。
(ここまで言われても、無反応だなんて……)
以前父に婚約破棄をお願いした際は、相手方がいたく乗り気だからそれは出来ないと、首を縦に振ってはもらえなかった。
主治医と男がいなくなり、一人残された部屋の中。
私はどうやって婚約破棄をしようか、ずっと考えを巡らせていたのである――。
*****
「メリッサ様、昨日は一体どうしたのですか? 突然婚約破棄などと」
翌日、主治医にちくりと言及され、私はムッと口を尖らせる。
「……先生なら、どんな理由があれば婚約破棄したくなりますか?」
「んー、そうですねぇ。やっぱり浮気かなぁ」
手を取り脈を確認しながら、考え込む主治医の横顔を眺める。
ずっと病に臥せっていたから、初恋すらまだなのに。
あの男が部屋に来るのは、いつも正午頃。
入室したタイミングでそんな感じの現場を見せつければ、もしかしたら――?
控えていた侍女が退室し、主治医の青年と二人きりになると、私は緊張で震える手をそっと布団の下に隠した。
「……先生、奥様はいらっしゃるのですか?」
「いきなり何ですか。妻などおりません」
「では恋人は?」
「恋人……まぁ、いないと言えばいないですね」
いないと言えばいない?
よく分からない返事をされたが、他に思い当たる男性もいない上、人柄も申し分無い。
よく気が付き穏やかで、婚約者がこんな人だったらと思ったこともあるくらいだ。
「……先生、私の恋人になってくださいませんか?」
「こっ、恋人!?」
驚いたのか顔を真っ赤に染める主治医の青年。
あまり女性に慣れていないのだろうか、頬を染めて目を泳がせている。
「先生は私のこと、お嫌いですか?」
恥ずかしくて堪らないが、あの男と結婚したら最後、身も凍るような結婚生活が待っている。
どうしても、婚約破棄をしたいのだ。
「だ、駄目です。昨日の話といい、突然どうしたんですか?」
「もし無理だと仰るなら、どうか思い出だけでも」
「なんで思い出!? 昨日まで全然そんな感じじゃなかったじゃないか!」
大慌てで窘められるが、男が訪れる時間まであと一分弱。
その時、扉を叩く音が聞こえ、ゆっくりと扉が開かれていく。
「失礼致しま――――」
もう駄目だ、間に合わない!
私は勢いにまかせ、主治医の胸倉を掴んでグイッと引き寄せると、ぎゅっと目を瞑り口付けた。
「!?」
部屋の時間が止まる。
静寂の中、薄目を開けて様子を窺うと、足を一歩踏み入れたままギシリと固まる男の姿。
恥ずかしさに弾む息。
だが静まり返る室内に不安になりながら主治医に目を向けると、驚愕のあまり呆然としている。
「……すまないが、皆出て行ってくれ」
主治医はぽつりと零して閉まる扉を確認するなり、険しい顔で私へと向き直った。
目的を果たす為、申し訳ない事をしたと反省する思いが押し寄せる。
気まずい沈黙……。
怒っているのだろうか。
恐る恐る顔を覗き込むと、見た事も無いほど怖い顔で睨まれた。
「なんてことを……それに君は初めてだろう。なぜ、こんなことをした?」
なぜと言われましても、説明したらしたで怒られそうだし……。
初めてだったことにも怒っているのだろうか。
違うと言えば、少しは怒りも収まるだろうか。
「申し訳ありません……ですが、初めてではないので大丈夫です」
少しでも相手の怒りを鎮めようと、うっかり告げたこの言葉がまさか地雷になろうとは。
「――は? 今なんて言った?」
いつも笑顔で穏やかな、彼をとりまく空気が一気に冷え込む。
温度を感じさせない冷たい声。
見た事もないほど獰猛な光を宿し、ギロリと見下ろしてくる。
「で、ですからその、気にされなくても大丈夫と」
「――だからなにが?」
大激怒だ……。
ずっと引きこもり故、キスどころか男性とデートした事すら無いのだが。
「誰としたの?」
「いや、その、う……嘘ですごめんなさい」
「そうだよね? ずっと屋敷にいたのに、そんな時間ないよね?」
突然口調の変わった彼に若干恐怖を感じつつ、まっすぐに落とされる視線から、どうやって逃れようか画策するものの、手首をつかまれ逃げられない。
「――なんで、そんなウソついたの?」
「えっ?」
「なんで、俺にキスしたの?」
そこまで怒り狂うほど嫌だったとは思わなかった。
キスしたのが余程不快だったのだろうか、険しい顔で迫ってくる。
「う、うぐ……だって、だって結婚したくなかったんだもぉぉ……」
「はぁ!? 何言って」
「婚約しても全然会いに来てくれないし、手紙の返事もくれないし、やっと会えたと思ったら冬だけで、話し掛けても返事すらしてくれないし……!!」
思い出したら悲しくなって、次から次へと涙が溢れてくる。
「待て、待ってくれ! 君は一体何を言っているんだ!? 冬しか会えないってどういうことだ?」
「ふ、ふえぇぇん、だって、いつも部屋の隅に立って」
「――なに? いつも部屋の隅に立ってる!?」
ベソをかき始めた私を見て怒りが吹き飛んだのか、慌てだした主治医は、ふと動きを止めた。
「本当に、何を言っているんだ!?」
「婚約者のサイラス様が、グスン、もう婚約して五年も経つのに、話し掛けても返事すらしてくれないから……」
「なんだと?」
「だから病弱設定をゴリ推しして婚約破棄しようと、昨日も頑張ったのに全然うまくいかないぃぃ……」
一生懸命シーツで涙を拭くが、どこから溢れてくるのか、とめどなく涙がこぼれてしまう。
「こうすればサイラス様も愛想を尽かせて、婚約を破棄してくださるかと、グスッ、お、思ったのです」
泣きじゃくる私の耳に、大きな溜息が聞こえた。
呆れ果てたのだろう、私だって申し訳ない事をしたと思っている。
なおもグスグスとしゃくりあげる私の横で、不意に主治医が立ち上がる。
私の前を長い腕が横切り、身体を覆うようにベッドへ手を突いた。
急にどうしたのだろうと見上げると、困ったような顔で見下ろす主治医の姿――。
「五年間、君は毎日婚約者と会っていたし、言葉も交わしていた」
驚いて目を瞠る私の頬に、そっと指先が触れる。
「手紙も嬉しかった。毎日顔を合わせるのに、改めて返事を書くのも照れくさくて、いつも直接伝えていたつもりだったが、これからは手紙の形で返そうと思う」
何が起こっているのか分からず、されるがままの私。
「以前仕事で訪れた際、窓から顔を覗かせた君に一目で心を奪われ、申し込んだ婚約。――他の男に身体を触らせるのが嫌だった。頼み込み、主治医の指示のもと、俺が内診をしていた」
「ええっ!? お医者様じゃなかったんですか!?」
そ、そういえば昨年くらいまでは二人体制だった!
てっきりもう一人は助手だとばかり思っていたのに、本当はこっちが主治医だった!?
そういえば彼一人になってからここ一年、脈を測ったり手に触れたり……思い起こせば薬も無く、よく分からない時間を過ごしていたような気もする。
「昨年完治したので、やっと外に連れ出せると喜んでいたのだが、何故か病弱設定のままだし……まさか勘違いした上、本気で婚約を破棄するつもりだったとは」
スッと目を細め、不快そうに口元を歪ませる。
「それも、あんな方法で」
眼前に迫る主治医――、婚約者のサイラスに慄きながら、メリッサは視線を彷徨わせた。
なんたること、まさかこの人が真の婚約者だったとは。
「君のもとを訪れる傍ら、執務をこなすのは大変だったのに」
「お、お待ちください、それでは冬にいらっしゃるあの男性は?」
「あれは、私の護衛騎士だ。いつもは部屋の外で待機させているのだが、如何せん冬は冷える。寒い日はともに室内に入れ、近くで護衛をさせていた」
だ、だから冬限定だったんですね――!
「君が他の男と言葉を交わすところを見たくなかったから、話し懸けられても返事をしないよう命じていたんだ」
頬に触れた手が、滑るように耳へと移動する。
そしてそのまま、私の唇へ……優しい口付けが落ちてくる。
「――毎日部屋を訪れ、君を見ていた。婚約破棄は、しないよ。もう病気は治っているはずだ」
診ていたのではなく、見ていたのですね!?
突然のキスにもう何がなんだか分からず、ツッコミが追い付かない。
角度を変えて、もう一度。
触れる唇が、次第に熱を増してくる。
「何か理由があるのだろうと遠慮をしていたが、もうやめだ。……婚約破棄なんて二度と口に出来ないくらい、溺れさせてあげるよ」
ゴクリと喉を鳴らした私へ、捕食者の目をした婚約者のキスが落ちて来る。
――押してはいけないスイッチを、押してしまった?
「一年後、君は晴れて俺の妻だ」
うっそりと微笑む婚約者。
ヤンデレ伯爵は、いつも私をみている。
――病弱設定は、もう、使えない。
今年最後の短編に目を留めていただき、本当にありがとうございました。
気が付けば大晦日……本年は大変お世話になりました。
皆様もどうぞ、よいお年をお迎えください。
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※他にも小説を投稿していますので、年末年始のお共に是非御覧ください。