第1話「掃除の依頼」
私は仕事をしない魔女だ。
きょうも、仕事の依頼でアパートに向かっている。もちろん、魔法の箒で空を飛んでいるんだ。
えっ、仕事をしないのに、なんで仕事の依頼があるのかって? それは目的地についてからのお楽しみ。
依頼主が住んでいるのが、四丁目のゴーレムハウスだから、あのアパートだな。古いが、まだじゅうぶん住めそうだ。だが、お金持ちやお嬢さんの住むような立派なアパートでもないな。学生さんや貧しい人向きに見える。
私は、アパートの前に降り立つと、箒を逆さにして、ゴーレムハウスの階段を上り始めた。依頼主は二階に住んでいるのだ。
おっと、仕事の依頼を受けている最中の魔女は、箒を逆さにするのがしきたりなんだ。これを『アルマル』と言う。この因習、いい加減終わりになんないかなぁ。だってこれ、「私は今、依頼を受けている最中です」というサイン以外に、なんの意味もないんだもん。逆さにすると箒って案外、重いし、ときどき風に流されて危ないし、もちろん、人混みはたいへん緊張する。アルマルでへまをするような魔女は、あまりいないけどさ。
ゴーレムハウスの、205号室の前まで来ると、私はポーチからコンパクトミラーを取り出して、髪が乱れていないか確認した。よし、きょうも私の前髪ちゃんは絶好調だ。面差しもなかなかいい。唇がやや大きいこと以外は、不満点のない顔だちだ。
インターホンを押した。
「はじめまして、魔女の茜一華です」
そう、私の名前は、茜一華、今年で二十三歳になる、まだ若い魔女だ。
玄関が開き、若い男性が出てきた。上下ともグレーのスウェットだ。
「いやぁ、いらっしゃい。待ってたよ。依頼主の宮下大悟です」
依頼主の宮下大悟に、部屋に招き入れられた。
部屋はぐちゃぐちゃの、ゴミが散乱した状態だ。
「これはなかなか」
「そうだろ。そろそろ、大掃除しなきゃいけないんだけど、一度、魔女に掃除して貰いたかったんだ。ところで、掃除には時間はどれくらいかかるんだ?」
「早くて十分、遅くとも三十分はかかりません」
「凄いな、さすが魔法だ。これで映画を観に行けるぞ!」
宮下は感心しきりだが、私は肝心な話を切り出した。
「魔法でホコリだけを取り去るコースと、魔法でホコリを取った上に整理整頓するコースと、魔法で部屋がとてもすっきりするコースがありますが」
そう、私は、部屋の掃除の依頼でこの安アパートにやってきたのだ。
「ホコリだけを取るコースが一番安いんだろ」
「そうです」
「それにしよう。今金欠だし。いくらだい?」
「水晶で占って決めます」
「ああ、そうなんだってな。占ってくれ」
私はポーチから水晶を取り出すと、神経を集中させた。
「ほぅ、これはこれは」
「どうした?」
「この部屋の掃除は少々高くつきますが……」
「そうなのか……」宮下は渋い顔を見せた。「それでいくらだい?」
「三十万円ほどです」
彼は、さすがに驚いたようだ。
「……えっ、いま何て言った?」
「だから、三十万円です」
「いや、三十万円も出したら、ちゃんとした掃除屋を何回も呼べるよ」
「どうなさいますか?」
唖然としていた宮下だが、何か閃いたのか、落ち着きを取り戻したように見える。
「ああ、わかった。値切るんだな。値切り交渉は嫌いじゃない。いくらまで負けられる?」
「いえ、三十万円です。びた一文、負けられません」
宮下はいささか不機嫌になったようだ、口を尖らせている。
「友達は、二万円で掃除して貰ったぞ。もちろん魔女にだ」
「魔女は、一人ひとり相場が違いますし、その時の体調や、物件や、季節や、天候や、月の満ち欠けでも料金が変わってきます」
「つまり、掃除をして欲しかったら、三十万円払えと?」
「まぁ、そうですね」
「他の魔女に交代してもらえないか?」
「あいにく、私は魔女の友人が少ないものでして」
宮下が歯ぎしりをしている。
私は嘘を言っていない。魔女の友人は二十人ほどしかいない。ふつう魔女は、魔女の友人が百人はいるものなのだ。
「悪い、帰ってくれ。三十万円はさすがに払えない」
「では、一万円を払ってください。解約金です」
「この、ごうつく魔女め! 大学生が一万円を稼ぐのが、どれだけ大変か知らないんだろうな!」
私は、解約金を受け取ると、部屋を追い出された。逆さの箒を元に戻すと、階段を下りてゴーレムハウスを出た。
きょうも、私は仕事をしなかった。
話はこれで終わりではない。
私は、ゴーレムハウスを出た後、上空で観察を始めた。
依頼主の宮下大悟、いや元依頼主の宮下は、どうやら自分で部屋の掃除を始めたようだ。これでは、映画を観に行くのは無理そうだ。
一時間後、トラックが現れてゴーレムハウスの前に止まった。引っ越しのトラックだ。今は、三月の下旬、引っ越しのシーズンだからね。業者によって、荷物がどんどん204号室に入れられていく。
だが、困ったことが起きた。背の高い特殊なタンスがあり、なかなか玄関を通らないのだ。完全に二階の通路を塞いだ状態で、立ち往生だ。
そこへ、ゴミ袋を持った宮下が、部屋から出てきた。掃除は終盤のようだ。
「こんにちは。どうかしましたか?」
元依頼主の宮下が、新しい隣人に挨拶をした。
「あっ、すみません。隣に引っ越してきた者です。タンスが部屋に入らなくて……、すぐになんとかします」
若い女性が、焦りながらそう言った。
「早川さん。これ、入りませんね。時間がかかりますが、専門家を呼びますか?」
引っ越し業者が言った。
「あっ、オレ知ってます」宮下が慌てて言った。「そのタンスは、実は分解できるんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
若い女性は目をぱちくりさせた。
「ほら、ここにつなぎ目があるでしょ」
宮下は、タンスの中間あたりに指を向けた。
「ホントだ」
若い女性、早川の目が輝いた。
宮下の助言で、タンスは分解され、無事部屋に入った。
「ありがとうございました。私は、四月からA大学に通う、早川つばさと言います」
「あっ、オレ、A大学の学生だよ。オレは宮下大悟、来年度から2年生だ」
「ホントですか? 奇遇ですね」
「わかんないことがあったら何でも聞いて。カルト宗教の勧誘にはくれぐれも気をつけてね」
「ありがとうございます。はい、気をつけます」
「あと、ぼったくりの魔女にも気をつけてね」
「何ですか、それ」
早川つばさちゃんはあどけない笑顔を見せた。
ふたりは、どうやら打ち解けたようだ。
もし、私が仕事をして、魔法で部屋を掃除していたら、この出会いは違うものになっていただろう。宮下大悟は映画を観に行って、早川つばささんと親密になることもなかったかもしれない。
私は、ポーチから缶ビールを取り出すと、やおら飲み始めた。
「働かないで呑むビールは、チョーうめ~!」
飲みながら、箒を自宅の方向へ向ける。
そう、私は、仕事をせずに問題を解決する魔女、茜一華です。
以後、お見知りおきを。
第1話 おわり