酢ラーメンと牛丼と。
目の前にいる少女が苦しんでいる。
「有珠析…」
俺の名前を呼ぶ少女の真っ白な髪が揺れて吹雪を連想する。
「ん…」
新しい本の匂いで目が覚める。
夜に買ったばかりの本を読んでいたらいつの間にか寝てしまったらしい。
椅子にもたれかかって顔の上に本を置いていた為、首や身体が痛く、徐ろに伸びをする。
窓の外はまだ暗いが空の向こう側がほんのり色付き明るくなっていて、春にしては少し肌寒い。
時計を見ると5時近く少し納得する。
「そろそろ牛丼屋のモーニングがやるころか…」
チェーン店の牛丼屋は24時間営業で5時からモーニング11時からランチ、17時から19時までがディナーと通常よりセットが安くなるのだ。
中途半端に目覚めた日や徹夜の時はそのモーニングを食べに行くのが日課。
「今日は音泉タワー盛り牛丼とモーニングのセットで…味噌汁も付けよう」
メニューを決めて小さな財布と携帯を身に付ける。
ドア横の鏡に映る紫の髪と目の下のクマにため息をつき、
隣の部屋でブラックと柑奈が寝ているのを確認して寮を出た。
病院内部の研究棟の中に寮があり我々はそこで暮らしている。
少し厚手のコートを着て外に出たが、指先がだんだんと冷たくなっていきポケットに手を入れて歩く。
昼間はいつも人で賑わっている街中の通りも、この時間は静かでシャッターがかかっていて世界に取り残された気分になる。
「せっかくだし…冒険してみるか」
誰もいないをいい事にいつもは入らない裏路地を歩く。
「いい匂いがするな…」
空がちらほらと赤い色を見せ始めた時に風に乗って届いたパンの焼ける匂いに釣られた。
この前食べた焼きたてのスコーンを思い出す。
スコーンに限らず、雪白が作る物は大抵美味い。
そう。
今ではパン屋の店主として美味しいものを作っているが…。
あれは…雪白が警察の特殊捜査官として動いていた時の話だ。
…。
「能力者の立てこもり…能力者の作った爆弾の処理…その他事件の始末書!!」
高くも低くもない声で白い髪を揺らし、右目を隠した長い前髪のせいか骨格のせいか…少年にも見える少女はバンバンと机を叩く。
「犯人捕まえたのはいいけど…」
「ぼくが重力掛けた先の床にハマったりしてさぁ」
「しろさんのせいじゃん!」
「犯人捕まえようとしたら雪白捕まえちゃった」
この怒っている雪白を焚きつけるように悪気無く話す少年。
水色よりの白い髪は長く、前髪は眉より上で髪型だけで見たらこの人も男か女か分からないが、声は低めで男だと思う。
ここは警察内部の特殊捜査課。
メンバーは無能力者の俺と、能力無効化の雪白と、重力操作のしろ。
「しかも始末書は全部しろさんが重力操作で浮かせて破損したりとかのやつ!」
「そこは無効化して止めてよ〜」
「そんな器用なことできるか!!」
言い合いをしている2人をまあまあと宥めるのは大抵俺の役割。
「…にしても能力者ってすごいもんだよな」
能力を与えられて犯罪に手を染める者や、2人のように平和の為に使う者もいる。
しろは机の上の書類を宙へ浮かせてファイルに綴じたり、提出用のクリアファイルに分けていく。
「たくさん動いたし…お腹空いた」
しろは能力を使う代償が飢餓に襲われ動けなくなったり、平衡感覚失ってまともに歩けなくなってしまう。
「そういや袋ラーメンあったな…食べる?」
「「食べる」」
しろと声が合わさり仲良しー!と和気あいあいとしている姿を見た雪白は作ってる間によろしく!と先程までの自分の書類を置いて給湯室へと逃げた。
「書類めんどくさいなぁ」
しろはそう言いながらチマチマと文字を書き始めた。
「俺、能力者の研究をしたくてさ…」
沈黙が辛いわけではないが、事件のファイルをまとめながら独り言の様に話す。
「そしたら…代償に苦しまなくて済むだろ」
金属のクリップを止める音と文字を書く音が部屋に響く。
「ぼくは能力が起こしたテロに巻き込まれてさ」
文字を書く手が止まる。
「痛くて苦しくて…死ぬんだなぁって思った時に目の前にタロットカードがあって…不思議と捲りたくなって、最後の力で捲ったら能力が使えるようになって…」
しろは能力者の集団が起こした銀行立てこもりの被害者だった。
能力者たちは銀行の金庫を爆発させ、壁が崩れて巻き添いになってしまったと聞いている。
「能力で近くの瓦礫どかしてなんとか生きてるし…あの時死ぬはずだったのが今はお腹空いたって…それだけで生きてるのは何より生を感じるよ」
笑いながらまた書類に文字を書き始めた。
「俺は能力者じゃねぇけど手助けくらいしたいわけよ」
「じゃあ、お喋りよりも先に手を動かしてください」
ニコニコとしながらトレイに器を3つ載せた雪白が戻ってきた。
「ラーメン!!」
しろさんは先程とは打って変わって少年のような顔を見せる。
「いただきます!」
インスタントラーメンでもこんなに喜ぶとは代償がいかに辛いのか察する。
「ウッ」
しろはラーメンを啜った後に噎せてラーメンを吐き出す。
「ま、まし…ろ…」
「雪白!!な、なにいれた…!!」
しろは机に突っ伏したままになってしまった。
「…これ『う…うまい!』みたいな流れにならないんだな」
「しろさんにそんな芸当されたらお腹抱えて笑うよ」
倒れたしろを横目に雪白は美味しそうにラーメンを啜って食べている。
「た、食べたらわかる…」
今にも息絶えそうな声でしろはラーメンを指差した。
見た目は普通。
丁寧にメンマ、半熟のゆで卵が乗っている。
匂いは…。
鼻にツンとくる酸味臭。
「い、いただきます…」
恐る恐る口に運ぶ。
「ウッ」
口いっぱいに広がる酸味が鼻を突き刺す。
見た目からは想像も付かない…激物。
言葉が出てこない。
これは噎せる。
抹茶パウダーとかの粉っぽさの噎せとは違う…。
明らかに身体が危険だと言う信号を出している。
「こ、これは…どうやって作ったんだ」
聞きたくは無いが、激物を生成し…というか更に穀物酢を追加して食べている化け物に問いたい。
「えーっとねえ」
1.袋に書いてある分量通りの鍋にお湯を張り沸騰させる。
2.麺を茹でる。
3.スープの粉を器に入れて粉が溶ける量の酢を入れる(麺の半分が理想)
4.茹でた麺を器に入れて塩コショウとブラックペッパーをかける。
5.お湯を適量入れ、盛り付け。
「完成!」
雪白はこれが普通だと言いたげな顔でこちらを見る。
「化け物め…」
しろがぼそっと呟くが、雪白はペロッと平らげている。
…。
ふと昔の事を思い出しながら朝日の逆行を浴びた街を歩く。
明るい太陽が街を黒くして、世界に取り残されたなぁと感傷に浸る。
「有珠析くんだ」
「お…しろくんだ」
牛丼屋の前に長い髪を束ねていて一瞬誰だか分からなかったが、お互いの真似をしながら挨拶を交わす。
「いらっしゃいませ」
今日が始まったばかりの朝焼けが入り込む店内で少し眠そうな店員がニコニコと笑う。
「…でな。あれは酷かった…!!」
「あれ食べれる人なんて雪白以外いないでしょ」
「雪白に酢を渡しちゃいけない!!」
「兎夜くんとヒナちゃんに運命はかかっている」
「違いねぇ」
笑いながら昔話をしていると、水を渡しにきた店員に注文を告げる。
「…で?パスタの手掛かりは?」
「なにも…」
表情が曇るしろを横目に水を啜る。
「俺からしたら…またこうやってしろと飯食って居るのが現実で良かったよ」
「…」
「あの状況で被害を最小にできたのが幸いだって事」
しろは俯いたまま話し出す。
「みんな食事らしい食事しないから、ぼくが給湯室入るとレトルトのパスタソースが散らかってて…」
今にも泣き出しそうな顔をしたところで湯気の出る牛丼が目の前に現れる。
「ここでタワー盛り食うって事はさっきまで能力使ってたんだろ」
割り箸を取り出して渡すと軽くお辞儀をして牛丼を口運ぶ。
割り箸を割って縦に乗せたくらいの高さ。
横は1人用のテーブルが8割埋まり、味噌汁とお冷を置いてテーブルが完全に埋まる大きさだ。
「こんな時でも美味いなぁって思ってしまうのが悔しくて仕方ない」
「それが生きてるって事だろ」
食べ終えて海辺へ向かう。
「この前ここで雪白に拾われたよ」
「まじかよ…じゃあ落ちてたんだな」
「鰯…ぺぺと戦ってたからさ」
朝日の逆光で黒く染めた街を背にして防波堤に座る。
「1つ聞きたかったんだけど」
しろはそう言って真っ直ぐに俺を見る。
「有珠析が能力者になって病院に行って研究してくれてるのは知ってるけど…」
しろの固唾を飲む音が波に攫われて緊張感が増す。
「…」